女神ローナは消え去った。この浮世にその存在を一欠片も残さず。
「終わった……のか」
「そうよ、ジロ……」
「ハーメリア……」
「いやいや、急にいい雰囲気になってないで……」
よたよたと立ち上がり、彼らに近付いてくるアカネ。その後ろにはエルヴィンとナムヒ、そしてステラもいた。彼らは重傷を負ってはいたが、なんとか無事であった。ていうかステラに関しては無傷であった。
「戦ってみればあっけなかったな、ジロ」
「ま、お兄にかかればこんなもんだろ」
「最後の私の判断が決め手ですね! 私の手柄でもあります!」
実際その通りではあるのでみんなが彼女を素直に褒めると、褒められ慣れていないのか口を噤むステラであった。
「それよりカタリンを」
「あ、そうだった!」
半死半生のカタリンであったが、アカネの治癒魔法によりなんとか蘇生した。そうして状況が落ち着いて周りを見渡すと、すっかり静まり返っていた。エロ城の崩落と共に敗北を悟ったドー国兵たちが次々と降伏し、戦いは終わりを迎えたのである。アカネは歓喜の声を上げた。
「ってことは……やったー! これで全部解決だー!」
……とはならなかった。お互いの再会を喜び合う祝賀会が終わった途端に悪い知らせが立て続けに舞い込んでくる。かねてより国政への参加を要求していた地方大名が反乱をチラつかせ始め、ドー国へ兵士が出払っていた中央政府は已む無く参加権を付与。その後はなし崩し的に各地に自治権の拡大と議会参加権をバラ撒かざるを得ず、中央一強であった統治のバランスは拮抗してしまい国家の舵取りは難しくなった。それにドー国の戦後処理が待ち受けている。また、征伐に力を貸した各海外勢力へ、火器技術の提供と引き換えではあるが、多額の資金と貿易特権を譲渡することになる。これは東方世界のパワーバランスの変化を意味した。要はここからが大変ってことである。
「ヤダーっ!」
「駄々捏ねないで下さいジロさん」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
事件から半月ほど経つ頃、ジロは仕事に忙殺されていた。彼は元鞘である宰相の立場に戻り、勘を取り戻しながら内勤作業に加えて地方分権が強化されたことに起因する相次ぐ出張、ゆっくり出来る時間は馬車での移動時間ぐらいである。
「疲れてますね」
彼の隣に座るのはステラであった。何かと彼女は傍について行きたがるタイプであり、ジロもそれを拒絶はしなかった。
「お前が夜中の酒場に連れ出すからだろう」
「え〜!」
完全に寝不足であり二日酔いであった。にも関わらず、ステラの方はケロッとしている。
「頼むから寝かせてくれ……」
そう言って、色々とぶつくさ言う彼女を無視して目を瞑る。しかしながら、馬車の振動と隣の騒音のせいで眠れず、結局目を瞑ったまま過去の出来事を思い返していた。
『汎心論というのは、ジロくん、シン・浮世で目にしたことがあるだろう』
『まあ……全ての物質が意識を持つとかいうあれか』
それは事件の後、ハーメルから聞いた話である。あの事件の後にハーメリアが変な掛け声と共にアカネに乗り移り、あの女神の妹を呼び出していたのである。
『いや、胡散臭い話なら聞きませんけど』
『うん』
『ちょっとだけ聞いて!』
曰く、まず宇宙があった。それも、無数に存在する宇宙のうち、億や兆では利かない数のうちの一つの宇宙である。
『ほらやっぱり胡散臭い話じゃないですか』
『最後まで聞いてってば』
ある宇宙は自身の中身を知りたがり、生き物を作った。直接命を作り出したわけではなく、いくつもの物理法則や魔法的な超常現象をその身体の中に埋め込んでいった。しかし、途方もない年月を掛けてようやく現れた生き物たちはどうやら自身には何も教えてくれないということがわかった。ある時、神なるものの存在を信じる生き物たちの集団がいた。彼らは二柱の神を信仰していた。それらはローナ、ハーメルと呼ばれており、宇宙は偶然、どういうわけなのか、その二人の存在に成り代わり肉体を得る事が出来た。二人は宇宙の意思を持つものであったが、宇宙そのものではなかった。
