ユキグニサイクル~北の大地の戯言遣い~   作:桜三里

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雪の街 <往きの待ち> 2

 好きの反対は無関心。

 幸せの反対は無感情。

 善いの反対は無行動。。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ここがわたしの家だよ」

 

 名雪ちゃんがそう指差したのは、ごく普通の一軒家だった。

 

「いっくんは七年前以来だから、懐かしいんじゃないかな?」

 

「まあね」

 

 勿論、ぼくに見覚えがある筈もない。

 名雪ちゃんはぼくの曖昧な答えに満足したのか、にっこりと微笑んで玄関へと歩く。そして扉を開き、中へとぼくを招き入れた。

 

「ただいまー」

 

「あら、お帰りなさい。名雪」

 

 中から現れたのは、名雪ちゃんとよく似た顔立ちの美しい女性だった。

 一瞬、どぎまぎする。データにはなかった筈だ。データ上では確か、この家に住んでいるのは名雪ちゃんと、その母の秋子さんだけのはずだ。まさか、この、どこからどう見ても名雪ちゃんと変わらない年齢と思える人が、母だなんてありえるはずもない。ならば――

 

「お母さん、いっくん連れてきたよ」

 

「いらっしゃい。七年ぶりですね」

 

 自分の耳をまず疑って、次に目を疑って、最後に精神状態を疑ってみたが何の問題もなかった。

 この、高校生にしか見えない女性が名雪ちゃんの母……。

 鴉の濡れ羽島にも、どこからどう見ても中学生にしか見えない27歳のメイドがいた。だが、今回はそれ以上だ。何せこの人はデータ上の年齢では――

 

「それ以上は考えないでくださいね」

 

「……人の心を読まないでください」

 

 そうだ、まがりなりにも哀川さんの仕事仲間。読心術の一つや二つ、心得ていて当たり前と思うべきか。

 

「あなたの叔母、水瀬秋子です。よろしくお願いしますね」

 

「……はあ。お世話になります」

 

「さ、上がってください。名雪、夕飯の支度、手伝ってくれるかしら」

 

「うんっ」

 

 名雪ちゃんが靴を脱いで、中へと入ってゆく。ぼくもそれに倣って、靴を脱ぎ、玄関へ足をかける。

 

「おじゃまします」

 

「ダメですよ」

 

 メ、といかにも言いそうに口元に指をやって、秋子さんがぼくの言葉を遮る。

 

「今日からここは、あなたの家なんですから」

 

 ぼくの家。

 今日から、ぼくの家。ぼくの帰る場所。ぼくの住む場所。

 

「……ただいま」

 

「お帰りなさい」

 

 にっこりと微笑んだ秋子さんの姿に、ひどく気恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ぼくは基本的に、食事というものにポリシーを持っていない。

 美味しいとか不味いだとか、そういう事は別段気にしないし、フランス料理だの何だのと高級料理を並べられると逆に萎縮する。ぶっちゃけて言えば、とにかく腹に溜まれば何でもいいのだ。

 そんなぼくの料理に対する概念は、つい八ヶ月ほど前とある島を訪れたことで一時破綻した。その島にいた料理人の佐藤なにがしさん(ぼくの記憶力では、この無個性すぎる人を覚えることは不可能だった)は料理の天才であり、彼女の作る料理の数々はたったの一週間しか滞在していなかったぼくに忘れえぬ美味を残した。

 その後京都に帰ったぼくは、キムチ丼大盛りご飯抜きをひたすら食べることで、何とかまともな舌を取り戻したのだが――

 

「このままじゃ、またキムチ地獄だ……」

 

 秋子さんの料理の腕は、天才の彼女に勝るとも劣らないものだった。

 

「? どうかしましたか?」

 

「いえ、あまりの美味しさに失神しかけていただけです」

 

 秋子さんはぼくの答えに、「大袈裟ですよ」と微笑む。

 特に目を引くほど、豪華な料理というわけではない。しかし、そのどれもがとにかく美味い。特にぼくが気に入ったのは、秋子さんお手製のカブの浅漬けだ。これほどまでにゴハンが進むおかずが、他にあろうか。いや、ない。(反語)

