ユキグニサイクル~北の大地の戯言遣い~   作:桜三里

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雪の街 <往きの待ち> 5

「商売ってのは、払った代価に見合う商品を提供するものだ。ところがあいつは、これっぽっちも見返りを寄越さねぇ」

「それはひどいね。誰だい?」

「神様」

 

 

 

 

 

 

 

 

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 社会科の時間です。

 

 ヒューストンに存在するER3システムは、世界一の知的欲求が行きかう場所だと言っても過言ではない。特にその中でも最も天才であり天才であり天才である者に与えられる称号を、七愚人という。

 ER3システムにおいては、何よりも知性こそが最重要項目であり、ここに存在する人間ほどに知性に、知恵の実に飢えた者はいない。全ての者は平等に全知を得ることが出来、そして均等にそれを理解する機会が与えられる。そしてそれを理解できるかどうかは、本人の資質次第だ。

 そしてこのぼくはというと、ER3システムにおける短期集中養成講座『ERプログラム』に一時在籍したことがある。五年間、知性なき者が脱落してゆく選ばれた者だけの講座。ぼくは当時中学卒業後、単身ヒューストンに渡ると共にERプログラムに参加した。もっとも、ぼく自身が受動的かつ曖昧な人間なので、知的欲求に満ち溢れたあの場所に居続けるには、あまりにも貪欲になれなかった。

 それでも、少なからず教育自体は受けているし、少しは密度のある教育内容を受けてきたと思う。

 

 だからこそ、ぼくは高校生活なんて全く問題ないと思っていた。

 数学ならば日本に存在する数学者以上の教育を受けているし、英語など単身ヒューストンに渡ったぼくには全く問題ない。社会科については裏の裏である『殺し名』、『呪い名』とさえ関わりを持っている。理系についてはまさにERプログラムで専攻したものだ。国語については、ぼくの戯言遣いっぷりから成績が悪いと感じる人間もいないだろう。運動だって、一般的な高校生には負けないつもりだ。

 せいぜい人間関係に苦労するか、もしくは授業システムに問題があることで妨害されるかの二択だと思っていたのだが。

 

「――この場合における『けむ』は推量の意味での助動詞であり……」

 

 古文は反則だ。

 それ以前に古文なんて言葉は日本語であるのかどうかさえ、ぼくには理解できない。大学でイタリア語を専攻していたぼくが、生粋の日本語を理解できないなんて恥も甚だしい。名雪ちゃんと机を並べて見せてもらっている教科書にも、最早解読できない平仮名の羅列が並んでいる。

 そしてその名雪ちゃんはというと、見事に夢の世界へと旅立っている。

 昨夜寝た時間が九時前。今朝起きたのが七時半。ぼくがソツなくこなした一限目の化学も二限目の世界史も、そしてこの三限目の古文も全て寝入っている。時間に換算すれば十三時間超。白雪姫もびっくりの寝入りっぷりだ。よく他人に寝顔を晒せるものだと、逆に感心してしまう。

 ちらりと後ろを振り返ると、まさしく当然のように潤も寝ていた。(ああ、こう考えるだけで爽快。あの赤い人相手には絶対に呼べないけどさ)というより、クラスの半数以上が寝ているのではないだろうか。目つき悪く眠気をこらえているのは、斜め後ろの香里ちゃん。どうやら彼女は優等生らしく、かなりの割合でノートに筆を走らせている。そこまで何を記入することがあるのか、逆に疑問だ。きっと彼女の教科書は八割がた赤線で埋まっているに違いあるまい。見たことないけど。

 

「……では次の問題を……美坂」

 

「はい」

 

 香里ちゃんが立ち上がって、老教師の指した問題にそつなく答える。

 どうやら老教師は、授業中の居眠りは黙認するらしい。聞かないなら聞かないで構わないということだろうか。もっとも、それによりテストで苦労するのは本人なのだから自業自得というものだろうけれど。

 鐘の音が響くと共に、授業がそつなく終わる。時刻は十一時五十分。老教師が出て行くと共に喧騒が戻り、教室からまばらに人が出てゆく。

 

「いっくん、お昼休みだよ」

 

 いつの間に起きたのか、名雪ちゃんが嬉しそうに言った。この娘の時間感覚で言えば、一限目開始の九時から今まで一瞬だったのではないだろうか。

 

「そうだね」

 

 無難な答えを返して、机の中にノートをしまう。名雪ちゃんが寝てばかりなら、机なんてくっ付けずに教科書だけ貸してもらえば良かった。まぁ、同じことは真後ろの金髪にも言えるけど。

 

「お昼はどうするの? 戯言遣い君」

 

 香里ちゃんが立ち上がり、ぼくと名雪ちゃんの間で言う。

 

「学食か何かあれば、そこで済まそうと思ってるけどね」

 

「なら案内するわよ。初日だし、学食の場所分からないでしょ。あたしも学食だし」

 

 香里ちゃんはそう言って、微笑む。姐御肌というやつなのか、意外と面倒見のいい一面を発見。

 

