ガールズ&パンツァー ~ 大洗は大砲鳥の夢を見るか ~   作:松ノ木ほまれ

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第五話

 

 

  ~ 黒森峰女学園 ~

 

 

親衛隊は敵地を進み(SS marschiert in Feindesland )そして悪魔の唄を歌う(und singt ein Teufelslied.)

 

 まるで天より差し込む陽光の如く、清らかで涼しい声が生徒会室に響いていた。清流のような滑らかさを持った声でありながら、その底には金属音の如き怜悧さが見え隠れしている声。怖気がする声だった。邪悪さは極まれば、美しくなるのだ。

 

オーデルの河畔に立つ歩哨も(Ein Schutze steht am Wolgastrand)ともに小声で口遊む(Und leise summt er mit.)

 

 そんな事を、生徒会室で歌声を響かせる人物を見やる西住まほは考えていた。

 

「……納得いく説明をいただけるのでしょうか、会長」

「そうは言うけどね、君にも呑んで戴かなくては困るのよ。

 貴女達の誇りに踏み入る真似である事は理解しているけれど、既に話は進んでいる。一生徒が口を差し挟む余地の無い所までね」

「なればこそ、私達を納得させるひと言を、と先ほどから申し上げている」

 

 ここは地獄の第9層。コキュートスが最深部。凍てつく巨大な氷の中で、まほは我が母校の"ユダ"こと、生徒会長の『氷室イルミ』を噛み殺さんばかりの表情で睨み付けている。高校戦車道も引継が近づいて、まほ自信もドイツへの留学が目前へと迫ったタイミングでの、この大混乱。

 皆が先行きを案じる中で、寝耳に水であった【第三帝国学園】との"盟"。何を持ってして受け入れろというのか、まほには未だに理解しがたい事態が続いている。

 

「西住さん、貴女の留学の話なんだけれど ――」

 

 そして今日、生徒会室において生徒会長から言い渡された鶴の一声。

 

「―― 先延ばしになったわ」

 

 それが、まほの逆鱗。到底受け入れがたい、侮辱にも似た言葉。何の権利があって、他者の人生・道に口出しをしようと言うのか。目の前で不敵な笑みを見せている金髪の生徒会長を見るだけで、腹の底からマグマの如き怒りが吹き出してくるのを実感している。

 生徒会長は、変わった。

 同級生でもあるまほにとって見れば、突如として豹変したようにしか写っていない。正確には、生徒会長になってから変わった、というべきだが。

 入学したての頃から彼女は、生徒会や学園各部の広報活動に携わって精力的に活動していた生徒の一人だった。『黒森峰の書類は全て彼女の元へ行く』と称される程。しかし、生徒会長の座に座ってからの彼女は、変わった。表面上は変わっていないように見えるが、極めて冷酷な本性が見え隠れするようになった。

 おそらく学園内で彼女を見る眼は"畏怖"か"怨恨"であろう。友達なんてものはいなかった。……と言うより、いなくなった。

 まほですら、かつてならいざ知らず、今の変わり果てた生徒会長については唾棄すべき感情を持っている。戦車道で結果を出し続けているチームのリーダーであるが故に、こちら側へは口出しさせてこなかった。

 

「男子生徒と轡を並べるにあたって、引継を強行すれば新隊長へかかる負担はいかばかりとお思いかしら」

「……逸見エリカはその程度の重圧で潰れるような子では無い」

「あの子は確かに強い。貴女の"妹"程じゃないけれど、柔軟性も垣間見えるし。

 "余地"を思えば、任せて勇退するのもアリなんでしょう。でも今じゃない」

 

 "マンデリン"の香りを堪能しながら、氷室はコーヒーを一口、喉へ流し込む。たなびく金色の髪と、ギリシャ彫刻の如き造形の眼鼻、絹のような肌と、サファイアを思わせるブルーの瞳。

 見た目()()は完璧な女だ、本当に。中身は真逆。道端のどぶ以下と称するにまほとて躊躇わない。

 

「壁が崩れようとしているのよ、"戦車道"と"戦道"。この際は男と女?

