「来栖くん、どうして君がここに……」
縁伯父さんは明らかに動揺している。
ここに来るはずのない人物が目の前に現れた事が、よほど信じられない様子だ。
「伯父さんにどうしても聞きたいことがあって、今日はここまで来ました」
「どうやって此処を? 君は今まで来たこと無かったはずだが」
「それについては、私から」
すかさずリンゼが会話に割って入ってくると同時に、俺に見せた物と同じ名刺を差し出す。
「探偵をしております、リンゼ・神嶌です。この度は彼の依頼を受けて、不躾ながらアナタの家を調べさせてもらいました」
「探偵? そんな物まで雇って、どういうつもりだ来栖くん」
「言ったでしょう、アナタからじゃないと分からない事があるんです」
縁伯父さんは素性が知れない。動揺が残っているうちにどんどん会話をこちらのペースに持っていって、断れない状況を作る必要がある。
「野々原ミサキという人物について、アナタが知っていることを教えてください」
「…………その名前を、どこから」
短い返答だが、明らかに見過ごせない間があった。
間違いなく、伯父さんは野々原ミサキについて十分な知識を有している。
「何処で聞いたかは関係ありません。必要なのは、野々原ミサキが何者で、家族とどう関係があるかという事です」
「どうして私に聞くんだ、ご両親にまず伺うべき話じゃないのか」
「両親には聞けません。直接2人の口から聞いた名前では無いので」
「……なら、私から勝手に話すわけにいかないだろう。そもそも、こうやって人の家を勝手に調べ上げてくる行為がおかしいと思わないのかい、不健全だ」
……厄介だな。動揺しながらも冷静さを取り戻しつつある。
このままでは、たとえリンゼが口八丁手八丁海千山千何をしても、家に入れるどころか話を聞くことすら叶わない。
だったら……事前にリンゼから聞かされた情報を、使わせてもらうだけだ。
「俺には言えない理由があるんですか──渚には話しているのに」
「なっ──君は、どこまで……」
出た、焦ってボロが。
語るに落ちると表現するのに十分過ぎるだけの失言を、伯父さんは晒してくれた。
「渚が、月に何度かここに来ていることはもう知っています。読モの稼ぎを普段どうしているのか気になってましたが、まさかコスメ以外に伯父さんの通い妻代に溶かしていたなんてね」
できる限り厭味ったらしく。
イメージは俺を追い詰めようとしていた時の、咲夜の様な雰囲気で。
「到底、健全な事とは言えませんよね? それこそ、父さんや母さんは知ってるんですか? 年頃の娘が毎月何度も何度も、密かに親戚の家に浸ってるなんて知れたら──」
「……分かった。もうそれ以上、悪どい振る舞いはしなくていいよ」
玄関を大きく開けながら話す伯父さんからは、諦観の匂いがした。
「入ってくれ……そこの、
第一関門にして、最大の難関を乗り越えることに成功した。
──靴は靴箱にしまって置きなさい。
そう言って、俺達をリビングまで案内すると、伯父さんは一旦キッチンに向かった。
フカフカとしたソファに腰を落ち着けてから、少しソワソワする気持ちを宥めるように部屋や廊下を眺める。
誰か一緒に暮らしてそうな質感。
それが、伯父さんの家に入った最初の印象だった。
老齢の男性がひとり暮らしする家とは思えない位に、部屋のあちこちから誰かの干渉を感じる。例えば玄関口に花瓶で飾られた花は季節のもので、よく手入れされているのがひと目でわかる。スリッパは彩り豊かな4種類が立て掛けられて、床のカーペットは
伯父さんが小まめに1人で掃除しているか、ハウスクリーニングを頼んでるだけだと思うこともできるけども、それでは納得しにくい理由は主に2つ。
1つは、先程の小物類の柄やデザインがどことなく、女性の選んだものっぽさがあるから。
家の壁をターコイズブルーで染めてる人が選んでるのだから、そういう事もあると思えなくもないが、それにしても、男性のひとり暮らしでわざわざこれを買わないだろう……という物があちこちに点在している。
「これを。もう少し飲みながら待ってなさい。今お茶請けを持ってくるから」
そう言って伯父さんがテーブルに置いたコーヒーの入ったマグカップなどまさに。
60過ぎの男性が、デフォルメされた黒猫のマグなんか買うわけが無い。
もし本当に自分のセンスで買うような人なら、ここでお出しされるのは人を選ぶブラックコーヒー(砂糖ミルク無し、要るかどうか聞く事もない)ではなく、ミルクティーないしカフェオレだ。
2つ目の理由は更にわかりやすい。匂いだ。
玄関からリビングに掛けて、いい香りがずっと漂っている。これは母さんがよく使ってる物と同じ、アロマディフューザーからのものに違いない。
あとスリッパも、最初履こうとして手に持った時にふわっと芳香剤の香りがした。洗ったり消臭したりまではともかく、男性がひとり暮らしで芳香剤まで意識するものか。
この家には、女性の手がつけられていると断定して良いだろう。
……それが誰なのかなんて、流石に今更考えるまでもなく。
「先輩。もし私と考えてることが同じであれば、とても嬉しいのですが」
「きっと同じ事を考えてる。渚は随分とこの家を」
「家が、どうかしたのかい」
俺とリンゼが見解の一致を確認するよりも先に、お菓子が山盛りに載ったおぼんを持った伯父さんがリビングに戻ってきた。
