【急募】「感情がないんだ」とか言い出した腐れ縁の魔女をキレさせる方法【私の幼馴染をなんとかする!】   作:てりのとりやき

4 / 8
獄暦4年。ヲ・ア羅系世界第一位『絶滅』は世界領土の45%を失っていた。

 前回の作戦2は、なんか私が楽しんで満足しちゃって終わってしまった。やはりこれも失敗だ。

 最近思うんだけど、ネットに頼りすぎるのってよくないんじゃないの? 思い返してみるとちょっと私安直すぎたんじゃないか。私は省みることのできる女。

 私はえらい。

 

「うーん。でも私ひとりじゃいい案出ないしな~」

「トキト。唇の上にペンを置いて遊ぶのはやめなさい」

 

 タコみたいに唇を突き出してペンが落ちない遊びをしてたら、キサレアに窘められた早朝。朝食をキサレアより先に終えた私は、目の前の白紙を前に腕組みしている。

 

「というか、その紙は何に使うの?」

「これはねー、キサレア怒らせる作戦用紙」

「……」

「あっ、キサレア朝ごはん食べ終わったね! 食後のコーヒー淹れるよ!」

「……ありがとう。相変わらず調子の狂う子ね」

 

 本当にそんなこと思ってんのかってくらい無表情でキサレアは頷いた。私は二杯分のコーヒー豆をミルでゴリゴリ砕いて、おいしいコーヒーにする。

 

「私は料理も上手だし、コーヒー淹れるのもうまいぞ~」

 

 私がふんふん鼻歌交じりに作ったコーヒーを「どうぞ」とキサレアに差し出すと、幼馴染は相変わらずの決まった所作で一口飲む。私は甘党でブラックが飲めないので砂糖をバッサバッサかきまぜた。

 

「相変わらず美味しいコーヒーが淹れられるのね。人工のコーヒー豆でここまで天然物に近い風味を出せるのは一種の才能だと思うわ」

「あれ言ってなかったっけ? 実は私ね、将来は喫茶店やってみたいんだよね~」

「経営能力の無さから1年経たずに潰れそうね」

「そこはキサレアが養ってよ。てか店手伝って!」

「その時が来たらね」

 

 マジ? 私めっちゃ頑張って美味しいコーヒーの淹れ方勉強するわ。売上とかは難しいからキサレア頼んだ。

 

「夢があると今日も一日頑張るぞ! って気持ちになるよね」

「日々のタスクを淡々とこなしていけば、即物的な夢なんて何でも叶うわ」

「よくわかんないけど、つまり私のお願いもいつか叶うってこと?」

「それが非現実的でないなら」

 

 ふーん。

 私は甘々のコーヒーを飲みながら考える。キサレアを怒らせるのって現実的かなあ。先日の水族館での、キサレアの寂しい言葉を思い出してしまった。

 感情を失い、感情で物を見れない年上の幼馴染。

 果たして私はキサレアのキレ顔を拝めるのだろうか。

 

「キサレア、私いいこと知ってんだよね」

「へえ。何かしら」

「一人で悩んでも何も解決しないってこと! 頼るべきは親、友、賢い幼馴染、お金持ちってね!」

 

 ちなみに私はその全てを持っている。優しいお母さんにパパ、博識な友達、賢くてお金持ちな幼馴染……コネに恵まれた私は強い。

 

「てかさ、キサレアも誰かほかの人を頼ればよくない? ほら、私とか……私とか?」

「レベルが違いすぎて話にならないわ」

 

 レベルが違うってことはつまり、私が凄すぎてヤバイってことか。私はヤバイ女……。

 

「そんなに褒められると悪い気しないなー」

「トキトはある意味天才よね」

「苦しゅうない。もっと褒めていいぞ」

 

「……」と何か言いたげに口元をもごもごさせたキサレアは、私が淹れたコーヒーを一口飲んでから話題を切り替えるかのように言う。

 

「私のやり方についてこれる人がいるなんて思えないもの」

「やり方って?」

 

 そういえばキサレアが研究頑張ってるのは知ってるけど、どんなことしてるのかは分かんないな。

 

「154億通りある魔法法則性全ての把握と、それら全ての検証」

 

 はえー……。

 ……。……、……?

