ヒンメルたち一行が町を出たのは、翌日の明朝──の予定だったが、結局は昼前だった。
「フリーレン、依頼人を待たせて寝坊するのはさすがに失礼が過ぎますよ!」
「ごめん……」
「まったく、何度も何度も寝坊して! 反省するまでおやつ抜きですからね!」
「だから悪かったって……」
最早慣れてしまったフリーレンの寝坊を珍しく咎めるハイターに、流石に少しは悪いと思っているのか、珍しく素直に謝るフリーレン。
そんな二人のやり取りに、「お母さんかな?」なんて小さく呟くと、それに対してアイゼンが「いや」と意見を述べる。
「あいつは早く酒が飲みたいだけだろう」
「違いない。まったく、生臭坊主め」
ヒンメルは小さく苦笑すると、ゆっくりと歩く馬車を繰る男の方へと顔を向けて、「悪いね」と声をかけた。
「こんな感じの奴らだけど、いざという時は頼りになる奴らだ。何しろ、僕が知る中で最高の僧侶と、最高の魔法使いだからね」
「いや、そこは別に疑っているわけじゃ……」
「それにしては、浮かない顔をしているね」
「そうか?」
そう言って首を傾げてから、男は「そうかもな」と呟いた。
「何しろ、村に戻って水の入った樽を置いたら、また水を貰いに町に降りてこなけりゃいけないからな。仕方ないとはいえ……、正直疲れるし──魔族に襲われたらと考えると、怖いよ」
それを聞いたアイゼンが、ふむ、と髭を撫でながら言った。
「この時間に村に戻るとなると、あまり休む時間もないだろうしな」
「それは大変だ。早く井戸の調査をして解決しないとね」
そんなアイゼンとヒンメルたちの会話に、
「その必要はないんじゃないですか」
と異を唱えたのは、ハイターだった。
その言葉の真意がつかめず、ヒンメルが立ち止まって振り返る。
いえね、とハイターが続けた。
「調査を急いで、一刻も早く村の復旧を目指すのは必要だと思います。ですが、少なくとも、私たちが彼らの村里に滞在している間は、水の心配をしなくてもいいと思うんです」
「何故だ?」
腕を組んだアイゼンが尋ねる。
「もし今日中に井戸が直らなくても、フリーレンなら、水を用意することができますから」
自信満々に言うハイターだったが、件のフリーレンは小さく首を振った。
「ハイター、残念だけど、私は〝水を出す魔法〟なんて便利な魔法は使えないよ。それに、今の人類の魔法体系だと、水は出すものじゃなくて
出来ないことは出来ないと言うフリーレンに、しかしハイターはなおも
「出来ますよ」
と言った。
「だから──」
「ほら、あれがあるじゃないですか。前に迷宮で見つけた〝かき氷を出す魔法〟が」
「あ」
失念していた、と言うように、フリーレンが目を丸くした。
「なるほど、まさに〝伝説級の魔法〟だね」
そう言ってヒンメルは、あはは、と楽しそうに笑った。
「ほら、うちの魔法使いは最高だろう?」
「──なんて、お礼を言えばいいか」
ヒンメルの言葉に、男は感激したように目を潤ませる。
そんな彼らとは裏腹に、フリーレンは浮かない顔だ。
「……でもあれ、ちょっとずつしか出せないんだよね。面倒だなぁ」
「フリーレン、それでも君は、ちゃんとやってくれるだろう? 君はそういうやつだ」
「……まあ、寝坊したのは私だしね」
ヒンメルからの信頼の眼差しに、フリーレンは目線を逸らして言う。
そんな二人の様子から、フリーレンが寝坊したことを悪いと思っていることを察したのだろう。
ハイターが「反省しているようで大いに結構」と言った。
「アメちゃん食べます?」
「いらない」
「また甘やかしてる……」
少し呆れたように呟いてから、さて、とヒンメルが前を向いた。
「じゃあ、行こうか」
荷馬車を囲んで、一行は再び村里へ向けて歩き出した。
────
「うーん、ダメだね、これは」
「そっかぁ、ダメかぁ……」
村里に到着した一行は、荷下ろしを手伝った後、さっそく村の外れにある井戸の調査を行っていた。
それは、古い井戸だった。
枯れ葉等が混入しないように建てられた木製の井戸屋形は、だいぶ年季が入った色をしている。
しかし、その井戸屋形が新しいものであると言っても過言ではないほどに、その丸井戸には年季が入っていた。
新しいのは、つるべの先に取り付けられた、木の桶ぐらいのものだ。
フリーレンに魔法で井戸の状態を見てもらった結果は、先ほどの発言のとおり。
結論から言えば、どうやら
