誰かキヴォトスに生徒の肉体で落っこちた一般人がとるべき行動を教えてくれ 作:新品のタタリモップ
さて、俺だ。ナナシだ。前回というか、昨日初任給を受け取ったナナシだ。あのあとは先生に初任給の入った茶封筒を抱えて寝るのを止められたくらいで、特に何事もなく一日が終わっていったと思う。うん、何事もなかった。夜遅くまで初任給の入った茶封筒の置き場所に悩んで寝坊するなんてことは一切起こらなかった。寝坊自体はしたけど……や、休みの日だからちょっと遅めに起きたっていうだけだもんね。
そう、今日の俺はお休みなのだ。一昨日までのデスマーチで忘れかけてたけど実はシャーレにも定休日の概念はあって、それが今日だったりする。正確には今日と明日の二日間、土日がお休みになっているんだけど……先生はなぜか普通に仕事してるんだよね。だから俺だけ休むのすごく申し訳ない。けど、俺だと口で先生に勝つの無理だし、こっそり仕事を手伝おうとしたらやんわり叱られてしまったしで、仕方なく休日を楽しむ方向に思考を切り替えた。
そして、思考を切り替えた俺は困ったことに気づいてしまった。なんと驚くべきことに、俺にはやることがなかったのだ。いや、別に俺にも趣味がないわけじゃない。なんなら前の世界では割と色んなサブカルに手を出してたから、日がな一日ゲームをするのが普通だったくらいだ。でもこの世界での俺の私物は服なんかの生活必需品を除けば
あ、そうそう。この初任給の使い方についても大いに悩んだ。悩んだ結果、使い道は貯金になった。使ってないじゃんって?いや、普通に考えたら使い道は親兄弟へのプレゼントなんだけど、この世界から送る手段なんてないし、もし送れたとしても受け取ってもらえるかは怪しいし。だったら自分のために使おうかとも思ったんだけど、生活必需品はもう先生に買ってもらっちゃってるから特別必要なものというのも無い。でもいきなり趣味にお金をつぎ込むのはちょっとアレかなってことで、結局貯金することにしたのだ。
そんなわけで、シャーレから銀行までのごく短い距離ながらも自発的に外出することにした俺は……今、まさに。
「なぁお嬢ちゃん、アタシら金欠でさぁ……」
「ひぇ」
めちゃくちゃカツアゲされていた!……いや、普通にそんな場合じゃない。俺今そこそこ多額のお金持ってるから、これカツアゲされると洒落にならない。ぜんぜん現実逃避してる場合じゃなかった。俺いまヤバいじゃん。慌てて目を動かし、状況を確認する。
場所は薄暗い裏路地で、周囲に人通りはない。普通に絶望だ。俺の背後には壁があって、目の前に三人の不良。めっちゃ怖い。くそ怖い。普通に足がガクガク震える。うん、割と詰んでる状況だってことがわかった。けど、すごいわかりたくなかった!終わりじゃんこの状況!
「あ、あの……お金、持ってなくて……」
「嘘つけよ、銀行に向かってただろ?たんまり持ってんのはわかってんだよ」
ドスの利いた声でそう言う不良はニヤニヤと笑っていて、俺を逃がす気なんてひとつも無さそうだった。ゆっくりと現実感が湧いてきて、水が染み込むように恐怖が心を浸食する。ど、どうしよう。いや、俺は何でどうしようなんて考えてるんだ?お金を渡せばきっと何事もなく解放してくれる。それが簡単で、そしてきっと唯一の解決策だ。
――でも、なにか引っ掛かる。
「おい、なにボーっとしてンだ?あぁん!?」
「ひっ!?」
不良の一人が凄みながら俺のすぐ横を蹴り飛ばした。ダンっ!とコンクリートが大きな音を立てるのを聞いて、怯えた声が漏れる。思考が現実に戻ってくる。一気に血の気が引いて、恐怖が頭を支配した。歯の根が合わない。足が震えて、視界が歪む。何も考えられなくて、ただこの場から逃げ出したい。怖い。ガチガチと震える歯の音が頭の中で反響して、感情からなにからぐしゃぐしゃになってしまった。
「おいおいやめてやれよ、ブルっちゃってんじゃん~」
不良たちが何か話しているのを遠く、遠く聞く。なにか縋るものが欲しくて、スカートの裾をぎゅっと握った。震える手がスカートに皺を寄せて、くしゃりとした感覚が伝わってくる。
「ギャハハ!大丈夫だって、アタシら友達だからさぁ!」
遠く聞こえた「友達」の単語が、心のどこかに引っ掛かった。力を入れて握っていた手を緩め……なにか硬いものに手が触れたのに気が付く。ぐしゃぐしゃの頭に、ひとつ疑問符が浮かぶ。そっと自分の太もものあたりに目を落とせば、そこにあったのは
「……ぁ」
瞬間、思い出す。合宿で過ごした日々を、立ち向かった記憶を。恐怖に染まっていた思考がクリアに切り替わる。そうだ、俺はもっと怖い奴らを知っている。この不良たちに、温泉開発部みたいな人数と兵器はない。アリウスのような殺意も、ミカさんみたいな圧倒的なパワーもない。そうだ、あの努力を証明するひとつが
「っ!」
「あ、オイ逃げんな!」
体当たりをするように身体を動かして、不良たちの隙間を抜ける。あの至近距離だと銃を構えることもままならない。だから、まずは距離を取る。そして不良たちが駆け出す前に身体を反転、ホルスターから『パーフェクトガーディアン』を引き抜いて……構える!モードはフラッシュ。倒す必要はない。目を潰して、その隙に逃げる!
