誰かキヴォトスに生徒の肉体で落っこちた一般人がとるべき行動を教えてくれ 作:新品のタタリモップ
「ナナシ、ここは……」
「あ~っと、これは確かこの単語の意味が──」
さて、ヒフミと先生が用意してくれた模試をしたわけだけども、当然それだけで一日が潰れるわけもなく。かといって勉強以外のことをするような余裕もないということで、俺たちは勉強に勤しんでいた。集中して取り組めば時間が経つのは早いもので、既に時刻は夕方だ。今は俺がアズサに、ハナコがコハルに勉強を教え、ヒフミは先生に教えてもらいながら自分の勉強をしている。まあ、俺とヒフミの位置が逆でもいいとは思うんだけど、模試の結果を鑑みるとヒフミも絶対に合格できる安全性を持っているとは言えないし仕方ないだろう。
それにしてもアズサは飲み込みが本当に早い。俺が死に物狂いですべてを勉強につぎ込んだ一時間を、その半分くらいの時間で乗り越えてくる。これでも俺、中学のときは中の中程度の学力はあったから地頭が最悪ってわけじゃないと思うんだけどな。それだけアズサがすごいんだろう。う~ん、ちょっとジェラシー。
「ナナシ、こっちも教えてくれ」
「え、ああうん。ちょっと待ってね……」
逸れていた思考がアズサの言葉で戻される。慌ててアズサの指し示す問題に目を向けると……なんだこれ、わからんぞ。ちょっと他の教えるチームに……ああダメだ、ハナコはさっきトイレに行くって言って消えたし、ヒフミはちょうど集中してる様子。先生もなにか電話を受けてるし……ダメ元でコハルに聞いてみるか。
「ごめん、俺もわかんないや。コハル、この問題分かったりしない?」
「えっ?えっと……あっ、これあの参考書に書いてあったやつ!」
進〇ゼミのCMみたいなことを言ってから「ちょっと待ってて」と自分の鞄を漁り始めるコハル。ダメ元とか考えててごめんなさい。それにしても流石に準備がいいな、俺なんて参考書どころか教科書も持ってきてない、というかそもそも持っていないというのに。いやまあ、名義の上では連邦生徒会の所属とはいえ結局のところどこの学園にも所属してないわけだし教科書を持ってないのは当たり前っちゃ当たり前なんだけど、参考書の一冊くらいは買ってもよかったかもなって。
「んしょっ」
「この参考書に載ってるのか?」
俺がちょっと後悔している間にコハルは目的の参考書を見つけたらしい。机の上に分厚めの本が置かれて……ん?あれ?これ分厚い参考書っていうか、その、薄い本じゃない?いや分厚いけど薄い本だよね?あの、あんま大きな声で言えないけどRが18な本だよね?どうしよう。コハルどや顔なんだけど。自然に気づかせてあげられないかな。
「あの、コハル。その本……」
「参考書がどうかしたの?」
「いや、あの、たしかにある意味では参考書かもしれないけど……」
「?」
よくわかっていない様子のコハル。いや、マジで早くしまった方がいいと思う。ハナコが帰ってきたらエグイ揶揄われ……あ、ダメだいつの間にか俺の隣に居る。ていうかアズサも驚いてるんだけど。ゲリラ戦のプロであるアズサに気付かれないって、もう特異現象なのでは?
「コハルちゃん、その本は一体!?」
「ひゃっ!?は、ハナコいつからそこにいたのよ!?別に、ただの参考書で……あれ?」
「エッチな本ですねっ!!」
すごく元気なハナコと、参考書(性)を見るコハル。挟まれてすごく気まずい思いをする俺。みるみるコハルの顔が赤くなっていき……。
「うわあぁぁぁっ!?な、なんでっ!?」
叫びながら慌てて本を隠すコハル。でももう遅い、すでにヤツはじっくりばっちり観察していた。ハナコが今までにないくらいの笑顔で……うわ本当にいい笑顔!?俺が友達になろうって言ったときより嬉しそうに見えるんだけど!?俺の勇気って猥談に劣るの!?
