ユキグニサイクル~北の大地の戯言遣い~   作:桜三里

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真琴 <真実> 6

 自由?

 ああ、無駄に広い牢獄のことか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 平穏で何の変哲もない物語は、これで終幕を迎える。

 誰もがハッピーエンドを思い描く、日常の欠片。そこに多幸も不幸もなく、そこに希望も絶望もなく、ただ続き続けるだけの物語はこれで閉幕だ。

 ぼくと狐の少女の話。

 ぼくと狐の症状の話。

 終わりがあれば始まりがあり、始まりを告げれば終わりが訪れる。そんな永久の連鎖で、ただぼく達は繋がれていただけだ。

 ここからは、不幸しか存在しない物語。

 誰もが思い描くハッピーエンドを荒唐無稽な戯言で彩り、誰もが望んでいないバッドエンドを齎す最悪で災厄な物語。

 いや――そんな、高尚な言い方はしまい。

 これはそんな、大した話じゃない。本来ならば相沢祐一と関わることで幸福になり、相沢祐一と関わらなかったことで不幸になる少女。それがただ、選択肢を失ってどちらにしても不幸になるだけのお話なのだから。

 そんな不幸の幕開けは、こんな程度の言葉で十分だ。

 

 さぁ――戯言を始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 真琴ちゃんが水瀬家の居候になって、十日が過ぎた。

 浴室での邂逅から、ぎくしゃくするのではないかと思えたぼくと真琴ちゃんの関係は思いの外良好で、外で出会ったら肉まんを一緒に食べる程度に仲良くなった。もっとも、ぼくが勝手にそう思っているのかもしれないけれど。

 深夜の悪戯も自重してくれたようで、最近は夜の訪問もない。かといってぼくが熟睡できるのかと問われればできないのだが。恨みは相変わらず持っているようだが、それをあまり表に出さなくなった。少なくとも、ぼくと普通に会話をしてくれるのだ。これは十分な仲良しと思って間違いあるまい。

 

「真琴ちゃん、提案があるんだ。きみがトンカツを一切れくれると言うなら明日にでも肉まんを奢ろうじゃないか」

 

「嫌よぅ。秋子さんのトンカツは美味しいんだから」

 

「分かった。肉まん二個だ。それ以上は出せない」

 

「どうせ明日になったら忘れてるか、今嘘ついてるかどっちかだから嫌よぅ」

 

 っち。完全にぼくの手管がばれている。

 まぁ、仕方ない。それだけ秋子さんの料理が美味しいのだから。鴉の濡れ羽島にいた天才料理人にも引けを取らない腕は、流石としか言いようがない。

 と、まぁそんな風に、ぼくと真琴ちゃんは普通に会話できる程度の仲になった。

 ちょっとばかり名雪ちゃんの視線が痛いものの、スキンシップもそれなりに取れる程度だ。さすがに裸の付き合いはあの日以来ないけれど。あったら大事だ。

 

「仕方ない、実力行使だ。トンカツは貰ったぁっ!」

 

「あぅーっ! 最後の一切れなのにぃ!」

 

 ぱくり。もぐもぐ。美味い。うん、最高だ。

 ちなみに、ぼくは自分の分は全部食べているため、向こうがやり返そうにも取ることはできない。完璧な強奪だった。

 

「吐けぇ! 吐けぇ!」

 

「ふっふっふ、こんな美味いものを誰が吐きだすものか」

 

 真琴ちゃんが、ぼくの首を絞める。その腕にもそれほど力がこもっていないあたり、単なるじゃれ合いであると真琴ちゃんも分かっているのだ。

 だが――。

 

「……ん?」

 

 首が、熱い。

 具体的には、真琴ちゃんが絞めているあたりが、熱い。

 もっと端的に言うなら、真琴ちゃんの掌が、熱い。

 

「ちょっと悪いね」

 

 す、と真琴ちゃんの額に手をやる。「何よぅ」と真琴ちゃんは嫌がる素振りを見せるものの、別段抵抗する様子もなく、ぼくの手を受け入れた。

 

「……真琴ちゃん、熱あるじゃないか」

 