 

「つまりどゆこと?」

「例えば、『コーヒー豆からコーヒーを抽出できる』魔法法則性の世界があったとして。そこでは当たり前のようにコーヒーを魔法で抽出していたとする」

 

 キサレアは唐突にそんなことを言い出した。これはあれか、私にも分かるように説明してくれてるのか。

 いつの間にか空になっていた幼馴染のカップに、私は何も言われずともお代わりのコーヒーを淹れた。「ありがとう」と短く言ったキサレアは香ばしい匂いと共に膨らむ湯気をぼうっと眺めつつ続ける。

 

「私は無糖のコーヒーしか飲まない。だけど世界が突然ほかの魔法法則性にも支配されたとして――『コーヒー豆からは甘いコーヒーが抽出される』魔法法則性があったとしたら?」

 

 キサレアの問いに私は腕組をして考えた。

 

「うーん。キサレアはすっごく落ち込むと思う」

「そうね。感情があった頃なら辛い思いをしたことでしょう」

 

 なら、とキサレアは卓上に置かれたミルクポーションを手に取った。培養牛から採った牛乳がキサレアのカップへと注がれていく。黒に白が混ざっていく不思議な光景。

 

「『コーヒー豆からカフェオレが精製される』魔法法則性が混ざってから、コーヒー抽出の魔法を使ったらどうなると思う?」

「んー……。コーヒー抽出の魔法で、ブラックコーヒーと、甘いコーヒーと、カフェオレが作られるわけだよね? つまり……どうなるんだろう……」

「正解は『コーヒー豆から炭疽菌が発生する』よ」

 

 炭疽菌。て、なんだっけ……。

 

「色んな病気の原因となる細菌のことね」

「ふーん。じゃあコーヒー作る魔法が悪いばい菌作っちゃうってこと?」

「ええ」

 

 なんだそりゃ、そんなのありえないでしょ。

 幾らキサレアが頭良くて色々知ってるからって、さすがに私を馬鹿にしすぎだと思うな。ひょっとしてキサレアはおまぬけさんなのかな?

 などとケラケラ笑っても、キサレアは至極まじめな顔をしている。いやいつも無表情なんだけど。

 え。

 ん?

 ……マジ?

 

「たった一杯のコーヒーを飲むために使った魔法が、グ・ラ阿系世界第千十二位『玄苗』に無量大数に等しい量の炭疽菌をばらまき、そうして彼の世界人類は滅んだわ」

 

 世界混濁の最初期に起きた事件と、とキサレアは付け加える。

 私は思わず自分の持っているカップを見下ろしてしまった。良い香りがして、甘くて、おいしい黒い液体。たった一杯これを飲もうとしただけで、自分ごと世界を壊してしまう。

 なんか、お腹が痛くなってきた……。

 

「もちろん3つの魔法法則性が混濁しただけでそのような結果にはまず至らないでしょう。けれど、154億の魔法法則性の混濁とはそれだけ恐ろしい事なの。そして何よりも最悪なのは、154億通りある魔法法則の中には様々な気候・環境・物質・感情・時間などの特定条件下でないと効力を発揮しないものがある、という事よ」

 

 つまりね、

 

「――魔法の再現性がゼロに等しいの」

 

 コーヒーを作ろうとしてブラックホールに飲み込まれた星もある。

 逆にコーヒー豆を黄金に変えた時もある。

 その時になってようやく、これまであったはずの“当たり前”すら失われた『ここ』が、地獄だって理解できたの。――キサレアはそう言いながらカフェオレを一気に飲み干した。

 そして椅子から立ち上がる。また、研究に戻るんだろう。

 

「私はその、154億通りの魔法法則性全てを理解し、把握し、1つの魔法によって起こる全ての可能性を検証する」

 

