なお、咲以上の狂人は変態成分が含まれる場合がありますので、ご注意ください。
「民法第七百六十二条『夫婦間における財産の帰属』夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産とする。と、法律で定められています。つまり、須賀君が結婚前に得た財産の所有権は須賀君のものであって、咲さんの所有権は認められていません」
いつもの放課後。委員会や家の都合が重なり、部室には咲と和の二人しかいなかった。もう少しすれば、委員会の仕事で遅れている京太郎もやって来るだろう。
それまで掃除でもして、京太郎の負担を少しでも軽くしようとした矢先の事だった。
掃除用具入れに向かおうとする咲の耳が和の声を拾う。その声は小さなものだったが、近くにいた咲の耳に届くには十分なものだった。
足を止めて和を見遣る。唐突に発せられた話題は、咲の神経を逆撫でするには十分なものだった。
自分が京太郎の財産目当てで彼に近付いている。暗にそう告げられていると受け取った咲は、和を人として見るのをやめた。
咲の瞳から光が消える。
人でないなら殺しても罪にならない。京太郎にも迷惑がかからない。
京太郎にとっての高嶺の花だった彼女なら、所有物としては破格の待遇を用意してもいいと思っていた。それこそ、携帯電話や財布のような。常に身に着けている物として扱うように京太郎にも頼むつもりだった。
そんな咲の考えを踏み躙るどころか、京太郎への愛すら侮辱する行為。
原型が残らないほどに叩き潰して、ぐちゃぐちゃの肉片に変えたところで晴れる事のない怒りが湧き上がる。
代わりを探せばいいや。
結局のところ、これも消耗品と変わらない。
外見は良いが、それだけだった。中の出来は酷いもので、こんなバカな考えの持ち主だとは思わなかった。
それとも、自分こそが京太郎に相応しいと勘違いしているのだろうか。
道端に転がる石ころの分際で、燦然と輝く太陽を手に入れられると本気で思っていたのだろうか?
自分の見る目のなさに失望する。こんな不良品に目をかけ、あまつさえ友達と呼んでいた過去の自分をぶん殴ってやりたい気分だった。
怒りと失望を抱え、一歩踏み出す。やる事は何も変わらない。ただ掃除をすればいいだけだ。
身の程も弁えず、京太郎の重荷となろうとする粗大ゴミを解体して捨てるだけ。なにも難しい話ではなかった。
目の前の喋る粗大ゴミの首を絞めようと両手を伸ばす。
その手を掴んだ和は、「ですが」と付け加えて話を続ける。
「須賀君の事です。法的にどのような扱いであろうと、自分の物は咲さんの物でもあると断言するでしょう」
流れが変わる。
和の視線は真っ直ぐに咲に向けられている。表情にも恐怖の色はない。咲の意図を理解して手のひらを返した訳ではなさそうだった。
とはいえ、咲が何をしようとしてたのかは分かっているのだろう。
そうでなければ、首を掴まれる寸前に手首を掴みはしない。
逆に、咲には和の意図が読めなかった。
何の意味もなく、唐突に法律の話をするとは思えない。いくら弁護士の父を持つからといって、そんな突拍子もない話題を口にするとは思えなかった。
頭上に疑問符を浮かべ、思わず小首をかしげる。いつのまにか、咲の瞳には光が戻っていた。
「つまり須賀君の所有物である私は、咲さんの所有物でもあります。須賀君に下を攻められながら、咲さんに上を攻められる。そんな夢にまで見たシチュエーションが合法的に実現するんです。これ以上の環境は、どれだけの大金を積んでも実現しないでしょう」
「…………ほえ?」
なんとも間抜けな声が出た。
確かに、和の言っている事は筋が通っている。
財産の共有において、京太郎が細かい事を気にせず二人のものだと宣言する姿は容易に想像がつく。
和は京太郎の所有物としての自覚を持ち、それを受け入れている。咲を本妻と認め、京太郎への深い愛情を持つ。
最初に思い上がっていると思ったのは勘違いで、やはり和は所有物として上出来となっているようだった。
