人間は考える葦である。
動物である価値もない。
4
謎の少女・沢渡真琴との奇妙な遭遇から三日。
何故か真琴ちゃんは、水瀬家の居候となっていた。
一体何がどういうわけでこうなったのかというと、簡単に言うと記憶喪失である真琴ちゃんに帰る家はなく、当然ながらその当てもない。ならば我が家で面倒を見ましょう――と家主が言いだしたからだ。全くもって、これほどまでに怪しい少女を何故居候にするのかと問いたい。世の中のあらゆる人間は善人だ、なんてお天気のよろしい頭をしているのかと疑ってしまう。
だが秋子さんの考えである。裏世界の情報屋、『千里総眼』水瀬秋子の考えである。
何かの考えがあって、真琴ちゃんを居候としているのだろう。でなければ、あまりにも納得がいかない。もっとも、ぼくが納得しようがしまいが家主の意見は絶対なのだが。
そんなわけで水瀬家の客間は、正式に真琴ちゃんの部屋となった。
ぼくの勘違いでなければ、日々漫画が増えている。それも整頓など一切されておらず、読んだらそこらに平積みなのだから尚更混沌の呈を示していた。もっとも、ぼくも関わりたくはないため、別に放っておくのだが。
居候同士、仲良くやる気はない。向こうはぼくを恨んでいるわけだし。
だが妙に突っかかってきたのは商店街での邂逅くらいのもので、それ以降は平和なものだった。特に居候となって三日間、特にぼくは何の暴力も受けていない。無闇に突っかかられることもない。突然何が変わったのだろう。全く、年頃の女の子というのは理解できないものだ。
しかし――と自分の境遇を鑑みる。
家主は年齢不詳の美人な未亡人。もっとも旦那さんが死んでいるのか離婚しているのか単身赴任なのかは全く知らないのだけれど。教えてくれるわけでもないし、自らそんな虎穴を突く気にもなれない。
そして隣の部屋には同級生で同じクラスの可愛い名雪ちゃん。少々睡眠時間が長いことと寝起きが悪いことを除けばパーフェクトだ。それにぼくを(正確には相沢祐一を)慕ってくれているのだから、悪い気はしない。
さらに居候の真琴ちゃんは、ぼくに恨みを持っているとはいえ可愛い子であることは間違いない。金髪のツインテールというのも強気な印象を考えれば、十分に似合う髪型だ。口調は少々幼いが、それもまた特殊な性癖をお持ちの方ならばお気に召すことだろう。
そんな三名と同居生活のぼく。それなんてエロゲ? と誰かに聞かれそうだ。
潤あたりに言った日には、血を見るかもしれない。ぼくの。
と、まぁそんな、ある程度順風満帆な三日目の夜。
事件は起きた。
時刻は夜中の二時である。俗に言うところの、丑の刻というやつだ。
草木も眠る丑三つ刻。逢魔が刻。呼び方なんてどれでもいいが、とにかく深夜であり夜中である。普通の人間なら寝ているわけだが、何故ぼくが起きているのかというと。
ぼくの部屋の扉が、開いたからだ。
他人に寝顔を見られることが大嫌いなぼくは、この家で居候を始めてから熟睡した記憶がない。そのうちカプセルホテルなりに泊まって睡眠を得なければ、いずれ睡眠不足で倒れそうである。そんな浅い眠りのぼくは、少しでも物音がすれば起きてしまうわけだ。
当然、それが自分の部屋へ入ってくる物音であれば尚更である。
「ぷっ……くくっ……」
含み笑いが聞こえる。当然、その声の主は真琴ちゃんだった。
一体こんな夜中に何用だろうか。しかも含み笑いしながら近付いてくるあたり、恐ろしく不気味である。夜中に女の子が男の部屋を訪れる理由を考えて、自主規制の四文字でひとまず押さえておくことにした。
そもそも真琴ちゃんとぼくに、そんなフラグはあるわけがない。
「ぷぷっ……良く寝てるわね」
思いっきり起きてるんだけどね。