 口に出してしまえばそれだけだ。

 けど、それは、とてつもなく気の長い話に思える。私は思わず訊いていた。

 

「……なんか聞いてるとすごく難しそうなんだけど。それってできるの?」

「たった一度、完璧な魔法法則性の変遷をモデル化出来ればいいだけなのよ。たったそれだけで世界中が戦争をしなくてよくなる。だから私は……」

 

 いつも通りの平坦な声だけど、なんだかとても重いものを背負っているみたいに。キサレアは言う。

 

「何年経っても。必ず成し遂げる」

 

 最後に幼馴染の魔女は「ごちそうさま」と呟くと、二人分のお皿を片付けて地下室へと降りていった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 私は私が馬鹿だって知ってる。かつての偉人は無知の知という言葉を使ったらしい。キサレアが昔よく「無知の知とはトキトのためにある言葉ね」と冷たい目をしていたので詳しいのだ。

 そうとも。

 私は馬鹿なので、キサレアをキレさせるために、とある場所を訪れた。

 

「ヤハク! ヤハクはいるか!」

 

 がらがらっ! 教室の木扉を勢いよくスライドする。しんと静まり返ったクラス内の視線が一斉に集中した。

 私は腰に手を当て鼻を鳴らした。これは昔キサレアが自分の頭の良さをアピールしたい時によくしてたポーズだ。

 

「トキトだ、トキトが学校へ来た……」

 

 ざわめく教室。私は色々と有名人なので人の注目を集めやすいのだ。SF映画にハマった時、夜中にこっそり学校中の椅子使って校庭にミステリーサークル作ったりとかね。

 教壇に立つ先生がピャアァッと声を張り上げた。

 

「トキトさん! あなたもうすぐ留年確定ですよ!」

「留年――? その程度で私を縛れると思うなんてまだまだ甘いね」

 

 お母さんから「あんたがサボるたびお小遣い減らすからね」と脅された私だが、既にお小遣いは0円である。もう私に怖いものはなかった。私は何物にも縛られない女。

 私は衆目監視の最中、ずんずん進んで窓際の一席の前に立つ。そこには、常に眠たげな眼差しをした少女がいる。

 

「トキト、久しぶり」

「ヤハク、お願い! 愛の歌作って!」

 

 ヤハク――それは私が知る限り、世界で一番素敵な歌を作れる友達だ。

 私は彼女に作曲してもらった歌を、キサレアの前で歌うつもりでいる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ヤハクはキサレアと同じくらい付き合いの長い友達だ。家がほどほどに近くなのでたまに遊ぶ。遊ぶといっても、やることと言えばヤハクの作った歌を私が歌うとかそんなんだけど。

 

「歌を作るのはいいけど」

 

 放課後。ヤハクは真っ白なノートを広げてペンをくるくる回した。なにその格好いい仕草……真似してみたけどぼとぼとペンが落ちた。

 

「で、誰に向けての歌なの」

 

 ヤハクは無駄話を嫌うタイプだ。キサレアと似てる感じだけど、感情を失う前のキサレアよりもクールな感じ。常に眠たげな眼差しが私をまっすぐ見つめてくる。私が正直にキサレアのことを話すよりも先に、ヤハクは得心いった様子で頷いた。

 

「ああ、キサレアさんか」

「なんでわかったの!?」

「顔に出てる。トキトってわかりやすいよね」

 

 そんなことはないと思う。……ないよね?

 ぺたぺた顔を触っても自分ではわからない。

 

「ほら手鏡見てみなよ」

 

 ヤハクがやれやれといった様子で安物の手鏡を見せてくれる。

 どれどれ――覗いてみたら手鏡の方に「トキトはあほ」と書いてあった。ヤハクの空いた片手にはサインペンが握られている。この女ァ……。

 私はサインペンをふんだくると、「あほ」に線を引き「天才」と上書きする。私は天才。私は天才。私は天才。

 

