君の意見は絶対的に正しい。
君に絶対的な地位があり、絶対的な権力があり、絶対的な声の大きさがあるならば。
4
雪に覆われた道を歩く。どうやらこの雪は昨晩に降ったらしく、至る所が凍結していた。雪道に慣れていないぼくの足では、何度も転倒の危機を感じずにはいられない。
吐いた息の白さもまた、ぼくにとって不慣れなものだ。
「学校、結構遠いから、足元気をつけてね」
「……あ、うん」
唇が凍りそうで、あまり喋りたくない。だから、短い答えだけ返す。
早く慣れなければ。初日からこんな調子では、この戯言遣いも何一つ本領発揮などできまい。それ以前にぼくに本領たりえるものが存在するのかどうかは甚だ疑問ではあるが、少なくともそれが身体能力や知能指数でないことだけは明白だ。ER3プログラム脱落者の経歴は伊達じゃない。誇れないけどさ。
「一緒のクラスになれるといいね」
「そうだね」
凍りそうな唇を、マフラーで隠す片手間に答える。
昔、聞いたことがある。寒い時には体を動かすと、何やらが燃焼して発熱し、それにより体温が上昇して寒さを感じなくなるらしい。駅伝選手などが冬の真っ只中にありながら薄着であるのは、そういう理由だ。つまり、ぼくが今最も凍えている場所を激しく動かせば、あるいはこの寒さもどうにか凌げるかもしれない。耳と鼻が最も凍えているが、この二箇所は動かしようがないため、無難に動かすとすれば唇だろう。
「ねえ、名雪ちゃん」
「?」
珍しく、ぼくの方から話しかけてみる。寒さと眠気であまり働いていない脳みそをフル回転。今だけは怠けるなぼくの脳髄。目覚めよぼくの中の兎吊木垓輔。
「カップアイスの蓋ってあるよね」
「うん」
「大体の人間は、カップアイスを開けた後に、その蓋を舐めると思うんだ。何故かというと、そこにこびりついているのは紛れもなくアイスクリームの一部であり、自分の購入した商品の一部であるからだ。更に言えばこびりついている量は非常に多量で、無下にそのまま捨てるには忍びない。例えそれが全体量としては微々たる量であった所で、そんなものは関係ない。大事なのは、その蓋の裏には、間違いなくアイスクリームがついているという事実だけだ」
「……う、うん。そうだね……」
「だが、あの蓋を舐める好意をえてして人々はマナーが悪いだの行儀がなってないだのとうそぶく。格好をつけるために人前ではしないという人間もいる。特にこれは恋人同士がいい例だ。恋人の前ではあっさりと蓋を捨てる素振りを見せながら、しかし心の中ではそれを舐めたいという欲求にかられている。格好をつける人間も、自分しかいない自分のテリトリーにおいてはまさに野獣の如く蓋を舐め回しているに違いないのさ」
「……えっと……?」
「ここでぼくの話をしよう。ぼくはアイスクリームの蓋を舐める行為は、非常に愚かしいものだと考えている。舌というのはあまり人前に出すものではないし、人々は舌を出す時には、下着を露出させる十分の一でもいいから羞恥心を感じて欲しいものさ。本来舌というのは口の中にあるべきであり、無闇に外へと出すべきではない。ゆえに、ぼくは蓋を舐める行為を愚かしいものだと考える。しかし、アイスクリームの蓋をそのまま捨てるのは如何にぼくが聖人君子であってもなかなか踏み出せないだろう。では、ここでどうすればいいと思う?」
「……え、え? えーっと……?」
「答えはとても簡潔にして明瞭だ。カップアイスには必ずスプーンがついている。もしなければ代わりにヘラがついているはずだ。それで食べるためだという、とても単純な理由でね。舐めるのもだめ、捨てるのもだめ、となればこそぎ取るしかないだろう。少々時間がかかったところで、それが無闇なアイスクリームの消費となるよりは幾万倍もマシというものだ。ここまでの内容におけるきみの見解を聞かせてほしい」
