世界の中心で愛を叫べ。
どうせ誰にも聞こえない。
8
初めて真琴ちゃんと出会ったのは、小唄さんとの待ち合わせに向かう途中の商店街。
そこから土曜、日曜を超えて月曜日に香里ちゃんとの戦い。その三日後に、ぼくが香里ちゃんに薬を渡すことで一応の解決。翌日、日中涼を戯言により納得させてこちらも解決。その次の日、土曜日は何事もなく終え、そして日曜日、真琴ちゃんと再度出会った。
再び出会った日から数えて、今日で十日目。
ぼくが真琴ちゃんに出会ってから、今日で十九日目だった。
二十日しか生きることのできないヒトモドキである真琴ちゃんは、ぼくの知る限り、既に十九日の日数を生きている。これは――命の灯火が消える、間際と言ってもいい。
救えない。
ぼくが何をしようと、真琴ちゃんは生きることができない。
あと、一日しか――。
「いっきー妙に悩んでるね。もしかして二十日しか生きられないヒトモドキなのにもう十九日生きてるとかいう事実が分かってへこみ中なのかな」
あんたは人の心を読めるのかよ。
ぼくは答えず、考える。何か方法はないのか。何か出来ることはないのか。
こんな終わり方は、戯言にすらなっちゃいない。
「……春日井さん、今のお話は、本当なんですか?」
ずっと黙っていた、秋子さんが口を開く。ぼくと春日井さんの会話に一切入らず、ただ真剣な眼差しで考え続けていた秋子さんが。
何か、妙案でも浮かんだというのか。
「わたしの知っている限り事実を話したよ。信じるも信じないもあなた達次第かな。それにわたしの知っている情報にも何かしら誤りがある可能性もあるしヒトモドキがすぐに死ぬと限ったわけじゃないよ。だからって安心できるわけじゃないと思うけどさ」
「では……どうすれば助けることができますか?」
「助けるなんてそれこそ虫のいい話だね《沈黙の白》。何をすればヒトモドキを助けるという話になるのかな。何をすればヒトモドキを救うという話になるのかな」
助ける。その言葉は、この場合には適さない。
これは真琴ちゃんの、ヒトモドキとしての、生態に対する妨害だ。
ヒトモドキの死ぬ運命を、無理やりに変える方法を探っているに過ぎない。
秋子さんもそれを分かってか、押し黙る。
「ヒトモドキはヒトモドキである以上ヒトにはなれないんだよ。それを無理に人間にしようと思うならそれはヒトモドキに対する冒涜に過ぎない。ヒトモドキとしての生涯を馬鹿にしているに過ぎない。そんな程度すら分からないのかな」
「……それでも、私は真琴を救いたい」
秋子さんが、春日井さんを睨みつけながら強くそう言う。
「どんな方法でも構いません。真琴を死なせない方法があるのなら、悪魔とでも契約をしましょう」
「どうしてそんなにもヒトモドキにこだわるのかな《沈黙の白》」
「そんなことは、貴方には関係ないでしょう。貴方はただ、方法を提示さえしてくれればそれでいいのです。方法さえ分かれば、私の全てを使って真琴を救ってみせます」
強く、春日井さんを睨みつけながら秋子さんは言う。
一体何が、秋子さんをそこまで動かすのか。一体何故、秋子さんはそこまで動くのか。
だけれど、ぼくの疑問を唇は紡ぐことなく、流れるように言葉を吐いた。
「……ぼくからも、お願いします。春日井さん」
「どうか……教えてください。私は、真琴とまた一緒に暮らしたいんです」
「どうか! お願いします!」
ぼくと秋子さんが横に並んで、真摯にそう春日井さんへと告げる。
春日井さんはぽりぽりと頬を掻き、虚空を見上げながら、少しだけ言い淀んだ。
「そもそもわたしが知っているわけないでしょう」
……。
それもそうだ。
春日井さん、最初に言ってたじゃないか。学会でさえ存在するか否かで議論している程の稀少種。そんな情報について、春日井さんが完璧に知っているわけがないじゃないか。
その程度の考えにすら行きあたらないとは、ぼくも冷静さに欠けているらしい。
「多分あの頃の同僚に聞いても分からないと思うよ。詳しい生態も分かっていないわけだしどうして人間に酷似した姿になるのかのメカニズムも分かっていない。子孫繁栄のための交尾もしている様には見えないしその辺りはまだ要研究観察なんだよ」
「でも……!」
「それにね」
ぼくの言葉を遮り、珍しく春日井さんが言葉の間に一呼吸置き。
「ペットが白内障になったからといって安楽死を選択するようなこの国にそんな都合のいい方法が存在するとでも思っているのなら余程の大馬鹿だよ」
言葉が、出なかった。
犬や猫ですら、治らない病気はある。研究され尽くしているはずの、犬や猫でさえそうなのだ。
まだ研究が圧倒的に足りないヒトモドキに、そんな方法など存在しない。
だったら――このまま、何もできずに眺めることしかできないというのか。
「もしこのヒトモドキが人間になれるのだとしたら奇跡でも待つしかないよ」
奇跡――それは、何度もこの町で聞いた言葉。
そんな、都合のいいものが、存在するはずがないのに――。
「もしくはそうだね。
……え?
