誰かキヴォトスに生徒の肉体で落っこちた一般人がとるべき行動を教えてくれ 作:新品のタタリモップ
俺とハナコは、夜のプールサイドで向かい合っていた。ハナコは水際ギリギリに立ち、こちらを向いて佇んでいる。あの日とは逆の立ち位置だな、なんてどうでもいい思考が脳を掠めた。ひゅうと吹いた夜風がハナコの髪と、黒く染まった水面を揺らす。
……さて、どう話しかけたものか。正直言うと、今のハナコ結構怖い。笑顔はいつも通りなんだけど、それが逆に怖い。どうしよ、これめちゃくちゃ怒られるんじゃない?
「ナナシちゃん、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。ちょっとお話するだけですから」
「……ほんと?」
ハナコは「はい、本当です」と言って、ちょいちょいと俺を手招きした。恐る恐る近寄り、ハナコの隣に立ったところで……ガッと肩を掴まれた。
「ぴっ!?」
「……うふふ」
至近距離でハナコの笑顔が……ヤバイこれ本当に怖い!なんかハナコから黒いオーラ出てるんだけどナニコレ!?めちゃくちゃ逃げたいけど、肩を掴まれている俺はのぞき込むようにして視線を合わせてくるハナコから逃れられない。これ絶対ちょっとお話するって構えじゃないと思うんだけど!!
「ナナシちゃん、私言いましたよね?離れて欲しくないって」
「そ、その……」
「言いましたよね?」
「はい……」
どうしよう、圧力がすごすぎて何も言えない。こんな圧迫裁判ある?死刑って言われても異議挟めないくらいには怖いんだけど。これ呼吸って許可制じゃないよね?
「なのに、ナナシちゃんは一人で無理しましたよね?」
「あ、いやあの、無理ってほどじゃ」
「はい?」
「とんでもない無理をしました」
これダメだ。異議とかじゃなく発言の自由も許されてない。たぶんこれ初めから判決決まってる。順転裁判だ。
「さしあたって、ナナシちゃんには罰が必要ですよね。なにが良いと思いますか?」
「えっ、とぉ……」
「ああそうです、最近トリニティの遊園地に怖いと噂のお化け屋敷が出来てましたね♡なんでもリタイアする人が続出する程に怖いんだとか。どう思いますか?ナナシちゃん」
めちゃくちゃ行きたくない。絶対行きたくない。そんなとこ行ったらワンチャン漏らしてしまう。断れ、俺。情状酌量を勝ち取るんだ……!!
「ナナシちゃん?返事が遅いようですがどうかされましたか?」
「なんでもありません。俺はそこに行くべきだと思います」
無理でーす。終わりだよ、終わり。今目の前のハナコの方が全然怖いもん。よくわかんない迫力がものすごいもん。これに比べたら遊園地のお化け屋敷なんてなんでもないよ、たぶん。
「ナナシちゃん、怖いですか?」
「えっあっはい」
「そうですか」
意図の読めない質問に驚いていると、ハナコが膝を突いて俺を抱きしめた。そしてそのまま動かない。時折、確かめるように抱きしめる強さを変えるだけ。街灯の光が反射して、ちかちかと水面が煌めくのを見て……これどういう状況なんだ?