 

「わたしも手伝ったんだよ」

 

 名雪ちゃんも何気なくアピールする。もっとも、これだけの腕を相手にして手伝えるだけあって、彼女の料理の腕も悪くはないのだろう。そして彼女が明らかにぼく(相沢祐一)に好意を寄せているようだから、将来性を考えると悪くないのかもしれない。

 

「いや、戯言だけどさ」

 

「……?」

 

「あ、いや、何でもないよ。名雪ちゃんが作ったのはどれだい?」

 

「えっとね、これはわたしが作ったんだよ、あと、唐揚げは少しだけ手伝ったかな」

 

 そう言って、差し出してきたのはポテトサラダだった。先程も食べたが、他の料理に比べても遜色ない。これはまさしく、将来の嫁候補が増えそうだ。

 友、崩子ちゃん、高海ちゃん深空ちゃん、みいこさん、ごめん。ぼくは浮気するかもしれない。

 何だかんだで食事を終えて、秋子さんが洗い物をする。ぼくのモットーとして、食事は腹八分目で抑えておくといい。しかし、残念ながら意志薄弱なぼくのモットーなど、美味しさの前にあっさりと屈服してしまった。

 名雪ちゃんの手伝う姿もちらほらと見える。どこからどう見ても姉妹にしか見えないのが問題ではあるが。

 ぼくが手伝おうとするもやんわりと拒否され、仕方なくリビングにあるテレビをつけることとする。

 

 お笑い芸人が、クイズに答えて間違った結果、氷水の中に叩き落されていた。

 面白くもないバラエティ番組を、ソファにもたれかかってぼーっと見続ける。しばらくして名雪ちゃんも手伝いを終えたらしく、隣に座ってテレビを見た。

 会話はない。

 ぼくから何か話しかけた方がいいのだろうか。何気なく思い出話に耽るとか。テレビ面白いねとか。名雪ちゃんて胸が大きいよねとか。

 とはいえこの受動気質の戯言遣い、自ら話しかけるほどの積極性は皆無に等しい。

 時計の針が八時半を回る。名雪ちゃんが眠そうに目をこすっていた。

 

「うー。眠いよ……」

 

 なんと健康優良児だ。

 

「眠いなら、寝たらいいと思うよ」

 

「……でも、これからドラマがあるんだよ」

 

 成程。女性というのは古今東西老若男女、テレビドラマが好きなものだ。大いにぼくの偏見が入っていることは否めない。というか明らかに使う言葉を間違っている気もするが、その辺りは気にしない方がいいだろう。

 

「ビデオに撮っておけばいいんじゃない?」

 

「それじゃあダメなんだよ……」

 

 答えながらも、その目は既に線と化している。

 何がダメなのかはよく分からないが、寝ることをすすめるのはやめておいた。このままではぼくがすすめようとすすめまいと、簡単に眠ることとなるだろう。全く、あの真性ひきこもりの青色にも見習ってほしいものだ。

 時計の針が九時に近づく。既に名雪ちゃんは寝入る姿勢に入っていた。

 

「うー。やっぱり寝る……」

 

「ちゃんと歯を磨いて寝なよ」

 

 名雪ちゃんは「うんー……」と心ここにあらずな返事をして、ふらついた足取りで二階へと上がっていった。数秒前に言った言葉を既に忘れるとは、鶏かどこかの戯言遣いでもあるまいし。

 これだけ寝る時間が早いのなら、ぼくも寝つきが良さそうな気がする。ぼくは他人に寝顔を見られるのが、大嫌いなのだ。

 名雪ちゃんの部屋ががちゃり、と音を立てて閉まる。その音と共に、台所から秋子さんが出てきた。

 

「改めて――初めまして。水瀬秋子です」

 

「はあ、どうも」

 

 やる気のない返事を返す。

 

「詳しい内容は、もう潤さんから聞いてますよね。ええと……」

 

