能ある鷹は爪を隠す。
能なき鷹は隠している爪があると盲信する。
6
『歩く逆鱗』《
『回る鈴木』《
『裁く罪人』《
『蘇る失墜』《
『蠢く没落』《
『葬る静寂』《
『犇く血眼』《
『挫ける餞別』《
『嘲る同胞』《
前世紀末の日本のサイバーグラウンドを震撼させた、究極絶無のテロ組織。単純なハックやクラックに始まり、果ては企業のアドバイザーからフィクサーまがいの行為まで、やらなかったことがなかったというくらい何でもやった。それだけのことをやっておきながら、正体はいっさい不明で、何人の集団だったか、どのような人物によって構成されていたのかは一般には明らかになっていない。ともあれ、彼らの登場によってサイバースペース法の条文は55倍にまで書き直されるとともに、ネットワーク技術全体のレベルは格段に成長することとなった。電子テロリストと呼ばれる一方では、仮想空間の開拓者とも称され、犯罪者と評する者もあれば、救世主と崇める者もあったこともまた事実である。
それが、ぼくの親愛なる友人にして青色サヴァンたる玖渚友率いる《チーム》。
「零崎夜織」
何の前触れもなく、彼女はそう一言だけ発した。
「知らないかい? 『
「……知らん」
ぼくはそう、短く返す。ぼくの知っている零崎はただの一人だ。彼女の示した三人でさえ、名前すら知らない。ぼくはこれでもごく普通の大学生であると自覚している。
「まぁ、きみの産まれる前に起こった事件だからね。二十年前には、既に消息不明にまでなっていたよ。おやおや、その顔は分かりやすい疑問符だね。きみの思っていることはどうだろう。『何故ぼくよりも年下のはずの少女が、二十年前のことを知っているのか』……否、違うな。情報なんて、入手する場所は何処にでもある。では、きみの考える疑問は何かな」
にやにやと、綺麗な顔に似合わない性悪な笑み。
まるで悪鬼のような、天使のような。まるで魔女のような、聖母のような。
相反する性質。鏡のような二面性。
「ふむ。理解できたよ。『何故、《
百年以上生きる存在。死なない存在。
知っている。見たことがある。それでも――あれは、一代限りの変種だったはずだ。
「残念ながら、きみの考える説は否定せざるをえない。『死なない体の少女』なんて、円朽葉一種だけの突然変異だ。そんなミュータントと同列にされては困る。僕はまだぎりぎりであれ、人の身を保っている人間だからね。おやおや、『ならば何故だ』とでも言いたそうな顔だね。それを説明するには、とてもこのような間隙の時間では事足りるまいよ。長期連休にきみが八十時間異常の講義を受ける余裕があるのなら構わないが、色々と忙しい人間に見えるからね。理論上の説明はとても出来ないさ。残念だったね」
彼女がぼくを見る。ぼくも、それに見返す。
「ふふ。物欲しそうな顔だね。分かったよ、特別にサルでも赤子でも間抜けな戯言遣いでもよく分かる説明をくれてやるさ。僕の持つスキルは、単純なハッキングによるプログラムの書き換えだ。おやおや、『《領域内部》の一人にしては、随分としょぼい技能だ』とでも言いたそうな顔だね。舐めてもらっては困るな。僕の場合は、ハッキングの先が特殊でね」
カタ、カタ、と空中にある鍵盤を叩く素振り。
「僕のハック先は、他人の脳髄だ。人体情報も情報には変わりないから、そこに存在するプログラムを書き換えることも可能となる。この辺りの説明は省くが、これにより『人格プログラム』の書き換えや主記憶装置の情報操作も可能となる。この技術については殺戮奇術集団・匂宮雑技団にも提供したが、夜織すら知らないきみに《
「……それは知ってる」
「ああ、そういえばきみは確か《人喰い》の兄妹と縁が合ったのだったな。ならば《断片集》についても多少なりと知識を得ているも道理か。詳しい説明、とまではいかないが物のついでだ。《断片集》についても少し教えてあげよう。そんなあからさまに嫌そうな顔をしないでくれ。興奮してくるだろう」
