幕間の物語-変わるモノ、変わらないモノー   作:館凪 悠

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5.仲間と

「──ということがあったんだけどね」

 

 ヒンメルの没後二十八年。

 北側諸国にあるフェルド平原。その脇にある山の中に、フリーレンたち一行はいた。

 かつて勇者一行の旅の最中、その山の中にある村里で何があったかの思い出話。

 件の話で出てきた井戸の前に立って、フリーレンは小さく息を吐いた。

 

「……人っ子一人いねえな」

「ヒンメル様たちとの旅といえば、もう八十年も前のことですからね」

 

 そこは、最早ただの山の中だった。

 草木の生い茂った山の中に、井戸がぽつんと置かれているだけ。

 周囲に家々は見当たらず、家のあったはずの場所には、大きな木が生えていた。

 祭事の際に炎をもやいしていた村里の中心にも、草が生い茂っている。

 苔むした朽ちた家の残骸も、かつてここに人が住んでいたと知る者以外には、それとはわからないだろう。

 

「……勇者一行への感謝を忘れない、って言っても、村がなくなってたら世話ないよね」

 

 少しだけ寂しそうに、フリーレンが呟いた。

 フェルンとシュタルクは顔を見合わせた。

 

「八十年も前ですからね……」

「まあ、魔王が倒されて平和になったら、住みやすい土地へ行く人もいただろうしな……」

 

 そんな二人の言葉に、フリーレンはそうだね、と頷いた。

 

「……それに、あのお酒、結構おいしかったんだよね。もう一度飲みたかったな」

「珍しいですね、フリーレン様がお酒を飲みたいって言われるのは」

「まあね。あれほどのワインはなかなか飲めないよ。深みはあるけど、甘くてすっきりした味わいでね。……アイゼンはもっと酸味があった方が好みだって言ってたけど、多分誰でも飲みやすい味だよ」

「ああ、師匠は酸っぱい方が好きだからな。葡萄を買う時も、いつも酸っぱいのを選んでたし」

 

 しかし、と首を傾げたフェルンが言う。

 

「そのワインについてのお話を、ハイター様から伺った記憶がありませんね」

「ハイターは量を飲まないと満足しないからね。ここでも『味はいいけど物足りない』って言って、そのくせ次の日は二日酔いだったし、あまり印象に残ってなかったのかもね。まったく、そのせいで、フェルド平原の魔族との戦いが大変だったよ」

「僧侶がそんなんでいいのかよ……」

「知らないんですか、シュタルク様。酒は百薬の長なんですよ」

「そんなわけねえだろ……」

「なんにせよ、無い物をねだったところで、どうしようもないよね」

 

 ぽつりと呟いてから、フリーレンは小さく頭を振って気を取り直すように

 

「仕方ない」

 

 と、小石を拾うと井戸の中へと投げ込んだ。

 ぽちゃん

 水が跳ねる音が、帰ってくる。

 あの遺跡はまだ稼働しているようで、井戸もどうやら生きているらしい。

 

「あてが外れちゃったから、今日はここで野営しよう。明日改めて、山を伝って次の町を──」

 

 がさり、とフリーレンたちの背後で、草が揺れる音がした。

 その音に真っ先に反応したシュタルクが、背負った斧に手を伸ばし──

 

「おや、先客ですかな?」

 

 そこに立っていたのは、腰の曲がった杖を突いた老爺と、背筋の伸びた眼鏡をかけた青年だった。

 老爺が言う。

 

「珍しいですな、この何もない山に人が来るなんて」

 

 その言葉に、フリーレンが肩を竦めた。

 

「何もないとは思わなかったんだよ。前来た時には村があったからね」

「前……? ここに村があったのは、もう六十年近く前になりますが……」

 

 その老人の言葉に、フリーレンは少し驚いたように目を開いた。

 

「へえ、知ってるんだ。前に来たときは八十年くらい前だったかな。井戸から水が出なくなったって──」

「もしや」

 

 老爺が杖を手放し、よたよたとフリーレンに駆け寄った。

 そして、まじまじとフリーレンの顔を見ると、老爺の白く濁った瞳が、大きく揺れた。

 

