REAL-BUG   作:KYON-

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襲撃編、六

散らかったパイプ椅子。捲れ上がった床のシート。午前中まで卒業式の行われていた体育館は、整然とした雰囲気など消え、殺気と生臭さが満ちる空間に変わり果てた。

 壇上の大きな生け花は倒れ、寄贈された高価な壺は砂粒のような破片へと。床には力なき学生達の体が転がり、体長五十センチは下らない多くの蜘蛛達がそれに群がる。

 

 卒業生たちの晴れ舞台であった壇上には、一人の少年、山吹セイが立っていた。右手に握られた、脈打つ二メートルほどの碧い薙刀と、卒業式にいた学生であろう事を想起させる学生服は、何ともアンバランス。だが、喰いしばられた口元と、暗い青、紺に光る瞳孔。仁王のように立ちはだかるその姿を見る者は、睨み殺されそうな感覚さえ抱くだろう。彼は蜘蛛達のいるフロアの方にその強烈な視線を向け、背中側にいる僅かな生存者――自分の僅かな大切な人々を悪魔たちから庇っていた。

 時折、十数匹の蜘蛛が一挙に襲いかかってくる。体育館にいる蜘蛛はざっと三百ほどなので、ごく一部なのだが、ハエトリグモの拡大版のような体であることから察せられる驚異の俊敏性と、糸を自由自在に使う三次元的な動きによって、その比較的少数戦力は十分な脅威となり得る事もある。数多の戦場を駆け抜けてきた傭兵や、軍の特殊戦闘員、すなわち対人戦の玄人にもってしても、十数匹にもなれば一瞬で勝負がつく、たとえ一匹二匹撃ち落とそうと、知らぬ間に奴らの第一対の鎌によって首を飛ばされるだろう。

 

 侵攻体の中核を成すこの蜘蛛は、最多かつ最凶の相手――。

 蟲の対処に当たる新人兵士が、その危険性と俊敏性を真っ先に叩きこまれ、この種への恐怖感を植えつけられる。

 

 しかし彼は怖気ない。跳び掛かってくる蜘蛛数匹を睨んだ瞬間、紫色の光を帯びた刃が蜘蛛の体を切り裂く。一匹も逃さない一瞬の技。ばらばらになった死骸は、彼の立つステージ下に、高さ五十センチほどの山を作りつつあった。

 薙刀を伝って、蛍光色の蜘蛛の体液が手に付着する。何故か甘い匂いのするそれを、彼は舐め、笑った。

 この修羅場において、彼が戦う理由。それは最初こそ、大切な人々――家族以外で、たった一人の自分の理解者と、自分を支えてくれた妹、その二人を守るためだっただろう。

 だが、顔に浮かべられた冷酷な笑いは、その理由が消えかけている事を表していた。代わりに湧いて出てきたのは、これまで溜めこまれていた殺意を晴らせる喜び、すなわち、殺せる喜び。純粋に一方的な殺戮を楽しみつつある彼にとって、蜘蛛の血など、その喜びと殺意を増大させるドラッグでしかない。空気と反応して強酸性になった血も、彼は旨く感じたことだろう。

 

「兄さん!! 上っ!!」

 

 妹の声に反応して、殺意の火を灯した目が上を向く。先ほど、力を解放した際に屋根を消し飛ばした大穴から、新たに百匹ほどの蜘蛛が糸を使わず、重力に任せて次々と彼に飛び掛かるところであった。既に体育館内にいる蜘蛛達も、総出で彼の近くへ集まりつつある。

 彼が気付いたコンマ数秒の後、最初の一匹が先陣を切って屋根から飛び降りる。それに続く降下隊とも言うべき集団は、総勢八十匹。それに呼応するように、体育館の本隊も彼を殺そうと次々に飛び掛かる。糸を用いた複雑な動きは、背面以外のあらゆる方向から、少年の命を狙う。

 

「兄さん!!」

「伏せてろ」

 

 思わず悲鳴を上げた妹に、感情の起伏など無い言葉が伝わった。それから一秒もしないうちに、蜘蛛の鎌が彼の頸動脈を捉えた、かのように見えた。だが――。

 パイプ椅子が吹き飛ぶ。先ほど天井を抜いた時と同じ、紺の球が出現し、それに呑まれた蜘蛛は空気に溶ける様に消えてゆく。頸動脈を捉えたように見えた鎌も、少年を全方位から狙った蜘蛛達の糸も、全て。吹き飛ばされ切れなかったパイプ椅子の、スチール製の脚やフレームは異様な音を立てながら錆びてゆく。

