誰かキヴォトスに生徒の肉体で落っこちた一般人がとるべき行動を教えてくれ 作:新品のタタリモップ
そんなわけで、俺たちはなんとか無事試験に合格することができた。俺は本っ当にギリギリで危ないところだったけどね。90点て。あと一点でも落としてたら不合格て。いや、でも言い訳させてほしい。すごいめちゃくちゃ眠かったんだ。……違うくて。これは俺が不真面目とかじゃなくて、この身体の問題でして。うん、さすがにもう認めざるを得ないんだけど、俺夜更かしできない体質っぽいんだよね。作戦の関係上寝るわけにもいかなかったしエナドリを飲む暇もなかったしで、寝不足に対して無対策のまま試験に突っ込んでしまったのだ。結果、割とテストの記憶は曖昧。ほとんど夢うつつで解いて……よく考えたらそれで90点ってすごくない?俺すごいよ。
まあ、後からナギサさんに聞いたらもし全員が落ちていてもなんとかするつもりだったらしいけど。そう、テストの結果を教えてくれたのはナギサさんだった。ティーパーティーの職務とかミカさんのやらかした色々の処理で忙しいだろうに、わざわざ時間を割いてくれたのだ。そのときに改めて謝罪も受けた。ハナコが暴走しないように食い止めるのは大変だったけど、今度はちゃんと許すことも伝えられた。わだかまりが完全になくなったとは言えなくても、最低限の関係性は築けたと思う。むしろ俺としては憔悴した様子のナギサさんを心配する気持ちの方が強いくらいだ。かなり忙しいみたいだし。
それからその原因になってるミカさんだけど、扱いは原作とそう変わっていない。事件の大きさから処分は保留され、監獄に放り込まれている状態。正直なんとかしたい気持ちがないと言えばウソになってしまうけれど、俺が何かしたところでミカさんの犯した罪が消えるわけでもないからこれはどうしようもないと割り切った。一応、コハルとハスミさんに押収物について眼を光らせるよう頼んではいるけど、それも効果があるかどうかはわからない。忘れかけていたけど俺はトリニティでは部外者で、特に発言力があるわけじゃないのだ。
あっ、ちなみに『俺が未来を知っている』というのはハナコの提案によって補習授業部内での秘密になった。なんでも、限定的であっても未来がわかると知られたら色んなところから狙われてしまうのだとか。まあそれ以前に信じてくれる人がいるかも怪しいし、妥当な判断だと思う。
あと先生は合格条件に俺が含まれることを黙っていたので「流石に本人には知らせとけよ」とみんなに怒られていた。というか、補習授業部内の裁判によりアズサの関節技一時間の刑に処されてた。めちゃくちゃ苦しそうだったので途中で止めに入ってあげたけど、ちゃんと反省して欲しい。いや本当に。
とにもかくにも、そんな感じで補習授業部の一件はひとまずの落着を迎えた。これで終わりじゃないことは俺が一番よく
「“ナナシ、そろそろ行くよ”」
俺は先生と共にシャーレへ帰ることになった。忘れかけていたけどこれは出張で、終わりもあったりするのだ。今いる場所はトリニティの駅前。もう直に電車が来る状況で、補習授業部のみんなが見送りに来てくれている。ヒフミとコハルは目にうっすら涙を浮かべていて、アズサとハナコは見た感じいつも通りだ。
そう。合宿も終わり、補習授業部の一件が解決した今、俺と先生がここにいる理由というのは実はない。しかもこうしている間にもシャーレの仕事は溜まっていくわけで、いつまでもトリニティにいるわけにもいかない。だから出来るだけ早く帰った方がいい……と、賢い俺は理解している。
「……だ」
「“ナナシ?”」
うん、理解はしてるよ。なんたって俺は夢うつつでも90点取れるんだから。それくらい賢いからね。
「やだ!!まだみんなと一緒に居たい!!」
「“ナナシ!?”」
でもやだ!みんなと離れ離れになるのはやだぁ!みんなは同じ学園で一緒に過ごすのに、俺だけ電車使わないと行けないような距離なのおかしいじゃん!ズルだよそんなの。スーツケースを携えた先生が驚いた顔で振り返るけど、正直そんなのどうでもいい。ハナコぉ、そこであらあら言ってないでなんとかしてよぉ。友達を助けてくれよぉ。
「あ、あはは。ナナシちゃん、会おうと思えばすぐに会えますから……」
「やだぁ!!いつでも会える距離がいい!!」
なぜか涙が引っ込んだ様子のヒフミが俺を宥めにくるけど……そういう問題じゃないもん。会おうと思えば会えるとかそういう話じゃないもん。せっかく友達になったんだから毎日遊びたいじゃん。一緒にゲームとかやりたいじゃん。
「“ナナシ、もう行くよ”」
先生は座り込んで駄々をこねる俺を抱えて運び始めた。やめろ~、離せ~!俺はここで暮らすんだい!みんなと暮らしていくんだい!騒ぎながらばたばたと足掻くも、先生はビクともしない。あっ、そうだミカさん!ミカさんにまだバイバイって言ってないです先生!