まさに咲が望んだ最高の状態。しかし致命的なズレが生じているのを、咲はこの時になって初めて感じていた。
京太郎に求められるのを喜ぶ理由は分かる。
元々、和が抱いていた京太郎への好意を、咲は飴と鞭によって愛へと昇華させていた。
京太郎の魅力に気付くように立ち回り、京太郎一人に雑用を任せている事実に罪悪感を抱かせる。
この二つを利用して京太郎との接触の機会を増やす事で、和の懐柔に成功した。
てっきり反対されると思っていたが、意外な事に法律が咲の味方をしていた。
咲は知らなかったが、同性での結婚が認められると同時に重婚も認められていたらしい。
一夫多妻、一妻多夫。多夫多妻に至るまで。世間一般にはほとんど広がっていないが、法で認められている以上は和は反対するどころか積極的な協力姿勢を見せていた。
阿知賀の面々を一ヶ月足らずで籠絡できたのも、和の協力によるところが大きい。
全ては京太郎の為の行動。そう考えていた咲には、最初とはまた違う方向の疑惑が思い浮かんでいた。
「えっと、和ちゃん?」
自分の勘違いを認め、和を人として改めて認識する。しかし別の意味で認識を改める必要があった。
思わず後ずさろうとしたところで、両肩を掴まれる。こちらを真っ直ぐに見てくる和の表情に、咲は見覚えがあった。
それは和をはじめとする、性欲が強いと思われる面々がたまに京太郎に向ける視線だった。
潤んだ瞳。紅潮した頬。僅かに荒くなった息。
切なそうに身じろぎするする姿は、艶かしく扇状的なものだった。
普通の男子ならそのまま押し倒してしまいかねない。京太郎でも、気を抜けば危ういかもしれない。
そんな友人の姿を見て、咲の脳内には今までの人生で最大級の警鐘が鳴っていた。
「わ、私、用事を思い出しちゃった! ごめんね、和ちゃん! 私、今日から一ヶ月くらい、長野を離れるんだ!!」
「ふふ、嘘が下手ですね。でも、そんな咲さんも素敵です」
「ヒェッ」
耳元に顔を寄せた和が艶やかに笑む。
本気で口説かれてる。
冗談でも何でもない。和は京太郎の所有物であるのを喜びながら、咲の物となる事も望んでいる。
そしてその願いは、咲が京太郎と結ばれる事によって達成される。されてしまう。
どうしてこうなった!?
なんでこうなった!?
いつからこうなった!?
冷静さを欠いた咲がひたすら自問自答を繰り返す。
恐怖に身を竦ませ、生まれたての子鹿のように体を震わせる。
明確な答えは出ない。しかしよくよく考えてみれば、和との距離感は出会った頃からやけに近かったように思えた。
もしかして最初から?
危機的状況に普段以上の頭の回転を見せた咲は、いつから。という疑問の答えを導き出した。そして、同時に絶望した。
今の状況は、生肉を抱えてハイエナ群がいる檻の中に飛び込むようなものだ。
服に噛みつかれて足止めをされ、他のハイエナが退路を絶っている。
逃げ道はない。対抗する手段もない。
これが咲を裏切って京太郎を手籠にする為の策だというなら、咲も全力で抵抗してみせた。
それこそ、最初に和を手にかけようとしたのと同じように。排除すら厭わない。
しかし咲そのものを求められるというのは、想定外もいいところだった。京太郎に捧げるまでは清い身体でいると決めている咲なので、このまま手を出そうとしても抵抗する。
しかし両肩を掴んで愛を囁くだけの和には、思い切った抵抗ができないでいた。
おそらく、和も理解しているのだろう。
どこまでなら、咲が許すのか。
どの程度なら、咲が思い切った抵抗もせずにじっとしているのか。
咲が京太郎を想うように、和もまた咲を想っている。だからこそ、ギリギリのラインを踏み越えずに済んでいた。
そしてそれを理解しているという事実が、和の想いの強さを証明してもいた。
「咲さんの初めては、全て須賀君に譲りましょう。ですが、私のファーストキスと処女は、咲さんにもらってほしいんです」
そう言って和は、咲の手を優しく掴むと自分の胸に押し付ける。