一体何をする気だろうか。まさかそんな本当に戯言遣いのお兄ちゃんのことを考えるとここが熱くて仕方ないの鎮めてギシア(自主規制)
いいじゃん。ぼくだってオトコノコなんだし。
「この前は、よくもやってくれたわねぇ」
この前? 何のことだろう。
クロスカウンターを決めたことだろうか。それとも前触れなく殴ったことだろうか。いかん、心当たりがありすぎる。
つまり真琴ちゃんは、ぼくに復讐をしに来たわけか。なんだ良かった。ぼくの純潔は玖渚に捧ぐと決めているのだから助かった。
ならば寝た振りでもして、何事もなく過ごすとするか。
「ぷぷっ……」
ゴソゴソ、と何かを探る音。どうやら何かを取り出したらしい。ポケットが次元の壁を超えているのなら質量保存の法則を無視できるのだろうが、恐らくそんなポケットは青い狸くらいしか持ち合わせていないと思うため、質量的にはそこまで大きいものではないだろう。
薄目を開けて、見やる。真琴ちゃんの手のひらに、テレビのリモコンを若干短くしたような短くて太い棒が握られていた。やはり薄目では、よく見えない。これ以上目を開くと起きていることがバレそうなので、再び目を閉じる。
「あの夜にやられたことと、同じことしてあげるのよぅ」
何だろう。そう呟きながら、しかし戸惑っているような呟きが聞こえた。
ん? とかあれ? とか呟いている。
「……もー、これどうやって開けるのよぅ」
真琴ちゃん、だんだん声のトーンが大きくなってきていることに気付いているのだろうか。これで起きない奴がいるなら、今隣の部屋で眠っているイチゴ娘くらいのものだ。
どうも真琴ちゃんは何かと格闘しているらしい。開ける……つまり、袋に入った何かということか。袋に入った何かを何に使うのかは知らない。まぁ、ぼくに何かしらの悪戯を仕掛けることは明白だが。
かといって、この場で起きて騒ぎ立てるのも年上としては不出来だろう。もっとも、ぼくは真琴ちゃんが何歳なのかを知らないのだけど。まぁ見た目の年齢が十六かそのくらいに見えるため、そのくらいであると仮定しておこう。
「仕方ないわ。ハサミ借りるのよぅ」
ツインテールの揺れる音。しかし、ハサミを探したところでぼくの部屋にあるわけがない。ぼくの部屋は物がないのだから。探す余地もなく、ハサミなどという生活必需品は持ち合わせていない。
「あぅー。台所から持ってくるのよぅ」
わざわざぼくに、自分の行く場所を教えてくれてありがとう。ほんと馬鹿だなぁ。
部屋から真琴ちゃんが出てゆく。トントン、と階段を下りてゆく音。それと同時にぼくはむくりと起きて、電気を点けて部屋を見た。
ひとまず、真琴ちゃんが先程まで立っていたと思われる場所。
そこに落ちている。
コンニャク(袋入り)。
……こんなものを何に使うつもりだったんだ。
よいしょ、と少々老人じみた声と共に拾い上げ、学校の鞄へと仕舞う。食べ物を粗末にしてはいけません。明日の朝にでも冷蔵庫へ仕舞っておくこととしよう。
さて、寝るか。
電気を消す。どうせ熟睡などできるはずはないのだが。
トントン、と階段を上ってくる音。そしてぼくの部屋に近付くにつれ、ゆっくりと足音を消すように歩く。いや、バレバレだから。あまりにも作戦に穴がありすぎる。もう少し丁寧に足音を殺した方がいい。
「ぷっ……くくっ……」
どうやら、台所からハサミを持ってきたらしい。
ちょきちょき、と金属の擦れ合う音を立てながら、ハサミを動かしている。
暗闇で、ハサミを構える真琴ちゃん。川柳にしてみたが何一つ風流ではなかった。というか闇の中でハサミを構えられると、若干の恐ろしさを覚える。
ハサミだって刃物には変わりないわけでありまして。
「これで開けれるのよぅ……あれ?」
きみのコンニャクはぼくが回収させて頂きました。
