ユキグニサイクル~北の大地の戯言遣い~   作:桜三里

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栞 <死織> 5

 一人殺せば犯罪者。

 十人殺せば殺人鬼。

 百人殺せば殺戮者。

 万人殺せば虐殺者。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          5

 

 

 

 魔物。

 それはぼくにとって、金の亡者とか殺戮の悪魔とか、そういった比喩表現でしか使われない単語に過ぎない。そうでなければロールプレイングゲームで主人公に殺される役割の存在であろう。そんなものは現実に存在しないのだから。

 知性で人間を超え、能力で人間を超え、また超常的な現象を起こすことさえ出来るような存在が実在するというなら、食物連鎖のピラミッドの頂点に人間が君臨しているはずがない。むしろ人間は捕食される側だろう。

 つまり魔物なんて非現実的なものは存在しないし、またそれを狩る者なんてのもよくある漫画の設定くらいだろう。そんなことを平気で言うあたり、少々頭の危うい子なのかな、なんて一瞬考えてしまったのだけれど。

 不可視の存在。それが頭を過る。

 人間のステルス技術が格段に進歩しました、という科学的な仮説も考えてみたけれど、そんな最先端技術がこんな田舎の高校で女子高生と闘っているはずがない。

 

「魔物……?」

 

 こくり、と剣の少女は頷いた。

 

「……だから、早く逃げて。ここは危険だから。別の奴が来るかもしれない」

 

 他にも、あんな奴がいるのかよ。

 思わず内ポケットに手を伸ばしたが、やめておく。そもそも相手が見えないのだから、戦う手段なんてぼくには持ち得ないのだ。

 ここは言われた通り、従っておくのが吉だろう。

 

「逃げるのは、ぼくの十八番だ。言われる通り、さっさと逃げることにさせてもらうよ」

 

「……うん」

 

「でも、さっきぼくはきみに命を救われたらしい。実感はないけれどね。せめてその恩は返させてほしい。今日はこれから、残念なことにぼくは少し忙しいんだ。きみもその制服を着ているということは、ここの生徒だろう?」

 

 剣の少女は無言で、こくり、と頷いた。

 無口というか寡黙というか。しかも表情の変化もほとんど見られないから、感情が読みにくい。

 戯言の言いにくい相手だ。

 

「ぼくは戯言遣い。二年生だ。もし学校で会ったら、何か奢らせてもらうとするよ」

 

「……そう」

 

「今日、ぼくが生きて帰ることができればね」

 

 立ち上がる。そして、剣の少女に向けて親指を立てて。

 

「健闘を」

 

 と――ぼくは軽い死亡フラグを立てたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は八時五十分。逢瀬の相手は、律儀なことに既に来ていた。

 そもそも彼女の性格からして、待ち合わせの時間を違えることはあるまい。ぼくや名雪ちゃんでもあるまいし。その待ち合わせがとても一方的な、ただの脅迫文によるものだとしても。

 

「……この手紙は、貴方が書いたのかしら?」

 

 ルーズリーフに殴り書きで書いたそれを、左手でぼくに示す、香里ちゃんがそこに立っていた。

 服装は、普段の制服姿ではない。上下を動きやすそうなジャージーと、その上に簡素なジャケットを羽織っている部屋着のような姿。ただ一つだけ問題があるとすれば、その右腕だろうか。

 

「ああ、ぼくだよ」

 

「……なんで、あたしを呼び出したのかしら?」

 

「そこに書いてある通りさ」

 

 香里ちゃんの右手――それは、まるで右手が変形したかのような、鋭い一本の杭と化していた。

――彼女の別称にしてその武器の名称を、『膨張泡壊(バブルガム・クライシス)』という。

――分かりやすく説明すればゲッター2のドリルパンチだ。

 ああ、本当に分かりやすい説明だよ。

 

「……一体あなたは、何を知っているの?」

 

「きみはぼくが何を知っていれば都合が悪いのかな?」

 

「吐きなさい。あなたの知っていることを」

 

「何について話そうか? そうだね、京都の美味しいお店とか、寺社仏閣について語るのも悪くないね。ああ、それとも曲がるストローの必要性について討論でもしてみるかい?」

 

「戯言をっ……!!」

 

 それはぼくにとって、褒め言葉以外の何物でもない。

 