「コハルちゃん、それエッチな本ですよね?隠しても無駄ですよ、すでに出版社まで把握しましたから♡」
「ち、違う!見間違い!絶対違うから!!」
「私の目は誤魔化せませんよ、しかも表紙から推察できるプレイ内容も中々……このキヴォトスでもなかなかお目にかかれない内容とお見受けしました!」
犯人を追い詰める探偵のようにそのプレイの激しさとアブノーマリティをつらつらと並び立てていくハナコ。
「ち、違うっ!ていうかそんな変な内容じゃないしっ!」
「おや?おかしいですね。変な内容じゃないと知っているということはコハルちゃんはその本の中身を知って……」
「わあぁぁっ!知らない知らない!!」
「あの、ハナコ、もうそのへんに……ひっ!?」
流石に止めに入ろうとハナコの袖を引くと、怪しい光を伴ったハナコの目がこちらを見た。ちょ、ギラつき過ぎでは?血に飢えたバケモンみたいな目してるんだけどハナコ。ちょっとハナコさん呼びに戻したいかも。
「どうかしましたか?ナナシちゃん。もしかして、ナナシちゃんもこの本の中身を知って」
「…………なんでもないです知らないです。アズサ、あっちで勉強しよう」
「ナナシっ!?」
裏切り者を見る目になるコハル。いや、ごめんて。もうちょいしたら止めに行くからちょっと耐えてくんない?うん、絶対後で止めに入るから。ハナコが落ち着いたころにまた戻るから。さ、アズサこっちにおいで。どれ、勉強を教えてあげよう。裏切った俺、よくわかっていない様子のアズサ、水を得たフィッシュ状態のハナコ。
「こっ、これは違うんだってばああああぁぁっ!!!」
そして響くコハルの断末魔。アーメン。
〇
あのあと、暴走したハナコを泣きながら調理して……じゃない。暴走したハナコが少し落ち着いた頃合いでヒフミと一緒に止めて、なんとかその場は収まった。で、あれは正義実現委員会の押収物が混入したもので自分のものではないとコハルが言ったことで「じゃあ返しに行った方がいいんじゃない?」ということになった。
実は本来俺たちはこの合宿所から出てはいけないんだけど、『シャーレ』が着いて行けば言い訳のしようもあるということで俺か先生がコハルと一緒に着いて行くことに。で、当然俺は行きたくない。謹んで辞退しようとしたところで先生が「ついてきたらお菓子あげるよ」とか言い出して……いや、別にそれに釣られたわけじゃないんだけどね?コハルに謝らなきゃいけないし、俺もついていった方が『シャーレ』だってわかりやすいし。とにかく、俺とコハル、そして先生の三人で正義実現委員会の押収物管理室へと向かうことになった。
そして今はその道中。夕闇に染まりつつあるトリニティの独特な街並みを進むなかなか気分のいい散歩。
「ごめんてコハル。でもハナコの目すごい怖かったんだって」
「知らないっ!」
なんだけど、コハルが全然許してくれない。いや、うん。正直悪かったとは思ってる。あの場で俺が「知ってる」って言っておけばハナコの攻撃(というか口撃)は二人に分散したわけだし、多少なりとも救いになったはずだ。なので全面的に俺が悪い。そう思っているので謝っているんだけど……さすがにこうも拒絶されると傷つくなぁ。仕方ない、ちょっと後ろ歩くか……するすると二人の後ろに下がろうとしたのを、先生が手で止める。え?なに?困惑していると、先生がコハルに話しかけ始めた。
「“まあまあコハル。ナナシも最終的には止めてくれたんだし”」
「…………それは、そうだけど」
「“『つぎに裏切ったら許さない』ってことで、許してあげてくれないかな”」
「……わかった。ナナシ、次はないからっ!」
「うん、本当ごめんね。ありがとう」
ふんっ!と鼻を鳴らして前をパタパタと歩くコハル。いやマジで申し訳ない。そして先生はありがとう。珍しく助け船を出してくれたのちょっと意外だったよ。先生にもあとでお礼を言おうと心に決めていると、前を行くコハルがなにやら「あっ」と声をもらした。なにごとだろう。
「い、言っておくけど、こればっかりは本当に間違いだから!」
発言の意図がわからず、先生と二人そろって首を傾げる。
「いつものはちゃんと隠……じゃなくて、あんまり持ち歩いたりしないし……」
「この前のやつは?」
