「これが僕の選択だ。きっとマナも望んでいる」
「どうするの?」
「上の判断に従うだけ」
「碇君は悪くないのに」
「良いんだ。これが軍人の定めだからさ」
NERVは史上最大の沈痛に包まれた。
先の第九の使徒戦は別方向に壮絶である。米国より供与(と称した押し付け)されたエヴァンゲリオン参号機が使徒に寄生されていた。ちょうど試験中で脆弱な隙を衝かれる。さらに、生身のテストパイロットも搭乗した。
もう最悪のタイミングで使徒出現を受けると即座に参号機の登録を抹消する。これを第九の使徒と断定した。テストパイロットの救出は二の次と使徒殲滅を優先している。パイロットの適性を鑑みて戦略自衛隊からスカウトした霧島マナが乗っていた。いくら相手が使徒とはいえ、霧島マナが乗っていては手を出し辛いどころか、彼女と幼少期から心を通わせた少年に重く圧し掛かる。
彼は軍人の矜持と己が愛した少女を自ら手にかけた。ジェットアローンは豊富な実弾兵装を活かした火力による制圧に止まらない。エヴァと互角とするパワーの馬力を遺憾なく発揮して格闘戦に持ち込んだ。使徒の奇怪な攻撃を冷静に振り払う。ジェットアローンは旧来のロボットの性質を帯び、エヴァと異なる操作系はシンクロを介さなかった。あまりに古典的なためか使徒の浸蝕からパイロットの精神汚染も軽微で済む。
「あいにく、面会は医者じゃなくて本人の希望で事実上の拒絶が敷かれた。NERVはおろか戦略自衛隊の上官も会えていない。彼と面会が許された者はレイとアスカ、時田シロウだけ」
「この責任はNERVが取れるのかしら。私が一身に負っても」
「葛城ミサトには無理でしょうね。これは噂だけど戦略自衛隊はNERVの完全掌握に師団単位の兵力を投入するとか」
「全面戦争ってわけか。いつ使徒がくるかわからないのにね」
「昔から人間は権力を巡って戦ってきた。そういう生き物なのよ」
碇シンジは霧島マナを自ら手にかけた直後は放心状態を呈し、ジェットアローンに遅れて緊急発進した零号機と弐号機に救出されているが、彼は参号機が再生しないようにN2爆雷をぶつけて滅却処理を怠らない。霧島マナの身柄はプラグを強引に引き抜いて確保しておいた。彼女は専門家の集団たるNERVに任せて自身は戦略自衛隊上層部の指示を待っている。
これを指揮した関係者は(極一部を除いて)後始末に駆け回った。葛城ミサトは霧島マナをスカウトし参号機のテストパイロットに置いた責任が問われる。現地の仮設指揮所で重傷を負った身だが、療養を後回しにしてまで謝罪の行脚に精を出した。最悪は戦略自衛隊と関係断絶から全面衝突に至りかねない。あの碇ゲンドウ司令と冬月コウゾウ副司令でさえも苦労が絶えない日々を送った。
「どうなっているんですか! 彼から何もかも奪っておいて!」
「私が喜んでいるように見えるか。私とて上の更なる上の言う事に従わねばならない」
「これが大人のやることなんて!」
「全てはSEELEの意向通りなんだ。戦略自衛隊もNERVも政府も国連も関知できない」
戦略自衛隊も極めて難解な事案の対処に困り果てている。今すぐにでも決起したいが上層部は頑として武力蜂起を認めない。人類存続を賭けた使徒殲滅にエヴァが必要なことは理解でき、NERVという秘密組織の必要性も重々承知しているが、霧島マナを引っこ抜かれた末に失い、切り札の碇シンジも心労で動けないのだ。一気に戦力ダウンを強いられている。
「碇シンジ大尉と面会する時があれば、私的に伝えて欲しいことがある」
「都合の良いことばかり並べておいて…内容によっては握り潰します」
「我々は君の味方でありたい。君が蜂起すると言うなら、支援の用意があった」
「…」
「どうか、頼むよ」
「スーパージェットアローン計画を進めます。1日でも早く完成させましょう」