 まぁどちらにしても、とっくの昔に多額の金子も動き回って、霞ヶ関の奥底でマムシたちが紙の上でとぐろを巻いている」

「そんなものを、連盟が黙って受け入れる筈が無い」

「本当に、そう思ってるの?」

 

 鈴の音色に似た、凛と鳴ったような声。それすらもイライラさせる。

 今回の無茶な興行の敢行を、戦車道連盟が承知するなどとはとてもでは思えないまほであったが、現実として試合が行われる事はメディアでも報じられている。

 推進している連中が、連盟に対してどう働きかけたのかを、学生であるまほが知る由は無い。黙ってはいなかったろうが、受け入れざるを得ない何かが起こった。そう見るのが妥当だろう。

 

 何せPTAやOB会もだんまりなのだ。

 

 異常な事態が大人達の間でも進行している、それは間違い無い。日本一の強豪校がバックを黙らせる程の何かが。

 

「貴女のお母さん、西()()()()()殿()と確認したのではなくて」

「……」

 

 そう言って、人差し指を己の唇に重ねながらまほへ問うてくる氷室の顔。膝の上の両手を、掌に爪が食い込む程の強さで握りしめた。あぁ、法なんてものが無ければ今すぐにでも縊り殺したい気分だ。

 

「私の家の事にまで、口出ししないでもらいたいな」

「えぇ~? 気になるじゃない、我が校できっての影響力を持つ"西住流"は」

「……白々しいな」

 

 母は家元、つまりは西住に携わる、本家と分家の顔役だ。独裁的な権限を持っている訳では無い。家を構成する諸家からの意見も聞かねばならない。その分家がいくつか賛成意見を唱え始めている。

 故に母個人の意思はともかく、実家が反対派として大手を振って動けない事態となっているのだ。

 それを、何故かこの氷室イルミは知っている。知りながらにして、こんな厚顔無恥な質問で問うてくる。お人形遊びをするかのように。

 

「ではこちらからも質問させてもらおう。何故、【第三帝国学園】と組む。

 しかもそれを今の今までひた隠しにしてまで。校内が今どういう状況だと思っているんだ」

 

 まほの問いに、イルミは微笑みで返してくる。その素っ首を切り落とせればと思ってしまうが、必死になってその怒りを御する。

 

「知りたいでしょうね、貴女の立場も。家の事もあるでしょうし。

 ……そろそろ、お客様がいらっしゃるから、お話はその時でも良いかしら?」

「ほざくな、狐め。【第三帝国学園】の要人だろう」

「だから、その人達も交えましょって言ってるの。

 まぁそんな事だし……()()()()()()()()()わよ」

「「……は、はい」」

 

 イルミは両脇で怯えるように控えていた副会長と広報を下がらせた。その時の顔は、まほを弄っている時の楽しげな表情が消え失せていて、床の上にある飼い犬・猫の"粗相"を見るかのようであり、かつ無造作だった。

 雲上から響く琴の音色が一転し、暗く湿った洞窟に鳴り渡る蝙蝠の鳴き声へと変じたかのよう。

 

「貴様……同期生だぞ?」

「お飾りの役立たずが? 冗談。

 貴女が副会長だったらよかったのに、って、ずっと言って来たと思うけど」

 

 冗談じゃない。そんな言葉を言いかけて、喉元に留め置きながら、まほはイルミの背中を睨む。生徒会長は部屋の戸棚から、大事そうに梱包されている菓子を取り出し、コーヒーの準備に取りかかっている。

 

我らは余裕で口笛を吹く(Wir pfeifen auf unten und oben)そして全世界が我々を(und uns kann die ganze Welt)

 呪おうと称えようと(verfluchen oder auch loben,)それは一時の慰めよ(grad wie es ihnen gefällt.)