「ごめんっ!」
フォームを崩さないまま引き金を引き、音が響く。不良たちが息を呑む音と、カチ、と響く引き金の音
そういえばミカさんの放った隕石を止めた一撃、すごい威力だったよな。けっこう精密な回路を積んでるらしいこの銃にも、そこそこな負荷が掛かったと思う。で、俺はあの時から一度もこの銃を使っていない。つまり。
「……お嬢ちゃん、どうしたのかなァ?」
「あ、あはは。な、なんか故障してる、みたい、で」
そう言って歩み寄ってきたリーダー格らしき不良に応えながら、じりじりと後ろに下がる。一歩下がる。不良たちも一歩詰めてくる。二歩下がってみる。不良たちが三歩詰めてくる。今度は三歩下がろうとして、背中が壁にぶつかった。やばい、どうしよう。俺足遅いから素のかけっこだと絶対逃げきれないんだけど。土下座とかしたら許してもらえないかな。なんて、そんなアホなことを考えている間にも不良たちは距離を詰めてきて……。
「ナナシちゃん、伏せて!」
「えっ、ひゃい!?」
突然聞こえた聞き覚えのある声に従ってバッと身体を伏せる。瞬間、ダダダダダッ、と連続した銃声が響き、不良たちのものと思しき悲鳴が聞こえてきた。恐る恐る顔を上げると、地面に倒れて呻く三人の不良たち、そして油断なくそれを見下ろしているユウカさんが目に入る。え?ゆ、ユウカさん!?ユウカさんナンデ!?
「ユウカさん……?」
名前を呟くと、ユウカさんはハッとした表情になってから俺の方に駆け寄ってきた。あっ、不良を踏んづけてる。100キr……いや、なんでもないです。助けに来てくれた方にこれは流石に失礼とかいうレベルじゃない。
「ナナシちゃん、大丈夫だった!?」
ユウカさんはまだペタンと座り込んでいる俺に目線を合わせ、少し慌てた様子でそう聞いてくれた。俺は努めて冷静に「大丈夫です、ありがとうございます」と返して状況説明を……。
「ユウカさんんんん!!こわくて!俺あの、不良が不良で……!」
ちゃんと状況説明できるまでに三十分ほどかかった。
〇
あれから一時間ほど時間は流れまして。俺とユウカさんはさっきの路地裏から程近い位置にある公園へとやってきていた。俺の冷静で的確な……ごめん流石に嘘吐けない。俺のぐちゃぐちゃで支離滅裂な状況説明をなんとか理解してくれたユウカさんは、とりあえず落ち着ける場所に行こうと提案してくれて、それで二人でこの公園にやってきた感じだ。ユウカさんに迷惑をかけすぎているって自覚はある。でも仕方ないじゃん。安心して緊張の糸が切れちゃったんだもん。これを笑うヤツはカツアゲに遭ったことがないんだと思う。アイツらめちゃくちゃに怖いよ?下手なホラーより全然怖いよ?ホラーとかあんまり見ないからわかんないけど。
「少しは落ち着いた?」
「はい……すみません……」
そういうわけで、俺たちはいつかのように公園のベンチに座って話をしていた。俺の謝罪に一瞬驚いたような顔をしたユウカさんは、手に持った缶のお茶を揺らしながら「気にしなくていいわよ」と笑ってくれている。本当に優しい。さっき心の中であっても100キロとか言いかけてしまって本当にごめんなさい。
「そういえば、シャーレの外でナナシちゃんに会うのってあの日以来ね」
少し俺を見てから、ふと気づいたようにそう言って懐かしむように空を見るユウカさん。たぶん「あの日」っていうのは俺がこの世界にきた初日のことだと思う。今日みたいにカツアゲされてたのをユウカさんが助けてくれたんだっけ。1か月程度しか経っていないはずなのにずいぶん昔のことのように感じるのを不思議に思いつつ、時間が経ったのにまた助けてもらっている自分が恥ずかしくて「そう、ですね」としか返せなかった。ユウカさんはそんな俺に視線を戻して、ひとつ苦笑した。
