魔物の群れが現れた。
逃げる以外の選択肢が必要かい?
2
「身元の分かるようなものは、持っていませんね」
謎の少女を布団に寝かせ、財布なり持ち物全てを物色した秋子さんは、開口一番そう言った。
ちなみに潤は、謎の少女を寝かせた時点でお役御免だとばかりに帰宅した。もっとも、寝かすことに物凄いためらいを覚えていたように見えたのだが、ぼくの気のせいだろう。何が楽しくて謎の少女を背負い続けなければならないのやら。
「財布の中には現金と、それに割引券とポイントカードしか入っていませんね。当然、無記名です。他にも、身元が分かるようなものはありませんね」
「……つまり、本当に謎の少女というわけですか」
「まぁ害はなさそうですし、今日はここで寝てもらいましょうか。それで明日なり、起きたら本人に聞いてみましょう」
害はなさそうって、ぼくはこの子に普通に攻撃されたわけなのだが。
とはいえ、家主の意見に居候のぼくが口を挟むわけにもいくまい。ひとまず了承して、階下へ降りることとした。まだ夕食はできていないらしい。ぼくの帰宅も遅かったし、名雪ちゃんもまだ帰っていない。そもそも、夕食を作る秋子さんがここにいたわけだし。
秋子さんが台所へ向かうのと、玄関の扉が開くのはほぼ同時だった。
「ただいまー」
「お帰り、名雪ちゃん」
居間へと駆けこんでくる名雪ちゃんに、そう答える。
休日なのにどこに行っていたのか、という問いかけには非常に真面目な三文字で返そう。陸上部だ。
「お母さん、知らない靴があったんだけど、誰かお客さん来てるの?」
「ええ。今客間で寝てる女の子がいるのよ」
「あ、そうなんだ。お母さんの知り合い?」
そう秋子さんに問いかけながら、ぼくの横へと座る名雪ちゃん。そして微笑む。可愛いなぁ。どこか愛玩動物的な可愛らしさがある。一家に一人欲しいところだ。
「残念だけど、ぼくの知り合いらしいよ」
「いっくんの知り合い?」
「いや、ぼくは知らないんだけど向こうは知ってるみたいでね」
「ふーん。何があったの?」
何があったのかと言われると、特に何もないんだよなぁ。
というか、潤が背負ってこなければ置いてきたわけだし。
さて、どう説明しようか。
「さっき、商店街へ買い物に行ったんだ。すると突然、その子は現れた」
「ふむふむ」
「『久しいな――相沢祐一』彼女は言って、さらに続けた。『あの時の恨み、忘れたとは言わせぬぞ』」
「古風な喋り方をする女の子なんだね」
「ぼくはそれに対して答えた。『貴様……暗黒将軍ダークジェネラル!』『そうだ、我が名を覚えておったかマスクド仮面』」
「いっくんがいきなりヒーローになったよ!」
「『何が目的だ、暗黒将軍ダークジェネラル!』『そんなことは分かるだろう。さぁ、出会った以上は我と拳を交えよ』そういった経緯で、ぼく達は戦った」
「な、なんかテレビのワンシーンみたいだね」
「そして最終的に、ぼくのクロスカウンターで彼女は沈んだ。だが仇敵とて、そこに屍を晒すのは気分が悪い。だからここまで連れて来たわけなのさ」
「……でもその話じゃ、いっくんとその謎の少女って知り合いだよね?」
「以上、八割は嘘だ」
「……やっぱりね」
どこか諦めているように、名雪ちゃんが嘆息する。だいぶ、ぼくの性格を分かってきたらしい。
「さ、夕食にしましょ。名雪、手を洗ってらっしゃい」
「あ、はーい」
居間のテーブルへ、料理を並べてゆく秋子さん。
ぼくの帰りが遅かったためか、おでんは明日に回すようだ。今日のメインディッシュは鮭のムニエル。当然ながら、筆舌に尽くしがたいほどに美味かった。
「あーぅー……」
そんな呟きが微かに聞こえて、ぼくは目を覚ました。
携帯電話で時間を確認すると、AM3時。健康的な生活をしている人間ならば夢の世界に旅立っている時間帯に、そんな声を上げるなど寝言か何かだろう。
だが――それと共に聞こえる、ガサゴソと何かを漁る音。
泥棒? 一瞬、そんな考えが胸を過る。
水瀬家に泥棒が入り、何かを盗まれたところでぼくは痛くも痒くもないわけだが、かといって目の前にある悪事を見逃すのも人として不出来だ。眠い目を擦り、起き上がる。寝起きではあるが、十分に頭はクリアだった。
音の主は、一階。なるべく音を立てないように、ゆっくりと部屋を出る。
階段を音を立てないように降りながら、音はだんだんと大きくなってきた。そして「あーぅー……」という謎の呟きも、はっきりと聞こえてくる。これほどまでに大胆な泥棒もそうはいないだろう。
というか、ほぼ完璧に目星はついているのだが、知らない振りをしておくことにする。
そしてようやく近付いた台所に、微かな光が灯っていた。
「あーぅー……お腹すいたのよぅ……」
開け放たれた冷蔵庫と、散乱した食材。そしてその前で座り込んでいる、山吹色のツインテール。
やはりというか、謎の少女がいた。
行動を鑑みるに、起きたら見覚えのない家にいて、とりあえず腹が減ったから何かないかと冷蔵庫の中身を物色していたのだろう。すぐに食べられるものならば、冷蔵庫よりも戸棚を漁った方がいいと思うのだが。スナック菓子なんかは冷蔵保存しないだろうし。
さて。
どうやら冷蔵庫の中身を除けば無害そうなので、この場は静観するとしようか。
「なんですぐに食べられるものが入ってないのよぅ……。あぅー……生野菜なんて食べたくないのよぅ……」
腹が減っている割には欲深い奴だ。
