誰かキヴォトスに生徒の肉体で落っこちた一般人がとるべき行動を教えてくれ 作:新品のタタリモップ
補習授業部最後の試験、退学を免れる最後のチャンス、その前日。俺は、一人水面を見つめていた。黒々としたそれは暖色の光を反射し、きらきらと光っている。反射された光は壁に投げ出され、揺らめく光の模様を映し出していた。夜のプールで、俺は一人佇んでいた。
「いよいよ、か」
静かに呟いた言葉は、夜風に紛れ、溶けて消えた。誰にも届かないとわかっていながらも、なんとなく声に出したかった。そういう気分だった。うねる水面を見つめながら、そこに投影するように思い返す。
あれから、俺たちは本当によく頑張ったと思う。安定こそしないものの、模試ではボーダーである90点を超えられるようになってきたのがなによりの証左だ。教えられ、教え、教え合い、ようやくここまで漕ぎつけることができた。でも、これで終わりじゃないってことは俺が一番よく
桐藤ナギサの妨害だ。彼女は俺たちを合格させないため、これから試験会場を隔離する。俺は、俺に持てる全てを使ってみんなと一緒に合格する。理由なんて、俺がそうしたいからで十分だ。
俺は覚悟しなくちゃいけない。俺の原作知識を、それを持っているとみんなに明かす覚悟を、しなければならない。だからここに来た。思い出す。みんなと過ごした日々を、みんなの笑顔を。きっと、大丈夫だ。
「行くか」
俺はプールに背を向け、歩き出した。向かうのは、みんなが集まっているだろう先生の部屋だ。プールサイドを進む。少しだけ汚れがあるのは、初日のプール掃除で遊んじゃったからだ。ドアを開けて更衣室を抜け、廊下に出る。このあたりは電気を点けていないから少し薄暗くて、なんとなく停電の日のことを思い出した。大変だったけど、やっぱり楽しかったな。裏口の傍を通った。アズサと仕掛けたブービートラップは、実はこっそり張りなおしたりしている。バレたら一緒に怒られようと、悪戯気分で仕掛けたものだ。廊下を進んでいくと、明るい場所が見えてきた。暖色の品が良い灯りは、初日にコハルから教わって掃除したもの。教室を横切って進む。ヒフミと一緒になって黒板にした落書きは……まだ消されてないな、少し嬉しい。そうして、俺たちが寝泊まりしている部屋の前に差し掛かった。
「思い出ばっかりだな」
小さく呟いて、けれどドアは開けずに前へと進んだ。先生の部屋は、そこの角を曲がればすぐのところにある。焦るでもなく、悲観するでもなく、ただいつものペースで俺は角を曲がった。
曲がったところで、アズサが目に入った。彼女はなにかに怯えるような顔をしながら、ドアを開けようとして躊躇しているようだった。よく見れば少し震えている。ああ、そうか。アズサも怖いのか。
俺は
「アズサ」
「っ!」
アズサは驚いたように身体をこわばらせ、それからこちらを振り向いた。
「ナナシ。私は、私は……」
唇を震わせ、縋るようにこちらを見るアズサ。俺は、そんな彼女に近寄り、静かに抱きしめた。
「……ナナシ?」
「大丈夫。俺は、全部
「え?」
それはどういう、と言いかけたアズサの手を引く。それじゃ、なにもかも全部吐き出そうか。想いも、心も、秘密でさえも。一切合切吐き出して、互いを信じあおう。
〇
「アズサちゃんにナナシちゃん!?ど、どこに行ってたんですか!?」
「俺はちょっとプール見てた。アズサとは部屋の前で会ったんだよね」
アズサは急に放り込まれて困惑気味なのか、俺の言葉に対して「う、うん」と返す。というか、俺の言葉に困惑してるのもあるかもしれない。
「あ、それより大変なんです!試験会場が隔離されてしまっていて……」
ヒフミが説明しようとした瞬間、繋いだままのアズサの手に、ぎゅっと力がこもるのを感じた。
「私のせいだ」
アズサのさして大きいわけでもない声が、嫌に大きく部屋に響き渡る。ヒフミが、「え?」と小さく声を漏らした。アズサは小さく手を振って俺の手をはらうと、俯いたまま部屋の奥へと歩き、そして壁際で足を止めて振り返った。俺は入口近くの立ち位置で、ただ静かにそれを見ていた。
「……みんなにずっと、隠していたことがあった」
でも、もう隠しておけない。悲し気に、俯いたまま呟くようにそう言って、アズサは語り始める。彼女がずっと隠していた秘密を。
「『トリニティの裏切り者』は、私だ」
静かに、唐突に行われた宣言に、ヒフミとコハルは困惑し、ハナコは静かに聞いていた。先生も、ただ黙って聞いている。そんなみんなの反応を確認していたのか、あるいはしていないのか。とにかくアズサは言葉を続け始めた。