『はい、意味わかんないこと言いました。あと2回で帰りますから』
『数えるの!?』
二人はしばらくは浮世の営みを眺めていたが、ローナの方は飽きてしまった。肉体を得た自身の能力を使い、また別の宇宙を作り出した。
『それがシン・浮世、地球か』
『そう。そこには魔法は入れなかった』
なぜ魔法を入れなかったかはわからない、単なる味変だろうか。元の世界、つまり浮世世界の方はハーメルが面倒を見ることになった。自身の意志にある程度従う眷属、神龍を解き放ち、安定化を図った。まだ神龍のいなかった世界は闘争と混乱に明け暮れていたのである。結果として氏族で別れて分断されていた世界に文明が栄え始めた。一方でシン・浮世の方も栄えてきた。ある時、感染症で滅んだ集団が存在した。彼らは神に祈りを捧げた。その"神"がローナであったかは定かではないが、少なくとも彼女は自分のことだと思った。そのせいなのだろうか、それからの彼女には強い自我が産まれた。世界に積極的に介入し、人を神に祈りを捧げざるを得ないような状況に追い込んだ。病、災害、戦争、過ぎたる知恵……しかし、時代が過ぎれば神の存在が否定、あるいは存在感が薄くなっていってしまった。こうなると、彼女は興味をなくした。
『そしてこの浮世世界に戻ってきたってわけか』
『そうなるね』
どうせ管理者は自分であるし反対する者もいないだろうと、彼女は二つの世界を繋ごうとした。だが浮世世界の住人から猛反発を受けた。神の如き存在であったはずのローナであったが、前述の通り宇宙そのものというよりは住民と接触するための依代である。住民の反撃を受けて次元の狭間に閉じ込められた。閉じ込められたこともさることながら、あんま人気がなかったところも彼女にはショックであった。ハーメルがばら撒いた神龍のせいでもあるが。長い年月とともに封印に綻びが生じると、稀人を利用し始めた。シン・浮世からの転移転生者たちである。彼らを尖兵として何度も送り込み、そうしてようやくきさらぎの鏡の存在を知り、回収しようとしたのである。
『それからは知っての通り。自らの思い通りになり、そして崇められる世界へと変えようとした』
『単なる構ってちゃんだったってわけですか?』
『ん〜……そうなるのかもねぇ』
そう、彼女が消える直前に思ったように、優しく楽しく浮世世界で過ごしていれば、おそらくはずっと崇められていたし、構ってもらえていたのだろう。だがそうはならなかったのである。彼女は強烈な自我と人格を得た故にそれに取り憑かれ、反撃されたことに腹を立ててすっげぇ意地悪になっていた。意地が悪いというのは実のところ、割と損な事なのだ。
「おや、そろそろ着きそうですよ!」
隣からの声に瞼を開ける。辺りの景色を伺うと、ただのだだっ広い原っぱであった。まだ目的地には程遠い。彼は彼女の後頭部に手刀を入れる。
「痛い! だって構ってくれないんですもの!」
「……じゃあ、一つ話をしてやろう。俺は、お前がいなけりゃ今頃この世にはいなかっただろうな」
「ま、当然ですよね! 大活躍エルフですからねぇ」
「そうじゃない。俺が大陸の端っこで酔っ払って寝ていた時、変なエルフが潜り込んできただろ」
「……それは、最初に出会った頃の話をしています?」
「ああそうだ。何もかもを失って、西の端に辿り着いても惨めったらしさは変わらなかったが、お前みたいな変なのに絡まれたから死ぬに死ねなくなった」
「つまり私は命の恩人ってことですね! 戻ったら救助代を請求し、んむっ!!?」
