夜牙最下層。そこに何があるのかという疑問は、夜牙が建造されてからの約半世紀、一度や二度は誰もが抱く珍しくないクエスチョンであると同時に、決して大っぴらに話してはいけないタブーでもあった。
何故なら、その話題はこれまで一度もマスコミはおろか、ネット上でも語られる事が許されなかった為である。
それ故、夜牙最下層のナゾは、現実世界で小さな声によって、都市伝説として語られてきた。しかしそれも信憑性が有るのか無いのか、最下層には国の要人専用のシェルターがあるという現実的な説も在れば、捕獲した異星人の収容施設だ、と非現実的な事を主張する物まで様々。ネットや地方の隅々から拾い上げ数えれば、数百数千にのぼるであろうその説々は、根拠が余りにも少なすぎた。
だが、実際には誰もが思いつきそうな、だが夜牙で最も大切な物がそこには安置されていた。
それは、夜牙を制御する三台のスーパーコンピュータ、そしてそれの補助に回るサブコンピュータ六台。帝国軍所有の軍用スーパーコンピュータ二台。加えて政府機密の詰まった隔離データベース。
夜牙の心臓、政府関係者はここをそう呼ぶ。
山吹セイが卒業を迎えたこの日、夜牙とこの国を支えるこれらのコンピュータのうちの最も性能の高い、去年導入された最新軍用コンピュータが、限られた関係者以外には秘匿にされた、定期点検及び防壁の更新作業を行っていた。
(STEP-13へ移行、接続解除、防壁を一時無効化。物理的隔離を開始)
自動音声がそう告げると同時に、天井から張り出してきた白く光る壁によって、何十列にも並んだ黒い箱が隔離される。隔離された軍用コンピュータ『香龍』は、昨年導入された自己判断プログラムを一部採用した、情報統合の役目を担う世界一のコンピュータである。このスパコンは広い範囲に展開する軍のレーダーや各種センサーの情報を全てここで統合し処理。状況判断に、試験的に導入された模擬人格を使用し、集められた多くのデータを裏付けに高い精度でこれから起こる事を予測できる、国軍省の虎の子だ。
「こうちゃん」と作業員たちにあだ名をつけられた香龍は、予定外の防壁更新の真っ最中だった。
『しっかし、面倒なもんだぜ』
香龍のシステム内部に意識を潜らせ、防壁のチェックに向かう作業員二人の片方が呟いた。足ヒレを着けて、暗い湖としてヴィジュアル表示される香龍の奥底へと沈んでゆく彼は、実に退屈そうだ。
その相棒は足ヒレを軽く動かしながらそれを聞き流す。
二人の時折吐く気泡がリアルとは違って即座に水に溶けて消えてゆく点のみが、ヴィジュアル化された仮想空間に二人がいる事の証拠だ。その他はあまり現実世界と変わらない。水を飲めば溺れ死に、装備無しで潜れば水圧で潰され、水は冷たく感じられる。
『なんか言えよ』
脳内に直接響く声がさっきよりも強くなり、やっと相棒が答える。
『うるさい』
『ったく、面白くないな』
私語厳禁の規則を軽々破る検査官に対して、彼らを現実世界のモニタの前で見守る監視官は喝を入れた。
「I-2、任務に集中しろ。これはいつもの定期検査とは状況がまるで違う、下手すると死ぬぞ」
『しかし監視官、OFFの日に呼び出されたこっちの事も考えてくださいよ』
「黙れ、この事は後で上に報告しておく、覚悟しとくんだな」
監視官は苛立った声でこう言い放った後、ここで一方的に回線を切り、モニタを心配そうな目で見つめた。モニタには赤く光る円と、それを取り巻く幾重ものバリア、そしてそれに刻まれた谷のような傷と、赤い縁に近づいていく緑の光点が表示されている。監視官の目は、バリアについた谷に向いていた。
彼は十時間前、今回の臨時防壁更新の原因、バリアに傷をがついた訳を思い返した。
「本当に、何だったんだ…あれは…」
十時間前、香龍はいつものように海軍の各艦隊からの情報を処理し、日本領海への
しかしそのプロセスは突如乱れた。
突然、香龍の制御室の照明がすべて落ち、非常電源による赤い光が非常事態を告げる。電源不足で仕事の遅れた警報機が、数秒の間を開けて叫びだす。
「何があった、説明しろ!」
士官が叫ぶが、未だ状況の分かる者は一人もいない。脳を香龍に繋いで監視をしていた作業員たちが、一斉にシンクロレベルを深化させて調べ始めると同時に、香龍の自己検査システムが原因を突き止めた。
『システムへのハッキングを確認、第一防壁を侵食中。対象は不明、演算速度はLEVEL.9クラス』
制御室のメインモニタにグラフが表示される。それを見た情報部の人間は絶句した。
「何だこの処理速度は…有り得ん…」