「誰かと聞かれても名乗る名はありません。ぼくは今まで他人に本名を教えたことが二度しかないことを誇りに思っていますから」

 

「……そうですか。では、聞かないことにしますね。戯言遣いさん」

 

 にこ、と秋子さんが微笑む。名雪ちゃんとよく似た可愛い顔立ちに、この笑顔は反則だ。

 

「お願いします」

 

「はい。一応、依頼内容の確認をさせていただきますね。今日から三ヶ月間、この家に住んで近くの高校に通っていただきます。具体的には、高校2年を終業するまで。その間の諸経費についてはこちらで負担させていただきます。必要なものがありましたら、私に言ってください。もしくは、買って領収書を提出していただければ別途お支払いします」

 

 何とサービスのいい依頼内容なのだろう。ますますもって、裏を疑いたくなる。

 

「三ヶ月間の行動には、特に規制はありません。ただ、できる限り名雪の傍にいてあげてください。こちらが高校で使用する鞄と制服です。カッターシャツについては三枚ありますので、毎日着替えてください。上着とズボンについては、週末に洗濯します。あとは……何か質問などありましたらどうぞ」

 

「一つ、聞いてもいいですか?」

 

「はい」

 

「その相沢祐一君の死を隠すために、ぼくが代役をするんですよね。何故そのようなことを?」

 

 これだけは聞きたかった。死を隠すことは、依存しか生まない。

 それは、死んだ人間に対する冒涜だ。

 

「名雪は……祐一さんが来ることを、とても楽しみに待っていました。いつも八時には寝てしまうあの子が、祐一さんが来ると分かってから全然寝ていないんですよ」

 

 ふふっ、と秋子さんが微笑む。愛しそうに。

 それが、いかに娘を愛しているか、如実に理解させた。

 

「それが来る直前の事故で……せめて、短い間でもあの子を祐一さんに会わせてあげたい。かりそめでも、思い出を作ってあげたい。そう思ったんです」

 

「……それが偽者でもですか?」

 

「あの子にとって、それが『相沢祐一』であれば誰でもいいんです。『相沢祐一』がそばにいるだけで、それだけであの子は幸せになる。それなら――偽者でも、『相沢祐一』を用意してあげたい。そう思うのは、間違っていますか?」

 

 違う。それは優しさなんかじゃない。愛情なんかじゃない。それは――

 

「これは、私のエゴです」

 

 二の句を告げないような、精悍な声音で秋子さんは言った。

 

「依頼内容は以上です。今から三ヶ月間、あなたは『相沢祐一』として行動してください。他に何かありますか?」

 

「いえ、特には」

 

「そうですか。でしたら、よろしくお願いします」

 

 最後に深々と頭を下げて、秋子さんは立ち上がった。

 この戯言遣いともあろう者が、これだけ戯言な内容なのに何一つ戯言を紡げなかった。

 赤い請負人とは何もかも違うのに。何一つ『死色の真紅』と重なっている部分なんてないのに。どこにも『赤い制裁』と同じ場所なんてないのに。

 水瀬秋子と哀川潤は。

 ぼくとあの人間失格のように。

 根本から、同一だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼくにあてがわれた部屋に入り、ベッドに横になる。

 

「……戯言抜きでは、楽しめそうにない、か」

 

 静かな夜更けに、壁越しに名雪ちゃんの寝息が聞こえてきた。時刻は夜の十一時を回っている。目覚まし時計は持ってきていないが、特に必要あるまい。どちらにせよ、熟睡できるはずがないのだから。

 明日から、高校に通うことになる。

 今まで経験したことのない、高校生活。ER3システムほどに最悪なものでは、さすがにないだろう。この世の地獄を知っているからこそ安心できる、矛盾。

 

「……暇だな、寝るか」

 

 電気を消して、布団をかける。

 恐らく――否、どこか確信を持って言えることは、まだ登場人物は出揃っていないということだろう。

 こんな戯言だらけの物語だ。

 少なくとも――あの物語の終わりを求める人類最悪の狐面が。

 

 関わっていない筈がないのだから。

 

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