 

 その表情には、これまでの彼女を知るまほにとっても初めて見る程の"色"が見えた。

 待ち人来たり、望みのもの与えられん。そう啓示を受け、気が狂った司祭のように。頬を紅潮させて、かつて無いほど幸せそうな笑顔を浮かべながら。魔性のモノに魅入られた哀れな子供。そんな風にまほには見えた。

 

「何をそんな嬉しそうにしている」

「……貴女には言う必要の無い事よ」

 

 戦車道のリーダーであるが故に、この場にいさせている。その意図する所はまほも大凡の察しは付いている。恫喝だ。男子から女子に対する。その矛先として容易されたという訳だ、このいけ好かない会長に。

 ただ、案山子になるつもりは元より無かった。この場へやって来るのがそれこそ『マンシュタイン』だろうが、『ヴィットマン』だろうが、心を転じて尻尾を振る事があってはならない。

 

 扉の向こう、廊下を何名かが歩いてくる音が聞こえる。

 

 その前に聞こえていた喧噪が、一斉に止んだ。ささやき声も、談笑する声も、それ以外の生活音の一切がピタリと。まるでこの部屋自体が一瞬で異界に引き込まれたかの如く。扉に近づいてくるのは、黒森峰女学園の生徒達をもそうさせてしまうだけの『何か』だ。

 まほは、身構えた。イルミは頬を緩ませて、扉の方へ向かっていく。

 開けるな。開けるな、氷室、開けるな。そう口に出したかった。扉の向こうにいるのは人とは思えない程の"どす黒い何か"を抱えたモノだった。人間の持ちうる悪意か、コレが?

 

「まぁ! よくいらしてくださいました!」

「お邪魔いたします」

 

 扉を開けた向こうに立っていたのは、一頭の獣だった。背に垂れる金色の髪は獅子のたてがみを思わせ、体躯は鋭さを感じさせるしなやかさを備え、眼はブルーの底が見えずまるで深海を想起させる。

 人間的な穏やかさが無い男だった。人の姿をしていながら人では無く、機械が人間の真似をしているかのような印象を抱いてしまう。それ程までに人間離れした印象を抱かせる存在。

 紳士的な佇まいでありながら野獣のようで、モンスターの如き存在感を放ちながらも柔和な香りで覆い隠している。

 

(この男は、皆に近づけるには"危険"すぎる。何故こんな者を中に……)

 

 全身が警戒信号を発し、思わず身構えるまほとは対照的に、それこそ花畑を踊るように軽い足取りで、氷室イルミが男の手を取って生徒会室へ招き入れる。なぜ、あんなおぞましい存在にそのような大胆な真似が出来るのか。

 

「ここへお招きできる事を心待ちにしておりましたのよ!

 ささ、お座りになってくださいな」

 

 そして何だその発情期の雌○のような顔は。あぁ、そうか。そういう事なのか?

 心中がグラグラと煮えたぎっていく。この顔。表情。声音。仕草に到るまでが示している。この女は、氷室イルミは"妲己・褒姒"の類いなのだ。加えて、男を惑わしたのでは無く惑わされた方向で。

 この場合は非道く改変した"八百屋お七"と言った方が正しいかもしれない。

 共に金の髪を蓄える男女の温度差も、ハッキリ出ていた。その存在全体で男へ奉仕の意思を示しているイルミとは真逆に、男の反応は()()()()()()をしている所から変わっていない。イルミにはそれが解っていない。

 

「頑張っているみたいだね、安心したよ」

「――ッ!!」

 

 金髪の男が、優しい声音でありながら、自動で喋るかのような印象を半分含んだ言葉をイルミへとかける。その刹那、ビクンとイルミの身体が反応した。褒められた、褒められた、と表情が砕け目の焦点がぶれ、頬が紅潮し始める。

 

(あぁ、コイツ……本当に○犬だったか)

 

 黒森峰女学園の生徒一同を、男に売り渡して関心を買おうとしている。色狂いの救えない女。まほは上座に男を座らせようとするイルミへ、内心ですら唾を吐きそうな気持ちを表に出さないよう必死になる。

 そのまほの表情をみやり、察した男は過干渉にすら見えるイルミのすりよりを静止した。

 

「今日の私はお客様だよ、それ以上は止しなさい」

「だって、()()。三年ぶりではありませんか」

 

 今、何と?

