scene6《サイハテ》
お気に入りのショッピングバッグを抱え、歌乃子は鼻歌まじりに廊下を歩く。
一度は市営軍から追いやられボロボロの姿で放浪するハメになった歌乃子だったが、地上がほぼ壊滅状態にある現在、AVN財団が対航海者の最終防衛拠点として造り上げた大深度地下防空都市ミネルヴァ3の一角に身を置いていた。
酷い形で袂を分けたはずのカッシアスと再び協力し合うことに関して、多少なりとも思うところはある。しかし、地球が滅亡へのカウントダウンを始めた今となっては、そんな遺恨に引きずられるわけにもいかなかった。
雷帝軍の宣告を信じるとすれば、滅びの時まではあと二週間もない。異星人との戦いはこれから更に苛烈を極めるものになるのだろう。
自棄を起こしてもおかしくないこの状況で、不思議と歌乃子は心穏やかに過ごせている。
腹を括った、というだけではない。
『彼女』の存在が歌乃子にとって一種の安定剤の役割を果たしていた。「ただいま、先輩」
歌乃子の自室の奥、壁に凭れ眠るように俯いていた千遊が顔を上げる。
彼女の肉体は未だ完全ではなく、ようやく上半身が元の形を取り戻したばかりだ。
「フン……、こんなときに暢気に買い物とはな、肝の据わった奴だ」
千遊は相も変わらず歌乃子を睨むような鋭い目をして、ひねくれた言葉を吐き捨てる。
「食料調達ですわ。地球が滅亡寸前とはいえ、生きてる以上お腹は減りますもの。それに、私の熱心な説得の甲斐あって、先輩がこうして私の部屋に来てくれたのだから、少しは奮発しないと」
「ほう、この星では人を無理矢理ズダ袋に詰め込んで拉致するのを説得というのか」
「まあまあ、そんな細かいことはお気になさらず」
「まったく、おまえという奴は……」
呆れ顔で千遊は溜め息を吐く。
市営軍への復帰が決まった後、軍の人間やミカたちには内緒で千遊を匿うと言った歌乃子の提案はにべも無く断られてしまった。が、それを見越して周到に準備をしていた歌乃子は、実に手際良く拉致を遂行したのだった。
「好きにしろと言ったのは先輩でしょう?」
「好きにしすぎだ。限度を考えろ」
不満げにブツブツと文句を垂れる千遊を横目に、歌乃子は悪戯っぽい笑みを浮かべ、バッグの中身を小さなテーブルに並べていく。
チーズやジャーキー、ちょっとしたスナック類、そして、琥珀色の液体で満たされたボトルが一本。
「酒まで買ってきたのか」
「気に入ってらしたでしょ? 地球のお酒」
ボトルの中身を二つのグラスに注ぎ、片方を千遊に差し出す。
「今日は私も飲みたい気分ですの。お付き合いしますわ」
「いいだろう。滅びゆく星に手向けの杯といこうじゃないか」
千遊がグラスを受け取ったその瞬間、微かな痛みを伴って歌乃子の白い手の甲に小さなヒビが走った。
「!」
千遊に気付かれまいと、歌乃子は素早く手を引っ込める。
「おい、七宝洞」
時すでに遅し。歌乃子を見上げる千遊の目は先程とは比べ物にならないほどに鋭さを増していた。
「……」
「……」
互いに無言。
グラスを置いて歌乃子を睨む千遊。
ひび割れた手を隠しつつ視線を泳がせる歌乃子。
先に静寂を破ったのは千遊のほうだった。
「見せろ」
有無を言わせぬ凄みを纏った声音に、従うしかなかった。
「……あとどれくらいもつ?」
「もう、いつ崩壊してもおかしくありませんわ」
航海者を喰らって体内に暗黒物質を取り込み不老不死を保ってきた歌乃子だが、その肉体は既に限界を迎えていた。
地球の滅亡を待たずして歌乃子の命は燃え尽きてしまう。それは最早避けようのない運命。
「死ぬのが怖くはないのか?」
「愛した人に先立たれ続ける人生にも飽きてきたところですわ」
「そうか……」
再び無言の時が流れる。
数分後、今度は歌乃子が先に口を開いた。
「さ、飲みましょう。懸命に千年生き抜いてきた私の命にも杯を手向けてくださいまし」
「たったの千年か、短いな」
「地球人には長すぎました」
歌乃子はグラスを持った手を掲げ、微笑みながら乾杯を促す。
しかし、千遊は自分のグラスに触れようともしない。
「七宝洞」
僅かに俯いて歌乃子を呼び、顔を上げた彼女の瞳は決意に満ちていた。
「私を喰え」
千遊の言葉に歌乃子は目を見開き、グラスが手からスルリと滑り落ちた。割れはしなかったものの、グラスの中身は全てこぼれ淡い色のカーペットを濡らした。
「先輩……何を言って……」
「聞こえなかったか? 私を喰えと言ったんだ」
「無駄です。先輩を食べたとしても、多少の時間稼ぎにしかなりませんわ」
千遊や他の航海者たちを捕食しても、もう歌乃子の肉体には暗黒物質がほとんど定着しないのだ。微々たる延命のために愛する彼女を取り込むよりも、残された僅かな時間を共に過ごしていたかった。
「私が死んだら忘れてかまいません。先輩は生きてください」
歌乃子はなるべく平静を装い、カーペットに転がるグラスを拾い上げる。布巾を取りに行こうとした歌乃子の背に、千遊は淡々と語り始めた。
「七宝洞、宇宙の墓場から逃げ出したときの私は、身体が元通りになれば今度こそ地球を私のものにしてやろうと考えていた」
「先輩なら出来たかもしれませんわね」
グラスは一旦テーブルに置き、叶わなかった野望を語る千遊に微笑む。いつもなら「心にもないことを」と憎まれ口の一つも叩かれていたかもしれないが、淀みなく話し続ける千遊は訝しいほどに落ち着き払っていた。
「だが、侵略するはずだったこの星は滅びの道を辿り、雷帝軍とやらの手で今や最悪の生体遊星になろうとしている。……そうだな?」
「ええ、そのとおりですわ」
「こんな半端な身体で生き残ったとして何になる。戦うどころか、他の星を探しに旅立つこともできやしない。宇宙を漂うゴミになるだけだ」
そうならないとは言い切れない、むしろそうなる可能性が高いと容易に予測が付くだけに、歌乃子は何も言い返せず震える拳を握りしめた。
「私に惨めな想いをさせるな、七宝洞」
「先輩……」
千遊の声が、瞳が、纏う空気が、揺るぎない意志を示している。
もう何を言おうと彼女を思いとどまらせるのは不可能だ。確信した歌乃子の双眸からはポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「食べ応えはないだろうが、その手のちっぽけなヒビくらいは治せるはずだ」
ふいに歌乃子の頬を千遊の両手のひらが包み込んだ。意外なほど優しい手付きに、かえって涙が止まらなくなってしまう。
「情けない顔をするな。おまえが死ぬ日を心待ちにしているぞ、退屈きわまりない宇宙の墓場でな」
千遊はニヤリと口角を上げ、これから死にゆく者とは思えない不敵な笑みを浮かべてみせた。
「すぐに行きますわ。待たせすぎて逃げられたら困りますもの」
とめどなく溢れる涙はそのままに、歌乃子も精一杯の笑顔を返す。
不完全な千遊の身体に腕を絡めてしっかりと抱き締め、重ねた唇に思い切り歯を立てると、地球人の血とは違う舌を焼くような刺激的な味が口いっぱいに広がった。
end