「……おお、フリーレン様、まさか──、まさか、本当にまたお会いできるなんて……!」

 

 震える声で言う老爺に、フリーレンは記憶を手繰るように眉を顰めて首を傾げ──。

 

「──ごめん、思い出せない。この村の人?」

 

 率直なフリーレンの言葉に、老爺は「そうでしょう」と笑って頷きながら、涙の浮いた目じりをぬぐった。

 

「そうでしょうとも。何しろもう八十二年経ちましたからな、儂も歳を取りました。……あの時、勇者様方へ井戸の調査を依頼した、アヌークの息子です」

「……思い出した」

 

 ちょうど先ほどまで、フェルンとシュタルクに聞かせていた話で出てきた、勇者一行へお礼を言いに来た、当時五歳の少年。

 それが、今目の前にいる老爺なのだった。

 なるほど、言われて見れば確かにその面影があるように見える、とフリーレンは頷いた。

 

「あの時のちびっ子だ。見ない間に、ずいぶんと老いぼれたね」

「老いぼれたって言い方……」

 

 呆れたように言うシュタルクをよそに、老爺は愉快そうに笑った。

 

「まったく、本当に。何しろ人間にとって、八十年は大層長い時間ですからな。もうじき骨になってしまうところでしたわい」

 

 ひとしきり笑ってから、老爺は後ろで控えていた青年に声をかけた。

 

「さて、カール。水を汲んでおくれ」

「はい」

 

 カールと呼ばれた青年は、先に地面に落ちた杖を老爺へ渡してから、手に持っていた、取っ手に縄の付いた桶を井戸に落として水を汲む。

 

「二人は何しにここに来たの?」

「井戸の水を汲みに来たんですよ。何しろ、ここの水は質がいいですからな」

「ふうん。この近くに住んでるんだ? フェルド平原の先の町?」

 

 フリーレンの言葉に、老爺はきょとんとして目を見開いた。

 

「……もしやフリーレン様、ふもとの町へ寄らなかったのですかな?」

「……ふもとの町?」

 

 首を傾げるフリーレンに、老爺が頷く。

 

「勇者様方が平原の魔族を倒してくださったおかげで、この山の北側に町ができましてな。なにしろ山奥より平地の方が生活は楽だということで、次第にこの村から、皆そちらの町へと移住したのですよ」

 

 確かに、と老爺は髭を撫でながら言う。

 

「昔の街道を南から北に向かうとなると、山に隠れて見落とされるかもしれませんな。しかし、儂どもの村へ、何か用でも?」

「仲間の靴が壊れちゃってね。フェルド平原を抜けるまで、次の町はないと思ったから、それの修理に来たんだよ。……いろいろな意味で、無駄足だったみたいだけど」

「おかげで、こうやってまたお会いすることができました」

「そうだね」

 

 しみじみと言う老爺に、フリーレンが笑いながら頷いた。

 ところで、と老爺が言う。

 

「もしよければ、ふもとの町へ寄って行かれますかな? ちょうど今日は祭りの日でしての」

「そっか。私たちが村に来たのも、ちょうどこの時期だったね」

 

 フリーレンは頷くと、フェルンとシュタルクに訊ねた。

 

「二人とも、それでいいよね?」

「そうですね」

「そうしようぜ」

 

 二人の返事を聞いて、老爺は楽しそうに頷いた。

 

「では、参りましょうか」

 

 杖を突き、ゆっくりと歩き出す老爺と、それを支えるカールに続いて、フリーレンたちも歩き出す。

 

「ところで」

 

 ふと思い出したように、フェルンが言った。

 

「どうしたの、フェルン?」

「そういえば、ここにあった村の依頼で、フリーレン様は魔法書を貰ったんですよね? どんな魔法書だったのですか?」

「ん? それはね、確か──、そう。〝二本の──、あ」

 

 言いかけたフリーレンが、何かに気が付いたように足を止める。

 

「……フリーレン様?」

 

 フェルンが足を止めて、微妙な表情をしているフリーレンを振り返った。

 

「…………忘れたよ」

「フリーレン様、その顔は嘘を吐いている時の顔ですね。嘘はいけませんよ」

「……だから、忘れたって」

「怒りますよ?」

「…………はあ、わかったよ。〝二本の紐をくっつけて一本にする魔法〟だよ」

 

