ユキグニサイクル~北の大地の戯言遣い~   作:桜三里

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真琴 <真実> 7

 諦めなくても、試合は終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「……何しに来たんですか春日井さん」

 

 目の前に立つ人に、そんな言葉しか返せない。

 確かにみいこさんから、春日井さんがぼくを訪ねて来たらしいことは聞いていた。しかし、まさかここにまで訪れてくるなんて思いもしない。

 大体そもそも、鴉の濡れ羽島でのんびり過ごしていればいいじゃないか。なんでわざわざ、トラブルの塊みたいなこの人が来るんだよ畜生。

 

「いっきーに会いに来たんだよ」

 

「ぼくは遭いたくないから帰ってください」

 

「それは今流行のツンデレってやつだねいっきー。でもわたしはツンデレという文化についてあんまり詳しくないから具体的に教えてほしいな。主にベッドの上で」

 

「非常に魅力的な提案ではあるんですが本気で帰ってください」

 

「やだないっきー。せっかくいっきーに会うためだけにこんな寒い所まで来たんだからお茶の一つでも出すのが礼儀じゃないのかな。あと昼ご飯と晩御飯と明日の朝ご飯」

 

「居候になる気まんまんですか」

 

 ああ、駄目だ。話が通じない。

 いつだったか、ぼくの部屋で居候をしていた春日井さん。もう二度と、あんなトラブルを招くのは御免だ。出来る事なら平和的な解決方法で迅速に帰っていただきたいものだが。

 この不感症な生物学者は、他人の都合というものを考慮してくれない。ぼくの現状が居候であり、そのぼくに勝手な居候の増加を認める権限などないことを伝えたところで、あっさりとここに住みつきそうだ。ついでに、秋子さんもそれを認めそうで怖い。一秒で了承しそうだ。

 全く、この生物学者は――

 生物、学者?

 

――DNAの塩基配列が、人間のものではありません。

――彼は同時に、こうも言っていましたよ。こんな塩基配列の生物は、初めて扱った――と。

 

 危険な賭けではある。

 だが、もしこの生物学者が、真に一流でER3システム七愚人の候補に挙がったほどの研究者であるとするならば。

 真琴ちゃんの現状を、何とかできるのかもしれない。

 

「いっきーが何を考えてるのかわたしには分からないけど考える横顔が凛々しくて素敵だよって言われたらコロッと堕ちちゃいそうな気がしないかな」

 

「しねえよ」

 

 人が真剣に考えているというのに、真横でこの人は。

 

「……春日井さん。あなたは、一流の生物学者でしたよね?」

 

「そんな褒められると照れるテヘ」

 

「茶化さないでください。真剣な話ですから」

 

 この人と一流って言葉に、何一つ因果関係を感じないのだけれど。

 それでも評判がそうである以上、間違いなくこの人は天才なのだろう。鴉の濡れ羽島、その主である赤神イリアさんのお眼鏡に適う程度には。

 そんなぼくの心境を察してか、春日井さんも目を細めてぼくを見た。

 

「何かわたし向けの厄介事でも転がっているのかな」

 

「……ぼくも、出来るならあなたに頼りたくはないんですけどね」

 

「どんな事かは知らないけどお昼ご飯と晩ご飯と朝ご飯を用意してくれるならやるよ。内容次第ではもう二日三日分くらいは増えると思うけど」

 

 あんた安いな。

 

「なら……お願いします」

 

「うんいいよ」

 

 あっさりとそう言った春日井さんを、ぼくは家の中へと招いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あら? いーさん、その人は?」

 

 春日井さんを真琴ちゃんの部屋に連れてきたぼくに、秋子さんはそう言った。

 それもそうだ。来客に出向いた戯言遣いが、何故かメイドを一人連れてきているのだから、奇妙に思うのも間違いあるまい。しかもこの人は何がしたいのか、玄関先で鞄の中からサロペットエプロンとフリルのカチューシャを取り出して装着しやがったのだ。ぼくの嫌がる顔が見たいか喜ぶ顔が見たいか、どちらかが行動の理由であることには間違いない。

 ゆえにぼくの後ろには、完璧なフレンチメイドが立っているわけで。

 

「初めまして。わたしはご主人様に忠実な従僕です。ご主人様とは夜の間十八歳未満の男女は見ることも憚られるほど陰惨で凌辱的な愛の交わりを行うことで仮初の愛を語らう程度の仲でございます。どうかお見知り置きを」

