狐に化かされた?
違うね。馬鹿にされたんだ。
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さて、日曜日。ぼくは相変わらず何の予定もなく、居間で退屈と戦っていた。
退屈のまず仕掛けてくる右ストレートを、半身をずらして回避。その勢いでやってくるのは左のロー。半身をずらした体はその連撃にすぐには反応できず、痺れるような痛みが走る。ぼくも負けじと退屈へ向けて拳を突き出し、退屈はそれを両手で防御――なんてガチンコバトル漫画の一シーンを思い浮かべるくらいに退屈と戦っていた。あくまで比喩である。ぼくには直接戦闘能力なんてないのだから。
やっていることは、一人でテレビ鑑賞である。
面白くもないテレビ番組を見続けるのも、大概限界だった。ここで七々見から借りてきた本でも読めば良かったのかもしれないが、あいつの貸してくれるものはテレビ番組とさして変わりないくらいに退屈な本ばかりだ。つまり結局、ぼくは娯楽そのものに興味がないということなのだけれど。
そんなぼくの転機は、夕刻に訪れた。
「ちょっと買い物に行ってもらえませんか?」
そうぼくに言ってきたのは、秋子さんだった。本当に買い物に行かねばならないのか、あまりにも暇すぎるぼくを憐れんで用事を作ってくれたのかは分からないけど。
後者だとぼくが哀れすぎる。
「構いませんよ。何を買ってきましょう?」
「今夜、おでんを作ろうと思っているんです。でも材料が足りないんですよ。買う物はメモしてありますので、お願いします」
と、ぼくに四枚の紙幣と小さなメモを渡す秋子さん。
近所のスーパーで買えばいいか、と思っていたが思いの外、肉は指定の肉屋があり野菜は指定の八百屋があった。なるほど。秋子さんの料理は腕も然りだが、食材もちゃんとした物を仕入れている店から購入していることに依るのだろう。
これは商店街へ出向かねばならない。
「分かりました。では行ってきます」
防寒用にダウンのジャケットを羽織り、ポケットへ紙幣とメモを入れて、いざ商店街へ。
相変わらずの寒さに、身震いする。特にこれまで、暖房の利いた部屋で退屈と戦っていたのだから尚更だ。
しかしどうにもぼくは、商店街へ出向くことが多いな。まぁ、商店街から水瀬家への道しか覚えていないから、学校から商店街、商店街から水瀬家、という帰り道でしか帰ることができないのだ。だから必然、一日一回は商店街に寄ることになるわけで。
雪を踏みしめながら、歩く。煙草の煙みたいな白い息が、空へと霧散した。
そしてようやく、商店街到着。
幾つかの店はシャッターが下りたまま、開いている姿を見たことがない。ショッピングセンターだとか、大型スーパーだとか、そういった店の進出が商店街からの撤退を余儀なくされたのだろう。誰かが利益を得る裏では、必ず誰かが損をしている。そんな日本経済の様相を若干ながら呈すのが、この寂れた商店街というわけか。
さて、何を買えばいいのかな。と、メモを取り出す。
まず近くの肉屋へ。とりあえず牛肉である、ということは分かるがそれ以外は難解な主婦専用単語を用いて二百グラム購入。そもそもロースとかバラとかって何なんだろう。ローズが薔薇であることしかぼくは知らない。
次に八百屋へ。メモによる指定の野菜五品目を購入。当然ながら野菜の良し悪しなどぼくには分からないから、その辺りは店主任せだ。秋子さんならここでオマケの一つでもしてもらえるのかもしれないが、残念ながら八百屋の店主は見知らぬ戯言遣いにまでサービスするほど豪気な人でもなかった。
次に豆腐屋――豆腐屋さんでわざわざ豆腐を買うあたり、本格的さがよく分かる。
