誰かキヴォトスに生徒の肉体で落っこちた一般人がとるべき行動を教えてくれ 作:新品のタタリモップ
お金の受け取り方を教えてくれ
そういうわけで、俺がシャーレに帰ってきてから三日が経過した。その間は……ハナコと先生から褒め殺しにされたくらいで、特に語るようなことは何もなかったと思う。いや、褒め殺しは本当にキツかった。はじめのうちは俺も否定してたんだけど、あの二人割と無限に褒めてきたんだもん。しかもハナコはわざわざ耳元で囁くし。頭を撫でられながらいつまでも褒められ続けて、どこか人間として大事な部分が壊れちゃったような気さえする。うん、嫌なわけじゃないけどもう体験したくはない時間だった。それはともかくとして、ハナコは既にトリニティへと帰ってしまった。あ、今回は誓って駄々をこねたりはしていないよ、本当だよ。……ちょっとハナコの足に縋りついたくらいだからセーフだ。セーフだよね?セーフってことにしておこう、そうしよう。
「先生、次の書類ってありますか?」
「“ううん、これで最後だよ”」
で、今のシャーレは通常営業。実を言うと昨日までは合宿中に溜まってた書類でデスマーチしてたんだけど、それがなんとかなったので今はやっぱり通常営業だ。いや本当に大変だった。いくらやっても書類の山が消えないのは普通に悪夢だったし実際夢にも出てきた。先生も見たらしいけど、書類の山に追いかけられたり潰れたりする夢はガッツリ悪夢だと思う。……あんま思い出したくないし考えるのやめよう。
頭を振って嫌なイメージを追い出し、軽く伸びをする。現在時刻は14時で、今日は昨日まで頑張った甲斐あってかなり早く仕事が終わった感じだ。さて、これから何をしようかな。といっても俺は特に娯楽品を持ってるわけじゃないから、やることと言えば子ガモの如く先生に着いて行くか、先生の私物を貸してもらうくらいしかないんだけども。
「“あ、そうだナナシ。これ渡しておくね”」
「え?ありがとうございます?」
先生はとりあえずお菓子でも食べようと席を立った俺を呼び止めて、すっと引き出しから茶色い封筒を取り出して渡してきた。とりあえずお礼を言って受け取ったけど……なんだこれ。触った感じ中身は紙っぽいけど書類はさっきので最後らしいし、なにより書類が入るような大きさじゃない。開けていいものかもわからないのでとりあえず透かしたり匂いを嗅いだりしてみたけどサッパリわからん。
「先生、これなんですか?」
「“お給料だよ、遅くなっちゃってごめんね”」
わからないので素直に聞いてみると、そんな答えが返ってきた。おきゅうりょう?そっか、お給料か。俺はそんなこともあるかと手に持った茶封筒を自分のデスクに置いて……。
「お給料!?!?!?!?」
慌てて手に取りなおす。えっちょ、この人いまお給料って言った!?言ったよね!?俺の人生初お給料なんだけど!すごいあっさり片手で受け取っちゃったんだけど!いや、確かに補習授業部のみんなとの合宿含めたら働き始めて1か月経ってるし当然なのかもしれないけど……こ、こんなアッサリ渡す?あとなんか結構分厚くない?
「な、中身を見ても……?」
「“もちろん”」
答えを待って、恐る恐る震える手で封筒を開ける。中にはお札が、ひぃふぅみぃ……け、結構入ってる。精々お年玉くらいだろうと思ってたのに、結構入ってる。よく見れば『給与支給明細書』と書かれた紙も入っていたので、それを取り出して幾ら貰ったのか見れば……割と相当な額が書かれていた。こ、こんなに貰っていいの……?
