幕間の物語-変わるモノ、変わらないモノー   作:館凪 悠

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4.ヒンメルとフリーレン

 

「つ、疲れましたね」

「まったくだね、あれほどの命の危機は久々だった。誰だ、のんびりした冒険なんて言ったのは」

「ヒンメルでしょう」

「そっかぁ……。うん、でも油断は大敵だね。教訓にしよう」

 

 時のほどは夕方。

 太陽の光が赤みを帯びる時間帯。

 村での滞在場所として提供された納屋にも、その光は差し込んでいた。

 走り疲れて、窓辺の椅子に座るヒンメルとハイターとは対照的に、二人に担がれて遺跡を脱出したアイゼンとフリーレンは元気そうなものである。

 

「ふと思ったんだが」

 

 おもむろにアイゼンが口を開いた。

 

「ハイターの女神の魔法を使えばよかったんじゃないか? 確か無呼吸でも活動できる魔法があっただろう」

 

 それを聞いたヒンメルとハイターは、顎が外れんばかりに口を開き、そしてがっくりとうなだれた。

 

「アイゼン、もっと早く指摘して欲しかったな……」

「あー、パニックになると、思考が短絡的になってしまいますね……」

 

 はあ、と特大の溜め息が二つ、夕日に照らされた納屋の中に吐き出される。

 

「でも」

 

 ヒンメルが、疲れた表情は変わらないままに、窓の外へと目を遣った。

 

「なんだか無駄に疲れてしまった感は否めないけれど、無事に井戸も復旧できてよかったよ。皆、楽しそうだ」

 

 彼の目線の先には、井戸の周りでふざけあう、まだ十代半ばよりも幼いだろう男女の姿。

 この村に来た時に、村に漂っていた辛気臭い雰囲気は、もう欠片も残っていないようだった。

 彼らが井戸端を離れるまで、口元に微笑みを浮かべながらその様子を眺めていたヒンメルは、視線を屋内に戻して言う。

 

「今回も無事、こうやって依頼を完遂できたのは、皆のおかげだ。ありがとう」

 

 特に、とヒンメルが続ける。

 

「フリーレン、君がいなかったら、もっと時間がかかっていただろう」

「そうだね。もっと褒めてくれてもいいんだよ」

 

 名指しで褒められたフリーレンが、得意げにむふーと胸を張る。

 そうですね、とハイターが彼女の方を向く。

 

「私たちだけでも、遺跡を見つけることはできたかもしれませんが、遺跡と井戸との関係性はわからないですし、結界もどうしようもなかったですからね」

「まあ、そうだったらそうだったで、ハイターがどうにかしていただろうけどね」

「ヒンメル、私にも出来ることと出来ないことがあるんですよ」

「だけどハイター、君は酒のためだったら、大体のことは気合で何とかするだろう?」

「結局根性論じゃないですか!」

 

 明るい笑いが、夕方の納屋に響く。

 ひとしきり笑い終わってから、ハイターは気を取り直したように、真面目な顔でフリーレンに向き直った。

 

「確かに、今回の調査はフリーレンがいないと成り立ちませんでした」

「でしょ?」

 

 得意げに言うフリーレンに、ハイターは「ですが」と語気を強めて言う。

 

「事前打ち合わせもなしに、あの魔道具を発動させたのはいただけません! まったく、溺れたらどうするつもりですか!」

「でも溺れなかったでしょ。信頼しているんだよ」

「信頼してくれるのは嬉しいですが! それでも!」

「溺れないための魔法を失念していたのは、ハイターだよね」

「それはそうですが!」

 

 自分のミスを堂々と認めるハイターに、「今日は認めるんだ……」とヒンメルがぼそりと感想を漏らす。

 そんな外野の言葉を無視したまま、ハイターは続けた。

 

「普段は命を落とさないようなところで、簡単な失敗で命を落とすのが人間です。今回で言えば、私が女神様の魔法を忘れてしまったように」

 

 ですが、とハイターがしゃがんで、フリーレンと目線を合わせて言う。

 

「そんな些細なことで、命を落としてはいられないのです。私たちは、勇者一行なのですから」

「……確かに、そうだね。次から気を付けるよ」

 

 ハイターの真剣な態度と、言っていることの正しさを理解したのだろう。フリーレンは言い返すのをやめ、静かに頷いた。

 

「いい子です」

「頭撫でんな」

 

 子供を褒めるようにフリーレンの頭を撫でるハイターの手を、フリーレンが振り払う。

 そんな二人を見つめていたヒンメルが、

 

「ハイターが真っ当な僧侶らしいことをしてる……」

 

 と呟き、

 

「なに、うまい酒が飲みたいだけだろう」

 

 とアイゼンが便乗する。

 