「で? なんでキサレアさんに向けた歌を作るの?」

「それはね、キサレアを怒らせたいからなんだ」

「相変わらず謎の理論ね……」

「ごめん、ちゃんと言うね。キサレアのキレ顔が見たい」

「なにも変わってない……」

 

「あほ」に上書きされた「天才」を二本目のサインペンで塗り潰すヤハク。彼女は「あほ」と書き直す。ぬぬぬ……。

 悔しかったので「あほ」の後ろに「かわいい」と付け足した。私はあほかわいいし、天才。

 

「じゃあ、はい」

「? なにこれ」

 

 渡されたのはノート一冊。

 白紙のページには何を書いてもいいように見える。とりあえず、私は可愛い、と……。ヤハクは「ハッ」と鼻で笑った。

 

「その紙にキサレアさんのどんなところがどんなふうに好きか、箇条書きでいいから書いてって。それを詞にするから」

 

 ――って、いやいやいや。

 

「好きってなんだよ! 誰もそんなこと言ってないじゃん」

 

 私はぺんぺんと机を叩いた。いやそりゃあね、愛の歌を作ってほしいって言ったのは私だけど、でもだからって別に私がキサレアのこと好きとかそういう風に解釈するのはよくない気がするしそれに、

 

「じゃあ何なの。愛の告白するんでしょ?」

「そ、そうじゃなくて、ほら、そういう恥ずかしい歌を人前で歌ってやればキサレア、キレるかなって……そういう作戦! これは立派な作戦なんだよ!」

「あーはいはい、わかった。じゃあキサレアさんの前で歌ったらキレそうなことを沢山書いてって」

 

 ……それならいける。私は昔、キサレアに怒られた理由を思い出しながらノートを埋めていった。

 

「キサレアはね、美人って褒めるとすぐ顔赤くしてキレるんだよね〜」

「へえ」

「他にもサラサラの金髪いじらせろって迫ると顔赤くしてキレるよ」

「ふーん」

「ちょっと前は一緒に風呂入ろうとするだけでキレてたね。昔はよく一緒にお風呂入ってたのにねー」

「……」

「……なにかなその目は。まるで私を馬鹿にするみたいな目つき……」

 

 私が全身から警戒を滲ませると、ヤハクは思いっきり溜息を吐いた。わざとらしく肩を竦める仕草まで交えて、彼女は断言する。

 

「トキト、あんたやっぱ馬鹿だわ」

「失礼な!」

「自分で言ってるくせに」

「自分で言うのはいいけど、人に言われるのはメチャむか案件だし」

 

 はいはい。

 と醒めた様子でヤハクは雑に頷くと、「まあだいたい分かった」と呟いて白紙のノートを前に黙りこくった。ぼんやりとした瞳、その瞳孔。薄らと空いた口元から覗く、浅い呼吸の上下が揺らす赤い舌。これはヤハクが集中している証拠だ。こうなったヤハクは梃子でも動かないので、私は大人しく持ってきた漫画を読むことにした。

 そうして十数分。

 

「ん」

 

 とだけ呟いたヤハクが、最初の一言をそっと書き出す。

 ヤハクの書く文字はとても綺麗だと、私は思う。なんというか、一文字一文字に魂が乗っているというか。作詞をよくやっているからか、言葉の力ってのを感じる。昔そのまま伝えたらちょっぴり顔の赤いヤハクに鼻で笑われたけど。

 私は、ふと気になって声をかけた。

 

「ねえねえヤハク」

「……」

「ヤハクの夢って何?」

 

 今朝、キサレアと話していて少し思うところがあったのだ。

 ほんの気まぐれに使った魔法が世界を一つ駄目にしてしまったという、事実。それはつまり、この世界がとっても脆いってことだ。それこそ誰かのため息がどこかの世界を壊しているのかもしれない。そこまで考えてしまって、私には漠然とした言葉が浮かんだ。

『未来』だ。

 

「ヤハクは将来何になりたいの?」

「……何かになりたいなんて、考えたこともないな」

 

 ヤハクはやっぱり冷たく言い切る。彼女の目線は数行の文章を書き連ねる真っ白な紙にだけ向いていた。

 

