「ぽかぽか…………」
温かい日差し。穏やかな陽気。昼食を食べ終えたばかりの咲は、重くなったまぶたを擦って意識を保っていた。
しかしすぐに船を漕ぎ始め、抵抗は無意味なものとなっていた。
それでも、睡魔に飲まれようとする意識を気合いで引き寄せる。
京太郎と二人きりのピクニック。この時間を無駄にするわけにはいかないと、脅威の粘りを見せていた。
「眠くなってきたのか? よかったら、膝貸すぞ」
「…………いい。デザートも、まだだから」
京太郎の膝枕という誘惑をなんとか断ち切る。
今回のピクニックの目的の一つを果たす前に眠るわけにはいかない。
冷やしてるので今は大丈夫だが、時間が経てば傷んでしまうだろう。デザートが美味しいうちに食べてしまいたかった。
バスケットから紙皿やプラスチック製のフォークを取り出す。そして最後に紙箱を取り出して、中にあるラップで包んだミルクレープをそれぞれの紙皿の上に置いた。
ミルクレープは二つの種類があった。三角の白いミルクレープと丸い赤いミルクレープ。
赤いミルクレープを京太郎の前に置き、白いミルクレープを自分の前に置く。
プラスチックのフォークの一本を京太郎に手渡した咲は、紙皿を両手に持って目線の高さにまで持ち上げた。
「京ちゃんがミルクレープを作る日が来るなんて、高校に入った時は思いもしなかったなあ」
「それはお互い様だろ。俺だって、咲が全国の決勝で、大将として出るなんて思わなかったしな」
白いミルクレープは京太郎が作ったものだった。生クリームを使ったオーソドックスなミルクレープ。
スイーツ作りの経験が浅い京太郎は、基本を重視して作るようにしていた。
とはいえあまりにもシンプル過ぎて寂しい見た目となってしまったので、ミルクレープの上に一房のオレンジと適度な大きさに切ったハーブを添えている。
一見するとなんでもない飾り付け。しかし料理の経験がほとんどなかった京太郎の事を思うと、この飾り付けも大きな進歩のように思えた。
フォークで手頃な大きさに切って一口。見た目だけでなく味もまた、素人の域を脱している。
京太郎の料理の腕は確実に上がっている。このままでは近いうちに追い越される。
そう感じた咲は、一度作戦を中断して料理の練習に集中しようかと考えていた。
「咲のは、イチゴのジャムか? 随分と赤いな」
「うん。京ちゃんなら、慣れてないうちはレシピ通りに作ると思ったから。私も、少し味を変えるだけにしておいたんだ」
京太郎の前には、咲が作ったミルクレープが置いてあった。
赤い層が重なっているミルクレープは、生クリーム以外の何かが使われている。甘い匂いに混ざった覚えのある匂いから、その味について確認をとっていた。
少しだけ工夫をしたのを認めた咲だが、味については認めなかった。実際のところは京太郎が推測した通り、イチゴジャムを混ぜた生クリームを生地で挟んで重ねている。
しかしある失敗から方針を変更しているこのミルクレープを、最初からイチゴ味にするつもりだったかのように伝えるのは気が引けた。
そっと左手を隠すように、右手で覆う。一見すると傷ひとつない人差し指の先には、ほんの小さな刺し傷がほとんど治った状態で残っていた。
咲と同じように、手頃な大きさに切ろうとフォークを通す。するとフォークの先端部分が、ぽきりと音を立てて折れてしまった。
持ち手だけとなってしまったフォークを眺める。そしてゆっくりと咲に視線を移す。
「…………予備のフォークってあるか?」
「ごめん。持ってきてない」
「そっか」
思わぬ不運に見舞われた京太郎は、それ以上何も言わなかった。
ついてねーな。と肩を落とす京太郎の姿に、咲は罪悪感を刺激されて胸に手を当てて言葉を詰まらせていた。
偶然のようではあるが、フォークが折れたのは咲の細工によるものだった。先端の付け根を削り、少し力を込めれば折れるような状態になっていた。
あまりにも重い罪悪感から舌を噛み切りたい衝動に駆られながらも、なんとかそれを押し込む。
最近、大きくなり始めた胸を自由にしていいから許してください。そう念じて心の中で土下座をし、今夜にでも京太郎の家に向かって翌朝までの土下座を敢行すると決める。
このままでは、京太郎に嫌がらせをしただけのクズ女に成り下がってしまう。
罪悪感で固まる体を叱咤し、作戦を続行する。手に持つフォークで赤いミルクレープを手頃な大きさに切って、京太郎を呼ぶ。
「あ、あーん」
「おまっ、なにを…………!?」
「あーん!!」
赤いミルクレープを刺したフォークの先端を京太郎に向ける。驚く京太郎に、勢いで口を開かせるとそのまま口の中に突っ込んだ。
口の中に入ったものを吐き出すわけにもいかず、驚きながらもミルクレープを味わう。
動揺のあまり味が分からなくなってしまい、少しでも多くの感想の材料を求めていつもよりも長く口の中で味わっていた。
一方、勢いで京太郎にあーんを行い、無事成功した咲は両手を膝の上に乗せて俯いてしまっていた。
今にも頭から蒸気が吹き出しそうになっている咲だが、ミルクレープを味わっている京太郎はそれに気付かない。ぷるぷると震える咲は、最大の功労者であるフォークを見つめる。
すっっっっっっっっっごい恥ずかしい!!!!! なんで!? ジュースの回しのみとかはあまり恥ずかしくないのに、食べさせてあげるだけでこんなに恥ずかしいの!?!?!?