こいつ、本当に根っからのサディストだ。
「《断片集》は、五つの体を一つの精神で共有した、ある意味においては究極の匂宮だ。そして、あれを作ったのは勿論僕。オリジナルとなる者の人格を匂宮の『失敗作』にコピーアンドペーストをしただけさ。単純な同一人物の五人。さあ――ここまで言えば、今の僕が『何』なのか分かるだろう」
初めて、彼女が、ぼくの答えを待つ。
答えることなど、決まっているけれど。
「お前は」
彼女の絶え間ない冗長なお喋りとは全く違う、重い口振りで問う。
「何人目の、日中涼だ」
「二十七人目だよ、少なくとも僕はね。僕の知っている最新の情報においては、日本全国に十五人生きている。おやおや、そんな殺人者を見るような目はやめて欲しいな。残念ながら僕はマゾヒストではないんだ」
「殺人者だろう。少なくともお前は、二十六人の人格を消して自分に仕立て上げた。これを殺人と呼ばずして、何と呼べるんだ」
「真っ当な人間を相手に、その言い草はひどいな。僕は殺したわけではないよ。僕が書き換えられるのは、『心が壊れた人間』だけだからね。まともに処理能力のある脳髄相手にして喧嘩を売るほど愚かじゃない。この娘は凄かったよ。心が完全に死んで、廃人の一歩手前だった」
ぼくは何も言わない。
「おやおや、『この外道』とでも言いたそうな顔だね。きみに言われたくはないよ。きみほど最悪な人間は、僕の長い人生でも二十人足らずしかいない」
最低な知り合いが多すぎだ。
「交友関係は手広いものでね。おっと、話が随分と逸れてしまったな。話を戻そう。二十年前に消息を絶った零崎夜織だが、どうやらその子供がいるらしいんだ。名前までは知らないがね。僕はそれを調べるために、この学校に潜入している。おやおや、『何故この学校にいると分かるんだ』とでも言いたそうな顔だね。単純な話さ、子供の年齢がこの範囲内にあるだけというね。この辺りにある学校はこの一校だけだというのもあるが。まぁ、零崎の混血が潜んでいる割に、この学校は概ね平和なのが問題ではあるがね」
「……ぼくに何をさせるつもりだ」
「零崎を見つけたら、僕に教えてくれればそれでいい。もし手伝ってくれるのなら、こちらも相応の礼はさせてもらおう。何なら僕をあと二人連れてきて、性的な娯楽を楽しんでも構わない。性欲に興味がないというのであれば、僕のスキルで何かしら手伝わせて貰おう。残念だが現金を請求させるのは困るんだ。僕は貧乏でね」
そんな簡単なことで。
ただそれだけのことで。
ぼくに正体を晒したというのか。
「勘違いをしないで欲しいのだが、僕にとって正体を明かすことは、何一つ危険を伴わないのだよ。手伝わないというのであれば、今ここできみの記憶を削除するだけさ。よく考えてみるといい」
くくっ、と彼女が笑う。
「《領域内部》があれだけ大規模な活動をし、そして多大なる損失を齎し、それでいて何一つ証拠を残していない事実を鑑みたまえ。僕は、誰であったところで記憶の操作は容易なのだよ」
正体を明かしたところで、ぼくの記憶を操作することのできるスキル。
正体を晒したとことで、何一つ損失に結びつかないスキル。
それが存在するゆえの、自信。
それが自信のある、存在。
「……もし、ぼくが零崎に関わることがあれば、報告するかしないかを自分の中で結論をつける。その結果が良ければ、報告する」
「曖昧な答えだね」
「そもそも、即答しろという方が間違いだろう。あんたのことは誰にも言わない。信用できないというのなら、今すぐここで記憶を操作すればいい」
ぼくに出来る、最大級の譲歩。
これで断るのなら――縁がなかっただけだ。
「いいだろう。嘘は言っていないようだからね」
「どうかな。ぼくは嘘吐きだからね」
「嘘なら、聞けば分かるさ。僕はそういう風にできている」