脳味噌の中身を見ることができるなら。
春日井さんは、そう言った。
「……脳髄を見ることができれば、真琴ちゃんは人間になれるんですか?」
「どうしたのかないっきー。わたしはあくまでそういう方法なら大丈夫なんじゃないかと提案しただけなんだけど」
「だったら……!」
一人だけ、いる。
脳髄の中身を見ることができ、脳髄の仕組みを変えることができる化け物。
《二重世界《ダブルフリック》》日中涼――!
「まさか君に、休日に呼び出されるとは思わなかったよ戯言遣い。しかも百花屋で待ち合わせとはね。僕は青春学園漫画のヒロインに昇格したつもりは一つもないのだけれど。ここが学校帰りの学生やカップル行きつけの店だということを分かって僕をここに誘ったと言うなら、今度こそ君と僕の間に立つフラグを錯覚してしまうのだけれどね」
夕刻、ぼくはメールで日中涼を呼び出して百花屋で待ち合わせた。
二度と出会いたくなかった相手。二度と出会うべきでなかった相手。
しかしそれでも、この化け物以外に、真琴ちゃんは救えない。
「それに僕は言ったはずだよ戯言遣い。君には二度と会いたくない、とね。その気持ちは今でも変わっていないし、むしろ拍車が掛かっていると言ってもいい。だからこそ、こうやって来たのは二度と君に会わないということを明言することと、君の携帯電話から僕の電話番号とメールアドレスを削除するためだ。僕はそれだけをやりに来た。それを終えれば即座に帰らせてもらうとするよ。君の顔は二度と見たくない」
「……嫌われたものだね。もっとも、ぼくもきみのことは大嫌いなんだけどさ」
「だったら最高じゃないか。お互いに嫌い合ってると言うなら、これ以上共にいる理由はない。携帯電話を出すといい。それで僕と君の繋がりを断絶しようじゃないか」
「頼みがある」
日中涼の冗長なお喋りを、断つ。
ぼくは日中涼と、雑談をしに来たわけではない。二度と会いたくないけれど会わなければならないほどに、切迫した状況なのだ。
「嫌だ」
だが日中涼は、あっさりとそう言った。
「何故僕が君の頼み事を受けなければならないのかな。僕を裏切った君の頼みを。君の事が大嫌いな僕が、何故君の身勝手な頼み事に振り回されなければならないのかな」
「今回限りだ。今回だけ受けてくれれば、ぼくは二度ときみに関わらないと誓おう」
日中涼は不機嫌そうに、ウエイトレスの持ってきたホットコーヒーを一口啜った。
「都合のいい人間だね、君は。周りの人間は自分を何の見返りもなく助けてくれるとでも思っているのなら、この国に生きるべきではないね。それとも何かの見返りを用意してくれてはいるのかな。内容次第では聞いてやらないこともないが、わざわざ僕に持ってきた話ということは、僕のスキルを以てしか出来ないことなのだろう。ならば僕の言い値を支払ってもらうこととしようじゃないか」
「構わない」
即答した。日中涼が、やや眉根を寄せる。
「……成程。そこまで、切羽詰まっているわけか。一応、内容を聞いておこうか。君は僕に何をさせようと企んでいる?」
「とある少女の、脳内をいじってほしい」
ぼくはゆっくりと、なるべく分かりやすいように説明する。
「彼女はヒトモドキという、人間ではない生物だ。でも人間と外見は何も変わらない。同じように、身体器官もそこまで変わりないと思う。恐らくは脳髄の構造も一緒だろう。このヒトモドキと人間の大きな違いは、脈拍数だ。ヒトモドキは秒間に千百五十回の脈を打つ。だからそれだけ、寿命も短い」
