ベルたちがオラリオ崩壊から世界を立て直すのは間違っているだろうか   作:フリュネの出番はもうない

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突き付けられた弱さ

 キーンと耳鳴りがする。

 頭蓋骨の中で存分にシェイクされた脳は思考を纏められない。

 

 分かりきっていた結末だった。

 敵は圧倒的なまでに強大で、それに対して、僕はどうしようもないほどに矮小な存在だった。

 ハーピィを肉壁にした上で、深刻なダメージが残っている。

 

 頬に地面の感触を感じる。

 砕けた拍子に散らばった小さな破片たちが、まるで僕の無能を嘲笑うかのようにチクチクと突き刺さる。

 

 何かを為せると思っていたのか。

 この行動に意味などないというのに。

 バロールの進路が変わるかなんて、これでは分からない。

 これまでの進路に意味があるのなら、僕という敵がいなくなった今、バロールがこの方向に進む理由はないのだ。

 

(眠い、な……)

 

 耳鳴りが酷くなっていくと共に、意識が拡大していくようだった。

 このまま目を閉じれば、落ちるように死ぬことができるのだろうか。

 

 よくやったじゃないか。

 もうこのまま眠ってしまっていいじゃないか。

 

 甘い誘惑に誘われ、力を失っていく指先が地面を掻いた。

 

「ゃ……だ……!」

 

 屈しようという肉体に対して、心は駄々をこねる。

 このまま曖昧になった意識の中で、痛みなく死んでしまうのが楽な筈なのに。

 

 指先に感じる地面の感触は、意識を再構成させるには十分だった。

 明瞭に戻り始める思考。彼方にあった痛覚が再びぶり返す。

 

「死にたく、ない……!」

 

 みっともなく地面に転がる僕を天界の神々は笑うだろうか。

 震えながら生き足掻くことを滑稽と思うだろうか。

 

「何もしないまま……死にたくない……」

 

 僕を突き動かすのは格好のいい信念ではない。

 原始的な生存本能だ。

 

 身を起こし、震える手でポーチを探る。

 回復薬(ポーション)は割れていない。幸運だった。

 乱雑に蓋を開け、中の液体を飲み干す。

 

 そして、まやかし程度には軽くなった足で立つ。

 上に向いた視線の先には、バロールがまだいた。

 幸い、背を向けているということはないようだ。

 

 呆れて帰ってしまったということはなかったらしい。

 途中で気絶していたのか時間の感覚は曖昧だったが、まだ然程時間は経っていなかったのだろう。

 

 僕個人としては不運で、囮役としては幸運だ。

 まだバロールには意識を割く相手だと思われている。

 皆の所にこいつを行かせないように足掻ける。

 

(誘導……西へ……)

 

 走り出す。

 駆ける際の振動で脳が揺さぶられる感覚は、吐きそうなくらいに最悪だが、文句を言っている場合ではない。

 

 ただ、無心で西に向かう。

 バロールはそれを律儀に追いかけてくれた。

 

 時折来る熱線や、はたき落としをどうにか避けながら、真っ直ぐに進めていない足取りで皆がいない西へ。

 

 ベストコンディションとはかけ離れた敏捷で逃げ延びる。

 

(今の僕で逃げ続けるのは、このままだと不可能だ)

 

 このままやるのがダメならば、方法を工夫しなければならない。

 万全ではない肉体。自らの内から出せる手札では足りないというのなら、他から持ってくるしかない。

 僕は追い詰められてからは、自然と己の外側に目を向けていた。

 

(この地形、ただ平坦な訳じゃない。丘とは言えないほどの高低差、利用できないか……)

 

 バロールはどう動くか。

 予測して、それに適したルートを選択して再思考。

 これまでになく頭を回した。

 

 傾斜により進むスピードが上がった後、背中に強烈な風が叩きつけられる。

 炸裂する音から、バロールの手が地面を砕いたのだということが分かった。

 

 かと思えば、直線に進む僕に熱線を撃とうしたバロールが、巨体のバランスを取りにくい凹凸の激しい地に入ってしまったため、溜めていた熱を霧散させた。

 

 そんな、強者には程遠い、くだらない小細工をいくつ弄しただろうか。

 体中に傷を増やしながらも、心臓の鼓動を止めないようにと繋いだ命は、大きな森林の前に立った。

 

(誘導はもう十分、リリ達はバロールの進路から逃げられた筈。ここからは、僕が生きるために足掻く)

 

 これが最後の駆け引き。

 通じないのであれば 僕はここで屍を晒すことになるだろう。

 

 振り向いて魔獣を見る。

 半ば、嫌がらせのような駆け引きに、苛立ちを最高潮まで募らせるバロールは多少の立地の不安を無視して、只人を消し炭に変えてやろうと吠えた。

 

 そこに、僕の砲声を重ねる。

 

「【ファイアボルト】!!」

 

 限界まで練っていた魔力を解放する。

 迸るのは雷を模した炎。その18連撃。

 ランクアップにより上昇した魔力。強化された速攻魔法の限界を引き出し、バロールの怪物を奇襲する。

 

 赤い死の魔眼が唸る。

 超高熱により空気中にプラズマを発生させながら、古代の英雄達を天に召させた攻撃が迫る。

 

 【英雄願望(アルゴノゥト)】の強化を受けていない魔法では、初撃のように相殺することなど望むべくもない。

 そんなことは分かっている。

 

「くっ……!?」

 

 だから走った。

 これまでに貯めていた微かな力をここで一気に振り絞る。

 

(お願い、当たらないで……!)