ギギギと首を動かして先生の方を見ると、なぜか不思議そうな顔でこちらを見ていた。いや不思議なのはこっちなんだけど。俺別に詳しくはないけど、これがキャリアのない人間のお手伝いで発生する額じゃないことくらいはわかるよ。
「せ、先生……これ、たぶん間違って……」
「“間違ってないよ”」
先生は俺の言葉を喰い気味に否定して、手招きした。俺はどうするか悩んで、ひとまず給与明細をちゃんと封筒に仕舞ってから先生の方に移動する。落としたりしたらいけないので、ちゃんと両手で封筒を持って。先生は俺がすぐそばまで来たのを見て、
「“ほら、この通り。ちゃんと合ってる”」
先生に差し出されたタブレットの画面を見れば、どのお金がどこで発生したのかが正確に書かれていて、確かにこの額で間違っていないことがわかった。『戦闘手当』とか言うよくわからない項目もあるけど、これはキヴォトスクオリティなんだろう。内容を確認し終えて先生を見ると、「わかった?」とばかりに笑顔で首を傾げていた。うん、確かに理解した。……でも。
「あの、でも先生。やっぱりこれ、多すぎて貰えないです……」
俺は先生にそう言って封筒を差し出す。確かに間違ってないと理解はした。それでも、やっぱり俺に対してこの額は多すぎると思う。俺なりに仕事を頑張ってはいるけど先生やユウカさんには遠く及ばないし、なにより俺は先生に迷惑をかけてしまっている立場だ。身分証まで作ってもらっている立場でこんなに貰うのは、どうしても気が引ける。そういうわけだから、俺は先生に封筒を渡して……。
「“ダメ”」
「へ?」
そのまま突っ返された。俺がぽかんと口を開けていると、先生は表情を緩ませてポンと俺の頭を叩いた。ふいにやられたので、あう、と声が漏れる。そんな俺を見てまた笑った先生は、今度はちゃんと俺に封筒を握らせた。
「“これはナナシが頑張って手に入れたものだから。ちゃんと受け取らないとダメだよ”」
「で、も……」
諭すような声色でそう言った先生は、その黒い瞳でまっすぐに俺を見ていた。先生が真面目なときにする、『大人』の目。俺はなんとなくそれを見るのがつらくて、手に握らされた封筒へ目を落とした。軽い筈なのに、ずしっと重い気がする封筒は、やっぱり俺には不釣り合いに思える。別に、俺だって自分が頑張ってないと思ってるわけじゃない。でも、やっぱりこれは。
「“えい”」
「ふぎゃ!?」
どう断ろうか悩んでいると、突然おでこに衝撃が走った。何事かと顔をあげると、先生が呆れた感じで笑っているのが目に入る。えっ?な、なに?デコピン?いま俺先生にデコピンされたの?なんで?
「えっ?で、デコピン?えっ?なん、なにですか?」
「“悩んでるみたいだったから。目、覚めないかなって”」
「適当すぎませんか!?」
「“その方がいいと思って”」
そ、その方がいい?どういう意味?先生は困惑する俺を見て、コーヒーを一口飲んだ。いやあの、優雅に飲んでないで早いとこ説明がほしいんですけど。人にデコピンをしといて優雅にコーヒーブレイクってどういう了見なんだ。おでこを摩りながら先生を睨みつけると、先生はこちらをチラっと見て、お茶菓子として用意したんだろうクッキーを差し出してきた。
「“食べる?”」
「……誤魔化そうとしてません?」
先生をジト目で睨みつけてやると、先生はクッキーをお皿に戻そうとした……ので、慌ててガッとその腕を掴む。
「“ナナシ?”」
「……い、要らないなんて言ってないじゃないですか」
先生はひとつ苦笑してから、折り畳み式の椅子を出してくれた。俺はまたデコピンをしてきやしないかと警戒しながらその椅子に座って、封筒をそっと机の上に置いてからクッキーに手を伸ばす。
あっ、これやっぱりあの美味しいやつだ。トリニティで売ってるっていう俺が好きなやつ。結構大きくて俺だと一口で食べられないサイズなんだけど、それが満足感に繋がる。やっぱ美味しいなこれ。
「“おいしい?”」