自分の作戦で自爆した哀れな少女がそこにいた。作戦が成功したにも関わらず、その心境は作戦が失敗して苦境に立たされているようだった。
回し飲みのように、少し我慢すればいいや程度にしか考えていなかった咲。それが自分で食べさせるという行程を挟んだだけで、羞恥心が大きく跳ね上がっていた。
今回の事の発端は言うまでもなく咲の企みによるもの。
好きな人に自分の血肉を取り込んでもらい、一つになる事で愛を示す。本で得た知識を、咲が実践しようとしたのがきっかけだった。
自分の血肉が京太郎の一部になる。そう考えると自然と笑みが溢れていた咲だったが、そこに一つの課題があった。
京太郎への想いは誰にも負けるつもりはない。しかし咲には、料理を作る者としてのプライドがある。
京太郎にまずいものを出すわけにはいかない。混ぜてもバレにくいであろう血を混ぜてみようかと考えた咲は、左手の指先を針で刺した。
わずかに出血した血を舐め、舌の上で転がす。そして
まずくは、ない。けど、美味しくもない。
少量なら、味付けで誤魔化せない事はない。しかしあまりにも少なすぎては、そもそも京太郎に食べてもらう価値は薄くなる。
だからといって血の量を多くしてしまうと、まず間違いなく料理の味は落ちる。
咲の愛は京太郎に自分の血肉を摂取させろと囁く。しかし同時に、京太郎にまずいものを食べさせるなと怒ってもいた。そこに、料理人としての咲のプライドも加わる。
結果として、別の手段で咲の一部を京太郎に摂取させる事に方針を転換した。
何もせずに方針を転換するのも悔しいので、ミルクレープをイチゴ味にするという往生際の悪さを見せていた。
そして考えた末に辿り着いたのが、食器を使った間接キスだった。
代用する食器がないという特殊な状況で、京太郎の食器を破損。もしくは紛失させる。あとはほんの少しの羞恥心に耐えて、自分が使った食器で食べさせる。
それだけのはずだった。
…………こんなに恥ずかしいなんて。
「あむ」
「咲!?」
「へ? …………あぁっ!?」
頭が回らなくなり、脳が糖分を欲する。何も考えず自分のミルクレープ切って、口に運んだ。京太郎に食べさせたフォークを使って。
それを見てしまった京太郎が驚愕の声を上げ、反応した咲が遅れて自分が何をしたのか気付く。
焼け石を水に浸したかのように、咲の頭から一気に蒸気が噴き出す。
計画を練り準備を重ねている咲だが、突発的な事態には弱い。色々と狂ってしまった咲だが、素の能力が上がったわけではない。
今みたいに京太郎との不意の接触には弱い。対人技能も据え置きなので、相手が知り合いであっても不意の遭遇には対応しきれない場合が多かった。
餌を求める金魚のように、口をパクパクさせる。顔を赤くしながらも冷静に努めようとする京太郎が声をかけるも、咲が正気に戻りそうになかった。
どうにか落ち着かせないと。そう考えた京太郎が選んだのは荒療治だった。咲の手からフォークを奪うと、赤いミルクレープを切ってフォークに刺す。
そして開閉を繰り返す咲の口に無理やり押し込んだ。
「すまんっ!」
「むぐっ!?」
ミルクレープを口に押し込まれ、咲が目を見開いて動きを止める。緩慢な動きでフォークを掴んで京太郎が離したのを確認すると、ゆっくりとフォークを口から引き抜いた
ジト目で京太郎を見つめながら、口の中のミルクレープを味わう。そしてしばらくしてから飲み込むと、無言で白いミルクレープを切って刺して京太郎の口元に運ぶ。
一体何を? そう尋ねる京太郎に、咲は頬を膨らませて答えた。
「無理やり食べさせられたお返し。それと、私だけ恥ずかしい思いをするのは不公平だから」
「俺だって、さっきは恥ずかしかったっての! って、分かった! 分かったから押し付けるな!」
もはや作戦なんて関係なかった。自分だけが恥ずかしい思いをしたのが許せない。という逆恨みで動いていた。
渋る京太郎に、フォークに刺したミルクレープをぐいぐいと押し付ける。クリームで頬をベタベタにされるのを嫌った京太郎は、観念して咲からのミルクレープを受け入れた。
そして、これこそが開戦の合図だった。一本のフォークを交互に取り合い、互いのミルクレープを食べさせ合う。
一見するとカップルの甘いやり取りだが、二人の頭には、やれたからやり返した。という、色っぽさのかけらもない理由しかなかった。
二人が行為について意識したのは、ピクニックからの帰り道だった。おかげで帰りは気まずい沈黙が続いていたが、次の日には少しギクシャクしながらもいつもの二人に戻っていた。
ここの咲が京太郎と二人きりの時
ヤンデレ+ポンコツ=天使
という公式が出来上がります。