誰かキヴォトスに生徒の肉体で落っこちた一般人がとるべき行動を教えてくれ 作:新品のタタリモップ
ユウカさんに手を引かれてやってきたのは、D.U.シラトリ区の中心あたりに位置するショッピングモール。電気街に隣接しているのもあって他のそれよりも電子機器の品揃えが良いらしく、ミレニアムの生徒もよく利用する施設なんだとか。さっきマップを見たけど、確かに俺の知ってるやつよりも機械関係のお店が多かったように思う。
もうスマホは買ったんだけど、ユウカさんはやっぱりすごかった。お店に入ってすぐ店長らしき人と社会人顔負けの会話をしていたし、なんなら店員さんと一緒に説明までしてくれた。料金プランの説明なんて、店員さんのそれよりもわかりやすかったくらいだ。
買ったのは最新のやつよりも2世代ほど古いスマホで、色はシンプルな黒色。なんとこれ、2世代も前なのに前の世界の最新モデルよりずっと性能が良い。俺も詳しくはないんだけど、ストレージの容量が割とありえない単位でお出しされた時には流石に驚いた。こういうゲームではあまり描写されなかったところから世界の技術力の高さみたいなのをひしひしと感じたりしている。このモデルはソフト・ハードともにミレニアムが一枚噛んでいるらしいから、それもあるんだとは思うけど。
「ナナシちゃん、疲れたりしてない?」
「あ、はい。大丈夫です」
それで、今はユウカさんと二人でモール内をブラついている。スマホを購入した後も店内に残り続けるのは悪いからということでとりあえずお店を出たんだけど、実を言えば特にアテがあるわけでも無い。なんせ突発的に来たんだし。はぐれないようにという提案で繋いだ手の先を見れば、ユウカさんも思案顔でどうしようか迷っている様子だった。たぶん俺が提案すればその方向で話が進むんだろうな、なんてぼんやり考える。そして、当然俺からの提案は帰宅だ。いつまでもユウカさんに迷惑をかけるわけにはいかないし、ショッピングモールなんて人の多い場所は俺みたいな陰の者にはちょっと厳しいし。だから俺は「帰ろう」と提案しようとして……言葉が喉につっかえた。足が止まる。手を繋いでいるユウカさんも、自然と。
「ナナシちゃん?」
「あ、いや……なんでもないです」
そう?と言って再度歩き出したユウカさんについていくように、俺も歩き出す。歩き出して、ふと思う。誰かとなんでもないお出かけをするのってすごく久々だな、なんて。前の世界では友達をはじめ、一緒に出かけるような人は本当に居なかった。だから、こういうお出かけっていうのは本当に久々で……そう思った瞬間、また足が止まってしまった。少しだけユウカさんの手を握る力が強まる。それが伝わってしまったらしく、不思議そうな顔をしながら「どうかしたの?」と聞いてくれるユウカさん。自分でもなぜそうしたのかわからなくて驚いた感情のままユウカさんを見つめ返す。
「えっと、その」
なにか言わなくちゃと思って、思考をクルクルと回す。考えて、きっと自分はまだ帰りたくないんだと気付いた。なんでかはわからないけど、たぶんまだ遊びたいんだって。だから、考える前に口が動いた。
「あの、ユウカさん。少しだけ一緒に遊んでいきませんか……?」
い、言っちゃった。迷惑じゃないかとか、気持ち悪くないかなんて思考が頭を掠めていくのを感じながら、でも俺はちゃんとユウカさんの目を見る。先生から教わったことだ、自分の行動の結果は見届けないといけない。俺の言葉を聞いたユウカさんは驚いた様子で目を見開いていて……けれどすぐにパッと笑顔に変わった。
「そうね。せっかく来たんだから、少し遊んでいきましょうか」
俺と繋いでいない方の手を口許に持ってきてくすりと笑いながら、ユウカさんはそう言った。こ、断られなくてよかったぁ。俺は長男だけどかなり弱めの長男だから、万が一断られたり迷惑そうな顔をされていたら普通に立ち直れなかった。いや、別に俺もユウカさんがそんなことする人だとは思ってないけどさ。万が一ってあるじゃん、普通に多忙だろうし。