帝国最強と呼び声高い六重プロテクトウォール、その中で最も硬い第一防壁が、見る見るうちに溶かされてゆく。士官も、責任者も、作業員も、皆手を必死に動かしていたが、その驚きゆえ時間が止まったような錯覚を引き起こしていた。
「作戦破棄、演算能力全てをハッキング対処に注ぎ込め! 防壁の再構築急げ!」
「再構築が間に合いません、相手の演算速度、更に上昇」
「追加防壁を展開、傷口に集中させろ!」
「だめです、追加防壁もカットされました!」
「このやろう…化け物か…」
指揮を執る責任者は喉から絞り出すように声を出す他無かった。こうなれば残された道は限られている。
「緊急事態マニュアルB-03より、統括者権限で天龍と宝龍を香龍に接続。香龍のバックアップだ、急げ!」
責任者の傍らで事態を見守っていた士官が声を荒げる
「貴官!! 気は確かかか!? 両機とも現在太平洋沖合での訓練に参加中、一方的な切断は陸海空との信頼崩壊に繋がるぞ!」
「しかしこのまま香龍を喰われる事の方がもっと問題です、訓練は蒼龍に飛龍で十分と考えます」
「だがな…」
二人の間に割って入るように、作業員が接続完了の合図をする。
「回線開け、両機の演算もすべて香龍救援に回すんだ」
その声と同時に、世界トップクラスのスーパーコンピュータ三台の並列処理が始まる。苦々しい表情の士官だったが、やっと相手と対等になりつつある演算速度と防壁回復に、少し落ち着いたようだ。
「相手の相対速度低下、九十五、九十・・・」
「防壁修復進行、あと二分もすれば傷は閉じます」
それを聞いた責任者は肩の力を抜いた。
こうして、十時間前の突如かつ大規模な電子戦は、五分足らずで収束へと向かった。
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相棒の一言で検査官の間に沈黙が流れて数分。やっと第一層の防壁が見えてきた。
『痛んではなさそうだな』
金属製の分厚い壁として表示される防壁は、平常時と変わりなく美しい白光沢を水の中に晒している。検査官の片方がそれに取り付き、背中のボンベと共に装着された検査器具からコードを伸ばし、壁のソケットに差し込んだ。
『監視官へ、こちらI-1。第一防壁に接触、データを送る』
『了解。I-2へ、パトローラーが一匹近づいてる。最接近時に検査を頼む』
『了解した』
もう一人の作業員は腰に提げた警棒を抜く。警棒は電流を帯び、細かく振動して一瞬相手の動きを止められるように作られている。それを強く握り締めた検査官は暗視プログラムを起動し、闇の中に目を凝らす。すると、遠くからこちらに向かってくる魚影があった。
『あれか』
彼は防御壁を強く蹴り、全力でドルフィンキックを打ってその影に近づく。すると魚影は赤色を帯び、見る見るうちに巨大になる。
三メートルはある巨大な紡錘型の体をしたそれは、パトロール用の巡回プログラム。警棒を鰓に突き立てると、泳ぎを止めて水の中を漂った。
『よっしゃ、これで一区切り』
検査官は器具からコードを伸ばそうとした。その瞬間だった。
『緊急だ、すぐに上がれ!!』
脳に響いた掠れかけの声は、途中でノイズが混じり切断しかかった。検査官は何とかそれを聞き取り、魚を放して水面へ向か追うとする。
刹那、第一防壁の深さからもわかるほどに水面が揺れた。
『何があった』
『不明の潜伏型ウィルスで物理隔壁が勝手に解けた! 急げ、防壁が内側から融けるぞ!』
壁を検査していた作業員がやって来た。カジキの様に水面に向かう彼を、もう一人も追う。
『防壁を調査していたら突然ウィルスが飛び出した。簡易判定だがこりゃヤバいクラスだ、強制的にネットが抉じ開けられる』
二人は必死で泳ぐこと数十秒、明るき水面に到達した。潜る前は高かった空が、別のシステム内の様に低くなっている。それは、この最新型スパコンがサイバー戦で苦戦を強いられ、システム内への侵入を許そうとしている事を表していた。
『抜けるぞ』
検査官は意識を香龍から自分達の体に戻そうと試みる。目を瞑り、意識を遠くに飛ばす。
だがそれは壁に阻まれた。意識は跳ね返り、香龍の内部に引き戻される。二人は目を開くと、意識に走る痛みの感覚に呆然自失として、再び沈みかけた。
『もう制御系統がやられたか』
諦めのついた声がすると、それを聞いて出て来たかのように、空に巨大な奈落への穴が開く。その中からは、体中に虫を纏った巨人が上半身を乗り出したかと思うと、水に飛び込み、香龍に瞬く間に侵入して行く。
『終わったな』
検査官の一人がそう言った時、彼らは掃除機に喰われる塵の様に巨人に飲み込まれ、消えた。
小説家になろう、の方には掲載していないオリジナル話です。
電子戦には疎いので、アドバイスをいただきたいです。
宜しくお願いします。