もしも願いが叶って鳥になることができたとしたら。
今度は人間になりたいと願うのだろう。
7
結論から言うと、圧倒的に一方的にその戦いは終焉を迎えた。
そもそものスペックが違いすぎるのだ。騎士に棋士が決闘を挑むほどに勝利の目などない。そんな勝負だった。
殺戮奇術集団・匂宮雑技団。その分家であるとはいえ、一流の殺し屋として英才教育を受けてきた澪標姉妹と、たかが零崎もどきの殺人鬼かぶれでしかない香里ちゃんでは、戦闘力が違いすぎるのだ。
澪標姉妹が訪れてから一分としないうちに、当然ながら地に転がる香里ちゃん。こうやって見ると、澪標姉妹は本当に強いのだろう。この二人を瞬殺できる出夢くんが超人すぎるだけだ。
「……か、はっ……」
双子の連撃を喰らった香里ちゃんは、苦しそうにそう呻く。右腕の『
だが、澪標姉妹の動きは止まらない。
「戯言遣いのお兄様の敵は、我らの敵」
「戯言遣いのお兄様の敵は、我らの敵」
変わらぬステレオのような口調で、二人が声を揃えて言う。もう心の底から同一なのではないかと疑うくらいに、その口調はぴたりと合っていた。
「死ね」
「死ね」
「殺すな」
そこに割り込む、ぼく。
右手は相変わらず痛むが、耐えられないほどではない。むしろ、これだけの被害で済んだのは僥倖だろう。何度か危うい面もあったが、なんとかぼくは勝利を掴むことができたらしい。
「高海ちゃん、深空ちゃん、助けてくれてありがとう」
「我々は戯言遣いのお兄様の下僕でございます」
「我々は戯言遣いのお兄様の下僕でございます」
「でもね、殺しちゃ駄目だ。ぼくはこのお姉さんに、まだ用があるんだよ」
ふぅ、と息をついて。
地面に体を擦りつけながら、しかし憤怒の形相でぼくを睨みつける香里ちゃんへと、歩み寄って。
「香里ちゃん」
「……殺し、なさいよ。同情してる、つもり、なの」
「悪いんだけど、ぼくはきみを殺すつもりなんてないよ。何度も言っていると思うんだけどね」
肩をすくめる。なかなか、これは話を聞き出すことさえ手強そうだ。
「きみ達に裏で操っている人間がいないことは分かった。だからこれに、答えてほしい」
「……」
「栞ちゃんは、殺人鬼だね?」
香里ちゃんは、答えない。
ただ、ぼくから目を逸らし、歯を食いしばっている。
それは、何よりの肯定になるのだけれど。
「答えないなら、答えなくてもいい。ぼくは栞ちゃんとそこまで親しいわけでもないし、正直に言おうか。彼女が今ここで死体を晒したところで、ぼくは何も思わない」
香里ちゃんは、やはり答えない。
「だから今ここできみが答えないと、ぼくは依頼人にこう報告しよう。『美坂栞は冷血の殺人鬼であり、これまでの事件全てを起こした人物。今すぐにでも殺さなければこの町に平和は訪れないでしょう』とね」
「栞を……馬鹿にしないでっ!」
そこで初めて、香里ちゃんは声を荒げた。
「あの子だって、殺したくて殺したわけじゃない! あたしだって、手伝いたかったわけじゃない! でも、仕方ないのよ!」
「仕方ないから、人を殺してもいいのかな?」
「でなきゃ栞が死ぬんだからっ!」
はっ、と香里ちゃんが口を閉じる。だが、その行動は既に遅すぎた。
何かの事情があるのだろう、くらいは察していた。でなければ、説明がつかないことが多すぎるのだ。
香里ちゃんが――この、零崎もどきで殺人鬼かぶれのただの人間が、『
法を犯してまで手伝うということは、それだけの理由がある。
曰く――人を殺さなければ、栞ちゃんが死ぬ。
「……どういう意味なのか、教えてくれないかな?」
「嫌よ」
「だったらぼくの意見は変わらないよ。人を殺さなければ死ぬ? なら死ねばいい。ぼくが依頼人にどう言ったところで、栞ちゃんが死ぬのが若干早くなるだけさ。もっとも、人の生き死になんて早いか遅いかの違いしかないんだけどね」
戯言だけどさ、と付け足す。
香里ちゃんは悶えるように、見えない苦痛と闘うように顔を歪めていた。ぼくも嫌われたものだ。少しは信用してほしいのだけれど。
「だったら……、そう、報告すれば、いいじゃない。どうして、あたしなんかに意見を聞くのよ」
それもそうだ。ぼくは栞ちゃんに対し、何とも思っていない。ただ、この町にいる殺人鬼。その程度の認識だ。
香里ちゃんにどんな意見を聞いたところで、ぼくは何もしない。そう香里ちゃんが思うのも仕方がないだろう。
だが、残念ながらぼくにも、ぼくなりの理由がある。
「ぼくはね、正義の味方になりたいのさ」
臆面もなく、そう告げる。まるで鳩が豆鉄砲を喰らったみたいに、香里ちゃんが呆然とぼくを見ていた。
「正義という概念を考えてみよう。殺人は間違いなく悪だ。殺人鬼は間違いなく悪人だ。だが、悪には悪の正義があると思わないかな? 例えば、美しい姉妹愛とかね」
「……よく聞く戯言ね。正義の反対は別の正義、って奴でしょう」
「ああ、そうさ。ぼくは正義の味方になりたい。つまり、ぼくが何に味方したところで正義の味方であることには変わりないんだ」
はは、と乾いた笑いでお茶を濁す。
「話が逸れたね。結論から言おうか。依頼人と栞ちゃん。ぼくはどちらかといえば、栞ちゃんの方が好感を持てるんだよ。だから栞ちゃんに味方したいと思っている」
もっとも。
日中涼の好感度が著しく低いだけであって、栞ちゃんが高いわけではないのだが。