 

「愚妹の振るまい、お心を害したようで申し訳ありません」

「妹、ですか」

 

 この生徒会長は、兄弟姉妹がいるという身内の話をこれまで一度たりともした事が無かった。故にまほにとっても寝耳に水の話。機械のような男はいたって冷静に言葉を話すが、それがかえって不気味に見えてくるのが不思議だ。

 隣の生徒の表情だけを見て、身内の性格や行動からどういう感情を抱いているか、予測を付けたにしても。

 

「彼女からは、ご家族の事を聞いたことがありません」

「全く、この子は学校でもその様子でしたか。

 ご友人と呼べる者もこれでは……想像に難くありませんね」

 

 男は眉間に手を当てる。ショックを受けている風でいて、まるで響いているようには見えない。

 

「申し遅れました。お嬢さん(フロイライン)

 私、【第三帝国学園】が学園保安本部長。『ラインハルト・ハイドリヒ』と申します」

「黒森峰女学園・戦車道隊長の西住まほです」

 

 加えてコスプレ集団か何かか?

 武装親衛隊の上衣、勲章、肩章と襟章までも精巧に再現。コートをマントの様に羽織っている点だけが、現代男子の悪ノリ感を演出していた。ただこれはいかんせんやり過ぎではないかというのがまほの第一印象。

 それに人選も最悪の類いだ。笑えやしない。表情が自然と硬くなるのがわかる。ソウルネームにしたって、もっとチョイス出来る候補はあったろうに。

 戦車乗りとして尊敬している『ミハイル・ヴィットマン』も、所属はLSSAHであったし、どの人物にも評価しがたい側面があるのはまぁわかる。特にWW2期の人物は資料も多く残っている以上その部分が顕著な人は数多い。

 

 ただソレを差し引いても"ハイドリヒ"は無い。

 

 金髪の野獣。SD・秘密警察(ゲシュタポ)のリーダー。当時のドイツが政治警察権力を手中に収めていた故に実行された、政治工作・弾圧・迫害。その大半に関わっていた男。付け加えて言うなれば、ソビエト連邦にて行われたスターリンの大粛正にすら、一枚噛んでいたとすら目されていた。そしてその後のユダヤ人虐殺への布石すらも。

 つまるところ、WW2当時のドイツが暗部を一手に握っていた男の名前だ。

 

 名乗ること自体が正気と思えない。

 

「お聞き及びの事と存じ上げますが、この度我が校と御校とで盟を結ぶ運びとなりました。

 是非に、戦車道のまとめ役、西住まほ殿にはお会いしたかった」

「私は今回の件について、寝耳に水でした。校外演習から戻ってみれば、この様相でしたので」

「……イルミ、話していなかったのか?」

 

 ハイドリヒと名乗った青年は、じろりと氷室を見据える。目が笑っていない。

 

「話せば必ず反対されたでしょう」

「筋というものがあるだろう。彼女の面目が立たないではないか、半年以上も猶予があった筈だが」

「――っ!?」

 

 思わずまほは、手元が震えた。半年以上と言ったか? 今年の戦車道全国大会が開催される前から、着々と?