 

「おいコラ春日井テメエ」

 

 何を吹聴してやがるこの女。

 

「……春日井、春日さんですね」

 

 だが秋子さんはそんな嘘八百を聞かなかったように、真剣な眼差しで春日井さんを見つめていた。

 

「専門は動物生理学、動物心理学、獣物分子学。将来を嘱望されながらも斜道卿壱朗研究所の研究局員を勤め、斜道卿壱朗研究所の実質的な瓦解後には鴉の濡れ羽島にて過ごす。また、その間に京都へ在住した期間もあり、その間はとある家に居候を行っていた。ER3システムの七愚人候補に挙がった天才生物学者。こちらからコンタクトを取ろうと思っていたのですが、まさかあなたがこのような場所に来るとは思いも寄りませんでした。いーさんの知り合いだったのですね、そういえば」

 

 一瞬でそれだけの情報を展開する秋子さん。そんな秋子さんの姿に、若干ながら春日井さんも眉根を寄せる。

 

「わたしも少しばかり驚いたよ。こんな所にいるなんてね。そういえば見たことのある顔だった。何と呼ばれていたかな。わたしはあまり記憶力が良くないから思い出せそうにないよ。ええと《沈黙――》」

 

 と、春日井さんが何かを言いだそうとした瞬間。

 

「それ以上は言わないでいただけると助かりますね」

 

 強烈な、ぼくにでも分かるような殺気が、発せられた。

 能面のような無表情は、何も変わらない。ただその眼差しが、ひどく、殺気を孕んでいる以外には。

 春日井さんの、息を飲む音が聞こえてきた。そしてそれ以上、言葉を発さない。

 

「と、いうわけで平和的な解決といきませんか。春日井さん」

 

「……そうだね。わたしも無用なトラブルは好むところじゃない。わたし向けの厄介事とやらを早く教えて欲しいな。それをちゃちゃっと解決して早めにここを出ることにするよ。嫌な予感しかしない。あんたの近くになんてこれ以上いたくない」

 

「ありがとうございます。では、見てください」

 

 と、秋子さんが寝ている真琴ちゃんを、手で促す。

 春日井さんはチラチラと秋子さんに注意を払いながらも、寝ている真琴ちゃんへと近寄る。そしてじっと顔を見つめ、布団から手首を出して触れ、額へ触り、そして呆けたように、溜息をついた。

 

「これは驚いたよ。何故こんなところにこんなものがいるのかな。いっきーに人間以外の知り合いがいるなんてついぞ知らなかったよ」

 

「……春日井さん、真琴ちゃんが何なのか……分かるんですか?」

 

「知ってる。けど知ってるだけ。わたしも本物を見るのは初めてだよ。幼体の標本は見たことがあるけれど成体のそれも生きている状態なんて見たことない。だから一概には言えないけれど間違いないね」

 

 ふぅっ、と春日井さんは嘆息する。

 

「ヒトモドキ。六本足の狐。色々と呼び方はあるけど特に決まっているわけじゃない。学会でさえ存在するか否かで議論しているほどの稀少種だからね」

 

 ヒトモドキ。

 六本足の狐。

 それは――何だ。

 

「何、ですか。それは……」

 

「わたしも詳しく知っているわけじゃない。それこそ昼下がりの喫茶店で同僚の研究員から話のネタに聞いた程度の知識しか持ち合わせていないよ。ヒトモドキと仮に呼ぶとしようか。ヒトモドキは十年間を幼体で過ごす。その姿は狐と非常によく似ているのだけど違いが一つある。それは足が六本あるってことだね」

 

「六本足の、狐、ですか」

 

「そう。だから学会では特殊な六本足の狐として扱うかその先にある存在すら危うい成体も含むかで議論している部分があるんだけどね。わたしの聞いた話では十年間幼体で過ごしたのちに成体へと変態する。その成体が人間と非常に酷似していることからヒトモドキと通称されているんだけれどね」

 

 六本足の狐が、人と酷似した何かになる。

 そんな生物が――存在するというのか。

 

「じゃあ、春日井さん。真琴ちゃんは、人間ではなく動物……六本足の狐、ってことですか?」

 