「君でも直せないほどひどいのか?」
井戸を覗き込むヒンメルに、フリーレンは首を横に振った。
「そもそもこれ、井戸の体をなしてない」
「なんだって?」
驚いて振り返ったヒンメルの脇を通って、フリーレンも井戸を覗き込んだ。
「井戸の深さが浅すぎるんだよ。ちょっと探知してみたけど、この三倍くらいの深さじゃないと水は見つからなかった」
「つまり、もう井戸は涸れてしまったってことですか? もっと深くまで掘らないと、水が湧き出なくなったと?」
ハイターの言葉に、それも違う、とフリーレンは頭を振る。
「湧き出すも何も、井戸の底が岩盤になってる」
「じゃあ何ですか、フリーレン。そもそもこの井戸に、水が湧き出すはずがないと?」
「本当に不思議な井戸だな」
そう言ったアイゼンが、一つ小石を拾って、井戸の中へと放り入れた。
少しだけ遅れて、小さな硬い音が、井戸の底から帰ってきた。
ふん、と顎髭を投げて、アイゼンが言う。
「で、これからどうする?」
「さて……。フリーレン、何かわかりそうかい?」
このパーティーのリーダーであるヒンメルは、未だに井戸をじっと見つめるフリーレンに声をかけた。
しばらくの沈黙の後、フリーレンが「やっぱり」と呟く。
「何かわかったみたいだね」
「この井戸、ほんの微かにだけど、魔力が残ってる」
「魔力が?」
考えるように、ヒンメルが顎に手を当てた。
「魔法で水が出る井戸だったってことか?」
「それは違うでしょう。何しろ、〝水が出る魔法〟はないようですし」
その言葉を聞いたフリーレンが、「違うよ、ハイター」とそれを否定した。
「〝水が出る魔法〟自体は存在しているよ」
「……フリーレン、さっきあなたがないって言ったではないですか」
「私には使えないってだけだよ」
にべもなく言うフリーレンに、ヒンメルが「つまり」と言う。
「君には使えないけれど、どこかに使える人がいるってことか?」
「それはないかな。多分、失伝したと思う。なにしろ複雑な魔法だったからね。どんなに優秀な魔法使いでも、習得に八十年はかかるだろうし」
「……人間には習得難度が高すぎますね」
「だがフリーレン、そこまで知っているなら、君が使えないのは不思議だな。魔法の収集は好きなんだろう?」
ヒンメルにそう言われて、フリーレンは小さく肩を竦めた。
「昔、私も〝水が出る魔法〟の魔導書を持ってはいたんだけどね」
「持ってはいた?」
「腐っちゃった」
「腐っちゃったのかぁ……」
そういえば、とヒンメルは以前迷宮でフリーレンと交わした会話を思い出す。
紙というものは存外傷みやすいもので、手入れを怠ると腐ってしまうらしい。彼女はそのせいで何度か魔導書をダメにしてしまっていると語っていた気がする。
当時はヒンメルたちも話半分に聞いていたが……、考えてみれば、長い時を生きるエルフの時間感覚ゆえに起こる不具合なのだろう。
習得に時間がかかるからと後回しにして、気付いたら魔導書が腐ってしまっていた。
フリーレンであればやりそうだ、とヒンメルはそのエルフの横顔を眺めながら思う。
「ということは、フランメの大結界のように、昔この井戸にかけられた〝水が出る魔法〟が──」
「いや、残った魔力量からすると、それはないかな」
あっさりとフリーレンが否定して、ヒンメルとハイターは、豆鉄砲を食らった鳩のようにきょとんと目を見開いた。
「ねえ今の話なんだったの?」
「この魔法使い、ただの魔法オタクなんじゃ……」
「わかっていたことだろうが」
そんな二人に淡々と物申すアイゼン。
閑話休題。
そんな三人を後目に、フリーレンは話を元に戻した。
「微かすぎてわかりづらいけど、魔力の痕跡は、山の奥から来てるみたいだね。どうする、ヒンメル?」
「追えるかい?」
「やってはみるけど、期待はしないでね」
「ああ、頼んだ」
と、ヒンメルは、フリーレンが失敗するとは微塵も考えていないように言ったのだった。
────
背の高い木々の生える山の中を、微かな魔力を頼りに歩いて小一時間。
それは山肌に半ば埋もれるようにして存在していた。
整然と積み上げられた、黒ずんだ灰褐色。
蔦の這うその岩肌は、所々苔むしているのが見て取れる。
ただ通りかかっただけでは、それが人工物であることを見落としてしまうかもしれない。
それほどまでに自然に溶け込んで、埋もれてしまうほどの年月を過ごした、年老いた遺跡がそこにあった。