「私はもともとアリウス分校の出身。今は書類上の身分を偽って、トリニティに潜入している」
それからアズサは語った。自分は今までずっとアリウス自治区に居て、任務を受けてここにいること。その任務とは、桐藤ナギサのヘイローの破壊……つまりは、殺害であること。そして明日の朝、アリウス分校の生徒たちがナギサを殺害するためトリニティに潜入してくること。自分は、桐藤ナギサを守らなければいけないこと。
「ちょ、ちょっと待って!アズサはナギサ様をやっつけに来たんでしょ!?なのに守るって……」
「それは……」
「アズサちゃん自身は、初めからその為にトリニティへと潜入していた……ということですね?」
言葉に詰まったアズサを見て、静かに聞いていたハナコが口を開いた。それを聞いたアズサが頷く。ハナコはその様子を見て、静かに言葉を継いだ。
「最初から、ナギサさんを守るために潜入していた二重スパイ。アリウス側には問題ないと報告しながら、彼らを裏切るための準備をしていた……アズサちゃん、ひとつ確認してもいいですか?」
ハナコが気遣うような声色でした問い掛けに、アズサが静かに頷く。ハナコはそれを確認してから言葉を続けた。変わらず、優しい声色で。
「アズサちゃんは、どうしてナギサさんを守ろうとしたのですか?一体誰の命令で?」
アズサはその質問に、少しばかり迷った様子を見せて、それでもまっすぐにハナコの目を見て答えた。「誰の指示でもない、私の意思だ」と。ああ、やっぱりアズサは強いなぁ。自分の意思だけで環境に、世界に抗って意思を通し続けている。それも、自分のためじゃない。
「エデン条約が取り消しになれば、きっとアリウスのような学校がまた生まれてしまう。だから……」
「だから平和のために、ということですか……」
アズサは頷いた。そうだ。アズサはこれだけのことを名も知らない、存在するかもわからない『誰か』のためにやっている。辛いだろうに、苦しいだろうに、それでも最善を尽くすことを辞めようとしていない。アズサは、強い。戦闘能力もそうだけど、心が。俺なんかとは比較にならないくらいに。けれど、彼女は俯いた。そして自分の後悔を吐き出す。
「でも、そのせいでみんなを巻き込んでしまった。ナナシを傷つけてしまった。それに、このままだとみんなは……」
退学になってしまう。きっとその言葉が続くのだろうそれを聞いて、みんなが重く押し黙る。その静寂の中、アズサは謝罪のために口を開いた。
「私の、せいだ」
そうなのかもしれない。そういう風に受け取れてしまうのかもしれない。アズサが居たからこそこの補習授業部は生まれて、みんながこの状況に陥っているのかもしれない。でも。そんなのは、そんな解答は……
「違う」
気づけば言葉を吐いていた。息さえ詰まるような空間にあって、俺の声はよく通った。アズサが不思議そうに俺の名前を呼ぶのが聞こえる。そう、違うんだ。この状況はアズサのせいじゃないし、未来の『誰か』のために頑張るべきなのは、その責任を取るべきなのはアズサじゃない。目を閉じて、考えを整理する。そして、やっぱり同じ結論に行きついた。
「これは、アズサのせいじゃない」
目を開けて、今度はちゃんと自分の意思で言葉を発する。視界の端で、ハナコがくすりと笑うのが見えた。
「先生。先生は、この状況を誰のせいだと思う?」
「“……誰のせいでもないと思うよ”」
いきなり問いかけた俺の言葉に、それでも先生は少し間を空けて答えてくれた。それはなぜ?と視線で問う。先生は、いつものように『大人』っぽく落ち着いた、けれど真っすぐな目で俺を見つめかえした。
「“元々の原因は、きっと信じられなかったことの方だと思うから”」
先生の声が、部屋に響く。落ち着いた、老成したようなその声は不思議と俺たちを納得させてくれる。
「“ナギサが、もっとみんなのことを信じていれば。ミカが、もっとナギサのことを信じていれば……こんなことにはならなかったんじゃないかな”」
信じる。文字にしてしまえばたった四文字のそれがどれだけ難しく、そして尊いことなのか。俺は、きっと本当には知らない。本当の意味で知ることなんて、もしかしたらないのかもしれない。それでも、先生は言う。信じることが大事なんだと、それが出来なかったから今の状況があるんだと。
「……うん、やっぱそうだよな」
理解はできていない。でも、納得はした。だから俺も、そろそろ前に進むべきだ。アズサは言った。「最後まで抵抗をやめるべきじゃない」って。俺は、まだ『最後』だなんて思っちゃいない。
