その後のイチカとのお出かけは何事もなく終わり、翌日。
ミラはとある場所を訪れていた。
「運命アンです。入りますよ」
「・・・どうぞ・・・」
ドアをノックして返事が返ってきたのを確認してから、ミラは重厚な木製のドアを開けて中に入った。
部屋の中は昼間とは思えないほど真っ暗になっているが、それに構わずミラは勝手知ったるとばかりにカーテンを開け放った。
「へぇぅ!?い、いきなり明かりをつけないでくださいって、何度も言ってるじゃないですか!」
「何か作業をされているようなら、先に声をかけていましたよ。それか、私が来た時点で明るくするように・・・」
「あーもう、敬語とかやめてください。
「ウイ、言っていいことと悪いことくらいあるんじゃない?」
アンではなく本名を言った少女に対し、ミラは脅すでもなく呆れた声で肩をすくめた。
古関ウイ。
トリニティの図書委員会委員長であり、“古書館の魔術師”と呼ばれるほどの古書のエキスパートでもある。
難点があるとすれば、根っからのインドア派かつ引きこもり気質で、なおかつ人間不信のきらいすらある筋金入りのコミュ難なことか。
そのためミラも決して友好的な関係を築けているわけではないが、こうして入館証を持たずに訪問しても追い返されない程度には存在を許されていた。
「それに、今の私は『運命アン』なんだから、敬語くらい使うに決まってるでしょ?他の生徒にバレたらどうするの」
「別にいいじゃないですか、シミコ以外は滅多に来ないんですから」
「来ないというか、来させないでしょ。せっかくできた可愛い後輩なんだから大切にしなー」
一応は図書委員会の本部としても使われている古書館なのだが、現在はほとんどウイによって半ば私物化されており、扉に鍵をかけているのはもちろん、バリケードすら築かれていて『誰にも近寄らせない』という強い意志を感じさせる。
それでも、ウイの後輩である図書委員会のシミコや腐れ縁のようなミラは気にしないのだが。
「それよりも、今日も調べごとをしたいのと、念のためにウイに聞いておきたいことがあって」
「何ですか?」
「エデン条約について、何か知ってる?」
「公表されている以上のことは知りません。むしろここをゲヘナに荒らされたくないんで私は反対派です」
「だよねぇ」
知ってたと言わんばかりに、ミラは呆れるように肩を竦めた。
まぁ、出会いからして良いか悪いかで言えば決して良いとは言えない方なのだから、そんなものなのだろう。
* * *
「古書館、ですか?」
「はい。入館証をいただければ入れると伺ったのですが・・・」
ミラが失踪してから、学年で言えばまだ2年生だった頃。2度目のトリニティの潜入でミラは古書館に行こうとしていた。
元々ミラがトリニティに潜入するようになった理由は、とにかく情報を得るためだった。
ゲマトリアが神秘や古代についてかなり詳しいと悟ったミラは、できるだけゲマトリアの目論見を先読みできるようにとトリニティの図書館でひたすら文献を読み込んだ。
一応、ゲヘナにも同じような古文書なんかは存在し、ミラも暇なときに内容を確認してはいたものの、やはり違う視点からの情報も欲しいということで嫌々ながらもトリニティに潜入することにしたのだ。
一度目の潜入で、図書館に存在する歴史書の類はおおよそ読み終えたが、それだけではゲマトリアを出し抜くどころか追いつくことすら難しかった。
そのため、二度目の潜入でより深い情報を得るために古文書を大量に保管している古書館に向かうことにした。
話を聞けば、図書委員会から入館証をもらえば入れるらしいためにさっそく係員にその旨を伝えたのだが、何故かその係から渋い顔をされた。
「えっと・・・何か不都合でもありましたか?」
「いえ、入館証を発行するのは構わないのですが、その・・・実は現在、古書館は半ば占領されているような状態でして・・・」
「は・・・?」
係員の言葉に、ミラも思わず耳を疑った。
図書委員会の本部でもある古書館が占拠されているなど、さすがに物騒すぎやしないだろうか。
だが、ミラが思っていた占拠とは少し違うようで、ミラの勘違いを察した係員が詳細を説明した。