「ヒトモドキ、ね。そんな生物は寡聞にして聞いたことがないね」
「現実にいるんだ。きみに、脳内の電気信号を発生させる部分にアクセスして、その部分を書き換えてもらいたい。脈拍数を人間の正常値に戻すんだ。それだけでも、彼女の生きる時間は何十倍何百倍に膨れ上がるはずだ」
それがぼくの考えた、真琴ちゃんを救うことができる方法。
約二十億の脈を打つことで、寿命を終えるとするなら。
約二十億の脈を打つまで、寿命は終わらない。
ならば、脈拍数を低くすればいいじゃないか。
そんな、ひどく単純な思考なのだけれど。
「成程。だがあまり気乗りはしないな」
日中涼はそう呟いて、そのついでとばかりに通りすがりのウエイトレスにコーヒーのお代りを注文した。そして、ぼくを見据えて。
「言い値とは言ったが、僕は僕のスキルを使えば、いくらでも現金なんて手に入る。貧乏なのはそれをするのが面倒だからだ。だから今回も言っておこう。面倒だ」
「……だったら、お前が欲しいものをくれてやる」
これを言えば。この切り札を出せば。
日中涼は動く――ぼくは、そう信じている。
「ヒトモドキは、成体になって二十日前後で死ぬ。そして、今水瀬家にいるヒトモドキは、成体になって十九日目だ」
「それが一体、どうしたんだい?」
「興味はないかい? 生まれて十九日で、人語を全て理解する存在の脳髄に」
日中涼が、コーヒーを口に運ぶ手を止めた。
ゆっくりと、コーヒーを置く。そして腕を組み、サディスティックに笑った。
「成程成程。いやいや結構。なんだ、そんなにも魅力的な脳髄だったというのか。それは是非とも一目見ておきたいね。非常に興味深い」
「なら……ぼくの頼みを聞いてくれ」
「仕方ない……受けるつもりなどなかったが、そんな話を聞かされては行かざるをえないというものだ。しかし戯言遣い、一つだけ、君に了承してもらいたい旨がある」
ククッ、と日中涼が笑う。
とても楽しそうに。まるで玩具を買いに行く前の子供のように。純真無垢な――悪意の塊のように。
「僕のスキル《脳髄侵入《ブレインハック》》は、大脳辺縁系を経て前頭葉、側頭葉など各種脳髄の器官へと向かう。そして大脳辺縁系――いわゆる記憶中枢や自律神経活動に関与した部分が、分かりやすく言うとファイアーウォールの役割を果たしていると思ってくれていい。その部分をまず破壊しなければ、脳内への侵入は不可能だ。つまり、記憶中枢をある程度破壊する。完全に破壊はしないが、それでも後に障害が残ることになるだろう」
……大脳辺縁系?
記憶中枢を破壊する。つまり、それは。
「全てを破壊すれば廃人になる。その一歩手前で止めるのだから、障害が残ることは覚悟してほしいところだね」
「……つまり?」
「少なくとも、記憶はほとんど失うことになるだろう。君のことも何一つ思い出せなくなる。自分の名前すらも、自分がその場にいる理由すらも。性格というのは周囲の環境によって千差万別するものだから、記憶をリセットしたその少女は、また新たな性格形成をすることとなるだろう。もしかするとそれは、君の知っている少女のそれではないかもしれない。それでも構わないのかい?」
ぼくの知っている真琴ちゃんではなくても。
ぼくのことを知らない真琴ちゃんであっても。
構わない。
「……ああ、構わない」
秋子さんは言った。
――どんな方法でも構いません。真琴を死なせない方法があるのなら、悪魔とでも契約をしましょう。
ぼくは化け物と契約をしてみせたさ。