死にたがりと生きたがりはよく似ている。
どちらの望みも叶わない、という点だけ。
9
昼休み。ぼくはいつも通りにメールで日中涼を呼び出した。
本当のことを言うと、会いたくなんてない。だが、日中涼に会わない限り、この戯言は終わりを迎えないのだ。美坂姉妹は総じて不幸になり、あとは、日中涼さえ不幸になれば物語は終わる。
そのためならば、どんな戯言でもこの唇は紡いでみせよう。
「君から突然の呼び出しを受けることにも、もう慣れてしまったな。戯言遣い、君は、僕に昼休みの予定があるとは思わないのかい?」
はぁ、と微かな溜息混じりに日中涼は肩をすくめる。
「天野美汐は優等生だ。交友関係は確かに狭い。だが、それでも共に食事を摂る程度に仲の良い友人はいる。出会ったら挨拶する程度の知り合いも大勢いる。その中の一人でも、僕――天野美汐に用があって昼休みという貴重な時間を潰すとは邪推しないのかい?」
「もしそうなら、ぼくからの誘いなんて断ってくれて構わないよ」
ぼくだって、こいつに会いたくなんてないのだから。
だけれど、もういい。今日で、終わらせるのだ。この戯言を。
「もっとも――こんな風に呼び出すのも、今日で終わりさ。ぼくは明日以降、もうきみには関わりたくない。出会いたくもない。きみの言葉を借りるなら、出会ったら挨拶する程度の知り合いにもなりたくはない。もともと、きみの存在そのものがイレギュラーなんだ。もうぼくには関わるな」
「ははっ、最大のイレギュラーである君にまでそう言われるとはね」
「ああ、そうさ。ぼくは確かにイレギュラーだ。この学校において、ぼくの居場所なんてどこにもない。相沢祐一になることは、ぼくにはできない。同時にきみも、天野美汐になることはできない。相沢祐一と天野美汐、この二人がどういう邂逅を経たのかは、ぼくには推測することしかできないがね」
「邪推は好むところだが、仮定の話は嫌いでね。そんな小噺などもういい。僕と会いたくない、と言うならば今ここで話している時間すらも苦痛に感じているのだろう戯言遣い。ならば早く終わらせようじゃないか。一言で尋ねさせてもらおう。僕の娘は誰だ」
日中涼の娘。
そんな問い、答える言葉は一つしかない。ただ、二人の名前を列挙すればいいだけの話だ。ただそれだけで、この戯言は終わる。
だが――確認が、必要だ。
「その前に、一つだけ確認させてもらいたいんだけどね」
「今のターンは僕だ。認められないね」
「これは質問じゃないよ、確認だ。取引の前に、お互いに銃を持っていないかどうかの確認みたいなものだと思ってもらえればいい。通過儀礼というやつさ。これはターンには含まれない」
日中涼は少しだけ、眉根を寄せた。苛立ちが、目に見えてはっきりと分かる。
そんな状態こそが――理想的。
冷静に考えることをやめれば、それだけで打つ手になる。
「いわゆる、ルール確認というやつさ。ぼくはきみに、きみの娘が誰なのかを教える。代わりにきみは、現金の要求以外でぼくの頼みを聞く。確か、ぼくはそう記憶しているのだけれどね。どうだったろう?」
「概ね正解だよ。僕の娘が誰なのかさえ教えてくれれば、大抵の頼みは聞こうじゃないか。もっとも、僕に出来ないことを要求されても困るがね」
「いいや、きみには確実に出来る事さ」
それが。
その言質が欲しかった。
それさえ手に入れることができれば――ぼくの、勝ちだ。
「じゃあ教えよう。まず零崎夜織の結婚相手は美坂健一。そして零崎夜織との間に生まれたのは娘が二人だ。一人は美坂香里。もう一人は美坂栞。クラスは知っているかな?」
「……美坂香里といえば、君と同じクラスだったな。戯言遣い」
「ああ、その通りだよ。ぼくの斜め前に座っている。ウェーブの髪をした美人さ」
