絶対的だったV.Ⅰの存在と、オールマインドの用意したデッドコピーを排除してしまえば、アーキバスの本拠地を落とすのに困難はなかった。
さらには、意外にも本当に惑星封鎖機構の元駐屯地司令だったV.Ⅱが、状況を把握して早々に投降を持ちかけてきた。一式丸ごと、左から右へと、かつて手を貸してもらった残存部隊に引き渡したという。フラットウェルがなんとも言えない悪い顔をしていた。
こうなると気の毒なのはアーキバスの職員とヴェスパーの一般隊員だ。ようやく立て直したところが総崩れになったのだから、たまったものではないだろう。
散々苦労させられた上でどうにか無事に確保できたウォルターは、年齢もあってかなり衰弱していたが、治療の経過は良好だという。
最近では、足繁く通うK9とチャティを相手に、ぽつぽつおしゃべりをすることもできるようになっているらしい。
ルビコンは動き始めていた。
未来へ向けて。
壊れたものを置き去りに。
オキーフから話が来たのは、バスキュラープラント制圧とヴェスパーの司令部陥落から半月ほどが経った頃だった。
「オールマインドの件だが、データセンターの所在がわかった。既に現在、オーバーシアーによって通信を遮断されている状況だが……物理的な破壊を行えば、脅威のより根本的な排除となる」
「そうですね。まあ、ルビコンの独立傭兵は大混乱に陥りそうですが……ああ、もうそうなってるんでしたっけ」
ぼんやりと頷いた。
なにしろ幅広い役割を受け持っていたAIだ。依頼の受発注や報酬の清算、武器やパーツの販売や製造に至るまで。基本的なプログラム自体はAIがなくとも動くだろうが、能動的な動きをすることはできなくなる。
「……一応聞くが、お前はどうする?」
顔を上げ、首を傾げた。
どう、とは何だろう。
「戦力は足りている。お前が残るというなら通るだろう。それとも――」
「行きます」
別に、オールマインドに恨みがあるわけではない。あれはフロイトの意思で、オールマインドはむしろ利用された側だ。
オキーフの懸念は理解できたが、留守番をするという選択肢は無かった。
「……行きます。行かなくて誰かが死ぬことになったら、きっと後悔すると思うので」
「……そうか。……そうだな」
「戦力が充実しているというのは安心材料ですね。私が暴走しそうになったら、止めてください」
「ああ」
冗談で言ったつもりだったのに、真面目に頷かれてしまった。そんなに危うく見えているのだろうか。
ともあれ、今回の作戦目標はサーバーの物理的破壊だ。仮に暴走したところで、問題が起きるとは思えない。他人を巻き込まない程度の理性は残しているつもりだ。
――場所は、グリッド135。
この星にたどり着いて、最初に降り立った場所だった。
高層建築たるグリッドの奥底に、その場所はあった。
堅牢で、密やかで、臆病さの垣間見える造りの隔壁を解錠し、内部へと侵入する。
いつか見たウォッチポイントの風景を思い出した。形状は違えど、緑色の光が無数に瞬く、プラネタリウムのような様相だ。
周囲に銃口を向けながら、慎重に進んでいく。
急に明かりが点り、オールマインドの声が呼びかけてきた。
《オーバーシアー、独立解放戦線……強化人間C4-621、レイヴン。貴方がたがここまでたどり着くことは、想定外でした》
《ずいぶんとまあ、甘い想定だったねえ。封じ込められた時点で気づけただろうに》
カーラが鼻で笑った。
実際のところ、サイバー戦でAIに勝てる彼女が規格外なのだろう。味方でなければ恐ろしい相手だ。
《大それた夢を見たな、オールマインド。一介の傭兵支援システムには分を越えた話だ》
《貴方がたは、何故理解しないのです。人はその可能性に比べてあまりに愚かです。十全な管理の下、適切な繁栄による増加と闘争による淘汰こそが、より大きな進化を促すというのに》
《悪いな。それに興味のない連中ばかりが集まっているんだ》
《大体がねえ……あんたはちょっと人間って物をわかっちゃいない。あのままV.Ⅰにリリースさせたところで、あんたの思うように行くわけがないじゃないか。人選ミスにもほどがあるね。それで全知全能気取りされちゃ、笑いすぎて腹がよじれちまう》