もっとも、水瀬家にインスタント系の食材を期待する方が間違っている。秋子さんの料理の腕はプロ級だ。インスタント食材などあってはならないものだろう。
多分あの人のことだから、カレーなんかもスパイスから作りそうだし。
「あぅー……お腹すいたぁ……」
というかこれだけ物音を立てておいて、よく秋子さんが起きないものだ。それとも夜遅く寝て朝早く起きる分、睡眠は深いのだろうか。
「助けてよぅ……」
人様の冷蔵庫を漁りながらヘルプミーとはなんとも我儘な輩だ。
さて、そろそろ居候として、防犯に一役買うとするか。
丁度そこにあるのは、コンニャク。恐らく謎の少女が最初に食べようとしたのだろう。封は開けられ、若干歯型がついている。何の味もしないから捨てた、といったところか。コンニャクだって無料ではないというのに、全く罪深い。
手に取り、ゆっくりと近付いていく。謎の少女は気付かない。
ゆっくり、一歩一歩踏みしめて、コンニャクを右手で吊るして。
無音で謎の少女の背後に立ち、その首筋へ。
コンニャクを、落とした。
「あああああああああぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっっ!!!!!!!!」
謎の少女の叫びが、夜中の水瀬家へこだました。
「……こんな夜中に、どうしたんですか一体」
さすがに叫び声にまで無反応ではなかった秋子さんが起きてきて、灯りをつける。
やりすぎたか。まさかあんなにも過剰な反応をするとは思わなかった。
「物音がするので起きたんですが、謎の少女が冷蔵庫を漁っていまして」
嘘はついていない。
ちなみに当の本人は、冷蔵庫から大分離れて部屋の隅で震えている。首筋にコンニャクというのは、随分と効果的だったらしい。
「……お腹がすいていたのでしょうか?」
「そうみたいですね。お腹すいた、って何度も言ってました」
「ではお夜食でも作りましょうか。冷やご飯がありますので、簡単にお茶漬けくらいにしておきましょう」
と、秋子さんは夜中に冷蔵庫を漁っていたことには何も言及せず、そう言う。
永○園のお茶漬けを取り出し、冷やご飯にかけて、お湯を注ぐ。それだけでお茶漬け完成。秋子さんにしては随分手抜きなのは、やはり夜中で眠いからだろう。
「謎の少女、食事をあげるよ」
「……あぅ?」
部屋の隅でうずくまっている謎の少女を、まずテーブルへ誘導。お茶漬けを渡すと、一心不乱に食べ始めた。見ているぼく達の方が呆気にとられるほどの勢いで。
即座にお茶漬けを完食し、謎の少女は嘆息する。
「きみ、名前は?」
ようやく話が聞ける状態になったと思ったため、そう尋ねてみる。
謎の少女は満腹感からか至福の表情を浮かべていたものの、ぼくの問いかけに即座に憤怒へと変わった。
「あぁーっ! あんたはっ! 恨みを晴らすのよぅ!」
「質問しているのはこっちだ」
立ち上がろうとした謎の少女の両肩を押さえて、再度座らせる。
眠い。やっぱり予想通りだった。絶対にトラブルの元になると思ったんだ。
「まぁまぁ。この子も悪気があるわけではないでしょうし」
「秋子さん、謎の少女のどこに悪気以外があるんですか」
どう見ても、ぼくが恨まれているわけだ。そんな筋合いはないのに。
「あぅーっ! あんただけはっ! 許さないんだからっ!」
「ぼくが何をしたんだよ」
「あんたはっ! ……えっと、とにかく許さないんだからっ!」
「ぼくが何をしたのかはっきりしてもらえないと、解決できないだろう」
そもそも、ぼくは何もしちゃいないのだ。
「あんたの名前は何なのよぅ!」
「それをぼくはきみに訊いてるんだけどね。人に名前を聞く時はまず自分から、って習ったことはないかい?」
あぅー……と、謎の少女は顔を背けた。これはますます怪しい。名前を名乗れないということは、つまり何かの事情があるということだ。
事情があって名前を明かせないというなら、それはそれでこちらにも考えがある。
「分かった。どうしても名乗らないというなら、明日一緒に警察へ行こう。罪状は窃盗と器物破損だ。冷蔵庫の中にあるものを盗み、そしてコンニャクの袋を破った。この日本という国は、その程度でも十分に罪としては立証できるんだよ」
「あぅっ! それは……」
「嫌なら、この場で釈明するといい。自分が誰であるのか、そして、何故このようなことをしたのか。残念ながらぼくは鬼だけれど、秋子さんは優しい人だ。内容によっては許してくれるかもしれないね」
謎の少女は、僅かに考え込む。
いかんいかん、やはり寝起きのせいか、戯言もあまり紡げていない。このままではぼくは、極めて一般的な人間になってしまう。
「あぅー……名前言おうにも、分かんないのよぅ……」
名前が、分からない?
一瞬浮かんだ、十三階段の《不協和音》。雑音の名を冠する男。
まさか――ね。
「つまりきみは、自分の名前を覚えていないと?」
「あぅー……何も覚えてないのよぅ……」
「だったら、何故ぼくを狙うんだ? 記憶がないなら、ぼくを狙う理由もないだろう」
謎の少女は、ギッ、とぼくを睨みつけて。
「理由は全然分かんないけど、あんたを見た瞬間に許せないって思ったのよぅ!」
なんだその理不尽な理由。
それ、単にぼくが気に食わなかっただけじゃないのかよ。
「つまり、何の理由もなくぼくが憎かった、ということかな?」
「そうよぅ!」
「ふざけんな」
通算三度目の、ぼくの右拳が火を噴いた。