「そうか。では明日から、少々黒板が見やすくなるだろうね」
ククク、と日中涼が笑う。
「美坂栞は、僕と同じクラスだ。偶然だがね。もっとも、彼女は今休学しているから家まで殺しに行かなければならないか。仕方ない。少々のリスクは負わなければね」
「一応、事情の説明をしておこうか。彼女が……美坂栞が、どういう経緯で殺人鬼と化したのか」
「ああ、頼むよ。少々の事情は知っておかねばな」
「……
「奇野師団でも試作品だったらしいけどね」
「残念だね。そして――今は全身麻痺か。戯言遣い。君は優しいようで、寛容なようで、ひどく残酷で狭量だね。理解があるように見えて何一つ理解してくれない。むしろ今の彼女らは、殺してやった方が幸せでないのかな?」
ある程度の経緯、それに今回ぼくが行った処置、その全てを日中涼に語った結果だ。
勿論、これで全てを許してもらおうだなんて考えは毛頭ない。
「一つ、勘違いをしているようだね戯言遣い」
「……何だ」
「僕は、例え半永久的な全身麻痺と化し、生きていると主張することすらもおこがましい相手であれ、殺すことには何の変わりもない。僕は僕の娘が生きている。その事実があるだけでも嫌悪に値するのさ。だから殺す。君がどのような処置を施し、どのような罰を下そうと、それは僕が僕の娘を殺すことに何の関係もない」
それはある種、予想していた回答だった。
日中涼は明言していた。香里ちゃんと栞ちゃんを殺す、と。
ぼくはそれに対し、ひどく曲がりくねった罰を与えただけだ。
そんな罰に、彼女が満足するはずはない。
「だからこそ、邪魔をするなよ戯言遣い。君の役割はもう終わった。元々、君の役割は零崎を見つけて、僕に報告するまでだったんだ。それ以降の君の行動、全てが蛇足にしか過ぎない。姉の方と夜中に戦った? ああ、結構だ。姉の頼み事を、大泥棒を利用して叶えてやった? ああ、結構だ。だがね、それがどうした?」
ぼくは答えない。
「君の行動はただ一つで良かったのさ、戯言遣い。彼女らの名を、僕に教える。それだけで良かった。でなければ大泥棒も、己の領分を越えてまで仕事をすることはなかった。でなければ姉の方も、通りすがりの殺し屋に叩きのめされることはなかった。つまり、だ。君の行動全てが、ただの余計なことなんだ。君が何をしようと、僕が彼女らを殺すことには変わらないのだからね」
「……余計なことをしたとは、思っていないよ」
「いいや、余計なことだ。姉の方は、五年間を耐えればなんとかなると思っている。妹にもそう言い聞かせるだろう。だが、彼女らの介護という戦いが始まることはない。明日で終わりを迎える。もしかすると、今夜かもしれないがね。どちらにせよ、君のやったことは全てが無駄なのさ」
「まぁ……いいさ。それで、今度はきみが約束を守る盤だろう」
ぼくは、香里ちゃんと栞ちゃんの名前を出した。
ぼくは、日中涼との約束を守った。
次は、ぼくの番だ。
「忘れてはいないだろう? 現金の要求以外で、ぼくの頼みを聞く。勿論、きみに出来ないことは言わない」
「勿論、忘れてはいないさ。そうだね。何でも言ってくるといい。この世に不可能はないんだ。存在するのは可能か、可能以前のものだけだからね」
言質はとった。あとは、どうやって、煙に巻くか。
いいさ――直球勝負だ。
「人を殺すな」
日中涼の笑みが――消えた。
「きみ個人に向けて言っているわけじゃない。日中涼全体に向けて言っている。二度と、人を殺すな。ぼくは人殺しというものが大嫌いなんだ」
「……何を、言っているのか分からないね」
「言っただろう? 現金の要求以外で、ぼくの頼みを聞く。ぼくはきみの娘が誰か教えた。きみも、ぼくの頼みを聞くのが義務だ。だから頼む。二度と、人を殺すな」
