ユキグニサイクル~北の大地の戯言遣い~   作:桜三里

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真琴 <真実> 5

 幸せな話を聞いて幸せな気持ちになれるのは

 幸せな人だけだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ホームシックというわけではないが、時折声を聞きたくなることがある。

 京都の骨董アパート改めただの塔アパートからこちらへ来て、早くも二週間以上が経過していた。さすがにこれだけの間離れていると、どうにも実感が沸いてこなくなる。本当にぼくが骨董アパートに住んでいたのかを疑問に思えるあたり、ぼくの主体性の無さが窺えるというものだ。

 と、いうわけでぼくは今、携帯電話を耳に当てている。

 電話帳登録という小賢しく素敵な機能を有効活用し、単調な電子音を奏でる携帯電話。丁度五コール目で、電話の向こう側から声が聞こえた。

 

『浅野だ』

 

 浅野みいこさん。ぼくの隣に住むサムライお姉さん。

 

「ぼくです」

 

『なんだ、いの字か。こんな夜更けに何用だ?』

 

 夜更け……まだ八時を回ったところなのだが。

 名雪ちゃんが寝たから、隣に座っておく義務を失ったために部屋へ帰って電話をしている次第である。夜更けというとせめて十時を超えた時間を思い描くのだが、みいこさんにとっては時間の感覚が違うらしい。それとも男が女性へ電話をかける時間帯としては、このような時間でも夜更けと取られるのだろうか。

 

「ちょっと声が聞きたくなって」

 

『どうした、いの字。ホームシックか? お前らしくないことを言う』

 

「……いえ、すみません。ちょっと現状報告とそっちの状況でも教えてもらえればと思いまして」

 

 やはり、ぼくのキャラではなかったか。

 崩子ちゃんあたりが一人暮らしに上京でもすれば、許されるのかもしれない。だがぼくみたいに年中入院というプチ外泊に身を委ねている場合、違和感を覚えるのだろう。だからそう言い訳しておくこととした。

 実際に、向こうの状況は気になるわけだし。

 

『ふむ、そういうことならば納得だ。いの字、そちらは楽しいか?』

 

 いきなり、そんな答えにくい質問をしてくる。

 こんなにも核心を突きながらにして、本人にはそのつもりが何一つない、というのがみいこさんの良いところでもあり悪いところでもあるのだけれど。

 

「……まぁ、そこそこにスリリングですね」

 

『あまり楽しくはないようだな。だがお前も仕事をしている以上、きっちりとやり遂げてから帰ってこい。大丈夫だ、安心しろ。私は待っているからな』

 

 察してくれるのは本当に有難いのだけれど、甘やかすのか突き放すのかをはっきりしてほしかった。なんだか今すぐ帰りたくなったじゃないか。

 

「えっと、そっちは、どうですか?」

 

『今日の昼間、澪標姉妹が戻ってきた。目がえらく腫れていたが、何を聞いても何も言わん。いの字、あの子たちをいじめたのか?』

 

「……いじめてなんか、ないっすよ?」

 

『いの字にそのつもりがなくても、向こうの受け取り方で変わるものだ。善意で告げた一言は悪意に取られ、善意でとった行動は嫌味に取られる。人間はすれ違うものだ』

 

 いや、ごめんなさい。本当は悪意満々で澪標姉妹は追い返しました。

 全く――これほどまでに戯言が通用しない人は、みいこさんくらいのものだ。

 

『それから……留守中、いの字に三人ほど客が来たぞ』

 

「ぼくに、ですか?」

 

 ぼくへの客。あまり、歓迎したいものではない。

 主に赤い人とか、人類最強の請負人とか。

 誰なのかを想像の中で模索していると、唐突に背中から声が聞こえた。

 

「いーさん、お風呂が沸きましたよ……あら、電話中でしたか?」

 

「あ、すみません」

 

 わざわざ、それを伝えに部屋まで来てくれた秋子さんに、そう礼をしておく。

 

「都合が良くなったら、下に降りてお風呂に入ってください」

 

「はい、分かりました」

 

『……ふむ。あまり長話もできないな。早く風呂に入るといい』

 

 そう、空気を読んで黙ってくれていたみいこさんが言う。

 