 それを聞いたシュタルクとフェルンは、きょとんと眼を開いてから、盛大な溜め息を吐いた。

 

「……まったく、本当に無駄足でしたね」

「草で結ぶ必要なかったじゃんかよぉ……」

 

 辛辣に言うフェルンと、がっかりしたように肩を落とすシュタルクに、フリーレンは「ごめん……」と申し訳なさそうに謝った。

 そして──

 

「〝二本の紐をくっつけて一本にする魔法〟」

 

 シュタルクのポケットから出した、千切れた靴ひもを一本に直し、シュタルクが靴を結びなおして、再び一行は山を下り始める。

 お説教されてしょんぼり顔のフリーレンと老爺が後ろを歩き、カールを含めた若者組が前を行く。

 

「……はぁ、まったくひどい目にあった」

 

 そう言うフリーレンに、老爺が穏やかな目を向けて言う。

 

「ほっほ、楽しそうに見えますが」

「そう見える?」

「それは、もう」

 

 頷いてから、老爺は思い出したように言った。

 

「そういえば、フリーレン様は、今度はどこを目指して旅をされているんですかな?」

「天国だよ。長い旅路になりそうだ」

 

 天国、と聞いて少し驚いたように顔を上げた老爺が、すぐに微笑んで言った。

 

「楽しい道のりになりそうですな」

「うん、そうだね」

 

 老爺の言葉に、フリーレンは迷いなく頷いた。

────

 

 

 

 山を下りながら、フリーレンたち一行は様々な話をした。

 中でも一番フリーレン一行が驚いたのは、この老爺が中欧諸国でも有名な、金属の細工職人の巨匠だということだった。

 あの井戸水も、飲むためではなく、金属加工に使うために汲んでいるそうだ。

 カールも息子や孫ではなく、老爺の弟子だということだった。

 

「そんなに凄いんだ?」

 

 と首を傾げるフリーレンに、

 

「フリーレン様、有名人ですよ。ハイター様の所にいた私ですら知っているくらいですから」

「俺も名前くらいなら聞いたことがあるぜ」

「名前ばかり独り歩きして、恐縮ですがの」

 

 驚くのはフェルンとシュタルクばかりで、肝心のフリーレンにはいまいちピンとこないようであったが。

 そんな話をしながら、途中から老爺をシュタルクが背負ったりして、町に着いたのは、夕方を回ってからだった。

 門を抜けて、町へはいると、そこは夜とは似つかわしくない、明るさと、そして食欲をそそるような香り──。

 祭りの最中、町へ入った大人へはワインが配られているようで、フリーレンもそのワインを一杯貰っていた。

 そのワインの色は、紫がかった赤い色。

 口をつけてみれば、あの時の白ワインとは打って変わって、酸味と渋みが強い、アイゼンの好みに近い味わいになっていた。

 

「……まあ、こんなことだろうとは思っていたけどね」

 

 誰にも気づかれない程小さな声で、フリーレンが呟く。

 そして、彼女はそんな感想を抱いた自分に、少しだけ驚いた。

 ちょうどこの時期に、あの祭事を行っていた人たちが住んでいる町で祭りがあると聞いて、いつの間にか、あの祭事が残っているのかと期待してしまったのだろう。

 師匠(フランメ)もそうだったが、ヒンメルもあの祭りを楽しそうに過ごしていた。

 しかし、今この町で開かれているのは、ごく一般的な、賑やかなお祭りだった。

 所々で音楽が鳴り響き、それに合わせて踊る若者たちがおり、屋台では様々な食べ物が売り出され、街の灯りは、街灯に点けられた炎のもの。

 若者たち三人はさっそく近くの屋台を見て回っている。

 

「……申し訳もありませんな」

 

 老爺がぽつりと呟く。

 

「何が? 特に謝られることはないと思うけど」

 

 淡々と言うフリーレンに、老爺は首を振った。

 

「寂しそうな顔をしてらっしゃいました」

「……まあ、そうかもね」

 

 頷いて、フリーレンはジョッキの中の赤い水面へと目を落とす。

 