それでも、どちらに味方するのかと問われれば。
今は亡き『
それが姫ちゃんに対するぼくの、贖罪だ。
「……本当、に?」
「ぼくは嘘吐きだ。信じてくれるなら信じてほしい」
「なら……お願い」
地面に這いつくばったままで、香里ちゃんは涙を一筋流した。
「栞を、助けて……!」
香里ちゃんが落ち着いたのは、それから三十分は経た頃合だった。
それまでぼくも、黙って見ていたわけではない。とりあえず急場は凌いだため命の恩人でもある澪標姉妹に対して笑顔で「帰れ☆」と言ったのち、涙目になって相変わらずステレオで「何故ですか戯言遣いのお兄様」と言われたため「邪魔☆」と一言で切り捨てて泣きながらまた走って京都まで帰っていく二人を見送る、という行動は済ませた。まぁ、非道なことこの上ないんだけど。だってぼく自身が居候だというのに、二人増えてどうしろと言うのか。
「……栞は、三ヶ月前からおかしくなったのよ」
香里ちゃんが、ようやく立てる程度の元気が出たのか、校門にもたれかかりながらそう呟く。右腕の『
「食事を、食べなくなった。何も、食べなくなったのよ」
「……それは、どうしてかな?」
「分からないわ。どうしてそうなったのか、あたしには何も分からない。あの子が食べるのは、カップアイスだけだった。日に日に痩せ細っていくあの子を見ていると、胸が張り裂けるようだったわ」
何も食べない。それは、どういう理由があるのだろう。
拒食症――それにしては、アイスを食べることができる、というのはおかしい。それに何の精神的問題もなく、拒食症が起きるようなことはあるまい。
「でも……栞が食べるものは、もう一つだけあったのよ」
恐れるように、畏れるように、両の腕を握りしめて。
「人間の、心臓……だけ」
想像するだけで、ひどくR指定な映像が広がった。
『
胸を貫き、心臓を喰らう。
それだけのために、人を殺したということ。
「栞がある晩に出かけて、服を血まみれにして帰ってきたわ。その後、あの子は言ったの。『お姉ちゃん、私、食べたよ!』って、嬉しそうに、ね」
「人間の、心臓を?」
こくり、と無言で香里ちゃんは首肯した。
それが本当ならば、家族である香里ちゃんは栞ちゃんを警察に突き出すべきだっただろう。だけれど、それをしなかったのは。
妹が食事をした。その事実が、嬉しかったのだ。
「外道とでも、非道とでも、何とでも罵って構わないわ。あたしは、栞が死ななくて済むなら、何でもするつもりだった。栞が生きていられるなら、他の人間は死んでもいい――そうまで思ったわ」
「だから、手伝いを?」
「栞は、体が弱いのよ。一対一で殺せる相手なんて、子供くらいのものね。零崎を名乗るのもおこがましいとは思うけど……ね」
殺し名七名の中で、最も忌み嫌われる存在、零崎。
ぼくは単純に、零崎は強いのだと思っていた。
だが現実には、弱い零崎も存在するということだろう。
殺人鬼でさえあれば、そこに強さや弱さは関係ないのだから。
それにそもそも、零崎一賊であるわけではないのだし。ただ零崎夜織という殺人鬼の血を引き、そして己にもまた殺人鬼としての資質が存在し、それゆえに零崎と重ねただけの、真っ赤な偽物でしかない。
「裁くなら――あたしを裁きなさい。栞の偏食を止められなかったのは、あたしの責任よ。人を殺して、その心臓を喰らったのも、あたしの責任よ。だから……」
「三ヶ月前、と言ったね?」
香里ちゃんの言葉を無視して、そう尋ねる。
「その三ヶ月前に、何があったのかな?」
「何が……って?」
「偏食なんてものは、唐突に変わったりすることはない。それまで普通の食事をできていて、それが唐突に人食いなんて始めるわけがないだろう。何かのきっかけがあったとしか思えないね。だから何でもいい。栞ちゃんがおかしくなったその日、何があったのかな?」
これで、何もないのなら。
ぼくは何もできない。
それが単なる、悪い方に傾いた奇跡でしかないのなら。
「……せいぜい、昼間に人が来たくらい……かしら」
「どんな人だった?」
「変な奴だったわ。何しに来たのかも、よく分からなかったし。何かのセールスにしては、何も置いていかなかったし。えっと……なんか、奇抜なファッションをしてたわ」
奇抜なファッションと聞いて、まず狐の面が出てくるあたりぼくの交友関係が知れる。
だが奇抜なファッションの、何者かも知れない客。それは確かに怪しい。
もっとも、ぼくの知り合いである可能性は限りなく低いだろう。その客が名乗ったのかは知らないが、名前なり聞いてから判断すべきかもしれない。
ひとまず、その奇抜なファッションとやらを聞いておくことにしよう。
「どんな格好をしてた?」
「んーと……何て言えばいいのかしら……」
「どんな言い方でも構わないよ」
「なら……なんか、男の子なのにカチューシャしてて、自転車のチェーンをベルト代わりにしてた……ってところだけど」
カチューシャ。
ベルト代わりの、自転車のチェーン。
そんな奇抜なセンスは、残念ながら見た事ある。
そしてそれは――何より最悪な相手でしかない。
「そうそう――ありったけの親しみを込めてキノラッチと呼んでくれとか……」
匂宮出夢をして、「一番やり合いたくない」「《時宮》よりもずっとヤバい」と言わしめた、最悪の敵。
――《十三階段》の十二段目。
感染血統奇野師団。
《病毒遣い》奇野頼知。