「占領と言っても、武力蜂起といったものではなくて、図書委員会の一人が立てこもっているような状態なのです。鍵は閉め切っていますし、周囲にバリケードも構築されている有様で・・・」
「えぇ・・・?」
「ですので、入館証を持って古書館に向かうこと自体は止めませんが、中に入れるかどうかは別問題というか・・・」
「それはまた、何と言うか、その・・・大変、ですね・・・?」
「お気遣い、感謝します・・・」
思わずこぼれたミラの本心からの労いに、係員も深々と頭を下げる。
面倒な手続きくらいは覚悟していたのだが、まさか古書館に入ること自体が面倒なことになるとは思っていなかった。
面倒ではあるが・・・だからと言って、何もせずに帰るというのももったいない。
「・・・分かりました。行くだけ行ってみます」
「はい。申し訳ありません・・・」
「いえ、お気になさらないでください」
おそらくは病弱な(ということになっている)アンに無理をさせてしまうことを気に病んでいるのだろう係員を優しくなだめながら、ミラは内心で面白そうなことになったとほくそ笑んだ。
ここで退くのは癪だという反骨心もないわけではないが、どちらかと言えば古書館を一人で占拠などというトリニティとしては珍しい暴挙を起こした問題児に会ってみたいという興味の方が強かった。
他の生徒が寄り付かないなら多少演技が崩れたところで問題ないだろうし、最悪バレても脅して口封じをすればいい。
そんな軽い気持ちで、ミラは古書館に訪れてみることにした。
「ここか・・・マジでバリケードが敷き詰められてるじゃん」
話を信じていなかったわけではないが、実際に一目でトリニティ内でも年季が入っているとわかる古書館の建物の前に手作り感満載のバリケードが乱立している光景を目の当たりにすると、何がどうしてこうなったのかと思わざるを得なかった。
ここまで過剰な防衛拠点を設営するということは、立て籠もっている生徒は相当な武闘派なのだろうか。ないとは思いたいが、もし戦闘になったら被害を抑えるために出来るだけ手早く制圧した方が良い。
係員から特別にと預かった合鍵を片手に、頭の隅で対応策を考える。
まず手始めに扉に手を掛けてみると、係員から言われた通り鍵がかかっていた。
次にそっと鍵を差し込み、できるだけ音を立てないように鍵を開ける。
潜入捜査さながらのようにドアを開けると、中は窓やカーテンが閉めきられて真っ暗になっていた。
(ふむ、いざというときは闇討ちでもするつもりとか?少し厄介ではあるかな)
相手は夜間戦やゲリラに精通しているとでもいうのだろうか。
何にせよ、警戒するに越したことはないだろう。
だが、いくら窓やカーテンで光を遮断しようとも完全な暗闇とはなっておらず、ミラの真っ白な装束ではなおさら目立ってしまうもので、
「ひっひえっ!だ、誰ですか!?」
慎重な行動もむなしく、アッサリと見つかってしまった。
こうなっては仕方ないと、ミラはひとまず会話を試みることにした。
「はじめまして、運命アンと言います。古書館を利用したくて来たのですが」
「えっ?で、ですが、扉には鍵をかけていたはず・・・どうやって中に・・・?」
「図書委員会の方から貸してくださった合鍵を使わせてもらいました」
ここまで話してみて、ミラは何となく「あれ?なんか思ってたのと違うな?」と思い始めてきた。
占拠なんて豪胆な真似をした割に、話し方がたどたどしいというか、どこか根暗な気配を感じさせる。
「ひとまず、部屋を明るくしてもらっても良いでしょうか?」
「な、なんですか?何のために来たんですか?まさか、私を追い出すために?」
「いえ、私は個人的に古書館を利用したくて来ただけなのですが・・・まぁ、委員会の方からおおよその配置は聞きましたので、こちらで明るくさせていただきますね」
「ちょ、ちょっと待っうぎゃあ!?」
まともに会話しても埒が明かないと判断したミラは、引き止める声を無視して勝手に窓を開け放った。
部屋の中が光で満たされると同時に、まるで太陽の光を浴びた吸血鬼のような悲鳴が響き渡る。
(あぁ、単純に明るいのが苦手なだけだったんだね)