 一切、その気配が無かった。OB会からPTAに到るまで、大人達の間ですらその話は出てこなかったと母も言っていた。この1,2ヶ月以内で急に決まった話だと思っていた。ところがそうでは無いと言う。

 口から出た言葉でありまだ確証という訳では無い、だが今この局面で嘘を言う必要も無いのは確か。臍をかむほか無い。すでに黒森峰女学園は絡め取られていたという事である。この女狐のせいで。

 

「重ね重ね、うちの愚妹が申し訳無い。今更言っても遅いでしょうが」

「今に始まった事ではありません。貴殿が気にされる事では」

「そう言っていただけるとありがたい。

 本来であれば、こんな険悪な出だしは望んでいませんでした」

 

 そう言って、ハイドリヒもコーヒーを口にする。ひりついた空気だけは少しも緩むことが無い。この男のいる空間は、息が詰まる。

 

「御校の"機甲科"と、我が校の機甲師団が面々。話も弾むだろうと思っておりましたのに、かようなスタートとなってしまった事は残念至極であります。挽回の機会を戴けませんか」

「男子の方々が如何様な戦いぶりをなさるかは確かに気になりますが、私達と合うかどうか。男子の"戦道"についてはある程度聞き及んで降ります」

 

 真っ直ぐ、まほの瞳を見つめてくるブルーの瞳。やはり、最奥の光が見えない。奥底に潜んでいる意思が、暗黒ノ雲に覆われているかのよう。すぐに手を取ってはいけない。とったが最後、深淵に引き込まれる。そんな感覚がまほの背を思いっきり引っ張っていた。

 こういう時のカンは良く当たる。

 試合にあたっての"摺り合わせ"は確かに必要だ。だが、どういう形で合わせるかはこちらが決める。

 そうで無くてはならない、そこだけは譲れない一線だ。

 

 易々と呑んでしまえば、『女子で構成された一部隊』へと墜ちるのが見えている。

 

 そうなってしまえばそれはもはや『戦車道』とも呼べない代物へ成り下がる。

 

 今の自分は最後の牙城。女子の矜持を護る最後の楯なれば。

 

「しばし、時をいただきたい。私達は『戦車道』を歩む者。

 歩兵を伴う陣地構築も、対歩兵戦も、何より航空機からの被攻撃経験もありません」

「ふむ。対等というには確かに互いの情報はまだ足りません、か」

 

 ハイドリヒは至って落ち着いた表情で聞いている。無論、想定の内である筈だ。より強硬に抵抗される事だって考えていただろう。警戒される中、どこを引いて、どこを譲歩しつつ歩み寄るか。

 不平等条約だけは避けなければならない。ドイツ系住民がいるからという名目で併合されたチェコスロヴァキアのような目にあわぬために。

 

「かまいません。"親衛隊"の部隊構成に関しては後日届けさせましょう」

「……? まるで別の部隊もあるかのような物言いですが」

「我が校は親衛隊、そして"陸軍"と"空軍"。3つに分かれていましてね」

 

 そこまでコスプレせんでもいいだろう、と叫びたくなった。

 つまりは『国防軍』と『親衛隊』で同じ軍事組織ながら、公と私(党)で別たれていたかつてのドイツとそっくりな組織体系をしているのだ。何とややこしい事か。

 互いの組織に対して横の口出しは出来ないとも見て良いだろう。全ての決定権が『総統』に帰結していたかつてのあの頃のような。

 まほは、イルミを横目に睨み付ける。彼女はまほの話も、ハイドリヒの言葉も聞こえていないようだ。ただただ、ハイドリヒの顔を斜め前から見つめている。見惚れている。はらわたが引き裂かれそうな程の、痛みと怒りがまほを再び襲ってくる。

 

「陸の長と、空の長にも話しを通します。

 空の長は今日にでも、ここに来るかもしれませんが」

 

 そう言って、ハイドリヒは手元の携帯を見やった。どうやら、彼の部下から何かしらの報告があったらしい。

 

「"大洗"との対面から昨日戻ったばかり。

 黒森峰女学園にも関心はしめしていましたからね、彼は」

 

 今、大洗と言ったか?