「ナナシちゃんはどこに行きたいとかある?」
「えっ、あっ、特にはないです……すいません」
一仕事終えて油断しきっていた俺の言葉に「謝らなくてもいいわよ」と苦笑いしてから、ユウカさんは顎に手を当てて考える様子を見せた。それから何か思い出したように「あっ」と小さく声を漏らし、なにやら良い笑顔で俺の方を見た。な、なんだろ。ちょっと寒気を感じる。
「それなら私の行きたい場所でもいい?きっとナナシちゃんにとっても役に立つと思うから」
「も、もちろん大丈夫です」
それなら決まりね、と嬉しそうに言ってユウカさんは俺の手を引いてくれた。気持ちユウカさんの足取りが軽くなっているのを見て、俺もだんだん楽しい気分になってくる。どこに行くのかはわからないけれど、ユウカさんがこんなにウキウキするってことはすごく楽しい場所なんだろうなぁ。……そういえばさっきの寒気はなんだったんだろ。
〇
「ナナシちゃん、次はこれなんてどう?」
そう言ってユウカさんがこちらに差し出したのは、所々にあしらわれたフリルが可愛い白い夏物のワンピース。俺は試着室から顔を出してぎこちなく「イイデスネ」と返す。服のサイズはどう考えてもユウカさんには小さくて……うん、そういうことだ。俺とユウカさんは現在洋服屋さんにて買い物をしているのだ。俺が服を受け取るのを見届けたユウカさんは「着替え終わったら言ってね」と残してすぐに試着室のカーテンを閉めてくれた。
「あの、ユウカさん……これもう十着目……」
「次は……あっ、これなんかもいいわね!あれ、いまナナシちゃん何か言った?」
「なんでもないです……」
カーテン超しの俺の言葉に「そう?」と返してまた服選びに戻るユウカさん。うんそうだね、正確には買い物というか、俺が着せ替え人形にされてる感じだね。五着目の時点で嫌な予感はしてたんだけど、まさか十着を超えても服を持ってくる勢いが衰えないとは思っていなかった。いや流石にちょっと疲れてきたし止めようか迷うんだけども、鼻唄混じりに服を持ってきてくれるユウカさん見てるとなかなか止めづらくて。結果、そこそこの時間服を着替えてお披露目する作業を繰り返したりしている。とりあえずこれだけは着ようと、白いワンピースに袖を通す。……うぅ。もう十着目なのに、まだなにか男として大事なものが擦り切れていくのを感じる。
「えっと……着替え終わりました」
「見ても大丈夫?」
ユウカさんの声を聞き、試着室の鏡で変なところがないか確認してからカーテンを開けた。恥ずかしいので皺になってしまわない程度の力加減でスカートの裾を掴みながら、ちらちらとユウカさんを見上げる。というか試着室のカーテン開けると毎度思ったより近くに居るんだよなユウカさん。嫌じゃないんだけどちょっと圧がある。
「あ、あの。変じゃない、ですか?」
「……ナナシちゃん、写真撮ってもいい?」
「え?い、いいですけど……」
俺が許可を出すが早いが、懐からスマートホンを取り出したユウカさんはパシャパシャと写真を……連射モードで撮ってる!?すっごいパシャパシャ言ってる!そんなに要らないと思うんだけど、なにかこだわりでもあるのかな。
俺が記者会見でしか聞かないような連続したシャッター音に気圧されていると、ユウカさんは撮った写真を確認してから「よし」と呟きひとつ頷いた。ちなみにこのやり取りもそこそこの頻度で行われている。具体的には10回くらい。うんそうだね、全部だね。
ところでこれいつまで続くのかな。何回も言ってるけどもう10回は同じことやってるんだよな。ユウカさんもそろそろ飽きてくるんじゃないかな、なんかそんな気してきたな。ちょっとお伺いを立ててみようかな……?
