焦げくさい匂いの立ち込める街並みが少し開け、国鉄の駅付近のだだっ広い再開発区画の一角に、先行開業していた目的地、そのショッピングモールは建っていた。車持ちの世帯の多い、比較的裕福な地上層に展開する大型量販店のセオリー通り、モールの周りには三千台以上駐車できる駐車場が整備され、普段なら入庫や出庫の乗用車で、モール周囲の道は渋滞した事だろう。
だがそこは、この日ばかりは全く違う状況、これまで杉野が走ってきた街並みと殆ど変らない風景を晒していた。生命の雰囲気など、極限まで削り落とされた物に…。
一言で形容するなら、惨状。慣れていない人間ならば、一目見るだけで気を病み悪夢にうなされるだろう。
襲撃を恐れて逃げ惑う人々は、次々に自分の車や自転車に乗って、一刻も早く逃げようとしたと、誰でも想像できる。だが、秩序無きパニック状態の下では、それは自らの身を滅ぼすという最悪の結果しかもたらすことは無かった。
普段なら、仕事をリタイアしたような白髪の中高年の警備員が、必死になって車を誘導していた駐車場の入口には、押し寄せた車が積み重なって燃えていた。轢き殺されたのか、はたまた何処かで生きているのか、それとも肉団子にされてしまったか、分からない警備員の帽子が半ば焦げて転がっていた。
三重、四重になって燃える車の中に、苦悶の表情を浮かべる主婦の死体も見られた。髪形、化粧、身形から察するに、かなりの富裕層の主婦だったのだろう。そこそこ値の張る彼女の車の助手席には、焼け残った買い物袋と、モールで買ってきたと思われる日用品があった。もし霊の声が聞こえたならば、悲鳴で埋め尽くされそうなこの状況。だがその中でも、絶えず笑顔を浮かべる日用品のキャラクターは、炎に呑み込まれて消えようとしながらも、主婦のような苦悶の表情を浮かべる事は無かった。
勿論、道路にずらりと並ぶ車列にも生存者はいなかった。車を降りて逃げようとして、後続車に轢かれた老人、突っ込んできた自動車に跳ね飛ばされ、補助輪付きの自転車とともに路上に転がる幼児。命の炎は、既に消えていた。
杉野は駐車場入り口、僅かに空いた隙間から車を強引に入れようとした。しかし出力不足。諦めて路上駐車を決めたのと同時に、車に設定してあった午後九時のお知らせ音が流れた。
夜専用、暗視プログラムを保管しておいたSDカードをダッシュボードから摘み上げ、首の根元辺りにあるはずのソケットを探る。しかし、幾ら指先で探っても、蓋部分の僅かな段差を捉えきれない。
「まったく…」
比較的短気な性格の彼は、幼児のように怒りこそしなかったが、すぐにダウンロードを諦めて自分の脳に保存されている既存ソフトを使うことにした。頭の中でその格納場所を探しながら、最近細かい操作の効かなくなってきた、右の親指と人差し指の指先を何度かすり合わせた。
仕事場所に来て早々上手くいかない。彼のこれまでの経験では、そういう時には決まって何かが起こる。ある時は味方が自分以外全滅し、またある時は敵の奇襲を受けたり。先ほどの文章に付け加えると、決まって『悪い』何かが起こる、となる。
不吉なジンクスに一抹の不安を覚えた彼は、思わず煙草を咥えた。火を点けようとしたが、持ってきた試作の銃が火気厳禁である事を思い出し、ライターをしまう。
『こちら第13機動隊発令。傭-09、応答せよ』
準備が一段落したのを見計らったかのような通信に、彼は応答電波を短く返すだけだった。普通の傭兵なら規則違反で即解雇だが、彼は今回は特別待遇の傭兵。先方も電波を受信すると、応答など気にせず二件のファイルを送りつけてきた。
『これは』
『先ほど機動隊サイバー補佐部が入手したモールの写真六十二枚と、それに基づいたモール内の敵種別内訳です』
『基本データってことか。戦う前にこれが貰えんのは有難い』
彼は一応ファイルをウイルス検査に通してから開く。写真の方には適当に目を通し、写真のフォルダに比べて圧倒的に容量の少ないもう一つの方を開いた。そこにはテキストがたった一つだけだった。
それを何気なく開いた杉野だったが、中身を見て絶句する。