 まほは思わず身を乗り出した。

 

「大洗にも既に手を付けたのですか」

「……あぁ、妹御がおられましたな。と言うより、男子の間でも"西住みほ"は注目されています。前線指揮の手腕においては、我が校だけでは無く他校でも引き入れようと躍起なようで」

「――ッ!!」

 

 血管のバルブが開かれたような感触。上がる体温、わき上がってくるこの激情。がんじがらめに絡め取るだけでなく、妹にまで。不動であれ、冷静であれと勤めるにも限界というものがある。鉄の掟、鋼の心と掲げても、どちらも溶かし尽くす程の業火をどう鎮めよというのか。

 

「お怒りになるはご尤も。しかしこちらとて事情はあります。

 他校より早く、かつ優位に。試合は既に始まっていると言っても良い。

 "夏の大会優勝校を味方につける"意味があるのですよ」

 

 わかっている。わかっているからこそ腹が立つ。

 アンガーマネジメントだ。落ち着け、呼吸を数えろ。そう自分に言い聞かせる。隣で面白そうな顔をしてこちらを見る女狐を視認する。今すぐにでも殴り飛ばしたい。ただ肉親の目の前でそんな事出来ようか。肉親の事で怒っているというのに。

 

「その空軍の長が、こちらに到着するそうです。

 イルミ、招き入れても構わないね?」

「えぇ、兄様。一人でも二人でも」

「……少しは警戒しないか。お前は女子生徒の学生生活を担う身なんだぞ」

「兄様が呼ぶべきと思ったのでしょう?

 なら私が反対する意味がどこにありますか」

 

 何の躊躇も無しの二つ返事。ハイドリヒも思わず眉をひそめていた。まほはと言えば、この女はこれ程まで愚かであったかとすら思い始めている。少なくとも今日この日までは、情け容赦が無くなった事を除けば、会長としての仕事は真っ当している女ではあった。

 戦車道においても予算や広報面では助けられていた事もあったのは紛うこと無き事実。衝突こそしたし、口出しこそさせなかったが、彼女も一線は越えて来る事は無かった。それも事実であるが故に困惑と怒りが入り交じっている。

 半年以上前から男子校との共同試合等という、双方にとって混乱待ったなしの決定をひた隠しにしていたというただ一点で全て帳消しだ。全て知っていた上で踏み入ってこなかったのだ。

 

 ――"兄様"が手を打ってくれるから。

 

 さて、男共が帰った後に、コイツをどうしてくれようか。そんな事を考えていた時だった。生徒会室の扉を誰かがノックした。小さく扉を開けて、哀れな"広報"がおそるおそる顔を覗かせる。

 

「氷室会長。第三帝国学園の、空軍(ルフトヴァッフェ)の方がお見えです」

「お通しして」

「……は、はい。どうぞ、こちらへ」

 

 広報の招きに従って、1人の男子生徒が生徒会室へと脚を踏み入れてきた。

 ドイツ空軍特有の、ブルーグレーの上衣が見える。親衛隊の黒衣から感じる圧迫感とはまた別の存在感が、生徒会室の中に広がって……

 

 

「――ぁ」

 

 

 まほの胸中で煮えたぎっていた感情が、一気に収まっていく。

 自分でも理由がわからなかった。ぽこぽこと胸中に湧いてくるコレは一体なんだろう。郷愁とも似ている。しかし根本的な部分を異にする何かだ。みほと一緒にいる時や、かつてまだ厳しくなかった頃の母、そして父と食卓を囲んでいた時の安堵感にも似た感覚の芽が湧いた。そんな気がする。似ているがどこか違う。

 怒りで増していた脈拍が落ち着いていく。しかし少し早いままだ。

 ふとした瞬間に、心の蓋から何かが零れ出てくる。コレは一体何だろう。

 獣のような印象を含んだ顔だった。部屋の中に先にいた、『野獣』の方が造形という意味では確かに完成されているのだろう。ただ、後から入って来たこの空軍将校の衣服を纏った男の顔の方が、より生物的な美が溢れているように見える。

