番外でチラッと触れてから、もう1年半ってマジですか・・・?
「そう言えば、気になることがあるんだけど、聞いていい?」
「んー?なにー?」
とある日のシャーレ。先生は本日の当番であるミラに話しかける。
余談だが、以前の爆発事故のことを気にしていたミラは、爆速で風紀委員会の仕事を片付けて予定よりもかなり早くシャーレに着いていた。
早ければいいという問題でもないが、可能な限り一緒にいる時間を増やしておきたいというミラの甲斐性に、心配をかけた側の先生は苦笑いするしかなかった。
それはそれとして、まるで心当たりがないと首を傾げるミラに、先生は思い返せば知らなかったことを尋ねた。
「ミラとヒナって、幼馴染みなんだよね?どうやって知り合ったのかなって」
「あ~、そう言えば話したことはなかったっけ」
過去のヒナの可愛らしい話だったりだとか、幼馴染みらしいエピソードには事欠かなかったが、その馴れ初めを話したことは、たしかにこれまで一度もなかった。
聞かれなかったから、と言われればそれまでだが。
「ヒナからは聞かなかったの?」
「タイミングがなくて・・・それに、今ふと思っただけだからね。話したくないなら、別にそれでも大丈夫だから」
「そこで無理強いしないのは先生らしいよね」
たしかに、シャーレでのヒナは業務の手伝い中は黙々と仕事をこなし、休憩中は先生に甘えることが多く、その間はどちらかと言えば静かにゆったりすることを好んでいる。
それを邪魔しないようにするのも、無理に話さなくていいと念を押すのも先生らしい誠実さだ。
そして、それに気付いているかは別として、ヒナにとってありがたいものだっただろう。
「あー、うん、まぁ、私から話す分には全然いいんだけどね。むしろ、ヒナはちょっと話したがらないかもしれない」
「えっ、それって大丈夫なの・・・?」
「別にヒナが何か悪いってわけじゃないからね。ただ、私がちょっと訳ありってだけで」
ヒナの性格上、ミラのプライバシーに関することは言いたがらない。
だが、馴れ初めの話をしようとするとどうしてもそのことに触れる必要があるため、もし聞かれたら非常に返答に困っていただろう。
あるいは、ミラから聞いてほしいと自分から話すのを避けたかもしれない。
その光景を想像したミラはクスリと笑いながら、内容を吟味するように虚空を見上げながら話し始めた。
「まずは私の昔話から始めるんだけど、実は私、いわゆる記憶喪失ってやつなんだよね」
「えっ!?」
あまりにも軽い調子で、あまりにも重い事実を告白された先生は、思わずギョッとしながらミラの顔を見た。
それは普段の態度からは想像もつかなかったことであり、同時にヒナも話すのもためらうはずだと納得した。これほどの事情、ミラの許可なしにおいそれと話せることではない。
だが、当人は特に気にしていないのか打ち明けた今の表情からも深刻さは感じられず、先生の反応にも触れないまま話を続ける。
「私の一番古い記憶は、10歳かな?実際は自分の年齢というか、誕生日が分からないんだけど、たぶんそれくらい。ボロ布を纏って倒れていたのが、私の始まり」
あれは月明かりがよく通る夜だった。
肌寒い風とゴツゴツとした感触を全身で感じて、ミラは半ば瓦礫と化した廃墟の中で目を覚ました。
「位置的には、トリニティとゲヘナの境界辺りかな。覚えているのは、最低限の一般常識を除けば自分の名前とざっくりとした年齢だけ。なんで倒れていたのかも、倒れる前まで何をしていたのかも、何も分からなかった」
正直なところを言えば、今となっては目覚めたばかりの頃の記憶もかなり朧気だった。
あの時は現在と比べて自我も薄く、いわば物心がつく前の幼児のような状態だった。
故に、その後の行動に特別意味や理由があるわけではなかった。
「目覚めた私がゲヘナ方面に向かったのは、ただの偶然というか、何となく歩き出した方角がたまたまゲヘナだっただけなんだ」
強いて理由を挙げるなら、人の気配を感じたとか、トリニティ方面に行くと碌なことにならないと本能がなんとなく察したとか、その程度のものだ。
どっちに行っても割と地獄な状況だが、容姿が原因で排斥されそうなトリニティと比べれば、ゲヘナの方がまだ居場所があったかもしれない。
ミラが手に入れることができるかは、また別として。
「割と不幸だったことに、最初に出会ったのはゴリゴリの不良でね。さすがに私の見てくれで恐喝することはなかったんだけど、不快だったのか蹴り飛ばそうとしてきてね」