『おい…これを一人で片付けろってのか!?』
『はい、そうです。司令直々の命令です』
テキストに書かれていた敵の種類と数、それは杉野が事前に予想していた種類よりも遥かに強力な種類がおり、またその数も予想の二倍以上。彼は慌てて写真を再確認すると、死体に貪りつく強力な敵が何体も映っている事に気付かされた。
『司令はあなたを信頼しておられます。期待に背かぬように頑張ってください』
テンプレートのようなオペレータの言葉を最後に切れた通信の後には、複雑な表情を浮かべた杉野の顔だけが残った。これが悪い事かよ…。と、少々心の中で呆れながら。
しかしどうこう言っている暇も無かった。先ほどの文書の片隅には、敵の活動は夕方になっても鈍らないとの一文が記載されていたことによる。彼がこれまで相手にしたきた『人ではない』敵は、全て暗くなれば動きが鈍り、そこを奇襲して勝利を得るのがセオリーだった。今回はそのセオリーが通じない。夕暮れを迎え終えた今は、見通しも悪く更に危険になる。
杉野は助手席に丸めて置いてあった赤い迷彩服を羽織り、持ってきた装備品を素早く、正確に確認する。全て揃っている事を確認した後には、後部座席に置いてある二丁の拳銃の安全装置を解除し、懐に収めた。そして同じく装置を解除した、自作の高火力単銃身バトルライフルを抱える。
薄暗くなった辺りに周りに敵がいない事を確認して、車を飛び出す。
彼は駐車場を突っ切り、ファストフード店のガラスを蹴破ってモールに入って行った。
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日付変更の少し後、午前零時過ぎのショッピングモールに少し遅れて、第13機動隊第一小隊の面々が到着した。傭兵を一人失い、正規兵五人のみでの敵中隊との戦闘に時間を費やしたためだ。義体化していない隊員の顔には疲れの色も見えるが、任務もこのショッピングモールの制圧が最後だ。隊員達も体に鞭打って気を引き締める。
植え込みの陰に隠れた小隊は、各々モール内の様子を窺う。電気も断線し、完全に機能を失ったモールは、さながら要塞のようにも見えた。
「全員、暗視モードをNo.5に切り替え。そのあと、私のカウントダウンに従って突撃、よろしく」
隊長の指示を聞いた隊員は頷き、すぐさまモードを切り替える。視界は赤外線による緑色の物に置き換わった。カウントダウンが、間も開けずに始まった。
「五…四…三…二…一…突撃!!」
五人の隊員が、鬼のような四本腕を持つ男を先頭に、モールの玄関口に向かって走り出す。資料によると、モール内に残存する敵は約五百。そのうち半数以上がA級種別であり、夜戦も効果が期待できなければ、意表を突いた奇襲攻撃が妥当だ。隊長はそのセオリーを思い出し、突入後すぐさま激しい戦闘に入った時の指揮を考えた。
だが。
「スズラ、蟲は一匹もいないぞ」
「こっちもだ。全く赤外線の反応がない」
意表を突かれた各員の声。隊長の視界にも、赤く映るはずの敵影は一つも無い。皆訓練通りに銃は構えたままだったが、表情から察するに蟲が殲滅されていると勘で感じとっている。
「暗視モードをNo.3に変更。警戒レベル5で目的地へ向かう。油断するなよ」
「了解」
視界は色つきの物に戻った。
この時、隊長に、いや全員に心当たりがあった。昼間に舞い込んだ傭兵の話。確実にあの乱暴な知り合いの仕業に違いないが、ここまでの実力だっただろうかとあまりに静か過ぎる状況が疑問を抱かせる。
「隊長」
「何?」
白い長髪を一つ括りにした隊員が、本屋のキッズルームの方向を指差した。
「あれは…」
隊長がそこ駆け寄るのを見て、他の隊員達も急ぐ。
彼らの見た物、それはキッズルームで絶命している、巨大な蜉蝣の死体だった。
「鬼蜉蝣の亜成虫ね。死体に膜が浮き出てる」
