「こちらが以前話した、呪文の起源についての研究を纏めた本です。他にもいくつか見繕いましたからぜひ読んでみてください」
呪文学の教授であるフリットウィックはそう言いながら机の上に本を積み上げた。全て彼の私物であり、中には古代ルーン文字で記された古いものもいくつかある。
一週間ほど前、エリスは古代魔術について何か手がかりになりそうなことを知らないか彼に尋ねていた。残念ながら有益な情報は持っていなかったなかったが、話していくうちに呪文の起源に注目してみてはどうだろうということになり、参考になりそうな本を貸してくれることになったのだ。
「それにしても君がルーン文字まで習得しているとは驚きました」
「祖父が教えてくれたんです。古い文献を漁る時必ず役に立つからって。それに私の家にはルーン文字で書かれた本がいくつかありまして、それらを読むためにも必要だったんです」
「ほう、もしや君のおじい様も古代魔術について研究を?」
「いいえ。ですが古い伝承を趣味で研究していました。『吟遊詩人ビードルの物語』がお気に入りで、もう何度聞かされたことか」
そこに収められた話の中でも特に『三人兄弟の物語』と死の秘宝について、ゲラートは彼の調査結果や見解を交えながら詳しく語ったものだった。その時の生き生きとした瞳と僅かに熱のこもった声を思い出して、エリスの頬が自然と緩む。
「素敵なおじい様なのですね」
「はい、とっても。博識で強くて、自慢出来るかは分かりませんが大好きです」
フリットウィックはにっこりと笑ってそう答えたエリスを、微笑ましい気持ちで見つめた。彼女の家庭事情について、両親がおらず祖父と生活しているとだけしか知らない彼は、その祖父がかのゲラート・グリンデルバルドとは思ってもみない。ホグワーツでその事実を知っているのは今のところ彼女と校長だけである。
「あぁ、そろそろ行かないとお昼を食べ損ねますよ。本の内容で何か質問があればいつでも聞きに来てください」
「ありがとうございます。それでは失礼しました」
エリスは浅く礼をし、机の上の本たちを丁寧に抱きかかえて教室を出た。すると外にフレッドとジョージが立っていた。
「フリットウィック先生に用事?」
「いや、エリスを待っていたんだ」
「手伝って欲しいことがあるんだけど今日の放課後って空いてるか?」
「特に予定はないよ。立ち話もなんだし場所を移したいけど……その前にこの本を部屋に置いてきて良い?」
「もちろん」
「俺たちも持つよ。重いだろ」
「ありがとう」
結局ふたりは全ての本を持ってくれた。3人で並んで歩きながら、また悪戯の相談だろうかとエリスは考えた。彼女の持つ幅広い知識を頼って相談しに来ることは珍しいことではない。
「俺たちは偽薬を作ろうしてるんだ」
「偽薬?」
「見た目は本物そっくりなのに、なーんの効果もないハリボテ。それでスネイプ先生を騙せないかなって」
またわけのわからないことを企んでいるようだ。エリスの記憶が正しければ、彼らはゾンコで買ったというしゃっくり飴——名前の通り食べるとしゃっくりが数分間止まらなくなる——を普通の飴と偽ってスネイプ先生に食べさせようとし、大量に減点されたばかりではなかっただろうか。全く懲りないなぁと呆れた視線を投げかけるも、ふたりはどこ吹く風だ。
「前から気になってたんだけど、そのパッションはどこから湧いてくるの?」
「俺たちはみんなのびっくりした顔を見るのが好きなんだ」
「笑った顔もね」
「スネイプ先生に関しては今のところ怒った顔しか見たことないけど」
「だからこそだよ!俺たちはヤツの驚いた顔が見たい!」
「先生の怒った顔と真顔、あと嫌味を言う時の意地悪な顔以外見たことあるか?」
「そろそろレパートリーを増やしてあげなきゃ、先生の表情筋が可哀想だぜ」
それはすごく余計なお世話ってやつだなとエリスは思ったが、口には出さなかった。とりあえずターゲットにされたスネイプにはご愁傷様ですと言うより他ない。悲しいかな、憐れに思いつつもそこまで親しくないスネイプに助け舟を出そうと思うほど彼女はお人好しでは無かった。
「で、話を戻すけど、今授業で習ってる鋭敏薬の偽薬に挑戦してるんだ。色々試して同じ材料を使いつつ効果を消すことには成功したんけど、全然違う色になっちゃってさ」
「『いったいどうしたらヘドロが生まれるんだ。授業を全く聞いていなかったようだが、その耳は飾りなのかね』だってさ」
鋭敏薬とは塗布した部分の皮膚感覚を一定時間鋭くする魔法薬である。トロリとした粘性のある液体で、本来ならば透き通ったスミレ色でヘドロとはかけ離れている。調合自体は、踏む手順が多く手間はかかるが、一年生が作れるレベルの初歩的なものだ。
フレッドとジョージは決して真面目ではないが、魔法薬学に関しては人並み以上のセンスを有しており、いつも易々と授業をこなしていた。そんな彼らがヘドロを生成したとあらば、スネイプも嫌味のひとつやふたつ言いたくなるだろう。