ある者は地下の私室で、ある者は地上の研究所で、ある者は病室で思案を巡らせた。
「僕の手に生暖かい感触が残っている。マナの命が消えた時の感触まで残っている」
時間は一定の速度で過ぎ行くものであるが、当の本人の周りだけは遅々として進まず、病室のベッドで無気力に寝るを繰り返した。彼を見舞いに訪れる者に自ら制限を課している。NERVはおろか戦略自衛隊の人間すら面会を謝絶した。
「これが人生なんて信じられない。僕が幸せになれないことはわかっていた。それでも、些細な幸せを噛み締めることにセイを見出した。それも今となっては夢物語に過ぎない」
ベッドの枕元に置かれた写真は破られる。その破片をパズルにように繋ぎ合わせることも叶わなかった。本来は眩しい笑顔でいかにも嬉しそうな少女と苦笑いでも嬉しそうな少年が写される。それは過去のことで二度と会えなかった。これを取っておく価値は皆無に落ち込む。
両眼をパンパンにしてまで泣き腫らした後は狂ったようにビリビリに破った。彼女と過ごした日々を思い出した直後に消し去ってしまう。何も残さない処理を進めているのだ。両手にはいつまで経っても消えない感触が存在し、まるで素手で誰かの首を絞めたような感触が存在し、両手を完膚なきまで消し去りたい衝動に襲われた。
「僕がマナを手にかけた。僕が弱かったから手をかけることになった。僕が強ければ助けられたかもしれなかった。参号機に乗ることを止められたかもしれなかった。それなのに弱いままで強く生ろうとしなかった」
彼の苦悩はとてもだが形容できない。
軍人が過去の経験からPTSDに陥ることは良くも悪くも有名な話だった。人類の敵であって化け物の使徒を殲滅することは大義の塊な上に自らを認めて貰える。先の使徒戦は想い人が使徒と化して戦わざるを得なかった。人類の存続が云々の前に自らの命を守るために抵抗する。
「この両手を切り捨ててくれないか。誰か切り捨ててくれよぉ!」
悲痛な大声に伴って昼食用のフォークで腕を刺して切ろうと試みた。この瞬間に数少ない面会を許した零号機パイロットのレイと弐号機パイロットのアスカが間に合う。看護師が急行するよりも早いとは驚きだ。
アスカは瞬く間にフォークを奪って看護師に渡す。レイは彼が無理を図らぬよう懸命に抱き締めた。看護師は「鎮静剤を持ってきます」と2人にこの場を任せる。アスカはシンジと合流次第に頭を優しく撫でてあげた。
「涙すら出ないや。僕はヒトじゃなくなったらしい」
「あなたがヒトじゃなくても良いから」
「あんたが辛いことは人一倍理解している。今は自分を責めないの…」
彼が2人の面会を許した理由は明かされていない。一緒に命を燃やす大事な人を拒絶する程に落ちぶれていなかった。無駄な抵抗と理解すると一瞬で大人しくなる。2人は彼が血の涙を流しつつ霧島マナを手にかけた様子を至近距離から眺めた。たいそう碌でもない大人達とは違うと言わんばかり「碇シンジ大尉の一番の理解者」という「碇シンジ大尉の愛人」を自称している。
「2人で僕の右腕と左腕を切り落としてくれないか」
「またバカなことを言って」
「あなたは悪くない。エヴァの到着が遅れたから…」
「いいや、これは僕の責任なんだよ。僕が軍人である以上は命令が絶対だ。命令の拒否は軍法会議にかけられる。つまらない私情で人類が滅ぶことがあってはならない」
彼の宣言を言葉に起こしてみれば立派なことだ。まさに軍人の矜持を垣間見える。実際に見える姿は悲愴そのものだ。両眼から涙は一滴も零れない。ギクシャクした笑顔が浮かんだ。プルプルと身体が小刻みに震えている。普段と違うを超えて生気を感じさせなかった。
「本音を吐き出しても」
「ここには私達だけ」
監視カメラと隣接するマイクが拾わない声量である。
「大人が憎いよ」
精一杯に絞り出した言葉が行く末を示した。
続く