――――お父さまにもお母さまにも、『勝て』と言われたことはなく、いつも親として優しく接してくれる。
多忙な中、ウマ娘界の発展のために尽くしてきた“ご褒美”としての栄誉を届けたい。そう、思っていた。それだけでいいと思っていた。
でも、違った。
「ダイヤちゃん……」
「………」
水族館前で待ち合わせて、デート。
トレーナーさんと、ライスシャワーさんが楽しそうに手を繋いで歩く姿に感じたのは、悲しみでも、悔しさでも、ましてや怒りでもなかった。
「………苦しいよ、キタちゃん。私、どうして――――」
いつだって頼りにしていた。
年上で、レースに関して話しやすい男の人だったから――――たぶん最初はそれだけのことだった。でもその積み重ねで、少しずつ距離が縮まって。寄りかかって、知らぬ間に支えられていた。
「……テイオーさんが言ってたんだ。恋はダービーだって。早さでも強さでもない、運が無いと勝てないって」
でも、出走しなければ絶対に勝てない。
勝てるのは唯一人。でも、それでも勝ちたいと多くのウマ娘が焦がれるレース。
「………ダイヤちゃんは、凄いよ。サトノ家の栄冠のために、いつだって頑張ってて。あたしだって、ダイヤちゃんならダイヤちゃんのお父さんお母さんの夢も叶えられると思う。――――けど! ダイヤちゃんの夢の為にも、走って良いと思う」
「………私の、夢……」
夢というほどでもないのかもしれない。
でも、漠然と、ずっと一緒にいてくれると思っていた。キタちゃんも、トレーナーさんも。
「トレーナーさんだって! ライスさんが宝塚記念を勝った時――――予想を超えた時に、本当に喜んでた! ダイヤちゃんにだって――――ううん、ダイヤちゃんならできるはずだよ!」
そうだ、トレーナーさんは言っていた。『GⅠ勝ててない今のお前なんてサトイモで十分だ。とりあえずクラシックの秋までにはイモは卒業するだろうけど――――それより早くなるかはお前の頑張り次第だ』と。意味するところは一つ。皐月賞も、ダービーも、取りこぼすということ。
ダービーも、落とす。
ちょうど恋のダービーの話をしたこともあり、ライスシャワーさんと楽しそうにするトレーナーさんの顔が浮かぶ。
苦しい。
寂しさ――――いや、切なさで胸が苦しい。
それを自覚して、じわりと目頭が熱くなる。
「……負けたく、ないよ………勝ちたいよぉ……」
「――――あたしだって……ダイヤちゃんならお兄さんとピッタリだって―――ダイヤちゃんに賭けたんだから! お願い、ダイヤちゃん―――走って!」
「でも、もう――――」
もう、無理だよ。
ライスシャワーさんがトレーナーのことが大好きなことくらい、すぐにわかる。トレーナーさんが、どれだけライスシャワーさんを応援してきたのか、私たちが一番良く分かっている。告白を断る理由なんて、ない。
『………ライスね、お兄さまが―――いつも優しくて、一生懸命で、いつもライスのことを応援してくれたお兄さまのことが―――』
動けなかった。
ダメだと割って入りたかった。
でも、そんなことをしても嫌われるだけで、何の意味もないんじゃないかって。
『――――好きです』
私は――――。
『――――ごめん』
『でも―――約束したんだ。夢を叶えるって、誰よりも期待を背負って、それでも負けないように踏ん張ってる子に頼られたんだ』
『あの子の夢を叶えるまで、俺は止まれないから。――――だから、ごめん』
「――――――ひっく、ぅ、ぅぇぇ………」
断る理由なんて、無いはずだった。
私のために負担を掛けたと思った。なのに、断ってくれたのが嬉しくて、安堵して。そんな心の私の夢を叶えたいと言ってくれたのが申し訳なくて。
嬉しくて、安堵して、悔しくて、空しくて。
夢が叶わなければ一緒に居てくれるのか、なんて思ってしまった自分が心底嫌で。
―――――だから決めた。
まことしやかに囁かれる『無敗の三冠ウマ娘になれば結婚してもいい』という、ジンクス――――
あの人が『勝てない』と言って覆した、唯一人のウマ娘。それに並ぶには、私も覆すしかない。あの人の
――――勝ちたい。
―――――ずっと一緒に居るために、勝ちたい。レースに、恋に、想いに。
目標が定まったことで、逆に気持ちは落ち着いた。
ゲームセンターでのデートはちょっとどうかと思うけれど、まだ子どもだと思われているということだろう。それでも構わない。油断している間に差し切る。
一方的にでも“婚約”という言葉を投げつけて、意識してもらう。
ダービーならば、駆け引きも重要――――それを教えてくれた張本人に実践するのは妙な感じだけれど。