特に言いたいこともなかったので、口を噤んだままオキーフやカーラのやりとりを聞いていた。
挑発することで、“彼女”の設計者、あるいは改竄者を突き止めたいようだったが、進捗は芳しくないようだ。
少しばかり飽いてきたころ、暗号通信が入った。
《C4-621、レイヴン。貴方に提案があります》
「……提案?」
《貴方の望むものを、貴方にお返ししましょう。我々につき、この場にいるすべての敵性機体を破壊してください》
「何を言っているの?」
メインサーバーが収まっている様子の機材へ銃口を向ける。暗号通信の内容を、広域回線でそのまま流してやった。
同行したすべてのACが、警戒して攻撃準備を始める。
モニタに表示された映像が、ひとつのポッドを指し示す。
黒い楕円形のポッドだ。ここから中身は見えない。けれど、嫌な予感に肌が粟立った。
《V.Ⅰ フロイトの肉体は、この中にあります》
「……そう。悪趣味ね」
後生大事に手元に抱えているとは思っていなかったが、予想はできていたことだ。
「微小管で発生した波動関数の収縮情報」とやらをデジタル化するとして、肉体が自動的に消滅するわけではない。
捨てたものはその場に残るだろう。そして、人工呼吸器などの手立てを用いれば、肉体の生命活動を維持させることは可能だ。
――それだけのことだ。
チリチリと肌をさす苛立ちがあった。まだ感情が死んでいなかったのだと、自分で意外に思う。
「それが取引き材料? 中身のない人間に何の意味があるの。弔ってやれとでも?」
《“中身”は我々の中にあります。G5 イグアスと同じく、復元は可能です》
「
《はい。無論――》
目の前が真っ赤に染まった。
ふくれあがる殺意のままに、引き金を引く。
破裂音と共に機械へと銃弾が撃ち込まれた。火花を散らし、煙を上げるサーバーから、ポッドへと銃口を動かす。
「……何回、殺させようって言うの……」
心臓が狂うほどの熱で沸騰した。呼吸が浅くなって、指先が冷たくなる。
肉体などただの器だ。それだけ残っていたって仕方がない。そこにいるのは、“フロイト”ではない。
――醜悪で不気味な、違う何かに変えられてしまうくらいなら、いっそ。
《待て、レイヴン!》
オキーフのバレンフラワーが射線上に入ってくる。邪魔だとしか思えなかった。
「どいて」
《やめておけ……銃口を下ろすんだ》
どうして止めようとするのだろう。
目が焼けるように熱い。眩むようだ。苛立ちはなぜか声には乗らなかった。どこか遠くで聞いているようで、現実味がない。
おずおずと別の人間の声が割り込んでくる。
《ま、待ってよ、レイヴン。だめだよ……だって、まだ、生きて……》
「生きていないわ。私が殺した」
《……でも! だめだよ、大事なひとなんでしょう!?》
答えなかった。
だからこそなのだと言っても、きっと通じない。伝わらない。
《戦友、どうしてもと言うなら私がやろう。……君の傷になる》
「……傷なんて」
口元が歪んだ。
今さらすぎる。どうでもいい。フロイトではないフロイトを見せられるよりずっとましだ。
手を下す役割を、誰かに譲るつもりもない。
カーラが大きく息を吐いた。
《……可能性の話をするかい、レイヴン。なにも今、それを捨てることはないだろう》
「無理よ。信じられない」
《……強情だね……。チャティ、ちょっとこいつの相手をしてやりな。――意味はわかるね》
《了解だ、ボス》
寄って集って、何を説得にかかる必要があるのだろう。
彼を必要としている人間など、この場には一人だっていないだろうに。
どうすればいいのかわからなかった。ただひたすら、怖れていた。今自分がいる場所すら見失っている気がした。
《レイヴン、情報を整理しよう。お前はフロイトを憎んでいるのか?》
「……まさか」
《重畳だ。では、なぜ肉体を破壊する必要がある?》
なぜ、と問われて、直感的だった嫌悪感の中身を考えた。
オールマインドが“中身”を入れると言ったからだ。そしてそれが、“彼”ではないと確信したからだ。
口に出すにはためらいがあって、唇を結んだ。
《俺たちがお前を止める理由は、簡単なものだ。その必要性がなく、それが今である必然性もなく、結果が不可逆的なものだからだ。もし――》
「それでも」
ぶつけるように言葉を遮った。