キヴォトスで厄介扱いされる不良や問題児は数多くいれど、倫理観や良識を完全に捨て去った者はそこまで多くない。
だが、それでもごく稀にそういった例外は生まれてしまうし、そうでなくても簡単な精神の均衡の変化で一時的に道を踏み外してしまう者も一定数存在する。
当時のミラが出くわしたのは、後者の方だった。
たまたま些細なことが原因で失敗した不良が目に映るものすべてに当たり散らしてしまうほど苛ついていたところに、偶然ミラが出くわしただけ。
ミラとしては特に意味もなく眺めていたに過ぎないが、不良には惨めな自分を嘲笑うか下に見ていたように感じたのだろう。
わざわざ離れていたミラに自分の方から近づいていき、激情に身を任せたまま足裏で蹴飛ばそうとした。
そうすれば、少しはスッキリするだろうと考えて。
だが、結果的にはそうならなかった。
「その時から、私は強かった。蹴ってきた不良の足を掴んで、逆に投げ飛ばしたくらいには」
簡単に吹っ飛ぶだろうと思っていたミラは僅かに後ろに下がるだけにとどまり、むしろ不良の方が反動で危うく転びそうになってしまう。
どうにか踏みとどまったものの、その結果は不良の自尊心を大きく傷つけ、顔を真っ赤にしながら今度は思いきり足を振りかぶって、サッカーボールのようにミラを蹴り飛ばそうとした。
だが、ミラはそれすらもなんなく受け止め、逆に不良の足を掴んで地面へと数度叩きつけ、放り投げた。
その不良が実力的には下の下だったというのも、たしかにあるのだろう。
だが、それを差し引いても“小学生の少女が高校生を一方的に蹂躙する”という光景は、ミラが“尋常ならざる存在”であることを裏付けるには十分すぎた。
「そっからはこう、我が道を往くというか、あちこちを暴れまわったというか。どれだけ強くても日々の生活っていうのがあるから、絡んできた不良を返り討ちにして金を巻き上げる日々を送ってたんだよね」
『白髪赤目の化け物のような少女がいる』という噂は、不良を中心に徐々に広まっていき、ある種の都市伝説のようになっていった。
それから、時折度胸試しのように不良が謎の少女を倒し正体を暴こうとミラのテリトリーに入り込むようになった。
そして、ミラはその尽くを返り討ちにし、ペナルティ感覚で財布から金銭を巻き上げては適当な場所に放り投げる日々を過ごした。
ミラが備えている最低限の一般常識の中に、カツアゲはいけないことだという良識は存在しなかった。
厳密には目の前の暮らしと比べて優先順位が遥かに下にあるのでまったくないわけではないのだが、それでも欠片も考慮していないくらいには倫理観がぶっ飛んでいた。
「その、戦うのが好きになったのも、それがきっかけで?」
「んー、きっかけとはちょっと違うかな。あの頃は生活の問題もあったし、自分から積極的に仕掛けたわけじゃなかったし。まぁ、下地にはなったと思うよ」
自分から襲うことがなかったのは、本当に最低限の良識が残っていたととるべきか、それとも「仕掛けてきたのは向こうの方」という言い訳(あるいは屁理屈)を残していたととるべきか。
もちろん、当時の風紀委員会もミラの噂を認知しており、確保に動いたりもした。
だが、本能的に必要以上の面倒を察知したミラが風紀委員会が動く前に活動地域を転々としたため、捕まえることもできなかった。
そんな生活が数ヶ月続いた頃、転機となる出会いが訪れた。
「誰も外に出てこないような土砂降りの雨が降っていた日、公園の木の下で雨宿りしていた時に、ヒナと出会ったんだ」
それは、強烈なゲリラ豪雨に見舞われた日だった。
この頃になるとミラもごみ捨て場やリサイクルステーションから古着を見繕っていたため、ぼろ切れ一枚の時よりもみすぼらしくはなかったが、それでも傘や雨合羽の類いは持ち合わせていなかった。
多少の雨ならともかく、バケツをひっくり返したような雨では木の下にいても気休めにしかならない。
目覚めてから今まで劣悪な生活環境の中で一度も体調を崩したことがないとはいえ、これはさすがに風邪をひいてしまいそうだと他人事のように考えていた時、黄色の雨合羽を着たヒナと出会った。
『・・・なにしてるの?』
それが、ヒナからの最初の会話だった。
ミラも同じことを思ったが、ヒナの疑問は尤もであるため素直に答えることにした。
『ここで雨宿りしてる』
『傘は?』
『ない』