練習に打ち込み、トレーナーさんも、ライスシャワーさんも特に動きはなかった。
それが、一生に一度のクラシックレースがある私のためだというのは分かっている。ある意味ハンデを貰ったような形で、それができるくらいには差があるのは分かる。
でも、勝ちたい。
譲りたくない。必死の思いは、練習するにはちょうどよくて。かつてなく捗った練習に、皐月賞まではあっという間だった。
―――――――――――――――――――
「――――というわけで、台風が来るのは分かってるからあらかじめ現地入りするぞ」
「あ、お父さまがサトノ家系列のホテルを取って下さったみたいです」
嵐を心配したトレーナーさんの提案で前日には現地に行くことになり。普通はメンタル面の負担を考慮してあまりやらないらしいのだが、きっとその判断は間違っていないだろうと思われた。
――――最上級のスイートルーム。
どうしてもトレーナーさんが良いのだと、お父さまに泣きついたらこうなった。「普段我儘を言わないダイヤのために何でも叶えてあげたいがよりによって同衾とは」とお父さまは泣いていた。お母さまに慰められていたので大丈夫だと思いたい。
「もちろん二人用なので、トレーナーさんもご一緒にどうぞ」
「………他の部屋は?」
「満室みたいです♡」
「じゃあ野宿かな……」
「でもトレーナーさん、私のメンタルのために一緒に居て下さるべきでは…?」
「……鋼のメンタルが何か言ってるな……?」
でもほら、間違いがなければいいですよね?
と説得すると妙なことをしたら警察呼んでしょっ引かれるからな、俺が。と言われたがなんとか了承してもらえた。……前からなんだかんだと一緒に寝てましたもんね。
よし、こうなったらお風呂でも攻め込もう。
「あ、トレーナーさん。お背中お流ししますね♪」
「はいはい」
「そうおっしゃらずに――――え?」
「そう来ると思ったぞ」
平然とした顔で身体を洗っているトレーナーさんに、何か負けた気持ちになる。
『お前みたいなお子様が俺の理性に勝てると思うな』と煽られているような気がする。
……むむむ。
背中を流して、さりげなく胸を押し付けてみたりしたのだけれど。
鍛えられた背中に無駄にドキドキしてしまっただけで、何の反応も無かった。
「なあ、サトイモ」
「な、なんですか? 当ててるんですよ?」
………こ、こうなったらうっかりタオルが外れてしまうとか―――。などと考え始めたあたりで、優しく頭を撫でられる。
「………えっと、あの…?」
「…………ごめんな。無駄に不安にさせた気がする」
何故かそのまま抱きしめられたところで、自分の身体が冷え切っていたことに気づいた。
「とりあえず温まってから考えよう」
「………はい」
別にハダカで温め合うぞ! なんてちょっとエッチな漫画でありそうな展開もなく。
タオルを巻いたまま二人でも十分に広い湯舟に浸かる。
「とりあえず、クラシック三冠が終わるまでは大人しくしてろ」
「………はーい」
なんとなく子どもに戻った気分で頬を膨らませると、いつもみたいに優しく頭を撫でられる。
「その後なら、ちゃんと考えてやる」
「え、結婚をですか」
「ちゃんと考えてから振ってやる」
「………振られちゃうんですか」
「しおらしくされると調子が狂うんだけど……今のダイヤに手を出すとマジで逮捕されるの。オーケー?」
「良くはないですが、理解しました」
婚約してれば一応アウトよりのセーフなのでは?
なんて思わなくもないけれど。
「………じゃあ皐月賞に勝てるように、今夜は一緒に寝てください」
「まさかの先払いか。負けたら借金だな」
「負債は頑張ってお返ししますね。私個人だとあまりお支払いできるものもないのですが―――」
「アレな漫画の導入みたいだな」
「トレーナーさんのお部屋にあったヤツですね。キタちゃんと見ました」
「……何してんのお前ぇ!?」
「…………女の子に悪いことを教えたお詫びに、サトノ家で働いてくださいね?」
「牢屋に入った方がいいんじゃないかな」
くだらないことを話しながら、お風呂を出て。ぴったりくっついて寝る。
胸が当たろうがさして気にした様子もないトレーナーさんにムキになってみたが、いつの間にか眠ってしまって――――。
「皐月賞に、お前が勝てたのなら――――俺が本当にトレーナーで良かったのか、明日には分かるさ」
小さく呟く声に、返事はしなかったけれど。
でも、これまでのどの理由よりも強く勝ちたいと願った。
トレーナー「責任(退職)とらないとなぁ」
ダイヤ「責任(結婚)とってくださいね」