「栞について、何を知っているのよ!」

 

 ぼくが香里ちゃん宛に出した手紙。

 それはシンプルにただ一言だけの用件と、午後九時に校門前へ来るようにという要請だけ書いたものだ。

 曰く――『きみの妹について話がある』。

 思いのほか、香里ちゃんにとって妹というのは大切な存在であるらしい。

 激昂して、弁舌すらも立たない程度には。

 

「だから言っただろう? 何を知っていれば都合が悪いのかを教えてくれなきゃ、ぼくとしても何を知っているのか語れないのだけれど」

 

 だが――予定通りだ。

膨張泡壊(バブルガム・クライシス)』の威力が如何程のものかは知れないが、少なくとも非力な戯言遣い一人を殺すのは簡単なことだろう。とにかく焦らして、激昂させる。巌流島で宮本武蔵が、佐々木小次郎に対して使った策略だ。実際のところは創作だったとかいう話も聞いたことがあるけれど、今はそんなこと関係ない。

 どんな汚い手だって使ってみせるさ。

 

「だったら……いいわ」

 

 そう落ち着かれると困るんだけどね。

 

「あなたが何を知っていようと、今ここで殺せば済む話よね」

 

 と、香里ちゃんは姿勢を低くし、『膨張泡壊(バブルガム・クライシス)』を構える。空手の正拳突きにも似た構え。格闘技の心得は、どうやらあるらしい。

 だが残念ながら、接近戦でぼくに分がないのは分かりきっている事実なんだ。

 

「……きみの妹について調べているのが、ぼく一人だと思うかい?」

 

「……何ですって」

 

「ぼくに仲間がいる、という可能性には至らないのかという話だよ。確かにぼくは一人が好きだけれど、かといって一人きりできみのような相手に挑むほど、愚かではないつもりさ。ぼくが今夜、ここに行くことも伝えてある。定時連絡がなければ、相棒は資料を全ての新聞社にファックスして、その後警察へと駆け込む手筈になっている。それは、きみの望むところではないはずだけどね」

 

 勿論ながら、最初から最後まで出まかせだ。

 ぼくに仲間なんていないし、もしかするとそう呼べる相手かもしれない日中涼を相手にしてさえ、情報の開示を拒んだのだから。

 だがそんな出鱈目でも、香里ちゃん相手では十分な抑止力になる。

 

「……やめて」

 

「だったら、平和的に話し合おうじゃないか。ぼくだって犯罪者を作りたいわけじゃない。人間というのは話し合えるものなんだからね」

 

「あたしと……何を話し合おうって言うのよ」

 

 ぎろり、と香里ちゃんがぼくを睨みつける。

 一切信用されていない。隙があれば、いつでもぼくを殺そうとしてくるだろう。もっとも、ぼくはいつだって隙だらけなんだけどさ。

 

「そうだね。まず言いたいのは、きみ達を殺そうと狙っている輩がいる事かな」

 

 驚いたように、香里ちゃんが目を見開く。

 

「勘違いしないでほしいんだが、きみ達だ。美坂香里ちゃん。それに美坂栞ちゃん。きみ達は既に、狙われているんだよ」

 

「……誰に、よ」

 

「ぼくも守秘義務があってね、それは言えない。狙われている、という事実を教えるだけでも限りなくアウトに近いんだ。そのリスクを冒してまできみに伝えているんだから、信じてほしいんだけどさ」

 

 真っ赤な嘘だ。日中涼とぼくの間に守秘義務なんてものは存在しない。

 ただこう言うことで、香里ちゃんはぼくをどこかの組織に所属しているか、もしくは組織のバックアップを受けている、と勘違いしてくれるだろう。

 

「……なるほどね」

 

 ふふ、と香里ちゃんが微笑む。

 

「あなたも、同じ穴の狢だったわけね」

 

 幸せな勘違いをしてくれているらしい。良かった良かった。

 

「ま、そういうこと。争うのは好きじゃない。ぼくは出来る限り平和的な方法で解決したいのさ。そこで、だ。ぼくの依頼人について話そうか」

 

 特にシナリオを考えていたわけではなかったのだが、この唇は上手に戯言を紡いでくれた。まったく、無駄な才能に感謝だ。

 