「それで土曜日に補習としてもう一回調合するから、そこでリベンジしたいんだ」
「うわ補習の意味よ……。まぁ事情は分かった。協力するのはいいけど、その代わりそれが終わったら私のお願いもひとつ聞いてくれる?ふたりに手伝って欲しいことがあるの」
「「もちろん!」」
「じゃ、今日の放課後いつもの教室に集合ね」
「「失礼しまーす!」」
土曜日の午前。薄暗くどこか陰鬱とした雰囲気の漂う魔法薬学の教室に、場違いなほど明るい声が響いた。レポートの採点をしていたスネイプは顏を上げた。すると意気揚々とした様子で入って来たフレッドとジョージの間からブロンドの頭が見え、思わずその眉間に皺が寄る。今日の補習はウィーズリー達だけだったはずだ。
「ミス・ヘンデル?」
「実は調合の自主練習がしたくて……教室の使用許可とそれから材料を使わせていただきたいのですが」
用意していた口実を述べたエリスをスネイプは訝しげな目で見つめた。
彼女の魔法薬学の成績は今のところ大変優秀な部類で、自主練習が必要なレベルではない。もちろん、そういう生徒の中には魔法薬学が好きで積極的に学ぼうと同様の申し出をする者がいないわけではないし、彼自身、学生時代には放課後に教室で個人的に調合の練習をしていた。しかし、これまでの授業態度を見るに——彼女はいつも機械的に淡々と作業をこなしていた——どうもそんな風に考え難い。
「何の調合を?」
「背伸び薬です。鋭敏薬と殆ど同じ材料で作れるのに効能が全然違うので面白いなって。どうして違いが出るのかとか考えたりすればいい復習にもなると思いますし……試験対策にもなるかなと」
「それはそれは。試験の出来が楽しみですな。まぁいい、許可しよう」
スネイプの顔には意地の悪い笑みが浮かんでいた。それもその筈、学年末試験はまだ三ヶ月以上先のことである。エリスも言ってしまってから最後のは余計だったなと後悔した。しかしまぁ、フレッドとジョージと共に調合を行う許可を得られたから良しとしよう。
スネイプの指示に従って、3人は同じテーブルで各々の調合を始めた。
彼らは数日間の試行錯誤の結果、調合手順の一部を変えることで、効能が発現する前の段階で鋭敏薬特有の色や粘性を出せそうだと検討をつけることが出来た。微妙な加減の調整は実際にやるまでわからない。エリスの飛び入り参加の目的のひとつはその補助だった。
ろくに実証実験も出来ていない以上、殆どぶっつけ本番である。かき混ぜる回数や速度を慎重に調整するフレッドとジョージはいつになく真剣な表情を見せていた。実際にやっていることは無駄に高度な割にくだらないことかもしれないが。その横でエリスは背伸び薬の材料を使い、別のものの調合を始めた。
作業を始めてから40分ほどで、目的のものを上手く作ることが出来たエリスは。持参した薬瓶にそれを入れてふたりに手渡した。
「そっちもあと7分ぐらい待つだけだし、やることも終わったから私はもう帰るね」
ニセモノの調合にそれに手を貸したことがバレてしまったら自分までお叱りの対象になる。そうなる前に退散してしまおう。手早く後片付けを済ませたエリスは一方的にそう告げて、隣のテーブルでレポートを採点中のスネイプに近寄った。
「もう終わったので失礼します。使った器具は一通り洗ってテーブルに並べてありますがそれで良かったでしょうか」
「あぁ。そういえば殆ど同じ材料から成る背伸び薬と鋭敏薬の効能の違いについてミス・ヘンデルはどう考察しているのかね」
「ええと、加熱後のかき混ぜる回数の違いが大きいと思います。催眠豆の汁は加熱後にパフスケインの毛を加えて反応させると白色の沈殿物を生成しますが、その後さらに攪拌を続けることで別の反応が起こり、沈殿が溶解します。それが効果の違いにも色の違いにも大きく繋がっています」
実際は背伸び薬など調合していないが、その手の質問が投げかけられる可能性をエリスは十分に考慮していた。そのため、きちんと自分なりの答えを用意していた。
淀みなく紡がれる説明に、スネイプは彼女への認識を改める。魔法薬学に興味は無いと思っていたが、そうでもないらしい。その説明は教科書に載っている知識だけでは出来る筈がない。いくつか論文も読んだのだろう。
まぁ、実際のところエリスが魔法薬学に興味がないのというのは別に変ってなどいないのだが。
「その通りだ。他にも細かく上げればキリは無いが、あえてもうひとつ付け足すならば二角獣の角の粉末が調合で果たす役割の違いがある。これは本来5年生で習うことだがわかるかね」
「鋭敏薬の方では毒ツルヘビの皮が引き起こす痺れ作用を打ち消すのために使うはずですが、背伸び薬の方は、ええと……わかりません」
「いや結構。背伸び薬の方では反応を促進させる触媒として使われる。どうやらよく勉強しているようだな。ちなみに補足すると二角獣の角の粉末はポリジュース薬でも使われるがそこでは――」