「あの、ユウカさ……」
「それじゃ、次はこの服ね!」
「アッハイ」
後日ユウカさんから送られてきた「厳選した」らしい大量の俺の写真は、後半完全に目が死んでいた。
〇
あれから更に20着ほど服を着て脱いでを繰り返していた俺は、試着室の使用可能時間を超過したことでようやく解放された。気まずそうな顔でやってきた店員さんが天使に見えた。店員さんがロボ市民だったからよかったけど、もしヘイローのある生徒だったら本当に天使だと思って跪いていたかもしれない。そのくらい俺にとって救いだった。
え?そんなにダメージ受けることないって?いやだって俺男だし、ユウカさんが持ってくる服は可愛いやつばっかりだし、洋服屋なんてオシャレな場所はそれだけでHP削れるし。あと単純にすごい恥ずかしい。なんで普通の洋服屋さんにバニースーツが置いてあるんだよおかしいだろ。着たけどさ。……いやなんで着たんだ俺!?バニースーツはライン越えじゃんどう考えても!あっ、というかヤバい。これたぶんハナコとか先生にバレたらエグい揶揄われる……!
「ゆ、ユウカさん!あの写真のことなんですけ……あれ?」
ユウカさんに写真の口止めをするべく顔を上げると、なんだか知らない景色に変わっていた。具体的にはフードコートらしき場所の椅子に座らされていた。えっ、と……たぶん現実逃避してる間に運ばれたのかな、俺。合宿中にも何度かあったからそれは別に良いんだけど、ユウカさんどこ行ったんだろ。見た感じ周りに居ないように見えるんだけど。ま、まさか見限られた?俺捨てられた?ストリートチルドレンならぬフードコードチルドレンになっちゃった?
「あ、起きたのね」
そんなことを考えていると普通に後ろからユウカさんが現れた。手にはトレーがあり、その上になにか紙で包まれたものが載っている。たぶんスイーツだろうそれに視線が吸い寄せられるのをぐっと堪えて、俺の向かいの席へと移動しているユウカさんに視線を戻す。一応理解はしてるけど、なんでここに来たのか確認しなきゃだし。
「えっと、ユウカさん。俺はどういう……」
「あぁ、そうね」
俺の言葉に苦笑いしたユウカさんは、椅子を引いて席に着いた。それから丸テーブルの上にトレーを置いて……あっ、クレープだ。こっちに来てからは初めての、久々のクレープだ。って、いやいや違う違う。まずはユウカさんの説明を聞かないと。
「ナナシちゃん、服屋を出てから何を聞いても『はい』しか言わなくなっちゃって。先生に聞いたら放っておけば治るって言うからとりあえずフードコートに連れてきたんだけど……」
本当に治るのね、と言ってユウカさんはまたひとつ苦笑いをした。なんか今日はユウカさんに苦笑させてばかりな気がする。申し訳ないとは思いつつも、今度は不思議とそこまで気分が沈まなかった。いや別にクレープが食べられるからとかじゃないけど。そんなんでテンションが上下するほど子どもじゃないし。というかこれ食べてもいいやつかな、2つあるし片方は俺のだよね?ちょっと不安になってきた。聞いておこうかな。
「あの、ところでそれって……」
「え?あぁ、クレープね。ナナシちゃんってアレルギーとかないわよね?」
「たぶん大丈夫です」と答えて、ユウカさんの手によってひょいとトレーから持ち上げられたクレープを凝視する。ふわりと漂ってくる甘い香りに、口の中に唾が溜まる。じっと見つめていると、ユウカさんがクレープを左に動かした。俺の目線もそれを追って左に動く。今度は右に動かされたので、俺の視線も右に。それが数度繰り返されて……あっこれ遊ばれてる!