死骸はその通り、鬼蜉蝣と呼ばれている蟲の物だった。死骸は体長三メートルほど。生きている間は、輝くように白い体はもうすっかり黒ずんでしまい、表面を言った通りの濁った膜のような粘液が覆っている。胸部についている長さ二メートル以上ある四枚の透明な翅は、その粘膜に濡れてふやけてしまっていたが、この蟲が生きている間にはこの翅で飛び回り、多くの人間を殺害した事だろう。頭部にある特徴的な長い触角と、スズメバチのような太く短い大顎には、その事をうかがわせる血と肉片が付着していた。
「こいつ、頭に銃弾を一発受けただけで死んでますね」
力の抜けた頭部には、穴が一か所だけ開いている。成虫になれば最大で体長五メートル、頭部と胸部にカルシウムによって構築された鉄壁の外骨格を持つこの蟲だが、亜成虫であるうちはまだ頭部の骨格には、銃弾一発が通れる隙がある。隊員の見つけた穴は、その隙を寸分違わず撃ち抜いた弾丸の跡だった。
「あいつってこんなに狙撃も上手かったかしら」
「どちらかと言うと銃撃は苦手だったはずだ、また義体を弄りやがったのか…」
キッズルームには他にも、ナイフで体を真っ二つにされた五十センチほどの蜘蛛の死骸も転がっていた。そちらは確実に知り合いの仕業だと断言できる。
「屋上に急ぐわよ」
隊長、スズラは立ち上がって皆に背を向ける。走り出した彼女に、隊員達は遅れまいとついていった。
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「遅ぇ…」
全然減らなかった手榴弾や弾丸の予備を確認して、杉野は煙草をふかした。煙は、合流地点であるモールの屋上から見える、いつもより輝きを幾段にも増した夜空に消えていく。
彼は屋上の縁、一メートルほど柵のように飛び出した部分に飛び乗り、夜の街を見渡す。街を焼いていた烈火も今はほぼ収まり、街からは生命がそれに比例して次々に消えていった。
彼は戦闘中、一度も見なかったキルスコアを変貌した夜景の端に表示させた。数字は知らぬ間に6000を越えている。その数字はキルスコア10の度にボーナスが五万支払われる契約内容によると、ボーナスだけで三千万を超える事を表している。更に基本給二百万、特別報酬対象種別駆除による上乗せ一千万。計四千万円以上が、このまま死ななければ手に入ることになる。予想を超える報酬に、普通は喜ぶだろう。しかし、
――何処か…空しい…
心にぽっかりと穴の空いた様な感覚が、杉野に取り憑いていた。モール内で三桁は下らない蜘蛛と白兵戦をしている時から。
彼は疲れ知らずの人工身体を動かし続け、軍用ナイフを一時間以上振るい続けた。その結果は、子供たちで賑わっていたと思われる、ゲームセンターの店内に積み上がった死骸と瓦礫だけ。
思い出されるのは、床の上にぽつりと転がっていた忘れ物のぬいぐるみ。それは人に踏みつけられて足跡が付き、蟲の体液を浴びてもなお、気丈な笑顔を浮かべていた。
彼はまだ吸っている途中の煙草を手から離す。そして振り向いた。
――やっとか。
「よう、スズラ。久しぶりだな」
「四年ぶりかしら、任務を共にするのは五年ぶりね」
二人の男女は、互いに視線を外そうとせず、心で向き合うようにしばらく見つめあっていた。二人の脳内には、過去の喜びや悲しみ、共有してきた記憶が蘇る。
だがそれも今や枷にしか過ぎない。互いに対する不信だけが感情を、記憶を、たちまちに覆っていく。
スズラには、今ここに杉野がいる事が理解できなかった。今まで逃げ回り隠れていたのに、何故今更、自分たちの前にのこのこと姿を現せるのか。
杉野には、今スズラが自分に銃を向けない事が理解できなかった。あんなに素直で、真っ直ぐな軍人などいなかった。お前は変わったのか。
杉野もスズラも、心に猛り狂う渦潮を湛えていた。殺意と疑念が渦巻いていた。
だがそれを表に出すことはない。今はその時ではないと、軍人の頭脳は迷いなく感情を押し殺す方を選んだ。
「話は沢山有るけど、それは後よ」
「判ってるよスズラ、言われなくとも」
――お前の考えてることぐらいな・・・
寂しそうな目は、バイザーに覆われて誰にも見えない。
ライフルを構えて辺りの警戒に当たる彼の背中は、寂しく、吹きさらしの岩峰に似ていた。