「祭りの日の翌日、ヒンメル様が村長と話していたのを聞いたのです。あの祭りを後世に残して欲しい、と」

「初耳だね。まあでも、そうだね。気に入っていたみたいだったし」

「儂も盗み聞きしただけですがの」

 

 そう言って、当時少年だった老爺は、バツが悪そうに小さく笑った。

 

「儂らは何も残せませんでしたからな。村里も、祭りも、あの酒も。儂が細工職人になってから、皆様に縁のある物も作りましたが、しょせんは自己満足です。皆様へ残せたものではない。ですから、こうしてお会いできたからには、伝えておきたかったのです」

 

 老爺が、フリーレンに向き直って言う。

 

「感謝しております、フリーレン様。村里で助けてもらった人々は、死ぬまで皆様への感謝を忘れることはありませんでした」

「……別に、感謝を残して欲しいとは思っていないよ。私も、多分ヒンメルもね」

 

 肩を竦めて、フリーレンは言った。

 彼女が思い出したのは、かつて旅をした時に聞いた、仲間の言葉。

 自分が、何故毎回報酬をもらうのか、と訊ねた時に、勇者が言った言葉だった。

 

『僕たちが求めているのは、誰かを助けることであって、感謝の言葉ではない。貸しを作ってしまったら、本当に助けたことにはならないだろう』

 

 だから、報酬をもらうようにしているのだと。

 その言い分で考えれば、もう既に貸し借りはなし、だ。

 それに、と彼女はもう一度ワインを一口、口に含んだ。

 

「このワイン、あの白ワインと同じ葡萄を使ってるでしょ。赤ワインの味だけど、なんとなく甘さが似てる気がする」

「ええ、よくおわかりになりましたな」

 

 少し驚いたように、老爺が言った。

 さらにフリーレンは続ける。

 

「あと、音楽も、あの歌のフレーズを使ってるし、踊りもだいぶ砕けているけど参考にしてるでしょ」

 

 確かにあの儀式が失われてしまったのは寂しいけれど。

 フリーレンが老爺の方へ向き直った。

 

「残そうとした努力はわかる。だから、形は変わっていても、ヒンメルは満足したんじゃない?」

 

 報酬自体は、過不足なく受け取っているのだから。

 そう言って、目線を町の方へ戻したフリーレンの目が、何かに気が付いたように止まる。

 

「それに、こういうお祭りも悪くないからね」

 

 その目線の先には、道の真ん中で手を振ってフリーレンを呼ぶ、フェルンとシュタルクの姿があった。

 

「フリーレン様、あっちに甘いもの売ってますよ」

「せっかくの祭りなんだし、いろいろ回ろうぜ」

 

 そう言う二人に、「今行くよ」とフリーレンが声を返す。

 

「せっかくのお祭りなんだし、そっちも弟子と一緒に楽しんだら?」

「……そうですな」

 

 心配したのか、駆け寄ってきた青年の方へと目を向けて、老爺が目を細めて頷いた。

 

「では、フリーレン様。本当にありがとうございました。祭りを楽しんでください。そして、良い旅を」

「そっちも、元気でね」

 

 簡単に別れを済ませて、フリーレンはフェルンたちと合流する。

 

「なあ、何の話をしてたんだ?」

「思い出話だよ」

「フリーレン様、あそこにかき氷があるのですが、食べに行きませんか?」

「かき氷なんて魔法で出せるじゃん。それより魔道具を探しに──」

「フリーレン様、かき氷はお祭りで買うからいいんですよ。ほらシュタルク様も行きますよ」

 

 そんな話をしながら、フリーレンたちの背中が、祭りの喧噪へと消えていく。

 町に鳴り響く音楽が、都会では耳慣れないフレーズを奏でた。

 初夏の風が、街灯の灯火を優しく揺らす。

 賑やかな祭りの夜が更けていく。

 最果てにある天国への旅路は、まだ、まだ遠い。

 




お読みいただきありがとうございます。

当物語はこれにて完結になります。ただ、勇者一行と現代フリーレン一行のお話を書きたかっただけになります。
ここまでお付き合いくださった方、重ねて御礼申し上げます。
またどこか別のお話でお会い出来れば幸いです。
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