「せっかくいい感じでまとめたのに! まったくあなたたちは!」

 

 再び納屋の中が騒がしい空気に包まれる。

 そんなことをしているうちに──

 

「皆さま……、その、お祭りの準備ができましたので……」

 

 いつの間にか、玄関口に村長の妻が立っていた。

────

 

 

 

 

 季節は初夏だが、山の夜は肌寒い。

 山頂から吹き降ろす冷たい風に頬を撫でられて、フリーレンは小さく首を竦めた。

 太陽はいつしか沈み、村里には夜が訪れていた。

 だが、暗くはない。

 村の中心に組まれた薪の炎が、夜風に揺らめく。

 フリーレン達は、その炎から少し外れた家の軒先に出されたテーブルへ案内されていた。

 

「それにしても、祭りだというのにやけに静かだね」

 

 テーブルに頬杖を突いて、炎をぼんやりと眺めるフリーレンが言う。

 そうだね、と相槌を打ったのはヒンメルだった。

 

「そうだね。お祭りというからには、もっと賑やかなのを期待していたんだけど」

 

 そう言ったヒンメルの髪が、夜風に揺れた。

 

「お祭りと言うよりも、祭事や神事の方が近いのかもしれませんね」

 

 深く椅子に腰かけて言うのは、ハイターだ。

 

「生臭とはいえ、さすがは僧侶だな」

 

 そう言いながら現れたのは、戦士アイゼン。

 彼は液体の入った小樽を、右は肩に、左は小脇に抱えていた。

 

「どうやら、これは祭事に関わる儀式のようなものだそうだ。厳しい冬を越せたことへの感謝と、これから来る実りの季節への願いを山に伝える儀式だと」

「おや、アイゼン、詳しいですね。以前も見たことが?」

「いや、これを貰ってくるついでに聞いてみたんだ」

 

 アイゼンがこれと言いながら、その小樽をテーブルの上に置いた。

 中に入った液体が、ちゃぷんと小さな音を立てる。

 それを見たハイターが、目を輝かせた。

 

「おお! これが例の!」

 

 ああ、とアイゼンが頷く。

 

「この祭りの時のみ飲める、秘伝の地酒だ。数は少ないから好きなだけとは言えないが、まだ余裕はあるから、それで足りなければ言ってくれ、だとさ」

「ああ、嬉しいですね! ではちょっと味見してみましょうか」

 

 さっそく樽の栓を抜こうとするハイターに、フリーレンが小さく

 

「生臭坊主」

 

 と呟いた。

 それに対してハイターは、こともなさげに言い返す。

 

「祭事で振舞われるものですよ? 問題があるはずがないじゃないですか」

「じゃあ普段はどうなのさ?」

「何のことでしょう? それは知りません」

「僧侶が平然と嘘を吐くなよ……」

 

 ぼそりと指摘するヒンメルの言葉を無視して、小樽をジョッキへと傾ける──

 

「これは──」

 

 樽から出てきたのは、薄い琥珀色の液体だった。

 しかし、一見麦酒をも彷彿させるその液体から微かに漂ってくるのは、蜂蜜を思わせるような甘い香り。

 

「果実酒か?」

 

 アイゼンが首を傾げる。

 酒好きのハイターも、一瞬それの正体がわからずに、食い入るようにそれを見つめた。

 

「驚いた。白ワインだね。しかも熟成物だ」

 

 感心したように言ったのは、フリーレンだった。

 ほう、とアイゼンが自分の樽ジョッキにワインを注ぎながら尋ねる。

 

「しかし、白ブドウが穫れるのは南側諸国じゃなかったか?」

「白ワインは白ブドウじゃないと作れないわけじゃないよ」

「……ああ、そうか。種と皮を入れなければいいのか。しかし、それは」

「うん、かなり面倒な作業だと思うよ。しかもこれだけ熟成されているんだから、祭事の時しか飲めないのも頷けるね。貴重なものだ」

 

 アイゼンとフリーレンの会話に、ヒンメルが驚いたように訊いた。

 

「ずいぶん詳しいね?」

「知り合いに酒好きの(ろくでもない)エルフがいてね。昔教えてもらったんだ」

「まあいいではありませんか」

 

 蘊蓄よりも飲酒を、と言わんとするように、ハイターが言う。

 

「そんなに希少なワインを飲めるなら、この依頼を引き受けた甲斐があるというものです。たくさん飲まなくては」

「ねえ、希少の意味わかってる?」

「ここで飲み逃したら、二度と飲めないかもしれないということでしょう?」

 

 フリーレンとハイターのやり取りに、アイゼンが「くだらん」と息を吐いた。

 まったくだ、とヒンメルが笑いながら言う。

 

