あれから何年か経った。鍛錬、食事、鍛錬、鍛錬、鍛錬、座学。ひたすらに自己を高める繰り返し。日々高まっていく自分の力が楽しくてしょうがない。ずっとこんな生活をしている中で気づいたが、どうやら僕は大喰らいらしい。とにかく腹が減る。特に呪心を使った瞑想をした後は必ず食事にする。我ながらとんでもない量を食べていると思うが、流石は御三家なだけある。当主の直毘人も笑いながら食事を用意させていた。
女中たちの作る食事はどれも美味くて感心したものだ。そこらの軟弱な男どもよりよっぽど役に立つ。一度だけ、見栄えだけを考えた微妙な料理が出てきたときは思わず呪力の制御が乱れて吹き荒れてしまったがもうそのようなへまはしない。
鍛錬を続ける中で式神の調伏も進めた。蝦蟇、脱兎、鵺を新たに調伏したのだ。印を組み、呼び出した式神に対する調伏の儀を行う。何も難しいことはなく、ただただ叩き潰せば調伏出来るのは単純で良かった。
蝦蟇は呼び出された瞬間に僕の呪力に怯えて逃げたが追いついて殴り壊した。
脱兎も分裂して逃げたが、容易く追いつけた。数が多かったため影を鋭く変形させて全て仕留めた。
鵺は僕を視認したと同時に飛び上がった。飛ぶ手段を持たないのでどうしようかと思ったが、こちらへの攻撃時に影の届く範囲に来たため影で雁字搦めにして堕としてから殴り壊した。
鍛錬に鍛錬を重ねて臨んだ調伏だったが拍子抜けしたものだ。残念に思う反面、影の操作には鍛錬の成果が出ていることを確認できたことは収穫である。今後は増えた式神の用途も考えながらの鍛錬になりそうだ。
「明は居るか。」
ある日の昼下がり。直毘人の訪問は予期せぬことだった。
「何か用かな、直毘人爺。」
「フ、今日も鍛錬に励んでおるようだ。相も変わらず凄まじい呪力よ。」
「それはどうも。鍛錬中なんだ、用件を早く伝えてくれ。」
「それもそうだな。して明よ。そろそろ対人の体術訓練をしてはどうだ?今までは自らの術式や特異な心臓と向き合って来たみたいだがそれだけではな。体を作るついでに術師を想定した体術も必要だ。」
「成程。確かに体術にはまだ手をつけていないが……相手になるのか?それとも直毘人爺が直々に……か?」
「お前の杞憂は尤もだ。だが何も互角の相手ではなくとも体術の訓練は出来る。とりあえずついてこい、訓練所に躯倶留隊も炳も集めている。」
何が「してはどうだ?」だ。もう話がついてるじゃないか。まあ、ついていくか。面白い奴でも居れば良いが……期待はしないでおこう。
禪院家、訓練所にて。そこには当主、直毘人の命で手の空いた躯倶留隊と炳が全員集められていた。
「直毘人さんから招集あったけど、なんなんだろうな?」
「さあ?でもなんで訓練所なんだろうな、確かにここは広いけど……」
突如の招集に戸惑い半分。しかし当主の命となれば従うしかない。
そんな中、ガラリと。
「皆の者、待たせたな。」
当主である直毘人の入室、後に続いて入ってきた人物に空気が凍る。
禪院明。相伝である十種影法術と無限の呪力を放つ特異な心臓。次期当主筆頭候補にして禪院の鬼才。大喰らいという年相応の面はあるものの、今この場で彼を可愛いと思えるような人間は誰一人として居ない。
直毘人は集まった躯倶留隊と炳を満足気に眺めては喋り出す。
「今日集まって貰ったのは、こいつの……明の体術訓練のためだ。何か異論はあるか?」
ある訳がない。この場の総意だった。
「勿論、このままでは相手にならんことは重々承知だが……これは体術訓練なのでな。明の術式の使用は禁止だ。それと炳もな。防御に術式を使わざるを得なくなったらその時点で中止。これまで明は座学でしか体術を教わっていない。実践は初めてだ。全員で掛かるといい。」
当主から告げられる、体術訓練の旨。子供1人に総出で掛かれという。
舐め過ぎだ。いかに術式や凄まじい呪力を持っていようとまだまだ子供。しかもそれらは体術訓練だからと禁止するらしい。これなら大丈夫かもな。安堵する者らも居たが……あまりに愚かだった。
「では、はじめ。」
直毘人の号令と共に、躯倶留隊も炳も抜刀し襲いかかった。術式以外の禁止はされていない。そう理解した彼らは突っ込み──
ドゴンと、轟音が、響く。