実際は言葉通り持ち合わせていないのだが、ミラが家なき子であると思いもしなかったであろうヒナは、雨合羽の内側から折りたたみ傘を取り出してミラへと渡した。
『これ、使って。お家に帰れる?』
『ない』
『え?』
『帰るお家、ない』
『お父さんとお母さんは?』
『分からない』
ここで、ヒナは全てではないにしろ事の深刻さを理解した。
一瞬ショックを受けたような表情を浮かべてから考え込んだ後、折りたたみ傘を渡す代わりにミラの両手を握った。
『それじゃあ、私の家に来る?』
『え・・・?』
ヒナの提案は、ミラの想像の斜め上をいくものだった。
倫理観が欠けているミラだが、見ず知らずの初対面の相手を家に連れ込むことが誉められたものではないというのは知識として把握している。
だが、ミラから見てもヒナが善意から申し出ているのが分かるため、どうしたものかと視線を右往左往させることしかできない。
そうこうして雨が止むまで悩んだミラだったが、業を煮やしたヒナによって半ば強引に自宅へと連れて行った。
「最初はまぁ、ものすごい驚かれたけど、事情を話したらそのまま引き取られることになって、今に至るって感じかな」
「なんというか、幼馴染みって言うより姉妹みたいな感じだね?」
「たしかにそうかも」
実際は、当時はすでに物心もついて自我もはっきりしていたため、本人たちに姉妹という意識はあまりない。
だが、傍からは姉妹のように見えるというのも不思議ではないのだろう。
少なくとも、ミラの姉を自称している
微笑ましい光景を想像して笑みを浮かべる先生だったが、別の疑問がほったらかしなことを思い出した。
「あれ、それじゃあ、戦闘が好きになったのはどこから・・・?」
「あー・・・そっちはそこまで大した話じゃないというか・・・」
たしかに、今の話ではミラが戦闘狂になった経緯が分からないままだ。
別にわざわざ話すような内容でもないのだが、何がなんでも話したくないというわけでもない。
少し悩んでから、ミラは正直に話すことにした。
「ほら、ヒナって昔から責任感が強かったから、問題を起こしてる子がいたら止めにいくじゃん?」
「うん」
「でもやっぱり、逆ギレして手を出そうとする子もまぁまぁいるわけで、私が力づくで分からせることも多かったんだよね。ほら、私って強いし」
「うん」
「それを繰り返していくうちに・・・いつの間にか・・・」
「そっか・・・」
擁護すると、ミラとて弱い者いじめに悦を見出すような性分ではない。
ビビりまくって退散するのが大半を占めているが、中には最後までミラに挑もうとする者もいれば、当時のミラが未熟であったが故に数なり策なりで拮抗することもごく少数だがあった。
ミラが価値を見出したのはその少数であり、挑むこと挑まれることで自分自身の存在意義を感じるようになった。
「まぁ、身も蓋もないことを言っちゃえば“性に合ってた”んだろうね。初めて心から楽しいって実感できたのは、ゲヘナに入ったばかりの時かな」
「何かあったの?」
「ちょっと上級生と殴り合いの喧嘩を。まぁ、この話はヒナが嫌がるからここまでってことで」
ヒナが嫌がる話であると明言したということは、よほどのことがあったのだろう。
興味がないわけではなかったが、さすがにそこまで踏み込むのも悪いため先生も「分かった」と言って大人しく引き下がった。
ミラも話は終わりとばかりに書類と向き合い始めたが、ふと思い出したように視線を書類に向けたまま口を開いた。
「一応言っておくけど、記憶喪失とか最初の頃の生活環境に思うところは特にないからね。私にとって大事なのは、ヒナに会ってからのことだから」
それなら黙って失踪したのはなおさらダメだったのでは、と言いかけたのを先生は咄嗟に飲み込む。
反省の色が見られないなら言っていたかもしれないが、今のミラはきちんと反省し改善している。
その上で口を出すのは、さすがに野暮というものだ。
それはそれとして、“どの口が”と思わなくもないが。
「・・・そっか」
いろいろと思うところを押し込んで絞り出した声に反応することなく、ミラは淡々と書類作業を進めていく。
ミラのことをより知ることができて良かった反面、ヒナの心労もより正確に把握してしまった先生は、今度ヒナが当番で来たら思いきり甘やかそうと心に決めた。
行く宛もなかったところを拾ってくれた大恩人を放ったらかして失踪したとか、マジかこいつ。
掘り下げる度に人の心案件になるあたり、ミラの業が深すぎる。