「“もう電車くるからあきらめてね”」
「いやだ~!」
俺学んだんだ。『最後まで足掻くことをやめるべきではない』って。学びは活かさなくちゃいけない。この補習授業部のみんなで過ごした日々を無駄にはしない。そうだよな、アズサ!
「その……ナナシ、引き際もあると思う」
「アズサ!?」
今まで割とフォローに回ってくれてたのに!もしかして今の俺そんなにダメ!?あっ、よく見たらコハルから向けられる視線が割と絶対零度だ。すごい冷たい目してる。コハル、それどう考えても友達に向ける目じゃないよ。ヤメテ、その目やめて……心が苦しくなる。
「“はい、もう行くよ”」
結局、アズサに切られコハルから軽蔑されたという事実に打ちひしがれている間に、俺は電車へとドナドナされた。……うん、正直知ってた。でも万が一ってあるじゃん。
〇
そういうわけで、俺は悪しき先生の手によって電車の中に連れ込まれてしまった。電車は指定席で、2対2で向かい合うタイプのやつだ。先生は俺の正面に座って疲れた顔をしている。まぁ、うん。正直すまんかった。流石に窓から飛び降りて脱走というわけにはいかないし、俺も諦めた。諦めたよ。窓を見ながら死んだ目でドナドナの替え歌を歌ったり、先生に対し誤解を生む発言を繰り返したりの抵抗はもうやめた。普通に先生への嫌がらせにしかならなかったし。
「“大丈夫だよ、またすぐ会えるから”」
「……うん」
すんすんと鼻を鳴らす俺を見て、先生はそう言って頭を撫でてくれた。そうだよな、別に今生の別れと言うわけでもないんだし。電車を使えば会いにいける距離なわけだし。あ~あ、俺も使えるスマホ欲しいな。
「そうですよ、ナナシちゃん。ヒフミちゃんも言っていましたが、会おうと思えばすぐに会えるんですから」
そう言って、いつのまにか隣に座っていたハナコも俺の頭を撫でてくれ……ん?
「は、ハナコ……?」
「はい、ハナコですよ♡」
幻覚かな、俺の隣にハナコが座ってるように見えるんだけど。頭を撫でてくれてるんだけど。なにこれ。俺そこまで寂しがりなの?というか感覚があるってことは幻覚じゃないのかな。もうなんにもわかんない。そっ、そうだ先生!先生に聞いてみよう!