「……私は、もっと怖かったです」
困惑する俺の耳に、ハナコの声が届いた。息を呑む。
「ナナシちゃんが、もう起きないんじゃないかと思いました」
「ナナシちゃんと、もう喋れないんじゃないかと思いました」
「ナナシちゃんの笑顔が、もう見られないんじゃないかと思いました」
ぎゅ、と。抱きしめる力が強まるのを感じた。
「本当に、本当に。心配、したんですよ……?」
俺に抱き着いた、いや、縋りついたハナコは。どこか迷子の子どものような声色で、静かに想いを口にしていた。……あぁ、心配、かけちゃったなぁ。こんなに弱弱しい声色のハナコは初めてだ。俺は安心してほしくて、そっとハナコを抱きしめ返す。少し身じろぎして、ハナコの顔が俺の胸に当たるよう調整した。俺の心音が、聞こえるように。
「ごめん。……次は、頼ってもいいかな」
ハナコは俺の胸に顔をうずめたまま「当たり前じゃないですか」と言った。しばらく、俺たちはそのままじっとしていた。さっきまでハナコの陰になっていて見えなかった黒々とうねる水が目の前にあって、少しだけ怖いなと思う。どちらも黙っていて、ただただ静かなのに。不思議と気まずさは無かった。ぼーっと水面を眺めていると、ハナコが「もう、大丈夫です」と言って立ち上がった。密着していた身体が離れて、少しだけ寂しさを覚える。
あ、よく見るとハナコの耳が赤い。流石に恥ずかしかったのかな。なんて思っていると、ハナコが少しぶっきらぼうに手を差し出してきた。俺はほとんど条件反射的にその手を取って、手を繋いだ。……うん。これで解決、かな。
「私、まだ許していませんからね」
「心読めるの!?」
ナナシちゃんがわかりやすいだけですよ、と呆れたように言って、ハナコは真面目な顔になった。あ、もういつもの調子に戻ってる。
「ナナシちゃんは、もっと自分のことを大事にするべきだと思います。あんなにボロボロになって、私たちが心配しないとでも思っていたんですか?」
「うっ……」
うん。流石にもう実感がある。どうやら俺は、俺自身が思っている以上に大事に思われている……らしい。アズサからの説教(?)で思い知ったんだけど……実を言えば、それでも俺自身に価値があるとは思えなかった。でも、俺のせいで悲しむみんなは、もう見たくない。
「いや、本当にごめん。まだ、俺自身に価値があるとは思えないんだけど……違う違う!まだ途中だから!最後まで聞いて!?」
言ってる途中でハナコの笑顔が怖くなってきたので慌てて静止する。えっと、俺が言いたかったのは……。
「つまり、俺を大事に思ってくれるみんなのために、俺は俺を大事にする、ので。……今は、これで勘弁してくれません?」
まだ、俺は自分の価値なんて殆ど無いようなものだと思ってる。原作に居ない俺は、いなくてもいい存在なんだって、心のどこかでそう思ってる。でも、そんな俺を大切にしてくれるみんなが居るなら、みんなの『大事』を、俺も大切にしたい。あの、ということでハナコさん。とりあえずの落としどころはこんな感じで如何でしょうか。こっそり見上げるようにしてハナコの表情を伺うと、彼女は静かに溜息を吐いた。
「わかりました。ひとまずはそれで許してあげますね」
一応は大事にしてくれるみたいですから、と言って、ハナコは繋いだままの手に視線を落とす。そういえばまだ離してなかったけどもしかして嫌だったりするのかな。手を離そうか迷っている俺に、ハナコは顔を上げて朗らかに笑いかけた。
「それじゃあ、本題に入りましょうか」
「……え?」
どうやら本題はここからみたいだ。ちなみに手は離さなくていいらしい。なんか逃げられないようにって聞こえた気がするけどそれは気のせいだ。ていうか本題ってマジで何?さっきまで話してたのが本題なんじゃないの?困惑する俺をよそに、ハナコは笑みを深めた。
「ナナシちゃん、どうやって試験内容が変わったことを知ったんですか?」
「え?……あっ」
ヤバイ。よく考えたら俺がトリニティの掲示板見る方法って存在しないじゃん。先生は俺が原作知識持ちだって知ってたから普通に受け入れてくれたけど……ハナコはそりゃ疑問に思うよ。だって原作知識とかありえないもん。
「えっと、あの~、その~……」
「それだけじゃありませんよ?トリニティの掲示板を見ることが出来たとしても、試験会場の爆破を知ることは出来ません。にも関わらず、ナナシちゃんはそれを防ぐために動いていましたよね?」
しどろもどろに言い訳を探す俺に、更に畳みかけてくるハナコ。もう、ちょっとあの、どうしよこれ。俺の話術で誤魔化しきるとか無理だと思うんだけど。
「そしてナナシちゃんの『悩み』。あのときナナシちゃんは自分がいることで友だちが不幸になるかも、と言っていました。ふふっ、まるで自分のいない未来を……いえ、物語を見てきたかのような言い方だとは思いませんか?」
「あ、その……」
「それからあの時付けていただいた犬耳も。このキヴォトスにおいて、犬耳は特別奇抜な格好というわけではありません。にも関わらず、ナナシちゃんは反論しなかった……読解問題でも、キヴォトスの常識を理解していない節が見られましたね?」
あの犬耳カマかけだったのかよ!?やばいやばいやばい、どうしようどうしようどうしよう。これほとんど確信に近いところまで気づかれてるやつだ。もう誤魔化しとか一切効かないやつだ。あああ、ここでハナコにバレると……あれ?バレるとどうなるんだ?というか、俺は
慌てていた頭が落ち着いてくる。そっか、ここが潮時か。ハナコと繋いだ手に、少しだけ力を込める。あの日の約束を果たすなら、きっと今だ。受け入れてもらえるかはわからないけれど、約束を守るためには、ハナコに暴かれるより俺自身の口から言う方がずっといい。なにより、友だちに不義理なんて働きたくない。……覚悟は決まった。
「あの、ハナコ。俺、実は初めから……」
「えい♡」
確信に触れようとした瞬間、ハナコがプールに向かってジャンプした。は!?なんで!?あっちょっと待って今俺ハナコと手繋いでるから引っ張られて……あ、なんか全部スローモーションに見える!?