気付いてむっと頬を膨らませると、ユウカさんはハッとした表情になってから「ごめんなさい」と笑って俺にクレープを片方差し出してきた。え、あ、貰っていいやつです?手を伸ばした瞬間にトルコアイスしたりしないですよね?疑いと遠慮の目で見つめると、ユウカさんはまたひとつ苦笑した。
「大丈夫よ、あげるから」
「そ、それなら失礼して……」
形を崩さないよう気を付けながらクレープを受け取って、そっと紙を剥がす。びりびりと小気味いい音が響いて、クリーム色の生地と白い生クリーム、赤い苺が目に入った。俺は口をめいっぱい開いて、クレープにかぶりつく。
「ふふっ、おいしい?」
感想を聞いてくるユウカさんの方を向き、ぶんぶんと首を縦に振る。このクレープすごく美味しい!生地はモチモチしてるし、クリームもふわふわで甘くて、苺の甘酸っぱさのお陰で甘くなりすぎてもいない!この身体になったからっていうのもあるかもだけど、前の世界と合わせても一番美味しいクレープだと思う。パクパクと食べ進めていくと、ユウカさんがくすりと笑って自分の頬を指さした。え?な、なんですか?
「ナナシちゃん、ほっぺにクリーム付いてるわよ」
「えっ、ど、どこですか?」
恥ずかしくなり慌ててハンカチを取り出そうとして、俺の小さい手だと片手でクレープを持てないことに気が付いた。え、これどうしよ。早いとこ食べてクレープを小さくしちゃうべきか?よし、その作戦で行こう。急いで食べようとまた口を目いっぱい開こうとしたところで、ユウカさんがなにやらこちらに身を乗り出したのに気が付いた。不思議に思ってそちらを見ると、ふわりと頬に柔らかい布のようなものが当たる。そこでようやく、ハンカチで頬を拭ってもらったことに頭が追いついた。
「はい、取れたわよ」
「あ、ありがとうございます……」
ユウカさんから少し目を逸らしつつお礼を言う。いやだって恥ずかしいじゃん。この年にもなって年下の女の子に口を拭いてもらうとか、ちょっと子どもすぎるじゃん?頬が赤くなっているのを自覚しながら、今度は少し控えめにクレープへと口をつける。
「ふふっ」
ユウカさん、あんまり微笑ましい目線向けないでください……。
〇
そうしてクレープを食べ終えた俺たちは「とりあえず腹ごなしでもしようか」ということでモール内にあるゲームセンターへとやってきた。うん、はじめのうちは良かった。ユウカさんが得意そうで俺も(正確にはちょっと違うものだったけど)やったことのあるパズルゲームで対戦して白熱したり、エアホッケーで俺がボロ負けしたり、パンチングマシンで俺がありえん低い数値をたたき出したり。かなり楽しんで過ごしていたと思う。ただ、とあるゲームに手を出してからユウカさんは変わってしまった。
「なんで取れないのよ!」
「ゆ、ユウカさん落ち着いて……」
台パンをギリギリ堪えている様子のユウカさんの前にあるのは所謂クレーンゲーム。アームを操作してプライズと呼ばれる景品を獲得するだけの非常に単純なゲームだ。うん、ユウカさんが変わってしまった原因はこれだ。はじめのうちは余裕ある様子でお金を入れてアームを操作していたんだけど、途中から様子が変わってきて、気付いたときにはこうなっていた。
「アームのパワーがこれ、そしてプライズとアームの素材から予想される摩擦係数は……」
ガリガリと音を立ててノートに難しい計算式を書き続けるユウカさんはもう明らかに正気じゃない。正直ちょっと怖い。すでに諭吉一人分くらいはこの機械に吞まれているし、そろそろ止めた方がいいのは絶対にそうなんだけど……さっき一度止めたら「大丈夫だから」と難しい計算式の解説を始めてしまったので、もう取れるまで見守る方向にシフトチェンジした。ごめんなさいユウカさん、俺はあなたを救えなかった。
「あっ」