なんだか思ってたのと違うなぁと一抹のガッカリ感を覚えつつ、ミラはようやく古書館を占拠している主と対面した。
現れたのは、ボサボサに伸ばした黒髪に目の下に隈を浮かべる少女だった。
身長はミラより高いものの、それが余計に不健康さを際立たせる。
武闘派のイメージはミラの思い込みだったとしても、よくもまぁこのなりで古書館の占拠とバリケードの構築をやってのけたものだと一周回って感心するほどだった。
「うぅ、ひどい目に遭いました・・・」
「少しは光を浴びないと健康に良くないですよ」
「いいんですよ、この子達に浴びさせる分で十分ですし・・・ていうか、勝手に入って何様なんですか?図書委員会の人じゃないんですよね?」
「そういうあなたも、図書委員会だからと勝手にこの場所を占領するのはどうなんですか?」
互いにバチバチと火花を散らしているが、表に出ている表情はミラが呆れているのに対して、占領犯は敵対心を剥き出しにしてきた。
「まぁ、そのことについてはひとまず置いておきましょう。名前を聞かせてもらっても?」
「・・・古関ウイ、図書委員会の二年生です。あなたは、運命アンって言ってましたよね?」
「はい。病弱なもので、登校することは稀ですが」
「ふうん・・・?」
ミラの言葉に、ウイは疑わしげな視線を向ける。
隠そうともしない猜疑心は攻撃的にも見え、ミラはどうしたものかと頭を悩ませる。
「私としては、調べたいことがあるのでここの古書を読ませていただければ・・・」
「どうだか。そうやって顔を隠しているのは、何か不都合なことでもあるんじゃないですか?」
「これは日光を避けるためのもので、やましいことがあるわけではないのですが」
「そもそも、病弱とか言っておきながらあのバリケードを乗り越えるのも不自然ですよ?」
「いつも寝たきりというわけではなくて、体調が良い日であればそれくらいはできます」
「信じられないですね!あなたからはシスターフッドみたいな秘匿主義者の臭いがします!まさか、そのフードの下には角でも生えて・・・」
「疑心暗鬼や陰謀論に囚われることを非難するつもりはあまりありませんが・・・そういうの、軽々と口にしない方がいいよ?」
瞬間、ミラは音もなくウイのすぐ近くにまで接近し、膝を落として視点を自分より低くしてから自分のフードの中身をウイに見せた。
すなわち、赤い瞳とニ対の角を。
「それが、うっかり正解だったりすることもあるからね」
「ひっ!?ゲ、ゲヘナ!?しかも、白髪赤目って、あの・・・!?」
「へぇ、単に引きこもっているだけじゃないんだ。感心感心」
他者には徹底的に無関心と思いきや必要な情報はある程度把握しているあたり、ただの引きこもりではないのだろうとウイへの評価を上方修正した。
「な、何が目的なんですか?まさか、ここをめちゃくちゃにするつもりで・・・!?」
「あー、うん、脅してごめんね?別にそんなつもりはないから。ここには本当に情報収集のために来たの」
「情報って、なんのですか・・・?」
「古代のことなら、割となんでも。訳あって必要でね。ゲヘナにいた頃も古文書とか読んでたけど、トリニティのと表現や解釈の違いを確認しておきたくて」
「ふむ?」
ミラの言葉に、ウイはすっと目を細めた。
先ほどまでのおどおどした態度と違い、たしかに彼女が古書のエキスパートであると確信できる雰囲気を身に纏い始める。
「ゲヘナにも、古代のことを記した古書が存在しているということですか?」
「まぁね。さすがに数も設備もここほど立派じゃないけど、地下で厳重に保管されてるよ」
問題児や治安の悪さで勘違いされることも少なくないが、ゲヘナの歴史もまたトリニティと並ぶほど長い。というより、最初の歴史が二校の対立で始まるほど同時期から存在している。
そのため、決して環境に恵まれているというわけではないが、ゲヘナにもまた古代のことについて記された書物が存在している。
「だけど、一方の視点だけで歴史を紐解くと情報が偏っちゃうから、トリニティの方でもどんな感じで記されているのか確認しておきたいんだよね。それに、こっちならゲヘナに書かれていないことが分かるかもしれない」