「えっと、ぼくへの客、というのは?」

 

『ああ、それだけ言って終えるとするか。一人目は顔に刺青のある、いつだったか私に包帯を借りにきた少年だ。通りがかっただけだから別にいいや、と帰っていったがな。二人目は白衣の女だ。以前、いの字と短期の同棲を行っていたな。三人目は今日来た。妙に不吉な女だった。留守の旨を伝えると、『そんなことは知ってるよ』とか言ってたな。何者だ、あの女は。見たことがないぞ』

 

 一人目――顔に刺青。それだけでも分かる、人間失格。

 別に会いたくもないのに。向こうだってぼくに会いたくないはずなのに。

 そして二人目――白衣の女。ぼくと短期の同棲を行っていた人。それだけで分かる。

 春日井春日さん。

 斜道卿壱朗研究所で出会った、不感症の生物学者。何故あの人が。

 ああ、意味もなく来ている姿が想像できるあたり、なんだか春日井さんの人となりが知れる。

 最後に三人目。不吉な女。

 これに至っては、何の想像もつかない。一体誰だその人は。

 

『三人全員に、いの字の住所を教えた』

 

「みいこさん、あなたは少しだけ人を疑うことを覚えた方がいいと思います」

 

『疑ってかかるくらいなら、信じて騙される方がましだ』

 

 それは素晴らしい美学だと思う。美しい生き様だと思う。是非みいこさんには、そのスタイルを貫いてほしいものだ。

 ぼくの住所の漏洩でさえなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 みいこさんとの電話を終えて、階下へ降りる。お湯が冷えないうちに、早々に風呂へ入ることとしよう。折角秋子さんが沸かしてくれたのだから、その好意には甘えるべきだ。

 着替えを持って、脱衣所へ。ぱぱっと服を脱ぎ(ちなみに制服である。ぼくは家に帰ったからといって部屋着に替えるような人間ではない)、洗濯籠へ入れて、そのまま何故か電気の点いている浴室へ。秋子さんにしては珍しい。消し忘れたのか。

 ガラガラ、と引き戸を引いて、中へ。

 

「……あ、ぅ?」

 

 何かが浴槽の中に見えたけど、気にしないこととしよう。

 タイルの上に敷かれたバスマットの上に腰かけて、浴槽から洗面器で湯を掬う。山吹色の髪が見えたが気にしない。

 ふむ、それなりに発育は良いようだ。服の上からではあまり分からなかったが、出るところはそこそこ出ている。これからの成長次第だが、未来予想図は花丸をあげていいだろう。

 

「な、な、な、な、な……!」

 

 冷えた体にお湯をかけ、まず洗髪から。シャンプーをしっかり泡立てて、流す。そこまでの時間は一分少々といったところか。男の洗髪なんてのはこんなもんだと思う。

 次は垢すりにボディーソープをつけて泡立てて、洗身である。これもそう時間はかからず、その間退屈な双眸に少々仕事をしてもらうこととした。言うまでもなく、浴槽にいるナニカの把握である。

 もう伏せる必要も何一つないとは思うが、真琴ちゃんが湯船に浸かっていた。

 裸で。全裸で。マッパで。生まれたままの姿で。

 いつも思うのだが生まれたままの姿、という表現はおかしいと思うのだ。生まれたままの姿、というのはいわゆる赤子の姿であり、現在の姿はそれに十何年もの月日を経た結果の姿である。つまり物理的に生まれたままの姿になるためには、十数年若返らなければならないと思うのだが。もっとも、比喩表現にそこまで具体性を求めるほどにぼくは狭量でないつもりなので、少々おかしな日本語は流すこととしよう。

 洗身終了。それまでの間、真琴ちゃんはずっと硬直していた。

 さて、髪を洗い、体を洗い、次にすべきことは浴槽へ入ることである。

 だが悲しいかな、日本という国において、民家に存在する大抵の浴槽は一人用である。多人数で風呂へと入る習慣のない我が国に、二人用浴槽などというのはラブホテルにでも行かねば存在しないのではなかろうか。

 つまり真琴ちゃんが浴槽で温まっている以上、ぼくは入ることができない。

 だが、このままでいればいずれ風邪を引いてしまうだろう。かといって、現状温まっている真琴ちゃんに出ろと言うのも鬼畜である。それにより真琴ちゃんが風邪を引いたところでぼくは何とも思わないが、秋子さんに指摘されたら平謝りせざるをえない。