「私らの世代にそんな大層な夢持てる時間って、ないんじゃない?」

「時間」

「そ。知ってる? 私ら、たぶん二十歳にはなれないんだって。その前に世界が壊れる確率のほうがずっと高いらしいよ」

 

 達観した様子だった。ヤハクはその黒い瞳に恐怖とか不安なんてものを映さずに、クリアな視線をしていた。

 

「ならなんでヤハクは毎日学校通ってんの?」

 

 超絶サボり魔な私からすればそれはもっともな疑問だった。私にとって学校はつまらないところで、そんな事よりキサレアの側にいるほうが何倍も価値があるから、私はこれからも学校をサボる気でいる。だから余計、そんな風に黄昏たことを言うヤハクが、今日も真面目に登校している理由がわからない。

 だってヤハクって。

 

「だいたいヤハク、数年前まで引きこもりしてたじゃん。私めっちゃヤハクの作った曲歌わさせられてたし」

 

 そうとも。わが友ヤハクは数年前までずっと自宅に引きこもっていた真正引きこもり女なのだ。そんな女が今ではクソ真面目に毎日学校に通っているなんて……。同じサボりの血が流れているとばかり思っていたので、ちょっとだけ寂しいのである。

 真人間となったヤハクは腕組などして小首をかしげる。自分でも、どうして引きこもりを辞めたのかはっきりわからないらしい。

 

「時間がないって分かったら、何をしても自分一人では何かを変えられるなんてあり得ないんだなってところまで理解できた。……だからかな?」

「ごめん。ぜんぜんよくわかんない」

「どうせ私はただの子供だってこと」

 

 それはトキト、あんたもでしょ。――とヤハクの人差し指が私のおでこをツンと押す。

 

「魔法で空も飛べない、遠くの人とも話せない、自分の足でしか行けるところまで行けない、不便で古くて非効率な“電気”なんてものを使うしかない」

「私は今の生活けっこー好きだけどな」

「なんでも出来る時代じゃないでしょ。それだけで嫌気がさす人もいる。私とかね」

 

 ヤハクがノートの片隅にさらさらと言葉を記す。

『大儀』――どういう意味を込めたのだろう。

 

「何もできないって分かってるから、私は色々諦めて学生を始めたけど。……何でもできないから、トキトは自分のしたいこと、できるんでしょ」

「――――自分の、したいこと」

 

 そうじゃないの? とヤハクが目で訴える。ノートの一枚を千切ったヤハクが渡してきたのは、一遍の詩が書かれた紙。私なりの気持ちを上手な言葉にした、ヤハクの歌だ。

 私はゆっくりと頷いた。

 

「………………たしかにね!」

 

 言われてみればそうじゃん。友人によって大きな気づきを得た私は愕然と頭を抱えてしまった。

 

「たしかに、明日なんて来ないかもだわ! 私がどうこうできる問題じゃないのに、きっとなんとかなるとか思ってた! そもそも私はキサレアみたいに世界とか救えるすんごい女じゃね~!」

「底抜けに何も考えてないアホだよね、トキトって」

「将来喫茶店やって、私がマスターになって、経営はキサレアに任せたいとか。夜はお店をオシャレなバーっぽくしてヤハクに歌ってもらうとかそんなことむんむん考えてる場合じゃなかった~!」

「……自分の夢に他人を巻き込まないでよ、もう」

 

 なんて言ってるヤハクの顔はちょびっとだけ赤い。お、感情か。感情だな。

 

「うん。だったら尚更、私はキサレアのために歌わないといけないね」

「それだけでいいの?」

「今しかないなら今だけ見てたい、昔とかこの先のこととかはいいんだよ。私は、今は、キサレアのための歌を、歌いたい気分なんだ」

「……私の作った歌でキサレアさんが変わるとも思わないな」

「それでも、私はヤハクの作る歌が好き。きっと世界一綺麗な詩だよ」

「む、む」

 