「……よくわかんないよ」
検証終了。
検証結果、特に変化なし。むしろアイスクリームの話なんてしてしまったせいで尚更寒い。それにプラスして、名雪ちゃんは物凄く引いている。次回の検証時には、会話内容も選択する必要があるだろう。
会話(というより、一方的にぼくが喋っていただけだが)をしていたためか、気づけば随分と歩を進めているようだ。まだ然程大きくは見えないが、視界の隅に学校らしきものが見える。
校門まで到着するのにも、大した時間はかからなかった。
「あら、おはよう名雪」
そして新キャラ登場。
「あ、香里。おはよ~」
茶色の混じったウェーブヘアーの少女。身長は名雪ちゃんより少し高い程度か。少し吊り上った目や感じる雰囲気から、何となく大人びているような印象を感じた。
「珍しいわね。名雪がこんな時間にいるなんて。まだ予鈴すら鳴ってないわよ?」
「わたしだって、たまには早く来るよ~」
むー、と名雪ちゃんが頬を膨らませる。どうやら名雪ちゃんは、謎の少女にからかわれる立場にあるらしい。
「ところで、その人は?」
矛先がぼくに向いた。
「いっくんだよー」
「ああ、あなたが前話してた名雪の従兄弟さん?」
何故に理解できるか。
「はじめまして、謎の少女さん」
「誰が謎の少女よ」
なかなかキレのある突っ込みをしてくれる子だった。
「あたしは美坂香里、名雪のクラスメイトよ。香里でいいわ」
「よろしく、香里ちゃん」
ぼくの方も、簡潔に友好的な挨拶を返す。その瞬間、ぞくぞくっ、と香里ちゃんが体を震わせた。
「……ごめん、すっごい拒否反応。その呼び方やめてくれない?」
「同年代と年下の女の子は、ちゃん付けで呼ぶのがぼくの流儀なんだ」
「別に呼び捨てで構わないけど?」
「悪いね。ぼくが呼び捨てにする相手は、この世に二人しかいないんだ」
青色のサヴァンと、橙色の人類最終。
「……まあ、いいわ。変わった人ね、あなた」
香里ちゃんが苦笑すると共に、校舎の方から鐘の音が響いた。
「あ……やば。名雪、行くわよ。あなたは転校生だから職員室に行くようにね」
「ああ、分かった」
ぼくの返事を聞くか聞かないかのタイミングで、香里ちゃんと名雪ちゃんの二人が走り去る。ぼくは特に急ぐ必要もなかろうと、ゆっくりそこから歩いた。
「……あ、職員室の場所って」
どこだろう。呟く必要すらなかった。既に、周りには誰一人いなかったから。
なんとか校内地図を頼りに、職員室へ辿り着いたぼくを待っていたのは、転校初日からの遅刻に対する叱責だった。何せ辿り着いた時刻が本鈴より十分以上過ぎた後では、叱りたくもなろうというものだ。担任(と、本人が言っていた)の石橋教諭は、五分少々ぼくに説教をした後に、クラスへと移動した。
移動の間に、授業システムの簡単な説明を受ける。朝礼の開始は八時半。一時間目の開始が九時で、授業五十分の後休憩十分。多いときは六限目まであるが、基本的には五限で終わるらしい。大体、毎日三時過ぎには終わると思えばいいだろう。
教室の前で、「少しここで待っていなさい」と、石橋教諭が言う。それに従って、石橋教諭が入っていくのを見届けた。ぼくの位置からでは、生徒達の顔を見ることはできない。
「今日は転校生を紹介する」
おはようの挨拶も何もなく、野太い声で石橋教諭が言った。その言葉に、クラス内の誰かが「せんせー、男? 女?」と問いかけた。石橋教諭が「安心しろ、男だ」と答えると共に、野太い声のブーイングがあがる。別にブーイングをしたところで、ぼくの性別が変わるわけでもあるまいし。
「それじゃあ相沢、入ってきなさい」