「この遺跡、私が生まれるより前の時代のものだね」
「フリーレンが生まれるより昔って……」
「どれだけ昔なんだ?」
「さあ、原始時代とかじゃないですか?」
そんな男達の囁き声も、エルフの耳は聞き逃さない。
「三人とも、私はさすがにそこまで長生きじゃないよ」
ぴしゃりと言い放ってから、フリーレンは再び遺跡に目を向ける。
「探知した感じだと、魔力の発生源はこの遺跡みたいだ。入り口は……倒木で塞がっているね。さすがにどかすには大きすぎるし……しょうがない。面倒だけど、焼くか」
そう言って杖を構えたフリーレンを、ハイターが慌てて止める。
「待ちなさいフリーレン、燃やして山火事になったらどうするんですか!」
「火加減は気を付けるよ。今までだって、戦闘で火事を起こしたことはなかったでしょ」
「もしもの時の話です。このあたり一帯は水がないでしょう。万が一のことを考えて──」
どうしようこうしようと言い合いを始めるハイターとフリーレンを、少し呆れたような目で見るアイゼンに、ヒンメルが声をかけた。
「アイゼン、頼めるかい?」
「ああ」
淡々と頷いたアイゼンが斧を構えて、直径が自分の身長以上ある倒木に歩み寄ると、ふん、と軽く斧を振るった。
小気味いい音と共に、いとも容易くその倒木は粉々に砕け散る。
「思ったより古い倒木みたいだな。中身もスカスカで、薪にも使えそうにない」
飛び散った木片の一つを拾い上げたアイゼンはそう呟くと、その木片を遺跡に向かって放り投げた。
カン──
硬い音がして、その木片は
「やはりな」
「結界だね。フリーレン、解除を頼めるかい?」
「わかった」
言い合いをしていたフリーレンは、あっさりそれを切り上げると、その遺跡の結界に手を当てて目を閉じた。
「なんだか釈然としない……!」
「まあまあ。ハイターはよく頑張ってくれているよ」
一人取り残されて、涙目でぷるぷると拳を振るわせるハイターの肩を叩いて、ヒンメルが慰めるように労う。
「それでフリーレン、解析にはどれくらいかかりそうだ?」
ヒンメルの質問にフリーレンは、静かに目を開いて、しかし目線は目の前の結界から背けずに答えた。
「……古くて強固だけど、そんなに難しい結界じゃないから、そんなに時間はかからないよ。せいぜい一、二時間くらいってところかな」
その答えに、ヒンメルは「さすが我らが魔法使いだ」と微笑んでから、さて、と今後の方針を皆に伝える。
「じゃあ、今日の調査は遺跡の結界の解析を終えるところまでにして、一度村里に戻ろうか。ここの調査は明日一気にやってしまおう」
「別に私は、このまま調査を続けてもいいけどね。早く井戸が涸れた原因を突き止めるんでしょ」
「確かに、そうだね。だけど、見ろよフリーレン」
そう言ったヒンメルが、遺跡の方へと目を向ける。少年のように輝かせた目を。
「これはもう、遺跡って言うより迷宮だろう。今から隅々まで探索していたら、どのみち明日まで調査は終わらないだろうしね」
「ねえ、この勇者引きずって、調査をさっさと終わらせた方が良くない?」
「まったく、同感ですね」
迷宮は全て踏破するのが当たり前のようにのたまう勇者に、魔法使いが辛辣に呟きを漏らし、僧侶がそれに呆れたように同意する。
そんなパーティーメンバーの様子を見て、ヒンメルは「冗談だよ」と肩を竦めた。
「中の構造も、難易度もわからない以上、どれだけ時間がかかるかもわからないからね。村里の皆に、この遺跡が原因かもしれないことくらいは報告した方が、彼らも安心するだろう。それに、村人から何か遺跡の情報も聞けるかもしれない」
「なるほど」
「確かに」
ヒンメルの言葉に、アイゼンとフリーレンは納得したように頷き、しかしハイターだけは小さく肩を竦めた。
「ヒンメル、さっきのは別に冗談ではなかったでしょう」
その指摘に、やっぱりバレるか、とヒンメルは小さく苦笑を漏らし、すぐに爽やかに笑って言った。
「どっちも本心さ。村人たちを安心させたい。だけど、僕は僕たちの冒険も楽しみたい。いつも言っているだろ?」
あっけらかんとして言うヒンメルに対して、ハイターは呆れ色を隠さない。
「そうでしたね。あなたはそういう人です」
ハイターのその台詞には、どこか彼を誇らし気に思っているような、そんな声色が滲んでいた。
お読みいただきありがとうございます
次回は明日土曜日のこの時間に投稿予定です。