「せ、先生、なんかハナコが見え……居ない!?」
「あら?居なくなってますね」
またいつのまにか消えてやがるあの妖怪。正直先生の方が幻覚とか霞の類いなんじゃないかと思うレベルで消えるのが早い。そりゃ原作で『不可解』って言われるよ。というか前々から疑問なんだけどなんでハナコはこの謎ワープに動じないの?なんでいつもの笑顔を保ってられるの?……ま、まぁいいや。これに触れたら負けな気がするし諦めよう。先生も降車時刻には帰って来るでしょ、たぶん。それより今はハナコだ。
「えっ、と。なんでハナコがここに……あっ、これは別に嫌とかそういうのじゃなくて純粋に疑問で……!」
「大丈夫ですよ、わかってますから」
言ってる途中で語弊があることに気付いた俺を宥めてから、ハナコは「そうですね」と言ってどう話すか迷う素振りを見せた。えっ、そんな複雑な話なの?
「まず、私がこの電車に乗っているのは、私が今日の当番だからです」
「当番って……シャーレの?」
ハナコは「はい」と言って頷いた。前にさらっと出たけど、シャーレには『当番』という制度がある。なんか書面上は色々あるみたいだけど、要はシャーレに所属する生徒が持ち回りで先生の仕事を手伝う制度。お手伝い当番だ。ゲームでは
「でも、ハナコってシャーレには所属してないんじゃ?」
「はい。ですからゲヘナに行ったときの仮入部を正式なものにしていただいたんです。そうすれば面倒な手続きを無視できますので♡」
な、なるほど?よくわからないけど、シャーレに入るには本来そこそこ面倒な手続きが必要って話はユウカさんから聞いたことがある。俺の時は先生が学籍の用意からなにから全部やってくれてたおかげでわからなかったけど、ゲーム開発部の書類を用意させるのは大変だったとか言ってたような。あれ?でもハナコはなんでそこまでして今日シャーレに?
「ねぇ、ハナコ……」
「『どうして私がそこまでして今日シャーレに来るのか』……ですよね。簡単な話、先生の出張に関する報告書のお手伝いですよ。色々ありましたし、当事者の私が居れば正確性も上がりますから」
当然のように心を読まれたけど、俺そんなにわかりやすいのかな。でも確かにハナコの話には納得できる。報告書を書くなら当事者から話を聞く方がいいだろうし、ハナコは補習授業部どころかキヴォトスでも随一の頭脳を持ってる。お手伝いとしてここまで適任な生徒ってそう居ないんじゃなかろうか。本音を言えばそんな事務的な理由じゃない方が嬉しかったけど……そんなこと言っても仕方がない。うん、わかってるよ。わかってるけどちょっと寂しいじゃん。ここまで離れるのを嫌がってるのが俺だけなんて……ちょっと認めたくないなぁ。
「……と、いうのは実は建前でして♡」
「え?」
俯いた頭の上から降ってきた言葉に顔を上げると、ハナコは少し照れくさそうな、揶揄うような笑顔をしていた。
「本当は、もう少しお話がしたかったんです。……やっぱり、ちょっと寂しいじゃないですか」
「ハナコ……」
俺は、嬉しくて、驚いて、少し見惚れて。いろんな感情がないまぜになってうまく言葉が出ない。そんな俺を見てくすりと笑ったハナコは、ゆっくり立ち上がると俺の隣から向かい側の席へと移動した。電車の窓から差し込む光を挟んで、俺たちは向かい合う。
「まだ電車が着くまでには時間がありますし、振り返ってみませんか?」
「振り返る……?」
馬鹿みたいに聞き返す俺に、「はい」と笑って頷いたハナコは言葉を続ける。口元に笑みを湛えたまま目を瞑って、その瞼の裏になにかを見ながら。
「私たちのこれまでの軌跡を、少しだけ」
ハナコはそう言って、目を閉じたまま語り始めた。
「実は私、最初はナナシちゃんと先生のことを警戒していたんです」
「えっ、そうなの!?」
だいぶ予想外な語り出しだったので、思わず椅子から身を乗り出す。え?警戒してたの?なんで?俺も先生も特に何もしてなかったのに?地味にショックなんだけど。ハナコは目を開けて俺のことを見ると、くすりと笑ってから言葉を継いだ。
「ナナシちゃんも知っているように『シャーレ』の持つ権力は絶大です。補習するだけの部活に呼び寄せるような組織じゃありませんし、なにか裏があるのではないかと疑っていました」
「な、なるほど……」
実際に裏があったのは
「といっても、ナナシちゃんを警戒していたのは本当に最初の数分だけでした」
「そうなの?……なんで?」
ハナコの言葉を聞いて、俯いていた顔を上げる。数分だけって、出会ってから数分で信頼されるようなイベントあったっけ。
「だってナナシちゃん、最初に騒いで逃げ出したじゃないですか♡」
「忘れてぇ!?」
全然信頼じゃなかった。むしろどっちかというと失望寄りで警戒対象から外されてた。すごい恥ずかしい。うん、そうだった。確かに俺初対面で逃げたわ、しかも割と全力で。すぐにアズサの手によって捕縛されたけど、そういえばそんなこともあったわ。記憶から抹消してた。みんなの記憶からも抹消したい。恥ずかしさのあまり顔を覆っていた手を外してハナコを見ると、なんかニヤニヤしながらこっちを見ている。な、なに?