言われていることはあまりに正しくて、感情が追いつかない。
「それでも、耐えられない。これ以上、見たくない」
これはただの我が儘だと、ようやく気付いた。
もう二度と帰らない存在を、醜悪な何かで塗りつぶされることが耐えがたかった。
記憶も、思いも、踏みにじられるようで。
どうしてもいやだった。
《俺も、死んだ存在を取り戻すことが可能だとは考えていない。お前の怒りの根拠は、理論上理解できる》
「……だったら、止めないで」
《止めるべきだ。止めて欲しいはずだ。殺すにしても、手順がある。それこそ――弔わなくて、いいのか》
指先が震える。照準がぶれた。
殺してからでもできることだ。宥めるための発言だとわかっていても、一瞬だけ揺らいだ。
わからなかった。どうしてこんなことになっているのか。
ぐらぐらと煮立つ感情を抱えたまま、バレンフラワーに目を戻した。
「弔いなら後でするわ。……どいてください、オキーフ。このまま、撃ちますよ」
《……レイヴン、お前が言ったんだ、止めろと》
「暴走なんてしていません。冷静です」
ACなら多少巻き込まれても死にはしないだろう。
照準を定める。引き金を引こうとしたとき、耳慣れた声が割って入った。
《……待て、621》
打たれたように、身体が動きを止めた。
この場にいないはずの声だ。
自分を止められる力をもつ、唯一残っている声だ。
いつだって重々しく、ほとんどの場合で苦々しく、冷酷を装いながら情を捨てきれない、“飼い主”の声だ。
ああ、と息を吐く。
――まだ残っているものが、自分の中にあったのだと。
《
幾度となく聞いた言葉に、まるでそうプログラムされているかのように自然に、銃口を下ろしていた。
泣きたかった。
泣けなかった。
唇を噛み締めて、ただやるせない感情が過ぎ去ってくれるのを待つ。
なにひとつ信じられなくても、この声に従うことはできた。可能性なんて信じられなくても、怖さはどうしても拭えなくても――自分に言い訳をつけることができた。
甘えだ。
止めてくれた誰も彼も、何の利益もなかったはずだ。ただひたすら、自分のことを案じてくれていただけなのだと、本当はわかっていた。
なさけなくて、うれしくて、それでもまだ消えない怒りが腹の底を灼いていて――抱えきれない感情に両手で顔を覆った。
いつか、もし、このことを後悔するときが来ても。
きっと、誰も憎むことはできない。
バスキュラープラントの改造工事が終わったのは、その三日後だった。
接収したアーキバスの機材と技術部員を総動員して当たらせたと言うから、大丈夫なのだろうかと少し心配になる。ただ、カーラがそんなところで下手を撃つとは思えないので、おそらく問題は無いのだろう。
ACの出番はなかったので、拠点からその作業を眺めた。異様なほどの巨大建築なので、地平線の向こうにでもなければどこからでも見える。
だというのに、なんとなく誰もが高台まで集まってきて、いつの間にか大所帯になっていた。
バスキュラープラントが稼働を始めて、30分ほどが経過していた。
ぷつぷつと弾けるような耳鳴りがした。
自分には耳鳴りとしか聞こえないこれは、コーラルの「声」なのだろうか。だとしたら、きっと聞こえないことは幸いだ。
ちらりと、K9の様子をうかがった。この子にはどう聞こえているのだろう。
“交信”を行うには、旧世代型強化人間であること以外にも条件があると聞いている。同じような耳鳴りなのか、それとも、G5イグアスのように、その意味を受け取ることができるのか。
無表情な横顔からはうかがえない。だが、どこか悲しげに見えるようにも思える。
どうにも気になってきたので、口にしてみた。
「K9、貴方には、声が聞こえる?」
少年がこちらを見て、ぱちりと目を瞬かせた。
そのままこっくりと頷く。
驚く大人たちに大した反応はみせず、K9はウォルターに顔を向けた。
〈ウォルター、エアと、はなしてもいいのか〉
車椅子姿のウォルターが、難しげに考え込んだ。
旧世代型強化人間であるK9は、コーラルリリースのトリガー足りうる存在だ。接触させることはためらわれる。
だが、K9はそれを望んでいるのだろう。