「あっ、あれも違うから!」
あの本についての話だったらしい。つい気になって、まだ合宿が始まる前にコハルのバッグから見つけてしまったモノについても聞いたけど、そっちも違うとのことだった。まあ、普通そういう本を持ち歩いたりしないしな、あれも押収物だったんだろう。
「“バレないように、上手く隠さないとね”」
「な、なに言ってるの先生!?それ、バレなきゃ良いって言ってるのと同じじゃない!」
先生のセリフにそう吠えるコハル。うん、教職の人間が言うことではないよね。あ、というかこれあのセリフを言うチャンスかもしれない。
「ねぇねぇ、コハル」
「な、なによ……」
「バレなきゃ犯罪じゃないんだよ?」
「ダメ!なに考えてるの!?エッチなのはダメ!死刑!」
コハルからは死刑判決を喰らってしまったけれど、先生がちょっとうらやましそうな眼を向けてきてるし結構うまくキマったんじゃなかろうか。
「“まあ色々あるけど、無理に縛られなくて良いと思うよ。コハルは、コハルだから”」
満足している俺と困惑気味なコハルに、少し後ろを歩いていた先生が声をかけてきた。コハルは意図がわからなかったらしく、え?と言って困惑している。たぶん、先生はそういうちょっとスケベなところもコハルなんだから、あるがままの自分でいいってことを言いたいんだろう。……ハナコレベルまで行くと色々と問題だけど、たしかにあるがままの自分を好きになることは大事だ。
「“もちろん、ナナシも。変に縛られなくていいんだよ”」
……たぶん、今度は俺が原作だのなんだのを気にしていることを言っているんだろう。少し、考える。たしかに俺は原作知識に縛られているんだろう。それはもう間違いない。けれど、それは必要なことだと思う。原作は綱渡りでハッピーエンドを掴んでいるんだから、その綱渡りを邪魔しないようにしなければならないのは当然だ。でなければ世界が滅んでしまうかもしれないんだから。俺はそんな責任を負いたくないし、というかなんの責任も負いたくない。今は先生の『生徒』だから、彼が自分の責任として背負い込むのかもしれないけど、そんな迷惑かけたくないし。そもそも責任を感じたくないし。……でも、けれど。「縛られなくていい」という言葉がなにか引っ掛かる。なにか、大事なことを見落としているような……違和感が。
「ナナシ、着いたわよ!……ナナシ?」
そこまで考えたところで、コハルの声が聞こえた。どうにも、いつのまにか目的地に着いていたらしい。意識を戻して中に入る。そのあとはハスミさんに会ったくらいで大したことも起きずに帰ることができた。
なにごともなく、ほとんど原作通りに終わらせることができたのに。先生に言われた言葉が、縛られなくてもいいというその言葉が。ずっと頭の中で反響していた。
〇
side:先生
深夜。ヒフミが帰って、そろそろ寝ようかと椅子からベッドに移動しようとしたとき。再び、部屋のドアがノックされた。3回、控え目な音が響く。また誰か来たのだろうか。
「“入っていいよ”」
「……失礼します」
入室を許可するとすぐにドアが開いて、ナナシが入ってきた。その姿を見て、珍しいな、と少し驚く。今までナナシが自分から私のところに来たり、話しかけるという場面はほとんど無かった。まだ1か月に満たないような交流しかないけれど、それでも珍しいことなのは確かだ。そのまま話し出そうとしたナナシに椅子を勧めて座らせ、既に湧いているケトルの湯でココアを作って渡す。
「ありがとうございます」
「“うん、どういたしまして。それで、今日はどうしたの?わからないところでもあった?”」
ナナシは本当に精力的に勉強している。私が出した『合格したら帰ってもいい』という条件や、ヒフミが出した『いい成績を出したらモモフレンズ(ナナシはウェーブキャット?以外に興味がない様子だけれど)のぬいぐるみをあげる』という報酬もあるんだろうけど、本人が自分の成長を喜んでいる節もたしかにあった。自分から私に話しかけた場面というのも、その殆どが質問だ。だから一応聞いたのだけど……実を言えば、勉強についての話じゃないというのはわかっていた。
「いや、その。今日は……相談に、来たんです」