 簡単に言うと、そういうことだった。

 手だけでは具体的に何度あるのか分からないが、少なく見積もっても三十八度はあるだろう。ぼくなら倒れているか布団から起き上がれないか、どちらかだ。こうやって食事をできているあたり、尊敬に値する。

 

「あぅ?」

 

「あらあら。ちょっと体温計取ってきますね」

 

 秋子さんが食卓から立ちあがり、体温計を持ってくる。それを、ぼくから見えないように真琴ちゃんの脇へと挟み込み。

 やがて、小さな電子音が計測終了を告げた。

 

「……三十八度五分、ですね。風邪でしょうか。真琴? どこか苦しいとか、痛いとかはないのかしら?」

 

「あぅ? 別に真琴はどこも悪くないのよぅ」

 

 ふむ。自覚症状のない風邪か。

 まぁ、部屋で寝ていればそのうち治るだろう。急いで病院に連れて行くほど、過保護になる必要もあるまい。

 それに病院受診をしようにも、真琴ちゃんに戸籍が存在しない以上、保険も当然ながらあるまい。十割負担の病院はいくら秋子さんでも、懐に痛いだろうし。

 

「真琴、今日はお風呂をお休みして、早めに寝なさいね」

 

「あぅ。分かったわよぅ」

 

 そんな体調を崩した真琴ちゃんを見て、ぼくが思ったこと。

 馬鹿が風邪を引かないというのは、風邪を引いても気付かないって意味なんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、真琴ちゃんの熱は更に上がっていた。

 今日は祝日で休みである。当然ながら寝坊プリンセスの名雪ちゃんはまだ部屋で惰眠を貪っており、寝ている真琴ちゃんを取り囲むのはぼくと秋子さんの二人だ。

 体温計の表示は、三十九度二分。

 真琴ちゃんも動くことができないようで、今は布団の中で大人しく眠っていた。

 

「……病院、連れて行った方が良さそうですね」

 

 ただの風邪だと楽観視していたが、三十九度もの熱があるとなれば、さすがに只事ではあるまい。インフルエンザの可能性もある。早いうちに病院へ行き、薬を処方してもらう方が良いだろう。

 だが、そんなぼくの提案に、ふるふると首を振る秋子さん。

 

「……病院は、駄目です」

 

「へ? いや、でも、三十九度もありますし」

 

 十割負担は痛いといえ、真琴ちゃんの体に関わることだ。秋子さんが出し惜しむとは思えない。ならば、別の理由だろう。

 別の理由。三十九度も熱があるのに、病院へ行かない理由。そんな理由、咄嗟には思い浮かばなかった。というか、存在するのだろうか。

 

「以前、私が真琴について調べた結果……覚えていますか?」

 

「そりゃあ……」

 

 確か、『存在しない人間』と言っていた気がする。戸籍もなく、どんなデータベースを探っても見つからない。零崎夜織の情報を一瞬で調べ尽くした『千里総眼』をして、「ここまで存在しない人間は初めて」とまで言わせたと記憶している。

 

「その結果が……昨日、届いたんです」

 

 結果?

 もう少し調べてみます、とか言ってたけど、そのことか。

 

「何をしたんですか?」

 

「真琴の髪の毛を『とある機関』に送り、DNA情報から個人を特定しようと試みました。そして……その結果、とんでもないことが分かったんですよ」

 

 戸籍がない。存在しない。それ以上にとんでもないこと。

 それは一体、何だ。

 

「……DNAの塩基配列が、人間のものではありません」

 

 ――。

 言葉を、失った。

 DNA鑑定。犯罪捜査、血縁調査などに使われる、現代の技術における最も優れた個人特定方法だ。それを行った結果は、人間以外の何か。

 それは冗談や戯言ではなく、真実なのか。

 

「ヒトゲノムは約三十億の塩基対から成る、約六十億の塩基対DNAを核内に持っています。ですが真琴の塩基配列は……人間のものより、非常に多いそうです。それがどういう意味を持ち合わせているのかは、私も浅学ですので理解できていませんが……」

 