「ぼくの依頼人はさる高貴な血筋の方でね。しかし先日、この町でその方の娘が殺されてしまったのさ。もっとも、認知をしていなかったそうだから血縁関係はないそうなんだけれどね。それでも血を分けた娘には違わないそうだ」

 

「……つまり、被害者の身元を洗っても依頼人のことは分からない、ということね」

 

「そういうこと。でなければ、ぼくもこんな風に依頼人のことを明かしはしないさ」

 

 まぁ、存在もしない依頼人なのだ。

 どれだけ高貴に言ったところで問題はあるまい。

 

「あの方はね、ぼくと、とある暗殺者の双方にきみ達の処理を任せた。この町で事件を起こしている者を探り、殺せ。それが暗殺者に与えられた命令。そしてぼくに与えられた命令は、また違うんだ。この町で事件を隠蔽している者を探れ。厄介な命令だと思うだろう」

 

「……あたし達の事件を、隠蔽……?」

 

「そういうこと。あの方は娘を失って悲しいのと同時に、胸に風穴の開いた変死事件を事故死に隠蔽できる程度の権力を持った相手ならば、その弱みを握っておいて損はない。そんな風に損得勘定も働く方なんだよ。だからもし、きみが今きみの後ろ盾を明かすなら、この場はこれで収める。この話もこれで仕舞いだ。ぼくの全力を以て、暗殺者への命令は取り消させてみせる」

 

 香里ちゃんの表情が、強張る。

 少しだけ、口許に手をやり、困ったように、ぼくを見やって。

 

「……あたしたちの、後ろ盾、よね」

 

「ああ、そうだよ。警察権力を黙らせることができる存在など、玖渚機関か、四神一鏡か、『殺し名』の頭領クラスか、もしくはER3システム七愚人なみでなければ有り得ない。きみ達には間違いなく後ろ盾があるはずだ。違うかな?」

 

「……残念、だけど」

 

 む、当てが外れたか。

 栞ちゃんの方が殺人の専門要員で、そういった後ろ盾との交渉なんかを香里ちゃんが担当しているとばかり思っていたのだけれど。

 だが香里ちゃんの表情は、どうにもどこか、翳りを帯びていた。

 

「……あたしは、ニュースを見ない」

 

「は?」

 

 突然、何を言い出すんだこの人は。

 

「あたし達の起こした事件が報道されて、もし容疑者として特定されたら怖い。だから、ニュースを見ない」

 

「……は?」

 

 事件が発覚することなんて、ないはずだ。

 隠蔽工作は、ちぃくんでさえ分からないほど徹底されているんだから。

 

「三ヶ月前から、ずっと震えてたわ。あたしは、いつ逮捕されるんだろう。家に、いつ警察の人が来るんだろう、ってね」

 

「……まさか」

 

 そんな。まさか。それは――。

 

「あたしは、事件が隠蔽されていること自体、知らないわ」

 

 本人たちの知らぬところで、隠蔽工作がなされていたということ――!

 そんなことを、する意味など分からない。何故そんなことをする必要があるというのだ。

 そんなことの、意味――。

 

「でも……そう。良かった。隠蔽、されてるのね」

 

 ふふ、と香里ちゃんは、まるで『膨張泡壊(バブルガム・クライシス)』を舐めるように、微笑む。

 これは――まずい。ぼくの命、限りなくピンチになりつつある。

 

「なら、ここであなたを殺しても、それは隠蔽されるんでしょう」

 

 ぼくは――殺される。

 

「……言わなかったかな? ぼくの相棒が、定時連絡がなければ警察と新聞社に駆け込む、ってさ」

 

「別に構わないわ。あなたを殺して、あたしは自首する。それで、栞だけでも助かれば、それでいい」

 

 はは――思った以上に。

 壊れてやがる。

 

「戯言遣い君。言葉を贈りたい人がいれば、あたしが代わりに伝えてあげるわよ」

 

「祖国のジュディに伝えてくれ。ギャルのパンティおくれ、と」

 

「承ったわ」

 

 承るなよ。そもそもぼくの祖国は日本ですから。

 

「それじゃあ」

 

 もう一度、香里ちゃんは腰を落とし、正拳突きのように『膨張泡壊(バブルガム・クライシス)』を構えて。

 

「――零崎を、始めるとしましょうか」

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