「そんなに落ち込まないの。ほら、チョコ食べる?」
「えっ?えっ、と……」
そんなに顔に出ていたのかな、なんて思いつつユウカさんがポケットから取り出したチョコレートを受け取る。包み紙を開き中身を口に含むと、甘いチョコレートの香りが口いっぱいに広がった。まだわずかに張りつめていた気持ちが完全に緩むのを感じながら、ぼんやりと空を見上げる。空の上の方では風が強いのか、白い雲が千々に分かれていくのが見えた。
「元気は出た?」
隣に座るユウカさんからそう声をかけられて、ボーっとしてしまっていたことに気が付く。隣を見れば、ユウカさんは微笑みながらこちらの様子をうかがっていて、どこか心配しているように見えた。
「はい。……その、本当にごめんなさい」
「大したことじゃないから大丈夫よ。それよりナナシちゃんこそ大丈夫?怪我とかしてない?」
「た、たぶん大丈夫です」
そう答えて、少しばかり俯いてしまう。なぜって、自分が情けなくて。さっきも言ったけど、やっぱり俺は変われていないんじゃないだろうかって、そう考えてしまったから。自分で言うのもなんだけど、俺はたぶんそこそこ頑張ったんだと思う。補習授業部のみんなで過ごした合宿でのことも、それより前のシャーレでの仕事のことも。それを、みんなのお陰で少しは認められるようになった。だからこそ、俺は先生からお給料を受け取ったのだ。
けれど、結果としてまたユウカさんに助けられてしまった。それは、俺がこの世界に来た初日と全く同じ結果で。つまり、俺が成長できていないんじゃないかって疑念を抱くには充分すぎる事実で。それが、俺は嫌だった。みんなと過ごした日々を俺が形にできていないのなら、それはきっとみんなと過ごした日々の否定になってしまう。
俺は
「ナナシちゃん?」
俺が急に黙ってしまったのを不思議に思ったのか、ユウカさんが俺の名前を呼ぶのが聞こえた。顔を上げると、眉をハの字に曲げて心配そうな顔でこちらを見るユウカさんが目に入る。その顔を見て、やっぱり申し訳ない気持ちになってしまった。
「ユウカさん、ごめんなさい」
「それは大丈夫だって……」
「違うんです」
言葉を遮って、否定する。俺が謝っているのはそのことだけじゃない。不思議そうな顔で首を傾げるユウカさんは意図が読めない様子で、けれど俺の言葉に耳を傾けてくれていた。
「俺、ユウカさんに、みんなに色々してもらったのに……なんにも変われてなかったから」
ほとんど無意識の言葉だった。でも、間違いなく俺の本音だった。ユウカさんに、先生に、ミカさんに、補習授業部のみんなに。それから、ハナコに。俺は色々なものを貰ったのに、それでも変わることができていない。それがたまらなく申し訳ない。自分の努力を、やっぱり認められない。
「私は変わったと思うけど……なんて言っても、きっと気にしちゃうわよね、ナナシちゃんは」
俺の話を聞いたユウカさんは苦笑い混じりにそう言ってからひとつ溜息を吐いて、それから手に持っている缶に口をつけた。俺はめんどくさいことを言ってしまったかなとまた申し訳なくなって……。
「ところで、ナナシちゃんはどうしてここに?」
思考が回り始める前にユウカさんが口を開いた。え、きゅ、急に?