心の中でユウカさんに向けて謝罪していると、その本人がなにやら声を漏らした。見れば、財布を開いて葛藤している様子。そっとのぞき込むと、ユウカさんの財布からは100円玉が綺麗さっぱり無くなっていた。え?これで止まってくれるじゃんって?いや、実はさっきも見たんだよねこれ。
「……ナナシちゃん、ちょっとこれ崩してきてもらってもいい?」
「あの、流石にもうやめておいた方が……あっ、いやなんでもないです。崩してきます」
やめておいた、の辺りでユウカさんが計算の解説準備を始めていたので差し出された五千円札を受け取ってその場を去る。タタっと少し小走り気味にゲームセンターの中を歩いて外へと向かう。なんかここ両替機が広場みたいなところとの際にあるんだよね、クレーンゲームコーナーの近くに置いておいてくれると助かるんだけども。
「あっ、あった」
そんなことを考えているうちに両替機を見つけたので、ユウカさんから受け取った五千円札を入れる。じゃらじゃらと硬貨が出てくる音を聞きつつ、何とは無しに広場の向かい側にあるお店を眺めた。ふと、ひとつの商品が目につく。黒地に青のラインが入ったボールペン、かなり良いものなのか、なかなかいいお値段が表記されていた。俺はなんとなくそれが気になって……。
『お取り忘れにご注意ください』
「あっ」
両替機から発された機械音声を聞いて意識を現実へと戻す。危ない危ない、普通にボーっとしちゃってた。俺はなんとなく後ろ髪を引かれながらも、大量の硬貨を受け取ってユウカさんのもとへと戻った。
ちなみにその後、ユウカさんはさらにもう一人の諭吉を犠牲にしてなんとかプライズを取っていた。ユウカさんには絶対ギャンブルとかさせちゃダメだと思う。
〇
「ずいぶん遊んだわね」
「あ、もうこんな時間……」
大きく伸びをしながらのユウカさんの言葉を聞いて買ったばかりのスマホを見れば、時刻は既に16:00を回っていた。これ以上は帰る時間が遅くなってしまうから、そろそろ帰るにはいい時間だ。ユウカさんに手を引かれながらショッピングモールを出て、「少し休んでから帰りましょ」というユウカさんの言葉に従ってモール横の道に設置されたベンチへと二人で腰かける。
よく手入れされた植え込みと、等間隔で並ぶ街路樹は黒っぽい色になっている。車道に面した道路だけれどなぜか車通りは少なくて、夕日を受けた白線は薄い橙色。俺たちの居る歩道はレンガを埋め込んだような不思議な模様で、ところどころ夕日を反射して輝いていた。そんな歩道の脇に置かれた木のベンチで、俺たちは静かに並んで座る。しばらくそうして座っていた。何を言うわけでもないけれど、不思議と気まずさはなかった。その静寂を破ったのは、ユウカさんからだった。
「どう?気晴らしにはなった?」
そう聞いてくるユウカさんの表情はこちらを安心させるような笑顔で、けれど同時に楽しそうな、満足そうな笑顔だった。きっとユウカさんにとっても楽しい日にすることができたんだな、なんて頭の裏でぼんやり考えつつ、俺も言葉を返す。
「はい、すごく楽しかったです……!」
俺の言葉を聞いたユウカさんは「そう」と言って目を細め、それからそっと何かをなぞるように目を閉じ、安心したように背もたれに身体を預けた。長い長い影がユウカさんの後ろに伸びていて、同時にユウカさんの夕日に照らされた顔がすごく綺麗だった。
「ナナシちゃん、『変われていない』って言ったでしょ?それ、今日一日過ごして違うってわかったの」
「えっ、と……?」
困惑する俺に「いきなりだと驚くわよね」と笑うユウカさんは、けれど何かを伝えたがっているように見えた。だから俺も意識を切り替えて、ちゃんと聞いて受け止めようと居住まいを正す。ユウカさんはそれを見てきょとんとして……またすぐに笑顔になった。