「・・・あなたは、ゲヘナに存在する古文書の内容を正確に覚えている、ということですか?」
「さすがに一言一句違わずとは言わないけど、凡そは」
「・・・わかりました。私も協力します」
先ほどまでの怯えた態度はどこへやら、たしかな意志が籠った眼差しで、ウイは自分から協力を申し出た。
さすがにミラもこの反応は予想外で、思わず尋ね返してしまった。
「いいの?」
「はい。ゲヘナにもあなたのようにこの子達の価値を正しく理解している人がいるとわかりましたし、私もゲヘナにいる子達が何を知っているのか興味があります」
ここでようやく、ミラはウイが古書のことを“子”と一つの存在として大切に扱っていることに気がついた。
古書館を一人で占領しているのも、おそらくはそういうことなのだろう。
良く言えば、自分が最も古書を大切に有用に活用できるという自負。
悪く言えば、他者に大切な古書を任せることができないという不信。
だが、ミラは“古書の価値を正しく理解している”という一点においてウイに認められたということらしい。
「ですので、これは取引です。あなたからゲヘナに残されている情報を教えてもらう代わりに、私もあなたの情報収集の手伝いをさせてもらいます。そうしてもらえるなら、あなたは特別に入館証無しで出入りしても構いません」
「随分と大盤振る舞いじゃん。本当にいいの?」
「もちろん、私が相応しくないと判断すればそれまでです。それに、逃亡生活をしてるらしいあなたならその方が都合がいいでしょう、暁ミラさん」
「やっぱり、私のことを知ってたんだ」
「トリニティの同年代なら知らない人の方が少ないですよ。むしろ、よく気づかれないですね・・・」
ウイとしても、こんな爆弾を抱えるのは苦渋の決断でもある。
だが、それ以上にこの少女を自分の近くに置いた利益を優先したのもまた事実だった。
「まぁ、そういうわけで。これからよろしくお願いします、ミラさん」
「こっちだとアンなんだけど・・・こっちこそよろしく、ウイ」
こうして、二人の奇妙な協力関係が始まった。
* * *
あれからおよそ一年。会った回数もそこまで多くなかったことからお世辞にも親睦を深めたとは言い難いものの、それでも軽口を言い合うような腐れ縁のような仲にはなった。
ちなみに、当時の係員には適当に誤魔化して「やっぱり無理でした」と報告したため、今の状況について図書委員会は把握していない。
「それで、エデン条約のことについて調べてどうするつもりですか?」
「うーん、どうするってほどのことはないんだけど、何となく調べた方がいいような気がするんだよね」
「要するに、直感ですか。ミラさんの直感はだいたい碌なことにならないので嫌ですね」
割と失礼な物言いではあるが、ミラの直感は悪い方面で当たることが多いため否定はできなかった。
その代わり、ミラは別のことについて尋ねてみる。
「ウイは、何か知っていることとかないの?関係ありそうなところだと、トリニティの第一回公会議のこととか」
「ないわけではないですけど、そういうのはどちらかと言えばシスターフッドの領分です。まぁ、聞いたところで素直に教えてくれるとは思いませんけど」
「そう」
アレルギーレベルでシスターフッドのことを嫌っているウイのことは放っておきつつ、トリニティの歴史についてまとめてあるエリアで目的の本を探す傍らでウイが言った“碌でもないこと”について思考を巡らせる。
(戦乱が続いた中で結ばれた和平条約。そりゃあ碌でもないことの一つや二つくらいはあるよね)
歴史は勝者によって紡がれる、なんてのはよくある有名な言い回しだが、政治色の強いトリニティであればなおさらだろう。
これがもし真実だったとして、いったい何が隠されているのだろうか。
(藪をつついて蛇を出したところでどうとも思わないけど、どろどろの歴史をつついたらいったい何が出てくることやら)
少なくとも、気分のいいものは出てこないだろう。
まるでお化け屋敷や心霊スポットに向かうような気分になりながら、ミラは目についたトリニティの歴史について書かれた本を手に取った。
ウイの魅力の8~9割くらいは奇声に詰まってると思います(個人の意見)。