「概ねそうだよ。でも六本足の狐であることには変わらないけれど認識が違う。ヒトモドキは生物ではあるけれど哺乳類ではない。生態としてはむしろ昆虫に近いね」

 

 絶句した。

 言葉が、出なかった。

 六本足の狐。その言葉を聞いて、ぼくには出てこなかった。

 六本の足があるもの。それは――昆虫だ。

 幼体から成体へ変態する。それこそまさに、昆虫の性質ではないか。

 だが――待て。

 今、真琴ちゃんに六本も足はない。昆虫だとするならば、あと二本、足が足りないのではないか。

 

「……春日井さん、真琴ちゃんに足は」

 

「脇腹の辺りを見れば分かるんだけどね」

 

 ぼくの言葉を遮って、春日井さんはそう呟く。

 

「今の時点でも十分な確証はあるけれど脇腹を見れば一目瞭然だね。わたしも見たことはないけれど脇腹の辺りに退化した中脚があるはずだよ」

 

 そう言ったのちに、春日井さんはぼくを見て。

 

「いっきーはこの子のお風呂を覗いたことはないのかな。もしあるなら脇腹の辺りに何かを見つけているはずだよ。同僚が言うにはまるで傷みたいに見えるらしいけれどね」

 

 思い出す。浴室で見た真琴ちゃんの肢体。

――濡れた山吹色の髪。

――その下で、憮然としているも十分に可愛いと呼べる顔立ち。

――白い肌に、まだ未成熟ながら未来が待ち遠しい肢体。

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 脇の下にある、傷。

 それは、間違いなく、あった。

 

「それに確証が欲しいならこの子の手首を触ってごらん。脈拍を調べれば一目瞭然だよ」

 

 駄目押し、とばかりに呟く春日井さんに従って、手首に触れる。そこに流れる、血流が起こす脈動を――。

 なんだ、これ。

 数を数えることが出来ない程の速さで、血液が流れていた。

 一秒の間に何百回脈打っているのだろう。こんなにも脈打つ鼓動なんて、聞いたことがない。

 

「千百五十回ってところかな」

 

「……何が、ですか」

 

「秒間の脈拍数。いくら人間に似ているのは外見くらいでもなかなか凄まじい数だよ。よく心臓が張り裂けないものだと思うね」

 

 そこで春日井さんは、珍しく笑顔を浮かべて。

 

「ところでいっきー。このヒトモドキが必要ないのならわたしにくれないかな。成体の標本を作れば学会も納得すると思うんだ」

 

「……ふざけんな」

 

「どうしたのかないっきー。これは人間じゃない。ただの昆虫でしかない。いっきーは可哀想だからとゴキブリを殺さないのかな。可哀想だからとセミ捕りを妨害するのかな。昆虫採集が趣味の人に非人道的であると述べるのかな。それと同じだよ。ヒトモドキが実在することで生物学がまた一歩前に進む。そのための貴重なサンプルとして使われるのだからむしろ光栄に思うべきじゃないのかな」

 

 真琴ちゃんは人間でないから。昆虫でしかないから。

 だからといってそんな提案、乗れるわけがない。

 秋子さんも、春日井さんを睨んでいる。どこ吹く風、とばかりに春日井さんが肩をすくめた。

 

「でもねいっきー。どちらにしてもこの子は死ぬよ。いっきーは計算得意かな。だったら計算してみようか。秒間千百五十回の脈拍数で二十億に達するにはどのくらいの日数がかかると思う?」

 

 それは、いつだったか聞いたことのある理論。

 生物は一生の間に打つ脈拍数が決まっており、寿命の短い生物ほど脈拍数が多い。その数は全て、約二十億回だとか。

 つまり、約二十億回脈打てば、真琴ちゃんは死ぬ。

 そこまでの、日数は。

 

「約二十日かな。タイムリミットまであとどのくらいあるかわたしには分からないけれどね」

 

 真琴ちゃんと出会って、今日で何日目だ。

 あと何日で、真琴ちゃんは死ぬというのだ。

 

「……治すことは、できないんですか」

 

「治す? そんなことできるわけないよいっきー。これは生物としての習性なんだ。ヒトモドキという昆虫の生態でしかないんだ。でもヒメシロカゲロウなんかに比べればマシな部類に入るんじゃないかな。あの虫は成虫で三時間すれば死んでしまうらしいからね」

 

 そんな春日井さんの戯言は、もう耳には入らなかった。

 

 

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