「聞けないな。そもそも、僕が僕の娘を探していたのは、殺すためだ。殺すために探し、探した後に殺さない。そんな真似が出来るとでも?」
「出来るだろう? ぼくは、きみに出来ないことは言っていない」
予鈴が響く。だがそれでも、いつものように日中涼は動かなかった。
これは、真面目な天野美汐の仮面を捨ててでも、解決しなければならない話なのだから。
「……断る、と言ったら?」
「浮世の義理、というものは知っているかな? それに仁義、か。一度した約束を反故にするなんて、信義に反するだろう? だからぼくもその時は、容赦しない」
胸ポケットから、携帯電話を取り出す。見せつけるように、そのダイアルへと指を置いて。
「きみに戦闘能力がどれほどあるかは知らない。だけれど、ぼくがとある赤い人へ連絡するのと、きみがぼくを殺すのと、どちらが早いと思う?」
ぎりっ、と日中涼が奥歯を噛んだ。
「きみがぼくを殺したとしよう。完璧な密室殺人に仕立てあげても、どこにぼくの屍を隠しても、あの人は確実に見つける。どんな細い糸を手繰ってでも、きみへ辿りつく。そして――全ての、日中涼へ辿りつく」
これは、脅しだ。虎の威を――いや、魔王の威を借る戯言遣いだ。
だけれど、どんな脅し文句でも構わない。彼女が退いてくれるなら。
「ぼくは何故か分からないけれど、あの人にとても気に入られていてね。ぼくが殺されたと知ったら、あの人は報復に走ってくれるはずさ。きみも知っている……あの、赤い人はね」
「……《死色の真紅》、か」
日中涼は僅かに考えて、そして――諦めたように、嘆息した。
「僕はどうやら、協力を要請する相手を間違えたらしい」
クク、と自嘲的に微笑む。
「分かった。君の言う通りにしようじゃないか。君の見える範囲で、ね」
「つまり?」
「流石の僕も、日本全国津々浦々に散っている全員の行動を把握しているわけじゃない。だからこそ、そういった連中が今現在人殺しをしているのは、僕にも止めることができない。そういった例は、考慮してほしいところだね」
「ああ……まぁ、それは別に構わないよ」
「だからこそ、言い直してくれないかな? 『ぼくの見える範囲内で人を殺すな』ってね」
ぼくは首を振った。
相手からの要求が正当であれ、それ全てを受け入れるのは戯言遣いの本分ではない。
相手からの要求を突っぱね、己の要求を通す。
それでこそ、ぼくという存在が成り立つのだから。
「言い直しはしないよ。人を殺すな。ぼくからの要求はそれだけだ」
「……分かった。やれやれ、とんだ戯言に付き合ってしまったものだ」
はぁ、と日中涼が溜息をつく。
「君は僕に、二度と会いたくないと、そう言ったね?」
「ああ、言ったよ」
「僕も同じだ。二度と君に――戯言遣いには、会いたくない」
これで、戯言は終わりを迎えた。
これで全部、終わったはずだ。殺人を犯す零崎もどきを《チーム》の一人が探して殺す、戯言遣いがその全てを邪魔する物語は、これで終わりを迎えたはずだ。
ん?
まだ何か解決していないって?
さてね。ぼくには何のことやら分からないね。
そうだね。分からない振りをしている方が楽だ。
例えば、結局誰が栞ちゃんの殺人を隠蔽していたのか、とかね。
そんなもの、考える必要はないのさ。これで物語は終わったのだから。
あとの全ては、蛇足に過ぎない。
だから――
帰り道の商店街、目の前で威風堂々と立っている姿を見ながら、真摯にそう思う。
分かっていた。こいつがいることなんて。
ぼくの出会いたくないランキングの、堂々の第五位にランクインする男――。
目の前に立つ、狐の面。
人類最悪が、そこにいた。
「よう――俺の敵」