「酒が絡まなければ優秀な僧侶なのにな」

「しかし、こいつが酒に振り回されないとなると、それはそれで気色が悪いな」

「言えてるね」

「ねえ、思ったんですけど、このところ皆さんちょっと私の扱いひどくありません?」

「だってハイター、今回活躍してないし」

「あっはっはっは!」

 

 そんないつも通りともいえるくだらないじゃれあいをしていると、気が付けば今回の依頼を出した男が、ヒンメルたちの所へやってきていた。

 

「まさかこんなにあっさり解決してくれるとは思わなかった。本当にありがとう」

 

 頭を下げると男に、ヒンメルは小さく肩を竦め、やわらかい表情で言った。

 

「当たり前のことをしただけさ。何しろ僕たちは、勇者一行なんだから」

 

 気負うでもなく、恩を売るわけでもなく、ただ自然体で彼は言う。

 

「それに、こうやって報酬は貰っているからね。僕たちはそれだけで十分だ。……まあ贅沢を言うなら、銅像をお願いしたかったけどね」

 

 冗談とも本気ともとれないその言葉に、男は表情を緩めてもう一度、ありがとう、と呟いてから言った。

 

「この村里が続く限り、俺たちはあんたたちへの感謝を忘れないよ」

「勇者さま!」

 

 不意に、男の足下から幼い声が響いた。

 男が驚いたように足下にいた少年の頭をぐしゃりと撫でて、「こら」と困ったような声で言った。

 

「大人しくしているように言ったじゃないか」

「息子さんかい?」

「ああ。五歳になるんだが、やんちゃ盛りでね」

 

 勇者の問いに、困り半分、愛情半分といった口調で、男が答える。

 そんな父親の心境などは知らないまま、少年は元気いっぱいに言う。

 

「井戸をなおしてくれたんでしょ! かっこいい、ありがとう!」

 

 思ったことを口に出してしまう年頃なのだろう。

 興奮気味に言う少年に、ヒンメルは微笑んで、「照れるね」なんて言いながら立ち上がった。

 そのまま彼は少年の前にしゃがんで目線を合わせると、少年の頭をくしくしと撫でた。

 

「どういたしまして。だけどね少年、井戸を直すために、一番頑張ってくれたのはうちの魔法使い(フリーレン)なんだ。お礼なら彼女に言ってあげるべきじゃないかな」

「うん!」

 

 少年は元気よく頷くと、とてとてとフリーレンの方へ駆け寄って、

 

「ありがとうおねえさん!」

 

 とやはり元気よく言った。

 

「どういたしまして」

 

 そう応えたフリーレンは、しかし表情も声色も淡々としていた。

 

「だけど、別に大したことはしていないよ。そんなに目を輝かせることじゃない」

 

 その物言いに、ハイターが少し困ったように小さく息を吐いた。

 

「……まったくこの人は。フリーレン、もう少し子供には──おや?」

 

 嗜めようとしたハイターが、何かに気が付いたようにその言葉を止める。

 広場に、火の粉の爆ぜる音が響く。

 確かに、先ほどまでも静かだった。穏やかと言い換えてもいいかもしれない。

 だが、今この村を覆うのは、何かが起こる前の、少し張り詰めた静けさだった。

 いつしか、炎を取り囲むように、見たことのない太鼓や笛や、様々な楽器を構えた人たちが集まっていた。

 

「儀式が始まります」

 

 男がそう囁いてから一呼吸おいて、誰かが太鼓を叩いた。

 それが合図だったのだろう。

 その太鼓の音に合わせて、誰かが笛を吹く。誰かが太鼓を叩く。

 手で叩く太鼓の音。

 縦笛の音。

 棒で叩く太鼓の音。

 横笛の音。

 高い太鼓の音。

 太い笛の音。

 低い太鼓の音。

 細い太鼓の音。

 知らない弦楽器の音。

 知らない打楽器の音。

 それは、統率された音楽ではなかった。

 そういう音楽は、大都市へ行って金さえ積めばいくらでも聴ける。

 バラバラの音は、村の中心にある炎のように、ゆらゆらと不規則に揺れ、一所にまとまる様子はない。

 しかし不思議とこの音楽には、洗練されていない故の、確かな力があった。

 何か体の芯に近いところを揺さぶられるような、原始的な力を持つ音楽だった。

 

「ほう……」

 

 聞いたことのない音楽に感心するヒンメルたちに、

 

「酒と一緒に楽しんでくれ」

 

