誰かキヴォトスに生徒の肉体で落っこちた一般人がとるべき行動を教えてくれ 作:新品のタタリモップ
「“結論から言うね、ナナシ。ナナシは、昨日までこのキヴォトスには存在しなかった”」
「そう、ですか……」
俺は胸を撫でおろして息を吐いた。どうやら、俺のせいで未来を奪われた少女というのは居なかったらしい。実にめでたいことだ、俺に人殺しの十字架はちょっと重すぎる。途中で潰れて精神崩壊するのが目に見えていたし、目下のところ最大の懸念点が解消されたのはとても嬉しい。俺がいま一人でなかったら小躍りしていたかもしれないくらいには嬉しい。なんならちょっと踊っちゃおうか。
「“それで、これを見てほしいんだけど……”」
「あ、はい」
浮かれてちょっとふざけたことを考えている合間にも話は進んでいたようで、先生がなにやらタブレットを見せてきた。見れば、表示されているのは高卒にはちょっと難しい複雑なグラフの書かれた地図。グラフの方はさっぱりだけど、地図の方は少し見ればなんとなくわかった。
「えっと、これ俺が目覚めた路地ですよね。グラフの方は……ちょっとわかりませんが」
「“グラフの方はとあるエネルギーを示すものだよ。それが今日、この路地で急に上昇してて……”」
「俺になにか関係があるかもしれない、ってことですか」
頷く先生に、俺も少し考え込む。いや、考えたところで昨日まで限界人間で無敵の人一歩手前だった俺に心当たりなんてあるはずもないな。ちょっと振り返るくらいにしよう。といっても異世界に渡るような前兆や覚えなんてないし、自分がどうしてここにいるのかなんて俺が知りたいくらいだ。別に向こうの世界に未練があるわけじゃないから、最悪ここで生活基盤を整えられればそれでいいんだけど……いや、やっぱ自分のせいで滅ぶかもしれない世界に居るのは不安だな、できれば帰りたい。
とりあえず先生には「わからない」とだけ伝えた。紛れもない事実で、嘘をつく必要もないし。先生は「そっか」とだけ言ってタブレット端末をしまった。もしかするとあれがシッテムの箱だったのかもしれない。
「“じゃあ、ナナシの今後についてなんだけど……”」
「あ、それについてはアテがあるので大丈夫です」
嘘だ。正直、一切アテなんてない。そりゃ原作知識はあるけど、それが届く範囲=原作に影響がある範囲だからそれを活かして生活するなんてほぼ無理だ。かといって、これ以上先生と関わってしまうとその後が怖い。だから可及的速やかに俺はフェードアウトしなければならないのだ。
「“え?でも今日ここに来たばかりなんじゃ……”」
「大丈夫ですよ。物語としてこの世界を知っているので、いわゆる原作知識を持ってますから」
ぐっと力こぶを見せるポーズを作る。再三繰り返すが、普通に嘘だ。ぜんぜん大丈夫じゃない。なんなら今日は野宿が確定している。明日からどう稼ぐかのアテもない。
「“うーん”」
「これ以上ご迷惑おかけするわけにもいきませんし、困ったらまた来ることにします」
「“そこまで言うなら……”」
渋る先生に畳みかけて、なんとかイケそうな雰囲気の返答を引き出すことができた。いや~、よかった。俺個人で見たらまったくよくない(野宿確定、日銭のアテなし)んだけど、この世界が滅んでしまうよりよっぽど良い。
「”あ、そうだ。これ、ナナシのスマホね”」
「ありがとうございます。……あ、充電してくださったんですね」
先生からスマホを受け取るとパッと画面が点灯したので、充電してくれたのだとわかる。いや、そりゃ調査のために渡したものだからわざわざ抜いてない限りは充電されてて当然なんだけど、なんか気分的にお礼は言いたいじゃん。改めてスマホを見る。特にこれといった装飾やデコレーションはなく、裸状態の黒い普通のスマホだ。なんで持ってたのかはさっぱりわからないけど、特に不思議な部分はない。ロック画面は……初期設定によくある、よくわかんないやつだ。あの、なんか色がグラデーションになってるやつ。
「“
「えっと……試しになにか入れて見ますね」
ものは試しと、とりあえず俺の誕生日を入力する。……当然、開かない。その後もいくつかパスワードっぽいものを打ち込んでみたけど、全く開く気配がない。えぇ?これどうすんの?今のところただの光る板じゃん。
「“どう?”」
「ダメですね、まったく開く気配がありません」
先生は「そっかぁ」とだけ言って静かになった。よく考えると碌に動かないスマートホンだけで異世界に飛ばされてんだよなぁ、俺。まるで将棋だ(?)。