 ヤハクが赤い顔のまま目をそらす。りんごみたいに赤い耳たぶをじいっと見つめていると、机の下で足をけられた。

 

「痛いんだけど」

「痛くしてる」

「なぜ……」

「トキトってなんてか、たらしだよ。たらしだね」

「えー。……じゃあ、たらしな私がお願いしたら、作曲もしてくれる?」

「仕方ないなあ」

 

 なんだか上機嫌なヤハクは鞄を持つと、すたすた家に帰っていった。

 そうして数日後のこと、我が家のポストには数枚の楽譜が差し込まれていた。 

 さすがヤハク、仕事が早い。

 

 

 ◇

 

 さて、夕暮れ時。キサレアの家の前で、私は愛用しているパパのお下がりアコースティックギターの弦を調整した。べんべん。

 この時間、幼馴染がリビングで休憩しているのは調査済みだ。地下の研究室に籠っていないなら、十分に聞こえるはず――。

 

「えー、おほん」

 

 あー。あー。喉の調子を確かめる。よし、良い感じだ。じゃかじゃか鳴らす弦も問題なさそう。

 

「それでは聞いてください。キサレア・ハングドマンへ捧ぐ」

 

 私は、そうして、歌いだした。

 夕暮れ時というのはつまり働きに出ている世のお父さん方や、スーパーで買い物を終えたお母さん方、下校中のお子さんたちなどが帰り道を歩く時間帯だ。私はそこを狙って、キサレアの前で一人大斉唱を敢行したのである。

 そう。こうして歌う事で、私はめちゃくちゃ恥ずかしい思いをするが、キサレアへの愛の歌と分かればキサレア自身にとってもダメージがあるのだから……!

 

「あら~」

 

 と、『こんなご時世でもお盛んね~』と微笑ましいものを見る目で傍を通り過ぎる近所のおばさん。ついでに下校途中なヤハクがドン引きした様子で私を見つめているが、私はブイの字を指で作って、更にノリノリに体を揺らした。

 そうこうしていると目の前の玄関扉がガチャリと開く。青い瞳をいつもの平淡な眼差しにする、私の幼馴染がいた。私はわくわくしながら歌うのを止めた。

 

「これは一体なに?」

「キサレア怒らせる大作戦その3」

「今すぐやめなさい」

「もうやめたよ。で、怒った? 怒った?」

 

 怒ってない、と首を横に振るキサレア。ちっ。

 

「ご近所迷惑でしょう」

「ふむ。キサレアの家の中なら歌ってもいいってこと?」

「どうしてそうなるの。本当にトキトって馬鹿なんだから」

 

 キサレアが私の手を取る。いつも通りの冷たい手に心臓のあたりがドキりと跳ねた。……不整脈かな。

 じ……とこちらの反応を観察するキサレア。私は首を振っていやいやをする。

 ちなみにキサレアよりも私の方が力持ちなのでその気になれば、キサレアの手なんて簡単に振りほどける。けど私の行動がキサレアに普段とは違うことをさせてると思えば、繋がった手をそのままにしておきたくなった。私はニコニコしながらいやいやした。

 

「怒るまで歌うぞ! 私の自由は誰にも犯されない!」

「わかったから、なら来て」

 

 そのままキサレアの家に連れ込まれて、真っすぐ地下の研究室まで共に行く。なるほど? 家の中なら大声で歌っても迷惑にならない。二人きりなので恥じることなく私は大声を張り上げた。うおお届け私の歌、私の声!

 階段を降り切った頃、私は息を切らしながらもえへんと胸を張ってみせた。

 

「――ど、どうよ! 私けっこう歌うまくない?」

「そうね。トキトの歌声は澄んでいて、耳心地がいい音色よ」

 

 おおう。褒められて、思わず頬が緩々する。そういう表情をするとなんだか負けた気がして悔しいので、私は腰に手を当ててドヤった。……なんか当初の目的から逸れてる気がするけど、別に悪い気はしないな!