 結果、ぼくの選んだ選択肢は。

 

「はい、寄って」

 

 一人用浴槽に、無理して二人で入ることである。

 真琴ちゃんは相変わらず目を丸くして硬直しながら、しかし寄った。どうやら何か混乱の極地にあるらしい。それはそれでぼく的には楽だった。

 よいしょ、と浴槽へ入る。肩と肩が触れ合う距離。すべすべで柔らかい。そのまま別のところに手を伸ばしたい欲求も出たが、それはやめておくこととした。さすがにそこまでしてしまっては犯罪である。

 んー。眼福眼福。

 

「って、なんであんたが入ってるのよおおおおおおおおぅ!!!!!!!!」

 

 今更、そんな絶叫が響いた。

 思わず、耳を押さえる。それと同時に、真琴ちゃんの口を塞ぐこととした。こんな絶叫をされて、ご近所さんに通報でもされたらかなわない。既に秋子さんの耳には届いているのだろうが、後からごまかそう。そうしよう。

 

「んぐっ、んんっ、んーっ!」

 

「はいはい、ちょっと黙っててもらおうか」

 

「んっ! んんーっ!」

 

「きみが叫ばないと言うなら手を離そう。まだ叫ぶと言うなら鼻も塞ぐ。どっちがいい?」

 

 真琴ちゃんが目を見開く。そこでようやく、抵抗をやめた。

 まだ楽観はできないが、手を離す。憮然とした表情の真琴ちゃんが、ぼくを見ていた。

 油断すれば、また絶叫されるかもしれない。そしてこのような状況を見て、お縄がかかるのはぼくの腕に間違いあるまい。

 

「……さて、平和的に解決することとしようか」

 

「あんたが勝手にお風呂に割り込んでむぐっ!」

 

「さて、鼻を塞ぐコースがお気に召すかどうか試しにやってみようか。結果、三途の川が存在するのかどうかをぼくに教えてくれないかな」

 

 口と鼻を押さえると、風呂の中でバタバタともがく。呼吸は完全に殺した。

 と――これで殺したら、ぼくの罪状が当社比三倍程度には膨れ上がるのではなかろうか。

 真琴ちゃんの両腕が動かなくなったあたりで、鼻から手を離す。

 真っ赤になった真琴ちゃんの双眸が、ぼくを睨みつけていた。

 

「さて、平和的に解決することにしようか」

 

「……ん、んーんー、んー」

 

「オーケイ、それでいこう。ではそれで、平和的な解決だ。きみの意見は素晴らしく正しいよ。ではきみの言う通り、今日のことはお互い忘れようか」

 

 まぁ、ぼくは絶対に忘れない自信があるのだけれど。

 これほどの眼福、忘れてしまうのはもったいない。

 

「ではぼくはお先に上がらせてもらうことにするよ。のぼせない程度に温まってから出るといい」

 

 口と鼻から手を離し、浴槽から外へ。ずっとぼくを睨みつけている真琴ちゃんに、軽い微笑みを返す。

 最後に心に留めておくことにしよう。濡れた山吹色の髪。その下で、憮然としているも十分に可愛いと呼べる顔立ち。白い肌に、まだ未成熟ながら未来が待ち遠しい肢体。脇の下にある傷は、古傷だろうか。すらりと長い脚は、ギリギリの位置取りで大事な部分を隠している。

 目に焼き付けて背を向けたぼくの後頭部に、石鹸のケースが当たった。

 

「……変態」

 

 語彙は貧弱ながら、そう突き刺さる一言をくれる。ぼくは肩をすくめるだけで返した。

 叫ばれるよりは、何倍もマシだ。

 

「絶対に、許さないんだから……」

 

「それは、過去の恨み? それとも今日のこと?」

 

「……両方よぅ」

 

 だろうね。

 これ以上変態呼ばわりされないために、早々に風呂を出ることとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに秋子さんには、完全にバレていた。

 

「真琴のお風呂を覗いたらしいですね?」

 

 その、笑っていない笑顔は、忘れられない。

 

 

 

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