 

 願いは届いた。

 熱線は標的 から小さく逸れ、大地に小さな半円を描く。

 

 先のファイアボルトは熱線を打ち消すことではなく、狙いをブレさせることこそが本当の目的。

 走る標的に対する時は高難易度の技術だ。だからこそ、ほんの僅かでも体がブレれば外す確率は高くなる。たった一人のヒューマン相手なら尚更。

 

 抉られた地面から飛び跳ねる土の破片が横殴りしてくるのを感じながら、森の中に飛び込んだ。

 自分が想像していた以上の速度が出たのは、きっとレベル4になってから取得した【逃走】のアビリティの効果だろう。

 

 無心になって足を動かす僕は、背中から強烈な圧力を感じて光を溜めた足先で地面を蹴る。

 そして、爆発。

 

 森の木が吹き飛ばされるその様は、まるで唐突に竜巻が現れたようだった。

 僕も風に吹き飛ばされそうになりながら、草むらの中に転がるように飛び込んだ。

 

 そして、息を潜め身動きを止める。

 

(気付かないで……!)

 

 バロールからは僕の姿は森に入った瞬間、見えなくなっていた筈だ。

 だからあの一撃で僕は死んでいると誤認させる。

 上級冒険者ですら欠片も残らない高火力だからこそ、奴の生死確認はその場を直接見る以外にない。

 

 暴風は収まり、シンと森の中は静まり返る。

 砂埃が発生する中、僕はバロールの視線に怯え続けた。

 

 怪物の息遣いが聞こえてくる。

 頭がおかしくなりそうな中、早く行け早く行けと必死に祈る。

 

 押し殺す吐息と震える体が、小さく音を作った。

 大きな森の中では雑音以下のそれが、今の僕にはどうしようもなく大きく感じられる。

 

「ハッ、ハッ……」

 

 首筋に鼻息を感じる。

 バロールではない。もっと小型のモンスター。

 狼型のモンスターと言うと、ヘルハウンドだろうか。

 

 階層主には見つからなかったが、この森に元々いたモンスターには偶然見つかってしまった。

 だが、倒すために動けばバロールに見つかるかもしれない。

 

 だから死体のふりをして耐える。

 ガブリと手首を噛まれても、微動だにしてはいけない。

 

(行け、行ってくれ……)

 

 ジクジクとした痛みに急かされながら、僕は脅威が去るのを待つしかなかった。

 

 どれだけしただろう。

 気がつけば、冥府の冷気を伴っているようなあの気配は消えていた。

 

 いつまでも噛み続けているヘルハウンドの頭を掴み、地面に叩き付ける。

 身を起こし、木の葉の隙間から太陽を見れば大分傾いていた。

 

「……逃げ延びた?」

 

 少し身構えていても迷宮の孤王の襲撃はない。

 どうやら、うまく誤魔化せたようだ。

 

(皆に合流しよう)

 

 バロールに見つからないように大きく迂回して進む。

 最悪のピンチだった。だけど囮役を全うできた。

 望むべくもない最善をテニイレルことができた。

 

(……っ)

 

 なのに、どうして涙が出るんだろう。

 

(運が良かっただけだ……!)

 

 最後に逃げ延びたことは駆け引きの結果なんかじゃない。

 拙い小細工に運が重なっただけ。

 ボタンが一個でもかけ違えば死んでいた。

 

(畜生……)

 

 必死に逃げ回って。

 怯えながら息を殺して。

 挙げ句、モンスターに噛まれても死体のフリをやめないで。

 

 こんな無様な奴が今、この世界にいるだろうか。

 この身は道化でしかなかった。

 

(畜生)

 

 足が速い。

 加速させられている。

 

(畜生)

 

 背中が発熱する。

 それは発展アビリティの項目だ。

 ……【逃走】だ。

 

「畜生……っ!」

 

 僕は逃げている。

 ステイタスがそう告げてきた。

 

 手首には狼の歯型。

 何時間も噛まれて、ぐじゅぐじゅになっている。

 みっともない臆病傷だ。

 

 流れる涙と震える声。

 僕は今日、自分がどうしようもなく無力だと知った。




 ベルの手が噛みちぎられていないのは、地上のヘルハウンドはまだ劣化したものしかいないためです。なので、大した怪我にはなっていません。

 そんな何時でも殺せるヘルハウンドを放置してまで、死体のフリを続けたという事実が、彼に一層の情けなさを突き立てているのですが……
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