どうやら真琴ちゃんは、ぼくが起きているとは全く気付いていないらしい。「あれ? あれ?」と呟きながら、きょろきょろと周りを見回している。まぁ、背中を向けているので実際のところは知れないが、ツインテールの動く音は間違いなくそうであろうと推測させた。
「むぅ……台所に忘れてきたのかな」
と、再度扉から外に出て、階段をトントン、と降りてゆく。
再びむくりと起きるぼく。
部屋の隅に置かれた、利用価値が皆無な勉強机の上に、キッチンバサミが置かれていた。
キッチンバサミは勉強机の上に置くものではないね。キッチンバサミはキッチンで使うものなんだから、ちゃんと台所に戻しておかねば。キッチンバサミなのに紙を切るようなことに使っては、名前に対して失礼というものだ。
明日の朝にでも戻しておくとしよう。学校の鞄へと仕舞う。
さて、寝るか。
横になって、またトントン、と階段を上る音が響く。だから煩いんだってば。
「あぅー……ないのよぅ」
ないんですか。だったらなくていいじゃないか。
「仕方ないから冷蔵庫から新しいの持って来たのよぅ」
秋子さん、コンニャクって買いだめしなきゃいけないほどに重要な食材なんですか?
おでん以外に入っているのを見たことがないんだけど。あ。そういえばこの前おでんだったか。
まったく、一体この子は何がしたいのだろう。
「これをハサミで開けるのよぅ……あれ?」
キッチン専用のハサミはぼくが明日、キッチンへしっかり戻しておきます。しかしそんなことには気付かない真琴ちゃんは、再度「あれ? あれ?」と言いながら部屋の中を物色していた。なんで気付かないのだろう。
「ハサミまでないのよぅ……」
わざわざ状況の説明ありがとう。
コンニャクとハサミが忽然と消滅する事件であるわけだね。きみにとっては。
「あぅー……せっかくの復讐のチャンスだったのに」
何がどうチャンスなんだ。分からん。
コンニャクを使ってぼくに何をする気だったのだ。
「あぅー……寝てるこいつの首筋にコンニャクを当てて脅かしてやろうと思ってたのに……」
……。
しょぼーっ!
何だその小学生レベルの悪戯!
「仕方ないから明日にするのよぅ」
次回予告まで御苦労さま。
「なんか知らないけどコンニャクとハサミはなくなっちゃうから、部屋の中でネズミ花火を爆発させてやるのよぅ」
詳細まで本当にありがとう。
あと、別にコンニャクとハサミはなくなっていない。ぼくが回収しただけだ。
「ぷぷっ……明日もこいつには何もしないのよぅ。昼間に何もしないから、絶対に夜は油断してるのよぅ」
なるほど、そういう意味合いで昼間に突っかかってこなかったのか。
あー、本当に、もうここまで来ると清々しいくらいに。
馬鹿だなぁ。
「じゃあ真琴は寝るのよぅ」
おやすみ。
心の中で返事をして、ぼくも朝までの残り少ない時間、睡眠と格闘することとした。
予告通り、真琴ちゃんは翌日の夜にネズミ花火を爆発させようとして、ライターがないことに気付き、それを持ってくる間に忽然とネズミ花火が消え、もう一度持ってこようとしてライターが消えた、という不思議な事件を味わった。学習しないあたり、和むくらいに馬鹿である。
そして次の日、今度は殺虫剤を投げ込むという下手をすれば死ぬ悪戯を計画してやがったが、その殺虫剤を昼間のうちに隠しておいた。なので真琴ちゃんがぼくの部屋に投げ入れたのは単なるカメラのフィルムである。間違えるあたり、微笑ましいほどに馬鹿だ。
そして次の日、今度はクローゼットに隠れて寝ているぼくを脅かす計画を立てていたため、あえてぼくがクローゼットの中で眠った。うん、狭くて暗くて逆に寝心地が良かった気がするあたり、ぼくは貧乏性である。その結果何もせず帰るあたり、癒されるくらいに馬鹿だった。
そしてぼくは連日、睡眠不足との戦いだった。