石橋教諭の言葉に促され、教室へと入る。当たり前だが、均等に揃えられた机に全く同じ制服を着た生徒が揃っていた。
カリカリと、石橋教諭が黒板に名前を書き始める。『相沢祐一』。
「転校生の相沢祐一君だ。それじゃあ相沢、自己紹介をしろ」
自己紹介。ここでは何かしらアピールしておいた方が良いのだろうか。仲良くするためにも、調子よく親しく相手した方がいいのだろうか。それともテンションが白濁沈殿するいつも通りの挨拶でいいのだろうか。物事は最初が肝心だ。ここは友好的に挨拶すべきだろう。
「はじめまして。残念ながら相沢とも祐一とも呼ばれたくはないから、親しくしようと思うならば気軽にぼくのことを戯言遣いと呼んでくれ。親しくしようと思わないなら、主語を代名詞に変えると便利だよ。大丈夫、日本語は比較的主語を省く傾向にある。そこのところよろしく」
よし、友好的自己紹介終わり。何故か石橋教諭は頭を抱えていた。
「……あー、お前の席は、窓側の後ろから二番目だ」
「はい」
石橋教諭の指した席に、そのまま歩く。転校生の通過儀礼とも言える『足ひっかけ』は、どうやら起こらないらしい。このクラスの皆がイイヤツなのか、はたまたぼくの知識が偏っているのかは知らないけれど。
ぼくが席に着くと同時に、石橋教諭が咳払いをして「以上」と言った。そして教室から、足早に去ってゆく。
「同じクラスだね、いっくん」
偶然というか運命というか、どこか秋子さんの策略すら感じる。名雪ちゃんの席はぼくの真横だった。隣人と折り合いがつかず、気まずい思いをすることはなさそうだ。
「そうだね」
短く返す。授業の準備に移ろうかと思ったが、ぼくは一限目に何があるのかすら知らない。
とりあえず鞄から、新品の大学ノートと筆箱だけ出して机の上に置いた。
「……まさか、本当に同じクラスとはねぇ」
斜め後ろから聞こえた声に、振り向く。今朝出会ったばかりの香里ちゃんが、呆れたような笑みを浮かべていた。
「やあ、偶然だね。香里ちゃん」
「……お願いだからその呼び方やめて」
「お? 美坂も知り合いなのか?」
割り込んできた声は、ぼくの後ろの席。振り向くと、また新キャラがいた。
「よろしくな、転校生。オレは北川潤だ」
「キタガワジュン?」
「ああ。北の川が潤うって書いて北川潤。どうした? そんなに珍しい名前でもねーだろ?」
「是非とも仲良くしよう。是非、きみのことをファーストネームで呼び捨てで呼びたい」
チャンスだった。こんな機会は他にあるまい。『人類最強の請負人』と同じ名前の人間を相手にして、仲良くしない手はあるまい。
「ん、あー。別にいいけど。じゃあオレはお前のこと、いのすけって呼ぶわ」
「ありがとう、潤」
出来ることなら彼女と同じ『いーたん』で呼んで欲しかったが、そこまで期待はしまい。ここまでの爽快感、他に味わうことなど出来ないだろうから。最大の問題は、ぼくの呼び方が同じアパートの魔女と全く同じだということだけれど。
「あら、あたしの名前は呼び捨てにしなかった癖に、北川君は呼び捨て?」
割り込んできた声は香里ちゃんだった。どうやらこの一角、結構仲良くやっているようだ。
「彼の名前にはちょっとした理由があるんだよ。悪いけど、ぼくが呼び捨てにするなんてかなりのレアだよ」
「別にそんなレアいらねーけどな」
けらけら、と潤が笑う。
「うー。そっちばっかり盛り上がってずるいよ」
名雪ちゃんがむー、と頬を膨らませる。
「別に盛り上がってるつもりはないんだけどね」
「おいおい、オレらの友情が生まれた瞬間だろーが」
潤がばしばし、とぼくの背中を叩く。
「ま、よろしくな。いのすけ」
「よろしくね、戯言遣い君」
「よろしくだよ、いっくん」
三者三様の友人達に囲まれて。
ぼくの高校生活が、幕を開けた。