「ふふっ、やっぱり。ナナシちゃん、前だったらこういうとき不安げな顔になってたと思う」
「そう、ですかね」
俺の言葉に「たぶんね」と言って頷くユウカさん。聞き返すような言葉を返しはしたけど、正直俺もそう思う。以前の俺は何もかもから逃げたくて、常に不安でいっぱいだったから。一人でこの世界に放り出されて、誰も頼れなくて、そのくせ世界の危機なんて問題に直面していたから。だからきっと、あの時の俺は不安な顔になったと思う。
「それに、私に助けられたなんて言うけど。ナナシちゃん、自分で不良に立ち向かってたじゃない」
「それは……でも、結局」
「結果が同じなら変わってない、なんてことないわよ?」
ユウカさんは俺の否定を否定して、自分のバッグから手帳を取り出した。不思議に思ってみていると、手帳が開いた状態で差し出される。これ……ゲームセンターで書いてたなんか難しい式だ。右のページと左のページで式が微妙に違うのは、たぶん別の回の計算だからだと思う。正直補習授業部で勉強してなかったら一切理解できないレベルの難しさだ。なんで、ユウカさんは俺にこれを見せたんだろ。不思議に思って目線で問うと、ユウカさんはひとつ頷いてから口を開いた。
「これね、実はまったく同じ結果が出てるの」
「それは……はい」
言われて見てみれば、確かに最終的な答えの値は同値だ。俺がそれを確認したのを見て、ユウカさんは手帳を自分の手元に戻してページをなぞった。
「でも、この同じ数字は同値ではあっても等価じゃないわ」
それを聞いて、だんだんとユウカさんの言いたいことが理解できてきた。さっきの計算は、よく見ると前の回のデータを追加して計算されていた。だからその積み重ねの分、正確な計算結果になっている。つまり、『同値ではあっても等価じゃない』。そして、きっとそれは俺も同じ。
『ユウカさんに助けられる』という結果は
俺の表情が変わりでもしたのか、ユウカさんは俺が言いたいことを理解したと気づいたみたいだった。バッグに手帳を仕舞って、ベンチの上で俺に身体ごと向き直る。それからふわりと微笑んで、俺を抱きしめた。
「安心して。ナナシちゃんは、ちゃんと変わってるから」
「……ありがとう、ございます」
抱きしめられて安心して、一気に肩の荷が下りたように感じた。背中に夕日の暖かさを感じて、心までぽかぽかする。そのまましばらく抱き着いて……ふと、自分のバッグに入っている物のことを思い出した。ちょっとごめんなさい、と言ってユウカさんから体を離し、バッグの中から細長い紙袋を取り出す。ユウカさんに隠れてこっそり買った、渡すか迷っていた贈り物。今ならきっと渡せる気がして、勢いのままユウカさんに差し出した。ユウカさんはきょとんとしながらもそれを受けとって、俺に許可を取ってから袋を開けた。
「これ……ボールペン?」
「えっと、はい。一応」
自分で言いながら「一応ってなんだよ」と思う。ユウカさんの手に収まっているのは、黒地に青のラインが入ったボールペンだ。ユウカさんに似合うような気がして、クレーンゲームの両替のために席を外したときに買っておいたもの。そして。
「俺から……その、感謝の気持ち、みたいな」
普段お世話になっているユウカさんへの、俺からのささやかな感謝の気持ち。いつもお世話になっている人のために使うのは、きっと初任給の使い道として正解だ。だからというわけではないけれど、俺はこの機会にユウカさんへの感謝を伝えておきたかった。本当に、本当に。伝えきれないくらい感謝しているから。……で、ユウカさんは完全に固まってしまった。え、どうしよう。もしかしてセンス無かった?ダメだった?反応がないと急激に不安になっちゃうんだけど。
「あ、あの、迷惑だったら無理にゅっ!?」
「すっごく嬉しい!ありがとう!」