「“そのスマホ、どうする?持って行ってもいいけど”」
「そうですね……」
言われてちょっと考えてみる。この光る板を持っていくかどうかを。現状、パスワードが掛かっているこれは基本的に開かないものと考えていいだろう。そんなものを持ち運ぶメリット……あ、一応売れるじゃん。それでなくとも、なんらかの方法で開くようになれば儲けものだし、なにより本当に何も持っていない状態になるのはちょっと怖い。
「それじゃあ持っていこうと思います。本当にありがとうございました」
「“ううん、気にしないで。また困ったことがあったらいつでも来てね”」
最後まで優しい先生に見送られながら、部屋を後にする。いや、本当に妖怪だの変態だの呼ばわりしてすいませんでした。……でも、アリスちゃん達がシャーレに来てるってことは時間軸的にはもうイオリの足舐めてるんだよなぁ。人間はわからないものだ、なんて思いつつ俺はシャーレから出た。警備しているらしいヴァルキューレ生にしっかり頭を下げながら。だって、これから住所不定無職になるわけだし、お世話になるかもしれないじゃん。心象は良くしておきたいじゃん。ヴァルキューレ生の笑顔から覗く八重歯が眩しかったことは明記しておきます。
〇
side:先生
「よかったんですか?ナナシさん、たぶんアテなんてないですよ?」
「“うーん、よくはないんだけど……”」
私は背伸びをしながらシッテムの箱から響くアロナの声に応える。内容はナナシと名乗ったあの生徒について。本人曰く別世界から来ていて、物語とその登場人物として私たちやキヴォトスのことを知っているという少女。実際、アロナに頼んで監視カメラの映像を見てもいきなり現れたようだったし、嘘をついている様子でもなかった。
色々と気になる部分はあるけど、特に先生としては一番気になることがある。
「“私の助けを拒んでるような気がして”」
「助けを拒んでる、ですか?」
アロナの不思議そうな声に頷きを返して、ナナシの様子を思い出す。初めて会ったときは、少し他人行儀なだけだと思った。そういう個性なんだと。だけど、話しているうちに違うとわかった。敬語を使うのに慣れていないのか反応がワンテンポ遅れることがあったし、私と話しているときの表情が硬い。そしてなにより、私が助けようとしたときの拒絶反応。
ゲーム開発部の子たちと話しているときにはそんな様子が見られなかったから、心を許していない……いや、心を許してはいけないと思っている?なんて、話してもらったわけでもないのに生徒の内心を決めつけるのはよくないか。
「“なんにせよ、サポートが必要そうな子ではあるね”」
「なるほど……だから、あの端末を渡したんですか?」
「“うーん……少し違うかな”」
「え?」
アロナの質問に、どう答えたものか考える。あのスマホはアロナの、シッテムの箱の力でもロックを解除できなかった正真正銘のオーパーツ。ただのスマホだと思っていたから、ハッキングを弾かれたときにはアロナも私も驚いた。それで、どうしてそのスマホをナナシに渡した、というか持たせたままにしたのかだけど……。
「“理由もなく生徒のものを没収するわけにはいかないから”」
「……ふぇ?」
気の抜けた声を出すアロナが微笑ましくて少し笑ってしまう。でも、理由なんてそんなものだ。私は先生だから、生徒の所有物を預かることはあっても奪うことは基本的にしてはいけない。もちろん、危険物ならその限りではないけれど。私は先生だから。生徒の自主性を重んじ、生徒たち自身が心から願う夢の
「“とりあえず、ナナシのことは様子見かな。周辺の生徒にそれとなく声を掛けておくよ”」
「もし、困っていた場合は?」
「“できればナナシの方から来てほしいけど……”」
あの様子だと来ないだろうなぁ。ナナシの発言を信じたい気持ちはあるけど、正直なところ十中八九ウソだと思ってしまっている。彼女は嘘が上手というわけでもなさそうだったから。だから、本当にナナシがどうしようもなさそうだったら、そのときは。
「“そのときは、ちょっとお節介することになるだろうね”」
私はコーヒーを飲んで、窓の向こうに見えるナナシの姿をぼんやり見た。ちょうどシャーレから出ていくところ……あ、ヴァルキューレの子にちゃんと挨拶してる。
「“さて、じゃあゲーム開発部の子たちと遊ぼうかな”」
「先生?今日のお仕事はまだ……」
生徒たちとの交流も先生の仕事だからね!決してサボリってわけじゃないんだよ、アロナ!