ギョッと目を見開いた咲が手を引き離そうとする。しかしあまりにも強い力にそれは叶わず、むしろより強く押し付けられてしまった。
「もちろん、須賀君との初夜を終えてからで構いません。ここで約束さえしてもらえれば、私は須賀君の為に全てを投げ打つと誓いましょう」
和の表情が真剣なものに変わる。上気したかのような発情の色が消え、試合前を思わせる緊張した面持ちを浮かべていた。
それは、覚悟を決めた表情だった。
民法から始まった一連の流れは、事前に和が想定した通りだったのだろう。
咲の想いを侮辱したように錯覚させて意識を向けさせ、一種の告白も兼ねた変態発言で咲を困惑させ、最後に本命となる約束を差し込む。
徹底したデジタル打ちを支えている聡明な頭脳は、この場でも発揮されているようだった。
京太郎との初夜を終えてからというのは、和なりの譲歩なのだろう。それが年単位で先になるのが分かっていながら、和はその先の約束を取り付けようとしていた。
さて、どうするかと咲は考える。
他校の生徒を落とすとなると、合宿の間という短い時間でそれらを成し遂げる必要がある。
繋がりのある阿知賀や白糸台はともかく、それ以外が相手では咲一人では手が足りない。
京太郎と咲に好意を寄せる忠実な駒であり、頭脳明晰な和を完全な味方に引き入れられるのはメリットが大きい。
取り扱いには注意が必要だろうが、それを差し引いても手元に置いておきたかった。
少し考えて、咲は和の提案を承諾した。
京太郎に身を捧げるまで清い体でいると誓っている咲だが、所有物の恋愛遍歴については特に気にしていない。
咲が重視しているのは、今だけだ。
過去にどれだけ壮絶な恋愛を繰り広げていようと、京太郎の不幸に繋がらなければ無いも同然だった。
当然、過去に誰かと肉体関係を持っていようと、それは同じ。中学高校と思春期真っ只中のカップルなら、やる事はやってるだろうという偏見から来る許容だった。
せっかくだし、約束を果たした直後に和の願望を叶えてもいいかもと考える。
本人が望むままに咲が初めてを貰い、その直後に京太郎で上書きする。二人の所有物になりたいと告げた和がどんな反応をするのか。
一連の演出は和にしかできないもので、面白いものが見れそうだった。
咲の承諾を得られたのがよほど嬉しかったらしく、普段の彼女からは想像がつかないほどにはしゃぐこと数分。
気持ちが落ち着いた和は、咲が最初にしようとしていた掃除を手伝うと言って掃除用具入れに向かい始めた。
そして掃除用具入れから取り出した箒を咲に手渡して笑みを浮かべる。
「それと安心してください、咲さん。須賀君の幸せを邪魔するものは、全て排除しますので。たとえそれが、咲さん自身であっても」
「…………それじゃあ、その時はお願いするね♪」
咲もまた笑みで返した。笑い合う二人だが、その瞳には揃って一片の光すら残っていない。
やはり、咲の見立ては誤っていたようだった。
ただし、今回は最初と違っていい意味でだ。
まさか和が、ここまで仕上がっているとは思っていなかった。咲の認識だと、今の和は京太郎よりも法を優先するものだと思っていた。
時間をかけて法よりも京太郎を優先するように認識を改めさせていくつもりだった。
しかし和の発言は、その認識を覆すには十分なものだ。それどころか、告白した咲すら邪魔になるなら排除すると断言した。
ここまで京太郎の所有物として相応しい出来に仕上がっているとは思わず、咲は喜びに打ち震えていた。
咲は知らない。和がこうなったのは、自分が原因だという事を。
思い人である咲の心に触れ、内に秘めた狂気に気付き、それすらも理解し、受け入れようとしてしまった結果だった。
京太郎を恋愛対象として意識していたのは事実だ。この一件がなければ、咲と京太郎。どちらを選ぶか、苦悩していたかもしれない。
その苦悩も咲の狂気に触れ、染まってしまった和には無用のものとなった。
抑圧されていた願望が狂気に変わった。もはや和を抑えられるのは、彼女の思い人である京太郎と咲以外に存在しなかった。