「そういえば、ナナシちゃんは私たちに恥ずかしいところをたくさん見せてくださいましたね。ヒフミちゃんから聞いたのですが、合宿初日には野外であられもない姿を……」
「言い方ぁ!」
「地面でばたばたと駄々をこねて……」
「ごめんそもそも言わないでくれるとうれしい!」
過去の俺ほんとになにやってくれてるの?そうだよ、よく考えなくても公共の場で駄々をこねるのは恥ずかしいことで……今日もやってるじゃん。俺、今日もやってるじゃん!駅前でぎゃーぎゃー騒いでたじゃん!え?ちょっと待ってくれ。そんなはずがない。俺19歳なんだよ?成人してる立派な男性なんだよ?なんで駄々っ子になってるの?
「う、うぅ……ワスレテ、ワスレテ……」
「ふふっ、ごめんなさい。少しからかい過ぎてしまいました♡」
俺があまりの羞恥に呻くのを見て、ハナコはまた頭を撫でてくれた。やっぱりなんか頭撫でられるとふわふわするんだよな。落ち着くし気持ちいいから嫌ではないんだけど、なんかこう……成人男性として守るべきものが削られていく感覚がある。何とも言えない気持ちで顔を上げると、ハナコにほっぺを挟まれた。
「ふにゅ」
変な声出た。え?な、なに?
「ふふっ♡」
俺の顔をモチモチして弄びながら、ハナコは楽しそうに笑う。ちょ、ヤメテ、やめて。モチモチするのやめて。すごい楽しそうにモチモチしてるけどそんな楽しい?俺のほっぺそんな楽しい?抵抗するか迷って、抵抗するほどじゃないかもと思い、しばらくそうして弄ばれていると。唐突に、ハナコが目を閉じた。
「……ナナシちゃん」
目を瞑ったまま、どこか祈る様にハナコは俺の名前を呼んだ。声のトーンが真面目であることに気が付いて、不思議に思う。それでも真面目な話なら姿勢を正そうと動いて……普通に失敗した。頬を挟まれて顔の位置を固定されているせいで。これ離してくれないかな、でもこの雰囲気で言い出すのもアレかな。なんて思っていると、ハナコはそのまま顔を近づけてきて俺とおでこをくっつけた。えっ?なっ、なに?これは本当に何?顔がめちゃくちゃ近くてドキドキするんだけど。というかなんかいい匂いするんだけど。マジでなに?