「じゃあ、お願いするよ」

 

「おっけ。名雪も行くでしょ。北川君はどうするの?」

 

「オレはいつも学食だぞ」

 

 いつの間に起きたのか、潤が親指を立てて白い歯を見せていた。

 四人で連れ立って、教室を出る。昼休みが始まって五分の廊下は、学食へ向かう生徒の群れで込み合っていた。皆ちゃんと、『廊下は走るな』の張り紙を守っているらしい。多分、守ってない奴は既に学食へ辿り着いているのだろうけれど。

 

 その時。

 ぼくの背中が。

 ぞくりと。

 震えた。

 

「――――!」

 

 刺すような視線に、振り向く。誰もいない。生徒ばかりだ。突然止まったぼくを訝しむ目線。その中に、睨むような貫くような刺すような鋭い視線はない。

 

「……どうしたの? いっくん」

 

 名雪ちゃんの声。沈黙で応える。数秒ほどそうして――やっと、体を元に戻した。

 気のせいなんかじゃないけれど。気のせいということにしておこう。

 

「……何でもないよ。もしかすると、狐のお面をかぶった着流しの怪しい男がぼくを見ているのかと思っただけさ」

 

「そんな怪しい人がいたら誰でも気づくわよ」

 

 香里ちゃんがジト目でぼくを睨む。ぼくは愛想笑いで繕って返した。

 

「昔から妙にもてるんだよ。サディストな超能力者の占い師にはやたら目をつけられるし、テンションの高すぎる女の子にはヒトゴロシも厭わないほどの愛情を捧げられたり、ナイフ二刀流の女の子には付け狙われるわ自称『策士』には言い寄られるわ、大泥棒な女性とはお友達になるわ。不感症な生物学者に住み付かれもしたし、職業名探偵の女の子に偶然何度も出会っては一度命を狙われたり。中でも凄かったのは、出会った瞬間にパンプスで踏みつけた赤い人かな。全く、女性のアプローチというのは恐ろしいね」

 

「何でだろうな。モテ話のはずなのにこれっぽっちも羨ましくねえ」

 

 潤が苦笑しながら呟く。聞くだけならそうだろうけど、実際に体験してみればよく分かるさ。

 羨ましくないどころじゃなく、死にたくなるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 学食に着くと、席はほぼ満席だった。やはり昼の学食というものはどこも混雑するものらしい。

 

「名雪と戯言遣い君は、席の確保をお願い。あたしと北川君で取りに行ってくるわ」

 

 流石は美坂リーダー。頼りになる。

 

「名雪はAランチでいいわね。あなたは何かリクエストある?」

 

「メニューを知らないから何とも言えないけれど、ぼくも同じでいいよ」

 

「おっけ。じゃあ二人は席の確保お願いね。北川君、出陣するわよ」

 

「がってんだ」

 

 出陣とはまた、たいそうな言葉を使うものだ。もっとも、ここから見える混雑ぶりでも十分に戦場と言えるだろうけど。自ら先陣を切ってくれたリーダーに感謝しながら、丁度席が四つ空いている場所を見つけたので確保しておくことにした。

 程なくして、香里ちゃんと潤の二人が戻ってくる。香里ちゃんは右手にうどんの入った椀を、左手にやたら可愛らしい定食。潤の方は右手にカツカレーと、左手に香里ちゃんと同じ可愛らしい定食を乗せていた。どうやら、これがAランチらしい。

 

「お待たせ」

 

「さすが香里だよ~」

 

 Aランチを前に、小躍りしているかのような名雪ちゃん。ぼくも同じ定食だが、彼女のリアクションとは裏腹に顔をしかめた。明らかにこれは、男の食べるものじゃない。

 小さなクロワッサン二つと、スクランブルエッグにレタス。コーンポタージュにデザートらしいイチゴのムース。どう考えても、三時のおやつ代わりにしかならない量。ぼくはそんなに食べる方ではないのだが、それでも圧倒的に足りそうにない。帰りに何か買い食いしよう。

 

「それにしても戯言遣い君って、古文苦手なのね」

 

 香里ちゃんがうどんをすすりながら、ふと思い出したかのように呟いた。

 

「何で分かるのかな?」

 

「数学も世界史も、やる気なさそうに死んだ魚みたいな目してたでしょ。それが古文になったら、まるで活け造りにされた魚みたいな目になってたわ」

 

 その違いはどこだ。

 

「一時、アメリカにいたことがあってね。英語も日本語もそれなりに出来るけれど、古文はダメだ」

 

「英語できるんだ、すごいね」

 

 何故か的外れな感想を、名雪ちゃんが述べる。

 

「古文だって、法則さえ覚えれば英語より簡単よ。何せ一応は日本語なんだから」

 

「悪いけど、覚える気にもならないよ。昔の言葉なんて、今のご時世どこで役立つっていうんだい? アメリカ人がくさび形文字を覚えるようなものさ。役に立たない知識は排除するのがモットーでね」

 

 嘘だけど。

 