「……それは、本当ですか?」

 

「ええ……。私の信頼する研究機関の、最も腕のいい研究者が言っていました。彼は同時に、こうも言っていましたよ。こんな塩基配列の生物は、初めて扱った――と」

 

 つまり。

 真琴ちゃんは、人間ではない。

 だったら、何だと言うんだ。

 これほどまでに人間と似ていて、人間の言葉を喋り、人間のように振る舞い、人間であると誰もが錯覚する、人外だと言うのか。

 人間失格の方が、余程人間らしくないというのに。

 こんなにも人間らしい真琴ちゃんが、人外の化け物だなんて。

 思わず、拳を握り締めていた。

 

「ですから……病院へは連れていけません。もし連れて行けば、真琴が人間でないことが看破されてしまいます。その結果待ち受けるのは、恐らく、解剖や実験の日々でしょう」

 

「……知識欲に従順な研究者の、玩具になるわけですか」

 

「そういうことです。だからこそ、真琴は病院へ連れて行くことができません」

 

 だが。昨日の時点で三十八度五分。今朝の時点で三十九度二分。このまま右肩上がりに体温が上がり続ければ、どちらにせよ真琴ちゃんは死んでしまうだろう。

 ならばぼくに、何ができるというのか。

 薬局で、薬を買ってくるか。人間用の薬を服用させて、もし何か弊害でもあったらどうする。そうでなくても、薬局の薬なんて効くのか効かないのかもよく分からない。

 だったら――ぼくに出来ることなんて、何一つないじゃないか。

 こうやって、熱を出した真琴ちゃんを見つめることしかできない。

 秋子さんが濡れタオルを交換する。ピンポーン。ぼくは何もすることがない。

 そうだ、氷枕を作ったらどうだろう。ピンポーン。それを頭の下に敷けば、真琴ちゃんも幾分楽になるのではないか。ピンポーン。それじゃ早速台所へピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンだあああああうるせえええええ!!!

 

「お客さんみたいですね」

 

「もうぼくには悪戯としか思えませんけどね。ちょっと出てきます」

 

 くそ、こんな時に来客とか誰だ。

 まだ響くベルの音。そろそろ本気でやめてくれ。というか、これで不在だったらどうするつもりだ。

 玄関へ。覗き窓から確認することもなく、扉を開き、寒い風を身に浴びて。

 

「はい、どちらさ……」

 

「やぁいっきー。あんまり出てこないからつい昔を思い出して十六連射に熱中してみてしまったよ。せっかく京都に行ったのにいっきーがいなくて寂しかったからついこんな富山まで来ちゃったエヘ」

 

 抑揚も何もなく、立て板に水という表現がよく似合いそうなほどに単調に、そんな声は言った。

 来ちゃったエヘとか言いながら、その表情は何一つ笑っていない。能面のような無表情は笑顔をどこかに落としてきたのか、ぴくりとも動かなかった。その格好は、エプロンのないエプロンドレスとでも表現すべきだろうか。前にサロペットエプロンをつけて、頭に白いフリルのカチューシャをつければ見事なフレンチメイドの完成だ。それはメイドという存在そのものを愛していると言っても過言ではないほどに、完璧なメイドである。

 その中身は、メイドなんて言葉とはひどく縁遠い人なのだけれど。

 

「それともこう言った方がいいのかな。お帰りなさいませ旦那様。お帰りを心よりお待ちしていました。旦那様におかれましては本日もお疲れの事とお察ししておりますので精一杯癒させていただきます。わたしにしますか? わたしにしますか? それとも、わ・た・し?」

 

 選択肢がお前しかないのかよ。しかも来たのはお前だ。

 

「大丈夫だよいっきー。いっきーの大好きなエプロンドレスはちゃんと装備してあげるから。でもわたしはエプロンつけたままで街を闊歩するほど主婦でもないしメイドでもないしそんな趣味もないんだ。だから鞄に入れて持ってきたから後でゆっくりじっくりたっぷりねっとり見せてあげることにするよ」

 

 そんな、戯言と共にある不感症の生物学者。

 春日井春日が、そこにいた。

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