「ありがとうございます、ナナシちゃん」
「えっ?」
急に言われたお礼に驚いて思考が止まる。ハナコと俺のおでこはくっついたまま、その距離感は溶けて混ざり合いそうに近いまま、ハナコは言葉を続けた。
「私と友達になってくれて」
思い出す。あの日、夜のプールサイドでした会話を思い出す。俺が初めて踏み出した一歩目で、きっとハナコにとっては初めて踏み出してもらえた一歩目だった。その一歩を思い出す。
「私のことを大好きだって言ってくれて」
思い出す。あの大雨の日を思い出す。体育館で水着になって、他愛もない話をして、盛り上がって。それからみんなに、ハナコに『大好き』だって伝えたあの日を思い出す。
「私の、ヒーローになってくれて」
思い出す。あの夜の体育館を思い出す。焦燥に、緊張に、不安に巻かれて、たくさん間違いかけて。それでもハッピーエンドに手が届いたあの日を思い出す。
ハナコは椅子から立ち上がって、座ったままの俺をぎゅっと抱きしめた。俺からハナコの顔を見ることはできない。電車の揺れがガタゴトと音を立てるのを、遠く、遠く聞いた。
「ここに来た理由。『お話がしたい』なんて言いましたけど、本当はそれだけじゃないんです」
俺は耳の近くで響くハナコの声を聞いて、抱きしめられているという現実にやっと理解が追い付いた。既に沸騰しそうなほどに茹だった頭に、ハナコの言葉が響く。
「本当は、お礼と……それから、この言葉が言いたかったんです」
そう言ってから、ハナコは俺の耳元に口を寄せた。そして囁く。彼女の
「ナナシちゃん、『大好き』です♡」
聞いて、嬉しかった。恥ずかしかった。舞い上がりたいほど恥ずかしくて、そしてそれ以上に、苦しいくらいに嬉しい。矛盾する感情が馬鹿みたいに膨れ上がった。そうして、俺は……。
「きゅぅ……」
「あら?」
普通に意識を手放した。いやだって仕方ないじゃん。女の子に抱き着かれて大好きって言われた経験なんてないんだもん。ライクの意味だとは分かってるけど、それでも限界くらいあるじゃん。ちなみに起きたのは駅に着いたあと、先生の背中の上だった。……あの、俺って成人男性だよな?
〇
side:ハナコ
「少し、びっくりさせちゃいましたね」
私は気を失ったらしいナナシちゃんが倒れてしまわないよう、彼女の身体を支えながら席を移動します。今度は、ナナシちゃんの隣に。それからナナシちゃんの頭を私の膝に乗せて……いわゆる膝枕の形にします。誰かにするのは初めてで、そんな初めてをナナシちゃんと共有できることが少し嬉しい。といっても、当のナナシちゃんは眠ってしまっているのですが。
「んぅ……」
そっと撫でるようにしてナナシちゃんの前髪をよけます。普段は長い前髪に隠れてよく見えない可愛らしい顔立ち。合宿中はナナシちゃんと一緒に寝ていましたが、やっぱり起きているときとのギャップが大きい、なんて思ってしまいます。起きているときのナナシちゃんはコロコロと表情が変わって面白いですから。面白くて、可愛らしくて……たまに、かっこいい。ナナシちゃんは、少しずるいのかもしれません。
「……ふふっ♡」
私も目を閉じて、瞼の裏に想い起こします。まずは、ナナシちゃんと私が友達になったあの日を。実を言うとあのとき話しかけたのは、一人で夜のプールに居るという状況を奇妙に思ったからでした。……疑っていた、そう言い換えてもいいかもしれません。実際にはただ悩んでいるだけのようでしたから、心配が勝ったのですが。
あのときのナナシちゃんの姿は、まだ関わりの薄い私の目にさえ危うく映りました。一歩踏み出せば真っ黒な水に呑まれてしまいそうなくらいの水際に立つ姿は、ただ寂し気で、どこまでも孤独に見えました。だからかもしれません。そんな姿が、友達について苦悩するその悩みが、どうしても他人事に思えなかったのは。あのときの問い。『自分のせいで友達が不幸になってしまうのならどうするか』。今なら、ナナシちゃんのその悩みを理解できます。