「勉強が何もかも役立つわけじゃないでしょ。二次関数も因数分解も使いどころなんてないし、日本の歴史を知ったところで何も意味もない。日本語がある程度しゃべれて足し算引き算ができれば、少なくとも生きることはできると思う。そこまで行くと、学校そのものの意味がなくなると思うけど?」

 

 ふむ。香里ちゃん、意外と弁舌家だ。それでこそ、ぼくの戯言も生きるというものだけれど。

 

「その通りだね。そこまでの極論に至れば、学校で教える勉強というのは大部分が無駄だ。せいぜい人間関係の生き方や、僅かな生きる知識を得るためにしか存在しない」

 

「本当に極論ね。無駄なんて言い方をすると」

 

「でもね、人間には知識欲というものが存在するんだよ。代表的なところでER3システムの七愚人。彼らは知識欲を満たすために、更なる知識欲を得るために、知識を欲する。そして、その知識が知らないどこかの知らない部分で役に立っていたりするものさ。しかし、学校なんてものは結局、知識欲が存在する者にしか存在価値はありえないと判断するのは軽率だよ。誰にだって知識欲は存在する。そのベクトルが何処へ向いているかは知らないがね」

 

「じゃあ、あなたのベクトルは何処に向いているのかしら?」

 

「ぼくの求める知識は、生きるための力だ。学問に王道なし。しかし裏道なんて幾らでも転がっている。一を聞いて十を知ることは不可能でも、表を聞いて裏を知ることは可能さ。数学を学ぶことによって、世の中の法則を。歴史を学ぶことによって、世の中の動き方を。そして、得るものがない学問に対してベクトルは向かない。ぼくにとってそれは、最早使われもしない応用も利かない得るものなど何もない古文だってだけさ」

 

 香里ちゃんが顔をしかめる。眉根を寄せて、何か考え込んでいるらしい。反論なのか、はたまた賛同なのか。どちらにせよ、ぼくは戯言を紡ぐだけだ。

 

「あー……難しい話はやめてくれ。頭が痛え」

 

 弁舌会は、げんなりした顔の名雪ちゃんと頭を抱えている潤によって止められた。

 

「まぁ」

 

 肩をすくめる。結構楽しかったのだが、こんな話で昼休みを無下に終わらせる必要もないだろう。

 ここらでやめておくのが、丁度良い。

 

「戯言だけどさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 名雪ちゃんと香里ちゃんは購買での買い物、潤は友人に会いに行くということで、ぼくは今一人で廊下を歩いている。時刻は十二時二十分。次の授業まで、あと四十分もある。この学校は昼休みが長いらしい。少し学校内を散策するのもいいかもしれない。

 廊下を抜けて、階段へ。ついでに簡易校内図をちらりと見て、階段を昇る。自分の教室をスルーし、渡り廊下を歩き、部室棟と呼ばれる隣の校舎へ。

 文化部の部室が乱立している校舎に、別段用事があったわけではない。人気のないところに行きたかっただけだ。

 

「……残念ながら、後をつけられて喜ぶ変態的趣味は持ち合わせていないんだけどね、ストーカーさん」

 

「そういう呼び方は、人として不出来です」

 

 振り向く。そこには、女生徒が立っていた。

 少し癖のある赤毛。リボンの色から、一年生か。鉄か氷のような無表情に、感情はない。可愛いとうより、綺麗という表現が似合いそうな美少女だった。

 

「転校一日目にしていきなり告白かい? 勘弁してほしいんだけれどね」

 

「一年の、天野美汐といいます」

 

 あちらさんは、あっさりとぼくを無視していやがる。

 にやりと――氷のような無表情に性悪な笑みが走らせて。悪鬼のような、善意と悪意の入り混じった視線でぼくを見て。絶対零度が如き冷たい声音で続けた。

 

「それともきみには、元《領域内部(インサイド)》が一人、『二重世界(ダブルフリック)日中涼(ひねもすすず)と言ったほうが分かりやすいかな?」

 

 驚きを――とても隠しきれなかった。

一群(クラスタ)》、《集団(メイト)》、《矛盾集合(ラッセル)》、《領域内部(インサイド)》、《軍団(レギオン)》――

仲間(チーム)》――!

 

「『凶獣(チーター)』から、ある程度話には聞いていた。だがこうやって会うのは初めてだね、戯言遣い」

 

「……ぼくに何の用だ」

 

「何、大したことではないよ。そんなに怯えないでくれると嬉しい。安心してくれ。僕はエゴイストでサディストだし弱い者いじめは序列一位か二位に位置する趣味だ」

 

 何をどう安心しろというのか。

 

「今日は、きみにお願いがあって来たのだよ。おやおや、『何故ぼくがここにいることを知っているんだ』とでも言いたそうな顔だね。そりゃあ当然さ。僕たちには、かつての仲間であった『凶獣(チーター)』がいるからね。知ろうと思って知れないことはないさ」

 

 にやり――と彼女が笑う。

 

「用件は一つだ。この学校にいる、『零崎一賊』の捜索を手伝ってほしい」

 

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