ウォルターはしばらく黙り込んでいたが、やがて、バスキュラープラントのコントロールセンターへ連絡を入れた。
画面の向こうのカーラは、計測装置を確認しながら肩をすくめた。
《まあ、共振が起きる水準にはない。言えるのはそれくらいだね》
「……そうか」
深く息を吐き、ウォルターはK9を見つめた。
「639、お前の思うようにするといい」
頷いたK9が、硝子玉のような目をバスキュラープラントへ向ける。
そして、呼びかけた。
〈エア〉
耳鳴りが、さわさわと揺らいだ。
しばらく黙って待っていたK9が、ことりと首を傾げる。
〈おれ? ……K9。ウォルターのりょうけんだ〉
とたん、叱られたように首をすくめた。
当然の話ではあるが、どうやら恨まれているらしい。
〈エアはウォルターがきらい? ……そうか。おれはすきだ〉
誰かが吹き出した。ウォルターの顔をこっそりうかがうと、なんとも言えない顔をしている。
K9は困ったような空気を漂わせていた。しばらく黙って相手の言葉を聞いているようだったが、ふと、繰り返すようにつぶやいた。
〈……“なんのために”〉
灰色の視線がさまよう。まるで、答えを見つけようとするかのように。
〈うまれてきたことに、りゆうは……ない、と、おもう。おれにも、だれにも。
でも、いきたことには、いみがうまれるって、チャティがいっていた。……あ、チャティはおれのともだちだ。すごいやつなんだ〉
こんなに小難しいことを、長々と話すところは初めて見た。
受け売りだからか年齢よりも相当大人びた発想だったが、あわてたように付け加えるところは、年相応の幼さがある。
アンバランスさを持つ少年は、今懸命に、対話をしていた。
〈はなしかけてる、りゆうは。……ないてたから〉
………、……
〈しぬときにひとりなの、おれはさみしい。だれかがいたら、うれしい〉
……・…、……。………
〈おれだったら、すきなひとのはなしをしたい。ウォルターとか、チャティとか、レイヴンとか。みんなのはなしがしたい〉
…………
〈だから、エア。イグアスのはなしをしよう〉
思わず目を瞠って、彼の顔を見た。
心なしか、ざわめきが収まったようにも感じた。
〈おれはあったことがないから、おしえて。どんなやつだったんだ〉
淡々と、けれどとても穏やかな声で、K9は問いかけた。
誰もが声を潜めていた。
胸が苦しくなった。指先で服を掴んで、握りしめる。
(……きっと、私でも……)
自分でも、死ぬときに誰かと悠長に話していられるとしたら、彼のことを話すだろう。
強くて、我が儘で、自分勝手で。誰にも似ていなかった彼との思い出を、鮮やかに残る記憶のことを、聞いて欲しいと願うだろう。
羨ましいと自覚した思いに、苦笑した。
K9が、ぽつりぽつりと相槌を打つ。
〈うん。……うん。……うん?〉
……、……、……・……
〈それはいやなやつだ〉
………!
〈……ちがうのか。むずかしいな……〉
…・……、………、……………
〈うん。……うん、そうか〉
…………。……
〈そうか〉
……、……
〈すごい。かっこいいな〉
…………
〈ふうん〉
………、……、………・……
〈……うん。いいやつだ〉
K9が口元を綻ばせた。
ほんの僅かな変化だが、それは確かに、笑顔だった。
淡い表情は、きょとんと目を瞬いたことであっという間に消えてしまった。
〈うた?〉
ぱちぱちと目を瞬き、やがて、こっくりと頷く。
〈ああ、きく。……うたって、エア〉
耳鳴りがざわめく。目を伏せて耳を傾けても、歌には聞こえない。
K9を見ると、彼は目を閉じてはいなかった。まっすぐに前を見ていた。
晴れた空から降りてきた風が、広がりながら吹き抜けていく。
細かい氷の粒が舞い上がり、光を弾いてきらきらと光る。上空を、雲が滑るように流れていった。
どのくらいそうしていただろう。やがて、小さなため息が落ちた。
〈すごい。すごく、じょうずだ〉
率直な感嘆を口にして、どう返されたのか、K9が首を傾げた。
しばらく考え込むように耳を傾けて、ひとつ頷く。
〈……わかった〉
何を頼まれたのだろう。
いくつもの目に見守られる中、彼は緊張するように深呼吸をして、口にした。
――彼女が望んだ、称賛を。
〈「わるくねえ」〉
耳鳴りが、嬉しそうに泣き出しそうに、響いていた。