くくっ、と別れの挨拶とばかりに、含み笑いをしたのち。
「――それでは先輩、失礼します」
優雅に一礼をして。
彼女は、『天野美汐』に戻った。
「お前ってほんと、死んだ魚みたいな目してるよな」
そう失礼な言葉をほざきやがったのは、分かりやすく潤だった。昼休みも残り十分。ぼく以外の面々は、全員既に教室へと戻ってきていた。
「昼休みに何があったんだ? そんなんじゃもうお前のこと『いのすけ』じゃなく『うおのめ』って呼ぶぞ」
「関連性を教えてほしい台詞だね」
ふう、と息を吐く。妙に、肩が凝っていた。
「ちょっと一年生の女子に呼び出されてね。通りすがりの初対面なのに、熱烈なアプローチを受けて困ってしまったよ。ぼくのことを前から知ってるみたいな口振りだったから、驚いたけどね」
「へー」
明らかに戯言と捉えている、潤の空返事。まあ、戯言だけどさ。
「で、お前は何て言ったんだ?」
「最大級の譲歩をして、お友達になってきたさ。これからの行動次第では、ランクアップする可能性もあるね」
嘘は言っていない。大事なことを言っていないだけだ。
「そういえば戯言遣い君、部室棟にいたわね」
横から口を挟んでくる香里ちゃん。
「一緒にいた娘、一年の天野さんでしょ?」
ぐあ。特定されてるししかも見られてるし。まさか会話までは聞かれていないと思うけれど。
「天野さんって、おとなしそうに見えて意外に積極的なのね」
「……というか、なんで香里ちゃんがあの娘を知ってるのかな?」
言い終わる前に、襟首を潤に掴まれた。
「あ、あ、あ、あ、天野美汐ぉっ!? 一年で学年トップの知的クールビューティが、お前に告白っ!?」
成程。有名人だったのかあいつ。
「てめえ何をしたっ! 薬か? 薬なんだな! この外道! ちょっと分けろ!」
「まず落ち着け。そして手を離せ」
言いながら、目線だけで名雪ちゃんを見る。寝てて良かった。起きていたら、間違いなくご機嫌斜めになる内容だろうから。
「バカやってないで、早く行くわよ。次の授業は化学室ってこと忘れてるの?」
香里ちゃんが立ち上がる。潤も渋々、「ちくしょう、なんでこいつばっか……」などとぶつぶつ呟きながらそれに続いた。名雪ちゃんは……相変わらず寝ている。
「二人は先に行ってて。名雪を起こしてから行くわ」
はー、と頭を抱えながら香里ちゃんが言う。秋子さんでも苦労した、名雪ちゃん起こし。ぼくにそれが出来る日は永遠に来ないだろう。
「そんじゃいのすけ、行くか。途中でもてる秘訣とか教えろよ」
「うん。まずそのアホみたいに染めたアホみたいな金髪を元に戻した方がいいよ。アホみたいだから」
潤が顔をしかめる。大人の助言をしてあげたというのに、どうやらお気に召さなかったらしい。
滞りなく、放課後。
「いっくん、放課後だよ♪」
「ふーん」
興味のない声で返す。実際、分かりきってるのだから興味など何一つない。
「わたしは部活に行ってくるけど、一人で帰れる?」
「さすがに道くらいは覚えてるよ。安心して」
と、会話したのが約一時間前。
ぼくは商店街らしき場所にいた。
特に欲しいものがあったわけではない。買うべきものがあるわけでもない。単純に足が自然とこちらを向き、気づけばここに来ていただけだ。端的に言えば、迷った。
「あー、ほんと傑作だ」
人間失格の口癖を真似てみたが、何の進展もない。
今日はただでさえ色々なことがあったのだから、早く帰って休みたいのだが。まあ、どうせ買い食いするつもりだったから丁度いいといえば丁度いいのかもしれない。
空腹でぼくの反応が遅れたためか。
方向転換もできない速度で突進してきた彼女の猪突猛進か。
はたまたこれも、彼の言い方からすれば『物語』の一部だったのだろうか。
半ばまで溶けた雪道を走る、羽のリュックを背負った少女と。
ぼくはこの時、出会った。
「うぐぅ~~~~~~~っ! そこの人どいて~~~~~~っ!!」」