「手遅れな事もあるかも知れない。でも、俺たちはまだ間に合う」
自分に言い聞かせるように、小さく口の中で呟く。アズサの隣まで歩いて、みんなの注目を集めた。
「俺も話すよ、秘密」
不思議そうな顔で俺を見るみんなの方へ視線を上げて、宣言した。
「秘密……?」
「その前にさ、アズサ。俺からも一個確認したいことがあるんだ」
意図が読めないと言った様子で俺の言葉を繰り返しているアズサに、俺は質問する。既にゲームのストーリーで知っていることを、そして今は全く
「アズサは、どうして補習授業部から離れようとしなかったの?スパイなら、こんな目立つ場所に居ていい筈がない。離れるチャンスなんて、いくらでもあったのに」
ヒフミとコハルがハッと息を呑む音が聞こえた。アズサは、一瞬呆然として、それから道に迷ったような不安気な表情を浮かべた。俺が、既に知っていて、そして知らないこと。どうしても、アズサの口から聞きたかった。
「わた、しは……」
不安気な表情のまま、アズサは考えていた。迷っていた。
「だってそれは、離れれば不自然で……違う、トリニティに潜入中だからそのルールに従う必要があって……いや、違う。私は、どうして……?」
確かに離れれば不自然かもしれない。でも、補習授業部で目立ち続けるリスクと天秤にかけられるほどじゃない。トリニティのルールに従う必要はあったのかもしれない。けれどそれは、スパイの存在がバレて計画が丸ごとダメになることと比べれば些細な問題だ。アズサは答えに迷っていた。袋小路なのかもしれない。思考が空回りしているのかもしれない。でも、ここには生徒に寄りそうことにかけては誰にも負けないヤツがいる。
「“アズサ、ここでの暮らしはどうだった?”」
先生からの突然の問い掛けに、アズサは驚いた様子だった。それでも先生の目を見て意味のあることだと判断したのか、もごもごと「楽しかった、けど」と返していた。先生は「よかった」と頷いて、それから言葉を続けた。
「“それなら、きっとそれが答えだよ”」
「これが、『楽しかった』ことが、答え……?」
アズサはそう呟いて、少しばかり逡巡して。それから、迷いを断ち切る様に目を瞑った。数秒経って開いたその瞳に、もう迷いの色はなかった。ただ、微かに悲しみを湛えていた。
「……そうだ。私は、離れようと思えば離れられた。でも、離れることができなかったんだ」
後悔するように、惜しむようにアズサは言う。
「私は……手放したく、なかったんだ。ここは楽しくて、温かかったから」
ああ、そうか。アズサはそう呟いた。意外そうに、自嘲気に、彼女はそれでも納得していた。
「私は……友達から離れたく、ないのか……」
先生は、「きっとそうなんだと思う」と。そう言って俺に視線を向けた。うん、そうだな。アズサは秘密を話した。心の奥底にある本音までもを話してもらった。今度は、俺の番だ。俯いているアズサの傍に近寄って、彼女の名前を呼ぶ。
「アズサ」
アズサはピクリと肩を動かして、静かに顔を上げてくれた。
「俺も同じだ。楽しくて楽しくて仕方なくて、手放すなんて考えられなかった」
そう、俺も、きっとみんなだって同じなんだ。この合宿が、楽しくて仕方なかった。非常事態なのに、どう考えたってピンチなのに、それでも楽しかったんだ。そうだ、だから。
「だから、話せなかった。拒絶されるかもしれないと思ったから」
俺の秘密は、言ってしまえば『知っている』というただそれだけだ。でも、それが持つ意味を理解できないほどの馬鹿にはなれなかった。一方的に知られていることは怖い事だから。気持ち悪い事だから。そう言われて自分が傷つくことが、この時間を失ってしまうことが怖かったんだ。
「怖かったから、話せなかった。きっと、みんなを信じることが出来てなかったんだ」
でもそれは、みんなを信じていないということ。『信じる』っていうのは、少し無責任な行為だと思う。勝手に期待することと、本質的にはなにも変わらないんだから。
「でも」
けれど、だから。お互いがお互いを理解しようとして、少しでも
「今なら、話せる」
静かに息を吸った。肺が膨らむ。みんなの方を振り向いて、言葉を発する。
「みんな……俺は、初めから全部知ってた」
俺の
「最善を尽くそうとしなかった俺は、ずっと隠し事をしていた俺は……きっと、『卑怯者』だ」
しん、と。静寂が部屋を満たす。俺はまっすぐに、みんなと対峙した。受け入れてくれるかはわからない。でも、きっとここからが俺の三歩目だ。
長くなったので分割します