「いえ、かなり綺麗で広いなと……うちも家で家事は分担してますが、どうしても雑多な生活感が出てくるので」
「そうか、ありがとう……と言っても、お察しのとおり渚が勝手に手入れしてくれててね。僕一人ではこうもいかない」
「食器なども?」
「たまに人から貰うものを使ったりもするよ。そのマグカップなんかはそうだね」
「……ちなみに、家の色は?」
「当時の僕がね……後悔はしてないけど、今の自分なら選ばない色だ」
本題以外に、本当に気になる事も聞けてよかった。
「それで、今日はこんな話をするために、ここまで来たんじゃないだろう?」
おぼんからチョコクッキーを取って口に運びながら、伯父さんが尋ねる。
先程からいっさい変わらない声の雰囲気だが、目は口ほどに物を言うもの。
伯父さんのまっすぐこちらに向けられた視線がありありと語っている。『さっさと全て終わらせたい』と。
「……ですね。その前に今更ですが、今回の無礼を謝らせてください。不健全なのはその通りです、すみません」
「いや、良い……。正直、いつかこういう日が来るような気はしていたんだよ」
伯父さんはコーヒーを一口啜って、テーブルに優しく置くと、もう玄関先で見せた動揺は消えてすっかり落ち着いた雰囲気で言った。
「君からの問いには応える。だけどその代わりと言っては何だが、先に幾つか質問をさせて欲しい。構わないかな。どう答えても、必ず話はすると誓うよ」
「はい、構いません」
「まずどうして君は、野々原ミサキについて知りたがっているんだ」
「……渚が、おかしくなっている理由を知りたいからです」
ほとんど本当だが、一番大事な部分──つまり、渚が母さんを殺そうとする理由に関わっている可能性については、当然隠した。言えるわけないのだから当然だが。
「渚……そうか。なるほど」
「どうおかしくなってるかについては、伏せさせてください。彼女の内面に関わることだし、話の趣旨がずれると嫌なので」
「構わないよ……でも、そうか。君は僕が思っているよりずっと、”お兄ちゃん”をしてるんだね」
「……家族ですから」
「家族か……」
息を漏らす様にしみじみと呟くと、伯父さんは再度マグカップを口に運んで一呼吸置いて、今度はカップを持ったまま言葉を続けた。
「君がそうハッキリ口にできるほどの愛着を野々原家に持っているのは、奇跡かもしれないね。君たち野々原家はいつも、薄い氷の上で辛うじて成り立っていた物だったから」
「……どういう意味ですか」
「渚は、夢乃さんを殺そうとしているんだろう?」
「っ!」
「あぁ、さっきの意趣返しってわけじゃないけど、私は知っているんだ。ずっと前から彼女から、打ち明けられているからね」
「思っていた以上に、親密なご関係のようで……兄としては非常に複雑ですが」
言いたい事はもっとあるが、それを口にしていたら幾ら時間があっても足りない。
ここはグッと堪え……てる気はしないが、ともかく我慢して伯父さんの質問に答えるのを優先するんだ。
「さて、次の質問だ。野々原ミサキについて知った後、君はきっと渚が夢乃さんを殺したがっている理由についても、一定の理解を得るはずだ。そうなった場合、君は渚をどうしたい?」
「止めます。それ以外の選択肢は、最初から持ち合わせていません。……それに、何を聞かされようとも、俺が家族を殺そうとする人間の気持ちに、理解を示す事もありません」
「固い意志だね。そこまで君は今の野々原家が好きなのか?」
「愚問です。母親を見殺しにする気も、妹を犯罪者にする気も、どちらも毛頭ありません」
「全てを聞いた後、もう同じように家族を愛せなくなったとしても?」
「……そういう、話になるんですか」
「大好きであればあるほど、ね」
単なる脅しで言ってるとは思えない。
伯父さんの言葉は俺を試すと言うよりも、覚悟を持てと事前に伝えているように聞こえる。
冗談やハッタリではなく、本当に俺が家族に幻滅するような事を話すんだと、言外にそう伝えているのだと分かった。
それに対して俺は考える。考える時間は無いに等しいけど、ほんの一瞬だろうと想起する。
自分が野々原家で過ごしてきた時間を、両親が与えてくれた愛を、妹が向けてくれた信頼を。
もし、野々原家という箱庭の底に耐え難い事実が埋まっていたとして、俺がやろうとしているのがその事実を掘り起こす行為だとしても──。
「変わりませんよ。過去に何かが──取り返しのつかない事があったとしても」
「どうしてだ?」
「あの人達が、俺を野々原家の長男として愛してくれた。その事実だって同じように覆しようが無いからです」
「その恩に、報いたいということか」
「はい。両親を嫌悪するのも、憎悪するのも、全てはその後で良い。このまま何も知らないで渚と母さん両方を黙って失えば、きっと何よりも俺自身に失望しますから」
「…………はぁ」
伯父さんは俺の言葉をどう感じ取ったのだろうか。
青臭い子どもの戯言か、あるいは──。
数秒にも、数分にも感じ取れる沈黙の後に、もう一回息を吐いてから、伯父さんは口を開く。
「分かった。それじゃあ、最後の……そして最も大事な質問だ。心して聞いてくれ」
「はい……っ!」
さっきよりも大事な質問。一体何を聞かれるのかと嫌でも身構えてしまう俺に、伯父さんは言った。
「──輪廻転生って、信じる?」