「それ」は不意に顕れた。
なんの前触れもなく、まるで魔法のように突然その世界に存在を書き出されたのだ。
異形の身体に似合わぬほど静かな寝息は周りの鳥たちを油断させ、やがて中断していた求愛の鳴き声を再度森の中に響き渡らせた。
どこだ…ここは…
光りに包まれた微睡みの中徐々に意識が覚醒し始める。
はたして終わることのない地獄の業火に身を委ねどれほどの時間が経ったのだろうか。
無限に続く苦痛の中、何者かの手につまみ上げられ何処に放り込まれたような感覚だけを憶えている。
眩しい光によって次第にはっきりとした景色が目に映る。朝鳥の鳴き声が聞こえる。陽光に照らされた木々が風を受けて揺らいでいる。
懐かしい光景だ。最後に見たのはいつぶりか…。
「…朝?」
そこまで考えた瞬間、反射的に飛び起きる。
朝日は駄目だ。焼かれて死んでしまう。400年間己を呪い続けた力の代償を忘れるはずもない。どこか、どこか日の当たらぬ場所に身を隠さねば。
慌てて木陰に飛び込み身体を癒やすことに集中する。しかし、一向に待てども怪我が治るような気配はなかった。
当然だ。彼は怪我などはじめから負っていない。
「これは……どういうわけだ?」
自らの身体の異変に気づいた男は
変化はない。何一つ変わらない。
疑念を確信に変えた彼は、そのまま思い切って太陽の下に踏み出す。
「やはり効かぬ……太陽の光が効かぬ…!」
感動。あるいは興奮か。ぼやけた頭では言い表せぬ程の思いを胸についあたりをぐるぐると歩きはじめる。
太陽の光が効かない。理由はひとつとてわからない。だがしかし、確かに自分は鬼を超える存在となったのだ。
日光を克服したとは
無敵、最強、敵なし…遂に誰も私を負かせる者はいなくなった。敵がどれほど強かろうと戦い続ければいつかは必ず勝てるのだ。まごうことなき無双の存在。
勝てる。誰であっても。たとえそれが鬼の王でも。たとえそれがあの弟であっても。
そうだ。私だ。私こそが。
「天下一の…」
…………
そこまで思考して、男は我に返った。
天下一の…なんだ?
家も妻子も人間であることも捨て辿り着いた境地。
勝つためならかつての仲間…どころか己の子孫だって文字通り切り捨てたのだ。
そしてなにより…
「侍…だったのだ」
直後に脳内に蘇る最後の記憶。
追い詰められた先に至った領域、桁外れの強さ。
しかしそれは自分の望むものとは程遠い代物だった。
私は縁壱になりたかった。
なれると信じて努力した。
その先に用意されていたものが「アレ」だった。
ふらりと倒れ込むようにして近くの水溜りを覗き込む。
やはりというべきか、そこには今際の際に見た怪物の姿が映っていた。
まるで知性を感じさせぬ異形。あちこちから棘が生え、ウネウネと血管が
地獄の刑の一つに自らの性根をその姿に反映させる罰があるといつかに聞いた。
であれば嫉妬と憎悪に燃やされ続けた醜い心はどう見えるのか。
「ふっ…ふふ……成れ果てたか」
冷めた笑いが口から漏れ出る。
生き永らえた理由は知らぬ。しかしこのまま生きた先など容易に想像がつく。
これからの私の生は
太陽を克服したからなんだというのか。
確かに理論上は縁壱すら殺せぬ存在となったのかもしれない。
しかしそれは縁壱ではない。
並び立とうが超えようが縁壱になれたとは言わない。
結局私は何も残せなかった。何者にもなれなかった。
この力を持ってこれから先の人生で何を為せるのか。
できることといえば精々人食いの怪物として君臨し続けることだけだ。
滑稽也。もうよい。終わりにしよう。
目を閉じ死を受け入れる。
身体の再生能力を極限まで落とし崩壊を待つ。
静寂。
ふと、気づいた。
「どうやって死ねばよいのだ…?」
これは彼が、黒死牟と呼ばれた鬼
継国巌勝がとある世界線で様々な出会いと別れを経て
再び人間を目指す物語である。