 男は小声で言うと、少年の手を引いて村人たちのいる方へと去っていった。

 いつしか、各人が思い思いに鳴らしていたように思えた楽器の音が、少しずつ集まり始めたように聞こえる。

 すると、村の奥から一人の女が現れた。

 赤い衣と、銀でできた装飾品を身に纏った女だった。

 顔の半分は布で覆われ、歳のほどはわからない。

 彼女がゆっくりと炎へと近づくにつれ、楽器の音がまとまっていく。

 そして揺れる炎の前に立った女が、炎へと一礼をしてから、ゆったりと踊り出した。

 不思議な舞だった。

 女が腕を翻せば、炎が闇に身をくねらす。

 女が腰を揺らせば、炎がひと際赤く燃える。

 女が緩やかなステップを踏むと、炎も楽しそうにゆらゆらと揺れる。

 

 とん、

 

 と女が地面を蹴ると、炎もぱちりと火の粉を飛ばし。

 

 とん、

 

 と女が地面に降りると、炎も優しくその身を揺すった。

 まるで、女が炎を操っているような。

 あるいは、炎が女を真似しているような。

 ある種神業ともいえるかもしれない、舞だった。

 そして、炎と女が同調した頃には、楽器の音たちも一つにまとまり、不思議な音色の音楽となっていた。

 硬い音を出す打楽器が、同じリズムを三回繰り返して、村人たちが祈るように歌い出した。

 ヒンメルたちには、馴染みのない言葉だった。

 どこにあるかもわからない、異国の言葉のような、そんな歌。

 

「これは、凄いな……」

 

 そんな言葉がぽつりと、ヒンメルの口から零れ落ちる。

 すると──

 

……eṅkaḷ pirārttaṉaikaḷ pūmi āvi nīr āvi malai āvi naṉṟi maṟṟum ──

 

 不意に隣から聞こえた鈴のような声に、ヒンメルは目を丸くしてそちらの方を向いた。

 

「フリーレン、知っているのかい?」

「まあね。遺跡で話した〝山の民〟の使っていた言葉だよ。これは精霊への祈りの歌だね」

「精霊、ですか?」

 

 ハイターがワインを傾ける手を止めて、興味深そうに尋ねる。

 

「昔あった信仰の一つだよ。女神様を信仰しつつも、もっと身近にある自然のあれこれに、不思議な意思があると信じて、それへの感謝を忘れないようにする。確かそんな信仰だったかな。山奥に集落を作ることが多かった〝山の民〟独特の宗教観だね」

「つまり、彼らは〝山の民〟の末裔だということでしょうか?」

「いや、それはないかな。そうだったら、生活の要であるあの遺跡に関する情報が残っていないのはおかしいでしょ。それよりも、〝山の民〟と交流のあった人たちが、その文化を引きついだ可能性の方が高いと思う」

「なるほど。……この旅が終わったら、そういった過去の文献を調べるのも、面白そうですね」

「珍しく勤勉だね」

「珍しくは余計です」

 

 そんなやり取りをしながらも、フリーレンの目線はその踊りと炎へと向いたままだった。

 その物憂げな目線とは裏腹に、彼女の口角が少しだけ上がっているのを見て、ヒンメルが小さな声でフリーレンに声をかけた。

 

「フリーレン、珍しい顔をしているね」

「そう?」

 

 気づいてなかったのか、フリーレンはヒンメルの方を見ると小さく首を傾げた。

 今度は、ヒンメルが踊りと炎を見つめたまま言う。

 

「少し、寂しいような、懐かしむような、そんな顔をしているように見えた」

「そっか」

 

 頷いて、フリーレンも再び炎の方へと顔を向ける。

 

「そうかもね。一度、師匠(せんせい)と一緒に、〝山の民〟の祭事に参加したことがあって、そこで見たことがあるんだよ。もう二度と、見る機会はないと思ってたんだけど」

「そうか」

 

 ヒンメルが頷いた。

 

「君は前にも、この光景を見たことがあるんだな」

 

 しみじみと言うヒンメルの声に、フリーレンが、まあね、と頷く。

 

「私はこれを見れて満足かな。もちろん、後で魔導書も貰うけどね。……ヒンメルは、もっと賑やかなお祭りの方がいいんだっけ?」

「いや」

 

 静かな声で、ヒンメルがその言葉を否定した。

 

「こういう祭りも悪くないさ」

「ふうん」

 

 頷いて、フリーレンは何気なしにヒンメルの方へと顔を向けた。

 彼の碧い瞳の中で、炎が揺れる。

 

「そっか」

 

 小さく頷いて、フリーレンも再び祭事の方へと意識を戻す。

 

tīppiḻampukaḷai erikkavum eṅkaḷ pirārttaṉaikaḷ āvikaḷukku……

 

 歌声が、村里に響く。

 その歌と音楽を乗せて、炎がより一層燃え盛った。

 祭りの夜は更けていく──。

 




お読みいただきありがとうございます。

次回は水曜日に更新予定です。最終話になります。
是非お付き合いくださいませ
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