最後に米屋――まて。秋子さん、ぼくの運動能力を把握しているのだろうか。ひとめぼれ五キロ。ただでさえ野菜と肉と豆腐と持っているというのにこの上米まで持てというのかこの人は。これは一度水瀬家へ帰り、荷物を置いてから再度行った方がいいかもしれない。
「お、いのすけー。買い物か?」
荷物持ち発見。
相変わらず金色に光っている髪の跳ねた一房がトレードマーク、北川潤がそこにいた。
「やあ。奇遇だね」
「おう。お前はお使いか? なんか重そうだな。持ってやるよ」
「助かるよ。この買い物に加えて、米も買わなきゃいけないんだ」
「そりゃ大変だな。何なら米持ってやるよ。水瀬ん家まで運べばいいんだろ?」
「ありがとう。助かるよ」
ほんと、何度も思うが。
北川潤はイイヤツである。見返りを求めない優しさとでも言おうか。本当に――主役になれない、脇役向けの奴である。いい意味で。
ちなみに大抵の日本語は、『いい意味で』とつけると本当にいい意味に聞こえるから不思議だ。
「潤はどうして商店街に?」
「ん、バイト帰り。今終わったとこなんだよ。帰り道でパチンコでも行こうかなー、とか思ってたら先週に全部スったこと忘れててさ。うはは」
本当に馬鹿な奴だなぁ。いい意味で。
「しかもよー、先週全部スったとき、その前にCD買ってたのにそのCD足元に置いたまんまで忘れちまってよー。気付いたのが今日なんだなこれが」
本当に大間抜けでドジな奴だなぁ。いい意味で。
「そりゃ災難だったね」
「全くだっつーの」
全部自分のせいなんだと思うけどね。いい意味で。む、この文面だといい意味には聞こえそうにないな。それにそろそろ飽きてきた。
そんな潤の不幸な日常とぼくの些細な突っ込みは、米屋の前に至った時点で終わった。
「――見つけたわ」
そんな、ソプラノの声に、阻まれたからだ。
山吹色のツインテール。そこまで背の高くないぼくの、肩ほどまでしかない背丈。そして何よりも、その吊り上がった双眸が印象的な――いつだったか出会った少女が、そこにいた。
「潤、知り合いかい?」
「……いや、オレは知らねぇけど」
「ぼくも知らない。つまり人違いってことだね。気にすることはない。さぁ米を買おう」
「……あの子、明らかにお前の方見てんだけど」
「気のせいだよ。ぼくにはあんな知り合いはいない。神に誓ってぼくはあの子と一度たりとも会ったことはない」
誓う神様なんていないけど。
「あぅーっ! 無視するなぁーっ!」
びしっ、と指を突き付ける。ぼくに向けて。
「あんたへの恨み、ここで晴らすわ!」
ぼくが何をした。少なくとも、見たこともないツインテール相手に恨まれるような真似をした覚えはない。
……いや、覚えがないのかと言えば、そうでもないが。
指挟んだし。
「えっと、ひとめぼれ五キロ下さい」
「ああ、はいはいー」
「あたしを無視して買い物するなぁーっ!」
だって相手にする必要がないわけだし。
「ええい、こうなったら実力行使よ! 覚悟しなさいっ!」
だっ、と謎の少女が駆ける。ぼくに向けて、拳を振り上げて。
鋭くぼくを見据え、その拳を、いざ突き出す、その刹那。
ぼくの右拳は、謎の少女の顔面を捉えていた。
綺麗に決まったクロスカウンター。一瞬、世界がスローモーションになる。己の勢いそのままに、後方へと飛ぶ謎の少女。二度目だが、上手く決まった。意外とぼくにはボクサーの才能があるようだ。
「はい、ひとめぼれ五キロお待たせ」
「おいくらですか?」
「いやお前っ! 何食わぬ顔で買い物続けるなよっ!」
そんなぼくに突っ込んできたのは、潤だった。
ひとまず米屋に商品の代価を支払い、米を受け取る。そして抱えて。
「さて潤、帰ろうか」
「待て待て待ていのすけ。この子はどうするつもりだ」
「ほら、よく言うじゃないか。人の買い物邪魔する奴は、クロスカウンターで地獄に堕ちろって」