 

 人とは不公平に出来ている。不思議とそういう感想も出てきた。

 

 先ほどまで考えていた、氷室イルミへの罵倒の言葉を忘れる。

 ハイドリヒと名乗った亡霊のような男が発した声音の不気味さすらも、頭から消える。煮立っていた憤怒の情が、ゆるゆるとぬるま湯の中に沈んでいく。熱い湯の上に浮かべた綿飴のように、さらりと溶けていくのがわかる。

 慌ててやって来たのだろう。少しばかり汗の臭いが残っていたようだ、ふわりを鼻腔をくすぐったその臭いにすら、不快にならない。

 

「紹介します、我が校の空軍が長、兼『第二地上攻撃航空団』が司令。

 『ハンス・ウルリッヒ・ルーデル』大佐です」

「よくおいでくださいました。

 黒森峰女学園、生徒会長の氷室イルミです。こちらは……」

「黒森峰女学園、機甲科。戦車道の長、西住まほです」

 

 必死に、体面は崩さない事に努めねばならなかった。感情の処理が極めて難しい。

 まるで"振り子細工"になったのように揺れる心の、芯を止める事に集中しなければ崩れてしまいそうだ。浅い夢の中で、上手く動かない手足を動かすかのよう。

 

「ご紹介にあずかりました、ルーデルです。

 黒森峰女学園、戦車道における数々の戦功は聞き及んでおりました。

 隊長……西住流の方とは是非にお顔を会わせたかった」

 

 とくりと、胸が鳴った。何だコレは。

 振り子が独りでに動き出す。止めても、止めても、止めても。目を合わせるのがこれ程まで難しい事だったろうか。目を合わせなければならない、それなのに面はゆい。面と向かい合う時、妙な感覚がする。

 恥ずかしい。それがおかしいとわかっているのに、振り子が止まらない。

 鋼の意思で、己の心臓を止めるかの如く勢いで自制せよ、自制せよと言い聞かせる。それでもなお振り子がとまらない。

 

(落ち着け、落ち着け。()()()()()()()()()()()()()()を持つ男だ。

 何を臆する、西住まほ)

 

 自分は臆している。一瞬でも恐怖したのだと、己に言い聞かせる。全くもって恥ずべき話だ。コレは修練が足りない証拠である。

 しかしわからない。目を合わせると羞恥心が勝るにもかかわらず、目を離そうとすると今度は身体がそれを拒絶しようとする。この仕組みが一体何なのか理解が出来ず、混乱する他無い。

 不思議な心持ちだった。先ほどまでの、"憤懣"でうねりを見せていた大波が、さっと引いて"凪ぎ"となり、今度は"清流"の如き穏やかさを見せ始めている。コレは一体どういうものなのか。

 

 わからない。

 

 戦車道の試合が後で、仲間達と共に酌み交わすノンアルコールビールの一杯。あれを飲み干した後の高揚感。それともまた違う、綿毛の上に寝るかのような浮遊感。心が軽くなる。思考がやや緩むのも同時に感じ始める。

 

 これは危険だ、この男は私にとって危険だ。

 

 理由はわからない。わからない。わからない。

 

 どう猛な獣だ、目の前にいる男は。それを理解しながらもなお、草原を駆ける汗血馬の如き爽やかさと、鋼鉄の鎧と槍を掲げる武人の高潔さ。それに加え、燃え上がる感情がふつふつと、金属の間から漏れ出ているのが解る。

 隣の野獣とは違う。

  西住まほという女から見て、初めて見る類いの男。

   父とも違う、別種の男。

 

 この男は危険だ、極めて。思考を乱してくる。

 

 清濁併せのむ光を宿した瞳は、とても綺麗だと思った。

 

 

 

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