興味を持ったわけではないとは言っても、もともと知識欲や好奇心は強い方である。偽薬作りのために鋭敏薬に関する論文や文献をかなり大量に読み込んでいたエリスは、そのままスネイプと話し込んでしまった。
「「せんせー!出来ましたー!」」
話に夢中になり完全に逃げ遅れたエリスは、フレッドとジョージの鍋を見に行くスネイプの後ろでハラハラしていた。なんとか気づかれませんように。とにかくシラを切ろう。
「ふむ、きちんと出来ているようだ……ん?いや待て……」
鍋の中の液体は鋭敏薬特有の透き通ったスミレ色で、一切の濁りもない。しかしスネイプとて伊達にホグワーツで魔法薬学の教授をしているだけのことはある。騙されかけたものの小さな違和感を見逃さなかった。
空の試験管に液体を僅かに注ぎ、再度注意深く観察してから人差し指に垂らしてみる。特に変化はない。その指で机の表面を撫でてみるが、やはり指の触覚に変化はないようだ。スネイプは目を見開き、静かに驚く。
その様子に成功を悟ったフレッドとジョージはハイタッチをし、エリスはこれからのことを思って顔を引き攣らせた。
「ミス・ヘンデル、これはなんだ」
「ええと、ただの失敗作じゃないんですか?わー見た目は完璧なのに不思議ですねー」
エリスは白々しくとぼけたが、スネイプは半ば確信を持って彼女を睨みつけた。それは失敗作というにはあまりにも完成品と似すぎている。そしていつもより集中した様子の双子と、不自然な飛び入り参加のエリス。状況を照らし合わせてみれば、答えは自ずと見えてくる。
「チッチッチ、これだけじゃないぜ、先生」
「エリスがさっき調合したこいつを加えれば、あーら不思議、本物の鋭敏薬の出来上がりだ!」
ジョージはエリスに渡された瓶をスネイプの前に突き出した。中に入っているのはもちろん背伸び薬などではない。ほのかにアーモンド臭のする透明の液体で、彼女の理論が正しければ偽薬に最後加えることで鋭敏薬としての効果を発現させられるはずだ。
スネイプは受け取ったそれをじっと数秒見つめ、蓋を開けて手で仰いで匂いを確かめてから、大鍋に4滴ほど加えてみた。そしてゆっくりと撹拌し、具合を見ながらもう2滴ほど加える。見た目の変化は無いが、わずかに粘り気が増した。おそらく本当に鋭敏薬が完成したのだろう。
「ミス・ヘンデル」
「は、はい!」
初見で適切な用量・用法を推し量るその手腕に感心していたエリスは名を呼ばれて我に返った。
ヤバい。ていうかなんで私が調合したって言っちゃったんだ。背伸び薬なんて作ってなかったことまでバレてしまったではないか。ジョージをキッと睨みつけるが、サムズアップされた。
「この鋭敏薬もどきの調合方法を考えたのは貴様だな」
「ベースとなる効能の打ち消しに関してはフレッドとジョージが考えました。私はそれを活かしただけです」
「あの泥水か」
スネイプは双子に補習を言いつけるきっかけとなった失敗作を思い出した。前から計画されていたらしい。とはいえ、ホグズミードに行くことも出来ない――事実は違うがスネイプは知る由もない――彼らがその試行錯誤に必要な材料を十分に持っていたとは考えにくい。おそらくぶっつけ本番に近いのだろう。それで成功できる理論を組んだエリスの知識と才覚に加えらその場で微調整したであろうフレッドとジョージのセンス。才能の無駄遣いにも程がある。
「3人には一か月間の罰則を与える。ウィーズリーは授業で使う材料の下処理。ヘンデルはサンプル薬の調合だ。毎週土曜、今日と同じ時間にきたまえ」
スネイプはその才能を上手く使ってやることにした。それにどうせ普通の罰や減点は無意味なのだ。フレッドとジョージは言わずもがなだが、エリスも減点された分は授業できっちり取り返してしまうのでケロッとしている。
「「そんな!」」
「俺たちはただ」
「スネイプ先生にサプライズしただけなのに!」
「なんか私の方が大変じゃないですか!?」
ブーイングを飛ばす三人を無視してスネイプは完成した鋭敏薬を提出用の試薬瓶に入れた。それにしてもいったいどんな調合をしたのか。材料はこちらが用意しているから変えてはいないはずだ。調合手順を弄ったのだろうが……スネイプの頭にいくつもの仮説が浮かび上がる。顔には出さないものの、彼の好奇心は大いに刺激されていた。
「一応このニセモノの調合についてはレポートにまとめて提出するように」
「おっ、気になったんですか?」
「やっぱりめちゃくちゃ驚いたんだ!」
「「イタズラ成功!!」」
「グリフィンドール、5点減点」
ここで登場した鋭敏薬・背伸び薬はオリジナルです。(背伸び薬の説明は特に入れていませんがその名の通り身長を伸ばす薬という設定です)理論云々に関しては、私の持つうっっすい化学知識を参考にそれっぽく書いているだけのお粗末なものですので、温い目で見ていただけると助かります。