やっぱり、と思う。表情が悩んでいる子のそれだったから。けれど同時に、意外にも思う。というのも、この子は人に迷惑をかけることを極端に嫌うからだ。それは、原作に関わらないようにとか、世界が滅ばないようにとか、そういうレベルではないと私は思っている。一緒に仕事しているうちに思ったより根が深いと気づいた、ナナシの自己肯定感の低さが原因だ。
だから、意外で、嬉しい。困ったとき、確かに私を頼りに来てくれたことが、意外であると同時に嬉しかった。私は静かにナナシが話始めるのを待つ。
彼女はココアを一口飲んで、まだ熱かったのか慌てて離した。それからきまり悪そうに、その悩みを吐露しはじめた。
「先生は、俺が別の世界から来たことと、この世界を物語として知っていることは知っていますよね」
言われて、頷く。初めて会った日に言われたことだ。ナナシに青春を楽しんで貰う一番の障害でもあるから、忘れたことはない。
「俺は、原作を崩したくありません。それは、世界が滅ぶ責任を負いたくないから、感じたくないから。だから俺は、『なにもしない』ように気を付けました。物語に、不干渉でいられるように」
先生のせいで上手く行ってませんけどね、と恨み言を挟んでから、ナナシは更に言葉を続ける。今度は、ひどく弱弱しく。
「それで……わからなく、なったんです」
「“わからなく?”」
言われた言葉の意味を理解できなくて、聞き返す。
「俺は、物語に干渉しなければハッピーエンドになることを知っています。なにごともなければ、みんなが最終的に幸せになることを知っています」
「“…………”」
「でも、俺は知ってるんです。その途中に、悲劇があることを。ヒフミが、アズサが、コハルが、ハナコが。苦しむことを、知っているんです」
ああ、そうか、と得心する。つまり、ナナシは補習授業部のみんなと仲良くなっていくうちにその悲劇が許せなくなったのだろう。もっと言えば、その悲劇を知っていながらなにもしない自分を、許せなくなってしまったんだろう。
「先生、俺は……どうすればいいんでしょうか」
ナナシのそれは、神に許しを請う人のようだった。相談というより、懺悔だった。きっと、ナナシは自分がどうしたいかがわかっていない。だから、私に答えを聞きに来た。でも、私は神様じゃない。『先生』だ。解き方は教えられても、答えは教えられない。
「“ナナシ。未来が見えない私たちには、『絶対に後悔しない選択』なんてできないよ。ナナシも同じ。ナナシはこの世界の未来を知ってるけど、ナナシ自身の未来はわからない。それはきっと、誰にもわからない。だから、ナナシ自身が選ばないと”」
「俺、自身が」
呟くナナシに、選択肢を提示する。
「“ねぇナナシ、いっそ原作なんて全部ぶっ壊しちゃうのはどう?”」
「えっ?いやでも、それだと……」
「“じゃあ、何もしないのはどうかな”」
「それは……」
今までと変わらない、そう言いかけたナナシがハッとした。気付いたみたいだ。『なにもしないこと』も、ひとつの選択だったってことに。ナナシは、気付かない間にすでに選んでいた。責任から逃れるためという理由だったとしても、すでに選択していた。だから、聞いてみる。
「“どう?ナナシ。今、後悔してる?”」
「……まだ、わかりません。でも、きっと後悔するんだと思います」
俯いたナナシは、ココアの入ったカップを持つ手に力を込めたようだった。湯気の間から見えるココアに、波紋が生じている。
「“そっか。なら、選択を変えてみる?”」
今ナナシの目の前にある選択肢は2つ。選択を変えて『悲劇』に干渉するか、変えずにただ『悲劇』を鑑賞するか。私は自分の分のココアを飲んで、ナナシの答えを待つ。
「……わかりません。でも、俺はきっと、なにもしなくても責任を感じます」
「“…………”」
「だから、どうせ同じように責任を感じるなら。いつも通り、楽な方を選びます」
選択肢を変えないことにしたんだろうそれに、「そっか」と返そうとして、まだナナシが言葉を続けようとしていることに気が付いた。
「……みんなが、楽な方に」
「“そっか”」
私は目を見開いてから、はにかむように、イタズラっぽく笑ったナナシの頭を撫でた。そして、ナナシと同じように一言だけ付け足した。
「“いい『選択』だと思うよ”」