ナナシちゃんの言う『原作』という物語。私たちを描いていたという物語。ハッピーエンドの定まったそれを壊してしまうのが、たまらなく怖かったのでしょう。だって、そのせいであるべき幸せを奪ってしまうかもしれないのですから。ナナシちゃんはそれを誰に話すわけにもいかず、独り抱え込んでしまっていた。根が臆病なナナシちゃんのことです。怯えて、怖がって、動けずにいたんでしょう。私はそう考えて、だからこそ嬉しかったんです。ナナシちゃんが、私にその悩みを話してくれたのが。私と、友達になろうとしてくれたのが。
怖いはずなのに、怯えているはずなのに。それでも私へと歩み寄ってくれた。ナナシちゃんは「なんでオッケーもらえたのかわからない」という顔をしていましたが、私はきっとその勇気に魅せられたんです。自分には無い、温かな勇気に。……いえ、理屈にするのはやめましょう。
「私はきっと、ただ嬉しかったんです」
眠っているナナシちゃんの頭を撫でながら、慈しみながら口にします。
「『友達になろう』って言ってくれたのが、今でも嬉しいんです」
届かないとわかっているからこそ、素直な言葉を口にします。私にナナシちゃんのような勇気はありませんから、今だけ、少しだけ素直に。けれど、それでいいんです。私のヒーローはナナシちゃんですから。
私は私が嫌いです。卑怯で、臆病で、嫌になるほど攻撃的で、それから秘密主義者。すごく
──もう一度目を閉じて、思い返します。今度は3次試験前日の夜、同じプールサイドでの会話を。
日が暮れたばかりの夜のプールサイドで向かい合って、お互いの
『辛かった』
理解されないことは、辛かった。
『苦しかった』
本当の自分を隠さなきゃいけないのは、苦しかった。
『悲しかった』
優等生としか見てもらえないことは、悲しかった。誰にも、他の補習授業部のみんなにさえ言わなかった、みんなに語った『真実』とはまた少し違う……感情。私の、本音。ナナシちゃんはそれを聞いて、私を抱きしめてくれました。知らず知らず零れ落ちていた涙が、彼女の服を濡らすのに。ナナシちゃんは、それからひとつ言葉を紡ぎました。それは──。
「“ハナコ、そろそろ駅に着くよ”」
先生の声を聞いて、目を開けて意識を現実へと戻します。周囲の様子を見れば荷物の整理を始めている方々が目について、じきに電車が着くのだろうとわかりました。先生は座席の脇に立っていて、いつの間に買ったのか缶コーヒーを3つ手に持っています。
「ありがとうございます、先生。ナナシちゃんも起こしましょうか?」
先生は私がナナシちゃんを揺り起こそうとするのを手で制しながら、向かい側の席に着きました。缶コーヒーをひとつ私に手渡してくれて……ひとつだけ甘いことで有名な缶コーヒーを持っていますが、あれはナナシちゃん用でしょうか。
「“今回はナナシに頑張ってもらっちゃったから、もう少し休ませてあげたくて”」
「……そうですね」
先生の言葉を聞いて、思えばナナシちゃんに頑張らせ過ぎているかもしれない、なんて思います。起きたら先生と一緒にいっぱい誉めてあげないといけませんね。ナナシちゃんの恥ずかしがる顔が……いえ、喜ぶ顔が楽しみです。
「“そういえば、さっき何を考えてたの?”」
そんなことを考えながらナナシちゃんの頭を撫でていると、先生がそう聞いてきました。私はどう答えようか考えて……くすりと笑って、人差し指を唇の前に寄せます。
「ヒミツです♡」
私の言葉に、先生は「そっか」と笑って頷きました。そう、これは秘密なんです。私とナナシちゃんだけが知っている、秘密。あのときナナシちゃんが言ってくれたセリフも、私の胸に秘めておきたい。だから、先生には教えません。そういえばと思い出し、おでこを突き合わせたとき熱くなっていた頬を抑えてもう赤くないことを確認します。
──きっと、ちゃんとは伝わっていない私の『大好き』も。今はまだ……秘密のままで。
ハナコ重くなっちゃった……
これにて第一部は完です。閑話を書いてイベストやったらエデン3章に行きます