彼の大きな唇と彼女の小さな唇が重なると、途端に小煩いエルフはしおらしくなってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
二人が首都へと戻ると、アカネが出立の準備をしていた。それをいつメン+母カエデと姪っ子のスヱコで見送る。カエデはログレス軍と共にこちらに来ており、このまま扶桑に移住するようである。
「えー!? 行っちゃうんですか? ジロさんのことはいいのですか?」
「うん。前はさ、憧れてたけど、お母さんを妊娠させた時はちょっとアレだなって思ったし」
「それはそうですね」
「あたしもそれは擁護できないかな……」
「叔父上……」
当然の帰結であった。そして当事者ら二人は極めてバツの悪そうな顔をしている。
「ていうか、みんなはいいの!? そりゃ複婚制なんだろうけどさ……」
「別に私は気にしませんが……」
「甲斐性があっていいんじゃないか? 実力、家格、魅力、お兄にはそれに見合うものが揃ってるからな」
「この
笑い合いながら別れの挨拶をする。
「私は……私は、また旅に出るよ。きさらぎの鏡を持って」
アカネは、自分のようにこの世界に訳もわからず放り出されて過酷な運命にある稀人がいるはずで、それらを救う旅に人生を捧げる事を決意したのである。正直
「もう最終話なんだからいらんこと言うな!」
ともかく、悲劇を見過ごせない性分であった。母のカエデも最初は止めたが彼女の決意は固く、最終的には認めることにした。
「また、離れ離れになるのね」
「ごめんね。お母さん」
「立派になって、自慢の娘よ……いや、立派になり過ぎよ、やっぱり寂しいわよ……!」
笑って送り出すつもりだったのに、と泣きじゃくるカエデ。そして彼女に寄り添うジロを見るとなんかモヤモヤした感じがするのであった。
「まぁ、幸せならいいけどさ……」
「カエデ殿、心配と言うなら」
すると唐突にエルヴィンが口を開き、アカネの前に出る。どうやら彼も旅の準備をしていたようであった。
「この吾輩、エルヴィン・ホッジャが共に往こう。どうせ根無し草、それに前衛が必要であろう?」
「エルヴィンさん……なんか、下心でもあるの?」
「やらしいやつだな」
「人間見ますね」
「えっ!? 吾輩そんなつもりじゃ……」
そうして笑顔で二人は旅立っていった。出立の朗らかさとは裏腹に憂いの多き苦難の道であるだろうが、それが自身たちのやるべきことだと決めたのである。
これで全ての懸案事項はとりあえずは丸く収まった……と思われたが。
「いや!! 国家だけでなくホージョー家も再興してもらいますぞ!!」
と、血相を変えたジゴローが毎日のように縁談やら会談やらを持ってくる。どうも、現状の配偶者がエルフや利害関係にある隣国人、異世界人、神龍と異人揃いなのが気になっている様子であった。
「ちょっと待ってください! 神龍って、ハーメリアさんも!?」
「私は別に……いいケド?」
「満更でも無さそうな顔してるなこのトカゲ」
色々と悶着はあったが、結果的に箔が付くということで合意に至った。そんなこんなもあって、ジロは政治の根回しに縁談にと会食続きでかなり肉付きが良くなってきていた。会う人会う人に「丸くなったね(笑)」と言われるのは地味に堪えていた。激務で毛艶もあまり良くない状態が続き、すっかりくたびれオオカミになってしまったのである。一方でのんきなエルフの方は当主の事実上の正妻という地位に甘んじ自堕落な生活を送っていた。彼らが世界が激変する事態を防ぎ、救ったことなど今や誰が信じようか。まあ、元より限られた人数にしか知られていないのだが。浮世世界の多くの人々はそのようなゴタゴタが起こっていたことさえ知る由もない。とはいえ得てしてそういうものである。
かくして、二人の珍道中はお開きを迎えたというわけである。
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