 ――と。

 

「あのね、トキト」

 

 幼馴染の両手が伸びる。私に向かって。真っ直ぐ、恐れなく、震えなく、何も感じさせない静かな動作で。

 

「あなたが、私のことをとても好きでいてくれるのは、もう十分にわかってる」

 

 そっと頬に触れたキサレアの両手がひどく冷たかった。私の顔は今きっと赤熱しきっていて、だからだ。そうに違いない。

 

「感情をなくしても、記憶はちゃんとあるから」

 

 ……別にそんなんじゃない。

 私はただ幼馴染のキレ顔を見たいだけだ。だから別に好きとかではないし、仮にこれがそういう「好き」だったとしても何か私たちの関係を変えたいわけじゃない。

 でも。

 ……でも、昔みたいに歌えば頭を撫でてくれた年上の幼馴染に戻って欲しい。

 キサレアの家の地下室は毎日掃除しても、毎日くしゃくしゃになっていく。埃のいがらっぽい不思議な匂いが抜けない。床に散乱する論文の数々と、殴り書きのメモ用紙。視界の端に映るそれらはどこか汚くて、でも目の前にある幼馴染の顔は視界から外れそうにないくらい眩くて。

 

「それでも私はあなたに応えられる感情がない」

 

 その青い瞳は昔から変わらなく綺麗。いつも私の顔ばかりを映す、きれいな私だけの宝石だ。現実の宝石よりも絶対に美しいキサレアの目。青色の怒りで燃えるのを何度も見つめた。私が怒らせて、私にだけ怒ってくれた眼差し。

 でも今はただ無機質な青の眼だ。

 …………うん、これは、そう。

 今私に生まれた感情をすごく端折って言うなら。

 ――そんなこと言わなくていいじゃん、だ。

 

「ねえ、感情がないってどんな感じ?」

 

 息を喘ぐように尋ねた。雑な質問をかみ砕くようにキサレアは両手をそっと下ろす。まるで何もなかったかのように静かな時間が、一秒、二秒、三秒、四、

 

「そうね」

 

 キサレアは、ぽつりと。

 

「あなたの歌声が好きだったはずなのに、今はただ、うるさいって思うだけになることよ」

「……うるさい、かー」

 

 私は、歌うのが結構好きだ。

 料理もそう。コーヒーを淹れるのも好き。甘党だけどね。

 掃除も洗濯も、じっとしてられない私の性分に合ってると思う。だからキサレアの家の掃除だって平気だし、むしろ得意で、好きだよ。

 ヤハクに作ってもらった曲を「いいじゃん」って思って歌うと、キサレアはなんだかんだ聞いてくれた。でも、私の歌を好きだったなんて、聞いたことはなかった。それが照れ隠しなのかもしれなくて、だったらいいなって願う。

 今でもそう。

 

「ずっとずっと好きでいてくれたのに、今は『うるさい』んだ」

「ええ」

 

 思い出に縋りつきそうになる自分。

 

「私の『好き』がわかってたのに、もうどうしようもないんだ」

「ええ」

 

 かつての幼馴染を振り返ってしまう自分。

 

「私には何も変えられない?」

「ええ」

 

 『昔はこうだった』なんて言葉が浮かぶ自分。

 

「キサレアのために、私は何ができるのかな」

「何一つ断定できない世界で、不確かな地盤の上に立っている。だから、あなたはあなたでいてくれさえすれば、きっと私に不満はない」

 

 分かんない。

 キサレアの言葉はいつも難しいから、私には分からない。

 

「キサレア」

「なに?」

「もう寝る」

「おやすみなさい」

 

 ふーん。

 そっか。

 そっかあ。

 それが感情がなくなるって奴なんだね。

 何にもないってことなんだね。ただここには私の知るキサレア・ハングドマンがいるだけで、でも、今までここにいたはずの幼馴染はたぶんもう死んでいる。

 あー。

 

 

 

 

 あーーーーーーー。

 

 

 ◇

 

 

 私はヤハクよろしく引きこもることにした。

 もうなんかぜんぶもうだめなので。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。