 血も飛び散らなかった、音もしなかった。体育館や屋根の上に群れていた蜘蛛は、一匹残らず消え失せた。残ったのは、錆びた数脚のパイプ椅子と、床に転がる死体。ただそれだけ。

 静寂の中、穴から差し込む月明かりを浴びて少年はまた笑った。そして、倒れた。

 

「セイ君!!」

 

 サクラが彼のもとに駆け寄り、揺り起そうと必死で呼び掛ける。しかし彼は完全に気絶していた。幸い呼吸も鼓動もはっきりしていたものの、彼がいなければ確実に三人とも殺されてしまう。

 そう思った矢先、天井から一匹の蟲が飛来した。

 白く輝く体、深紅の目。この蟲の凶暴性を知らない人間なら、恐怖よりも感動が先に巻き起こるのではないかと思うほどの美しい体の蟲だった。

 鬼蜉蝣、その名前を知らないサクラも、一瞬見とれた。だがすぐに気付いた。大顎に付着した血糊から、この蟲が今までと変わらない悪魔である事に。

 

「もう…終わりなんだ…」

 

 涙は出なかった。走馬灯のように、今までの人生を振り返る事も無かった。ただ、目の前に突きつけられた死の知らせに、サクラは圧倒されるしかなかった。

 蜉蝣が着地し、パイプ椅子を押しのけて彼女らに近付く。あと数メートル。セイを庇って前面に出たサクラに、蜉蝣は飛びついた。

 

「くっ!」

 

 サクラは思わず目を閉じる。感じられるであろう想像を絶する痛みに恐怖を覚え、その後やって来る無に覚悟を決めた。

 だが、それは必要なかった。

 

 数秒しても走らない痛みに目を開けると、目の前には丸焦げになった蜉蝣の死体が転がっていた。生物の焼ける匂いに耐えかねて後ずさりした所で、体育館の戸が開く。

 

「生存者確認! すぐに保護せよ」

 正面の扉から入ってきた五人の兵士。それぞれ、常人ではない異様な雰囲気を纏っていた。

「村山さん、助けがきた!」

 喜ぶセイの妹、アオイ。安堵に涙を流すサクラ。倒れているセイの鼓動を確かに感じながら、希望の光が見えたような…気がした。

 

 やってきた兵士たちはすぐにサクラ達に近付くと、何処かと連絡を取ろうとしていた。

 

「大丈夫ですか? 怪我は?」

「かすり傷は多いですけど…まぁ大丈夫です」

 安堵した表情で答えるアオイ。倒れたセイも、男の兵士二人によって手当を受けている。

「良かった…」

 サクラはふうっ、と息を吐き、呟く。顔には自然と笑みが零れた。

 

 

 だがその笑みは、首筋に走った痛みで歪む。

 

「うっ!!」

 ピアノの中に隠れてやり過ごした蟲がいる事に、誰も気づく事が出来なかった。ピアノの中で難を逃れた一匹の蜘蛛は、無音でサクラの背後に近付き、動脈近くに牙を突き立てた。

「村山さん!!」

 アオイの悲痛な叫びが響く。

 

 

「サクラを離せっ!!」

 サクラの断末魔に反応したセイが目を覚ました。瞳孔は先ほどと同じ色に染まり、一瞬で空気から薙刀を取り出して蟲に投げつける。だが蟲も先ほどの彼の攻撃を見て読んだのか、少し離れて避け、もう一度サクラに襲いかかる。

 

「さっさと……失せろ……!!」

 セイが切れた。彼の中で何かを繋ぎとめていた最後のワイヤーが、ぷっつりと切れた音がした。

 彼は薙刀を再び持ち、壁を逃げ回る蜘蛛めがけて渾身の力で振り下ろす。刃は蜘蛛を捉え、共に先ほどよりも強烈な波動を辺りにまき散らす。

 やってきた兵士たちは次々に意識を失って壇上に倒れる。毒を注入されたサクラも同じように。

 数分間吹き荒れた暴風に、無事だったのは彼自身と妹のアオイだけ。

 

 アオイは、実の兄の鬼の姿に、蟲よりも強い恐怖を抱かざるを得なかった。




何とか前座が完成。先が思いやられます。

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