「えっ?えっ、と。実はお給料を貰いまして……」
「へぇ、よかったじゃない!」
頑張ってたものね、と言って優しく頭を撫でてくれるユウカさん。少し気分が落ち込んでいるのもあってか、撫でられるのがすごく心地いい。あ、いや、そうじゃなくて。今はユウカさんから聞かれたことにちゃんと答えないと。急に話題が変わったのでちょっと混乱してる気がする。
「んっ……そ、それで。使い道も思いつかなかったので貯金しようと思って……」
「あ、だから銀行に向かってたの?」
はい、と言って頷く。そんな俺を見たユウカさんは撫でる手を止めて、手に持つ缶をくるくる回しながら悩む素振りを見せた。な、なんだろう。やっぱり会計としてお金の使い道について言うことがあったりするんだろうか。そんなことを考えていると、う~ん、とひとつ唸ったユウカさんがこちらに向き直って口を開いた。
「ナナシちゃん、スマホのこと忘れてない?」
「す、スマホ?」
意図が読めずに聞き返す俺を見て、今度はユウカさんが不思議そうな顔をする。いや俺にもスマホのなんたるかくらいはわかるけど、忘れてるってどういうことだろう。この世界に来たとき持ってたあのスマホはいつもバッグの底の方に入ってるし、別に忘れてはいないと思うんだけども。
「ほら、ナナシちゃんお金の使い道が思いつかないって言ってたじゃない?だからスマホを持ってないことを忘れてるんじゃないかって」
言われて、あっと声を漏らす。うんそうだわ、俺が今持ってる……というか何故か持ってたスマホはパスワードがわからなくて開かない。だからアレはただ光るだけの板同然で、俺は個人的な連絡手段を持っていない。確かに補習授業部のみんなと連絡するのに先生を経由しなきゃいけないのもちょっと面倒だったし、お金が入った今はスマホを購入するにはいい機会だ。というか、いい加減に買わないと不便とかそういうレベルの話じゃない。
「せっかくだしお店紹介するわね。セミナー関係でいくつか顔の利くお店もあるから、ナナシちゃん一人で行くよりも良い買い物ができるわよ?」
そう提案してくれたユウカさんだけど……どうしようかな。本音を言うならガッツリ頼っちゃいたい。この世界は治安が悪くて、店選びを間違えると普通に詐欺られるなんてザラだ。だから確かなコネのある人っていうのはすごく、それはもう物凄く頼りになる。けど、これ頼ってもいいんだろうか。まだユウカさんに何も返せていないし、助けてもらってばかりなのに更に頼るのは……やっぱり、申し訳ない。
「あの……」
「言っておくけど、私に申し訳ないから断るっていうのはナシね」
「うぇっ!?」
俺が驚いたのを見てやっぱりと言わんばかりの表情になったユウカさんは、俺のおでこをコツンと軽く小突いた。あうっと声を漏らす俺を見てくすりと笑い、残っていた缶の中身を飲み干して軽くホコリを払いながら立ち上がる。
「さ、行きましょ。あんまり遅くなるとまた絡まれちゃうかもしれないわよ?」
「えっ?で、でも……」
戸惑って座ったままの俺を見て、「いいからいいから」と言って手を引くユウカさん。手首を掴まれているから俺もそれに着いて行くしかなくて、半ば引きずられるようにして移動していく。
「きっとナナシちゃんの気晴らしにもなるわよ」
それを聞いて、どこまでも俺のことを気遣ってくれているのだとわかって少し気恥ずかしくなる。だからそっと、手首を握っているユウカさんの手を振り払って、それから握り返した。ユウカさんは一瞬驚いたような顔をしていたけれど、すぐに花が咲いたような笑顔に変わる。
そして「これから行くのは──」と、何事もなかったように説明を始めてくれた。だから、俺も少しだけ気分を入れ替えて会話に応じる。悩みは解決してなんかいないし、相変わらず申し訳ない気持ちはあるけれど、今はきっとそれを誤魔化した方がいいから。……先生も、「適当でいい」って言ってたから。だから、少しだけ目を逸らすことにする。
ユウカさんの案内で、俺は晴れたD.U.の街を歩き始めた。まだ午前中だから、二人でのんびりと。
「そういえば、ユウカさんの用事とかは大丈夫なんですか?」
「それなら大丈夫、今日はナナシちゃんに癒され……顔を見に来ただけだもの」
……あの、いまなにか言いかけませんでした?
【祝】ユウカさん久しぶりの登場