「はい、とっても美味し……」
言いかけて、先生から微笑ましい視線を送られていることに気付く。……普通に誤魔化されかけてた。サッとジト目を作って先生に向ける。
「ご、誤魔化されないですよ?」
「“誤魔化すつもりはないんだけどなぁ……”」
先生は頭を掻いてから、自分もクッキーに手を伸ばした。それからクッキーを持ったまま、先生は俺に視線を向ける。
「“美味しいものを食べると、気が晴れるよね”」
「そう、ですね?」
意図が読めず適当な相槌を打った俺を見て、先生は笑った。
「“じゃあ、これで解決ってことで”」
「……はい?」
解決はしてないんじゃ……?いや、確かにクッキーを食べて気が晴れはした。今ならこの茶封筒も受け取れなくはないかもしれない。でも、そんな風に受け取っちゃっていいのかな。お金って大事だし、もっとこう、責任感とか自覚とか。そういうものがあった上で受け取るものなんじゃなかろうか。そう思ってうんうん唸っていると、目の前にクッキーが差し出された。割とよくこうして食べさせてもらうのもあって、反射的にそれにパクつく。パクついてから気付いて、先生を見上げた。
「むぐ?」
「“適当でもいいんだよ、ナナシ。もっと簡単に考えて大丈夫”」
自分もサクリとクッキーを食べた先生は、コーヒーに口をつけてからそう言った。『適当でもいい』?本当にそうなんだろうか。俺はこれを適当に受け取っても……自分を、適当に肯定してもいいんだろうか。そういうのはもっと理由と理屈が必要で、もっと大仰なものなんじゃないんだろうか。ザクッ、と咥えたままのクッキーを噛み切る。さっきも食べていたせいか、少しだけ甘さが足りないように感じた。
「よく、わからないです。俺が、こんなに貰っていいはずないのに」
口をついて出た本心だった。俺にはよくわからない。『適当でもいい』ってことが、俺にはよくわからない。理由がほしい。お金だけじゃない。住む場所も、食べ物も、誉め言葉も、友だちだって出来て。俺なんかがこんなにたくさん貰っていいわけないから、きっと理由があるはずなんだ。
「“やっぱり、ナナシはちょっと考えすぎかも”」
「考え、すぎ……?」
聞き返す俺に「うん」と言って頷いた先生は、椅子を回転させて身体ごと俺の方を向いた。
「“世の中、理由があることばっかりじゃなくて。むしろ、理由がないことの方が多くて。だから、適度に肩の力を抜いて行かないと疲れちゃう”」
「先生でも、ですか?」
先生は、「私もそうだよ」と答えて笑った。ちょっと意外だ。先生は精神的にめちゃくちゃ強いと思ってたから、気疲れなんかとは無縁だと思ってた。……いや、そういえばトリニティから帰るときの電車だと疲れた顔してたっけ。冷静に考えれば当たり前だけど、先生だって人間なんだもんな。ちょっと怪しい
俺が先生の妖怪っぷりを思い返して本当に人間なのか怪しんでいると、先生が「それにね」と言って俺の頭に手を置いてきた。なんだろうと思って見上げると、先生はいつになく優しい顔でほほ笑んでいる。少しだけ、息を呑んだ。
「“ナナシが認められなくても、私は認めてるから”」
きっと、トリニティでの合宿の事とか、普段の仕事とか。そういうのを全部ひっくるめた言葉だった。俺が、欲しい言葉だった。俺は俺が嫌いだ。臆病で、弱虫で、卑怯者。だから変わりたいんだ。変わりたいっていうのは今の自分を否定したいってことで……俺は、やっぱり自分を認められていない。
「“本当によくがんばったね、ナナシ”」
でも、こんな風に誰かが認めてくれるのなら。今は、それでもいいのかもしれない。いつか、ありのままの自分を肯定できるようになるまでは、それでいいのかもしれない。
「……ありがとう、ございます」
先延ばしで、適当な結論だ。でも俺は、この日確かに茶封筒を受け取った。少しだけ、自分を肯定できたんだ。
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