「ふむ、人を殴ったのは初めてだが...こんなものか?訓練ならば殺さない方がいいだろう。」
そう呟くのは禪院明。一瞬遅れて理解した。今のは殴られた音だと。本人は手加減したようだが絶対に死んでいる。そこからの彼らの気の入りようはとてつもないものだった。死にたくない。当たりたく無い。その一心で明に攻撃し、攻撃を躱す。その様はもはや訓練ではなく死闘であった。
ふむ、成程。拳の振るい方、足捌き。座学で教わるだけでは分からないこともやはり多いな。人を殴るという感覚。今までは呪霊か式神みたいな自分より大きな奴ばかり殴っていたが...面白い、相手が人になるだけでこうも変わるのか。払い、殴り、躱し、蹴り飛ばす。これだけでも技術があり駆け引きがある。僕には経験が足りない。これは良い機会だ。
しかし、それにしても……
「弱い、弱過ぎる。」
訓練所は阿鼻叫喚だった。骨折や気絶で済んでいるものは幸運だが、中には手足を潰された者や加減された拳にも耐えきれなかった者もいる。
「なぜここまで弱いのだ、まだ足りんというのに。まだ女中達の方がマシだ。あいつらは料理が上手い。」
「っ……なんだと……!呪いも扱えぬ女よりも!下だと言うのか!!!」
あまりの侮辱に憤るのは、炳の一員である禪院扇。如何に次期当主筆頭候補とはいえ子供にここまでコケにされて黙っていられる程、彼は大人ではなかった。
「術式解放『焦眉之赳』!!!」
禁を破り、自らの術式を解放する。必ずやこの刃で一矢報いる!そう息巻く扇を前に明は。
「そちらが抜いたんだ、後悔はするなよ?」
笑みを浮かべて術式を行使。
刀か……それに炎を纏わせる術式。良いな、かっこいいじゃないか。せっかくだ、
「
「何を……っ!」
呪力と共に展開された影。そこから出てきたのは……
「刀?!何故、十種影法術では──
「ははは、見様見真似にしてはよく出来たじゃないか。」
明の呪力より生み出された影。それを固め、圧縮して出来た刀が、その手には握られていた。そして……
「もう一声、『鵺』雷を。」
鵺を呼び出しその雷を刀に付与。圧縮された刀の呪力も、鵺による雷も。どれもが超級の呪力。禪院明、その本質たる無限の呪力が遺憾無く発揮され生み出されたその刀。名を──
「『雷切』。単純だがこれで良い。どうせ使わないからな。」
何度か振り、確かめる。即興で作った刀だが、一度振る分には良さそうだ。
「待たせたな、そっちの得意でやってやる。楽しませてくれ。」
「どこまでも……!」
両者が構える。扇は一撃に賭けた居合いを。明は刀が分からない。分からない故の自然体。勝負は一瞬、扇は全神経を注ぎ込み裂帛の気合いをもって炎を纏った刀を抜き放つ。長年刀を振ってきたことによる確かな技術。いつ抜いたのか分からない熟練の居合いが明に襲いかかる。
「美しいが……遅いな。」
敗因は単純。身体能力。扇の鍛え上げた肉体と呪力による強化では、明の動きを捉えることが出来なかった。渾身の一太刀を躱された扇は、雷切による一撃をモロに受けてしまう。肩から腰へ、袈裟に一閃。体が二分されてもおかしくない一撃だったが果たして。
「すぐに治療してやれ、殺してはいない。」
今尚雷を迸らせた刀を持った明に気圧されるまま、禪院扇は治療を受けるために躯倶留隊に運ばれた。
「やりすぎだ、莫迦者。」
「殺してない、多分。」
呆れた直毘人によって声をかけられ、明の初めての体術訓練は幕を下ろした。
その夜。またも直毘人に呼び出された明はまたかと半ば呆れながらも直毘人の部屋へと向かっていた。
「なんだ、今日はやたら声をかけるじゃないか。」
「お、来たか。」
部屋に居たのは直毘人と……
「誰だ?」
「あー、こいつが例の心臓の子供か。」
鍛え上げられた筋骨隆々の体。口元にある傷。なによりもその濃密な気配。
「紹介しよう、禪院甚爾。これからお前の体術訓練を見る男だ。」
「そういう訳だ、面倒くさいが……ジジイは金払いだけは良いからな。面倒みてやるよ。」
天与呪縛によるフィジカルギフテッド。この家で一番の強者がそこに居た。
影造はただ影をその形に整えて分離しているだけで特別な機能を付けられる訳ではないです。影法術の範疇を越えてしまうので。