揺らめく白いスカートと、街灯の光を透かす空中に広がった桃色の髪。背景には瞬く星々。ハナコは、困惑したまま宙に浮かぶ俺の視界のど真ん中で、いつになく楽しそうに笑っていた。落下する最中、綺麗だな、なんて思ってしまう。まあ、いくらスローモーションの視界だろうと次の瞬間には落水するんですけどね。
バシャン!という水音がしたかと思うと、すぐに水中特有のごぼごぼした音が聴覚を埋め尽くした。驚いて未だ閉じられない瞳に、変わらない楽しそうな笑顔で、今度はこちらを見ているハナコが映る。水面はあんなに黒かったのに水の中は意外に明るくて、薄いカーテンのように光が差し込んでいた。なんでハナコはそんなに楽しそう……いやいやというか早く呼吸しないと!
「ぷはっ!ちょ、ハナコ!?なんで飛び込んだの!?」
「ふふっ、あははははははっ!!」
俺と同じタイミングで水面に顔を出したハナコは、楽しそうに、おかしそうに笑い転げていた。
「ふふっ、ごめんなさい。今はまだ、言ってほしくなくて」
「あんなに問い詰めたのに!?」
「はい、あんなに問い詰めたのに、です♡」
意味が分からないと困惑する俺を、ハナコはぎゅっと抱きしめて……というか、抱き上げた。身体が水に浸かっているからか、楽々持ち上げられてしまう。目の前にハナコの笑顔がきて、少しドキッとした。
「お相子にしたかったんです。私の推測が正しければ、ナナシちゃんは私の『秘密』を知っているはずですから」
言われて、気付く。そっか、これで俺たちは、お互いの秘密を知っている状態になるのか。ハナコは持ち前の頭脳で、俺は原作知識でという違いはあれど、確かに同じ状況だ。
「言いたいことは、あります。聴きたいことも、責めたいことも、文句だって、たくさん。でも、それを言うのは、言ってもらうのは……今じゃないと思ったので」
「そっか」
ふと、お互いに知っているのに『秘密』だなんて言っているのがおかしいと思った。どこか、子どものする約束事みたいなくすぐったさを感じて。
「ふふっ」
つい、笑ってしまった。ハナコもきょとんとしてから、なにがおかしいのかまた笑い出す。制服のまま夜のプールでくすくすと笑い合う俺たちは、きっと変な奴らなんだと思う。でも、今はそんなことどうでもよかった。
「ねぇ、ナナシちゃん」
「あのさ、ハナコ」
待ってて。待っててください。俺とハナコの声が同時に響いた。あの日と同じ約束を、今度はもっと近くで、お互いに交わす。いつかお互いの秘密を明かそうと、既に知っているそれを語り合おうと、そう約束する。ああ、やっぱり。変な約束だ。
「……そろそろ戻りましょうか。明日からまた試験に向けて勉強をするわけですから、風邪をひいてもいけませんし」
「うん、そうしよっか」
一頻り笑い合った俺たちはそう言葉を交わして、合宿所へと戻った。とりあえずびしょ濡れだからお風呂かなぁ。
ひとつ、前進した。
なお、浴室に向かう途中コハルからものすごい目で見られたことを追記しておく。