「言わねぇしGガン混じってるよ」
っち。どうやら誤魔化せないらしい。
「つーかこの子、マジで気絶してんだけど。おい加害者、どうするんだ?」
「正当防衛を主張しようかな」
「法廷に出た場合を想定しなくてもいいから。今現在のことを考えろ」
「ぼくにどうしろって言うのさ。いきなり殴りかかってきたのはこの子で、ぼくはそれに反撃をしただけさ。どう見てもぼくに非はないだろう」
「一般的な高校生男子はこんなガキに殴りかかられても反撃しねぇよ」
「いいじゃないかよっ!」
「いきなりキレんなよっ!」
と、潤との素敵トークはこの辺りにしておいて。
真剣に謎の少女をどうするか考えることにしよう。
まず謎の少女とぼくには一切の因果関係がない。ぼくが彼女に狙われる必要はないし、彼女がぼくを狙う理由もない。せいぜい指を挟んだことくらいだが、それは前回にも恨みを晴らす、と言っていたのだから関係ないだろう。
とはいえ、さすがにこのままにしておくわけにもいかない。
「……仕方ないな。潤、悪いんだけど、米持ってもらえるかな?」
「ん? ああ、別にいいけど」
「ぼくはこの子を運ぶことにしよう」
「……いや、その役目はオレにやらせてくれないだろうか」
む? 潤、わざわざ重い方を持ってくれるというのか。
「潤。有難いけど、米と野菜と肉と豆腐を持つ方が、全体量としては軽いと思うよ。人間一人を運ぶっていうのは意外に重労働なんだ。米五キロは重いだろう? この子は普通にその七倍から八倍はあると思って間違いない」
「いや、オレはバイトで鍛えてるから気にすんな。それよりお前みたいな細っこい体で、この子が落ちやしないかと心配でな」
ぼくから何故か目を逸らしながら、そう答える潤。
まぁ、そこまで言うなら代わってもらうとしようか。まったく、潤がいてくれるおかげで助かる。
「じゃあ荷物は持つから、謎の少女を頼む」
「ああ、分かった。うへへ……」
なんか今、笑顔がすっげえ腹黒かったんだけど。
ぼくの気のせいということにしておこう。
「なぁいのすけ」
「ん、なんだい?」
「オレはこれからこの子を運ぶわけで、その過程とかなんとか考えた結果、触れてはならないところに触れたところで何の問題もないよな? 具体的には胸とか」
潤は何を言っているのだろう。なんかいきなりワケ分からなくなったな、潤。
「ああ、うん、いいんじゃない?」
と、適当に返しておいた。
ようやく水瀬家に着いたときには、既に日が暮れていた。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい……あら?」
玄関に出てきた秋子さんが、ぼくの横で謎の少女を背負う潤を見て、僅かに首を傾げる。
「……大きなおでん種ですね」
「違います」
そんな屍食主義は持ち合わせていませんから。
ひとまず秋子さんに、経緯を説明する。商店街で謎の少女と出会ったこと。何故か恨みがあるらしいこと。そしてぼくには、何の面識もないこと。
その間、潤はずっと謎の少女を背負っていた。
「……あらあら。ではその子、身元も何も分からないのですか?」
「ええ……まぁ」
「では仕方ないですね。客間に布団を敷いておきますので、そこで寝かせましょう。悪いとは思いますが、ちょっと荷物なんかも見て、身元が分かるようなものがあれば親元に連絡をしましょうか」
「すみません」
結局、水瀬家で面倒を見ることになるらしい。
はぁ……新しいトラブルの芽を持ち込んだようで、どうにも気が滅入る。
あれ?
「……潤? そろそろ下ろしていいよ」
「いや……もういっそ、このまま家に帰りたいくらいだ」
潤は客間に敷いた布団に、謎の少女を寝かせるまで何故かいた。