俺が「無理に受け取らなくても」と言いかけた瞬間、ユウカさんが弾かれたように俺へと抱き着いてきた。苦しいくらいに強く抱きしめられてるけど、それが少し心地良……ごめんやっぱり普通に苦しい呼吸できない!バタバタともがいていると、ユウカさんが気づいて力を緩めてくれた。あ、緩めるだけで離しはしないんですね。あ、いやいやそうじゃない。喜んでもらえたなら、ひとつ頼みたいことがあるんだった。
「ぷはっ。ゆ、ユウカさん。ひとつ頼みたいことがあって……」
「頼みたいこと?」
聞き返すユウカさんに、俺は「はい」とうなずく。この世界に来てからずっとお世話になっているあの人にも、なにかしてあげたいから。そのために、付き合いが長いだろうユウカさんの知恵を借りたいのだ。ちゃんと労えるように、ちゃんと喜んでもらえるように。
「実は……」
〇
side:先生
「“ナナシ?……寝ちゃったのかな”」
私は自分のデスクに向かいながら、先ほどまで会話していたナナシの名前を呼ぶ。彼女(彼かもしれないけど)の居るソファからは返事の代わりに寝息が聞こえてきて、どうやら眠ってしまっているらしいことがわかった。今日はユウカとたくさん遊んできたらしいから、体力の少ないナナシにしては保った方なのかもしれないな、なんて思いつつナナシを部屋に運んであげようと椅子から立ち上がる。
「“よっ、と”」
ナナシをお姫様抱っこの要領で持ち上げて……やっぱりちょっと軽すぎる。あれだけお菓子を食べさせてるのに一向に体重が増えないのはなんなんだろうか。なんとなくナナシの顔を見ると、前髪がサラサラと顔の脇に流れて、ナナシの顔がよく見えるようになっていた。その顔を見て「やっぱり変わったな」、と何とは無しに思う。そう、ナナシは変わった。というより、間違いなく良い方向に成長している。自分の意見を言うことも増えてきたし、自分から人と関わるような選択をするようになった。そしてなにより、『原作知識』を利用してより良い方向に未来を変えようとしている。初めて会った頃のナナシからは考えられないほどに成長していて……私も負けられないな、なんて思う。
私は、あの補習授業部の合宿に後悔している部分がある。決して生徒の前では言わないし顔にも出さないけれど、それでも自分の心に嘘を吐いてはいけないから。反省して、後悔して、ちゃんと前を向く。それが生徒を導く『先生』として、きっとあるべき姿だ。だから私は迷うし、迷わなくちゃいけない。
そんなことを考えているうち、ナナシの部屋の前に着いた。ドアを開けて中に入り、眠っているナナシを起こさないよう(滅多なことでは起きないけれど)そっとベッドに寝かせて布団をかける。抱き枕に使っているウェーブキャット?をナナシの横に置くと、心なしか表情が安らいだように見えた。
「“おやすみ、ナナシ”」
ナナシが初めてキヴォトスに来た時もこうやってベッドに寝かせたな、なんて懐かしみつつ部屋を出た。シャーレの廊下を歩きながら、なんとなく。本当になんとなく、暗く鏡のように私の姿を映すガラス壁を見る。そこに映る私の姿はいつも通りで……一か所、ネクタイに付いている光るものだけがいつもと違った。シンプルな銀色のネクタイピン。ナナシがユウカと一緒に選んだという、私の生徒からの贈り物。
「“ふふっ”」
嬉しくなって、つい笑ってしまった。先ほど調べて知ったことを思い出したから。上司や先輩にネクタイピンを贈る意味は『あなたを尊敬しています』。ナナシがそれを知っていたかはわからないけれど、私にとっては嬉しいメッセージだ。
「“頑張らないとね”」
ユウカに、ナナシに。生徒にふさわしい大人であれるように。
ファンアートが欲しいと言いながら床をのたうちまわる日々をおくっています。評価と感想もくれると嬉しいです(強欲)