もう一つの<ロンゲスト・マーチ>──十三日戦争の鏡像 作:フリードリヒ・フォン・グリュツマッハー
西暦二十世紀後半。人類の分断は決定的なものとなっていた。一部の中立的な中小国を除いて、ほとんど全ての国家が二大大国の傘下に収まっていたのだ。
序文でも触れたように、二大大国は相手の優位に立とうといたちごっこを続けていた。終わりの見えない軍拡競争によって経済は逼迫し、国家間の緊張は高まるばかり。人々は脅威の高まりを感じながら日常生活を送っていた。二大大国は国家ぐるみでプロパガンダを量産し、大衆に対し、仮想敵国が如何に恐ろしく残虐な侵略国家であるかを効果的に宣伝していた。国際紛争を調停し、国家間協力を目指す組織であった「国際連合」も、世界を牛耳る二大大国がこの有様であったから、既に形骸化していたであろうことは想像するに難くない。
この時代に関して一般的に知られている事実はこの程度である。核戦争の猛威と時の流れによって、多くの歴史的事象が闇へと消えていった。しかし、どうやらこの時代には、国家ぐるみのプロパガンダに抗い、科学の平和利用を唱えた人々が存在していたようだ。
西暦二〇〇七年。この状況を憂いていた科学者たちが、当時数少ない中立国であったスイスという国家の都市ジュネーヴに集結した。その数は五六九人であったとされている。ジュネーヴ国際会議場に集った彼らは、この会合の発案者であり、またこの会合によって結成された組織の議長に就任したニコライ・ソコロフの主導のもと、科学の平和利用、核軍縮、国際連合形骸化への抗議など、六ヶ条からなる<科学の平和利用と国際協調のための基本原則>を発表した。以下にその全文を掲載する。
一 科学の平和利用。如何なる科学的知識も戦争、人権抑圧、テロリズム等に使用されてはならず、むしろ人類全体の幸福にのみ使役されるべきである。
二 核兵器の全面放棄。核兵器は人類のみならず、地球そのものを破滅に追いやる可能性のある兵器である。よって今後は世界全体が核軍縮に努め、国際協調へと邁進すべきである。
三 虚構を含む政治的宣伝の禁止。そのような行為は国家間の緊張を高め、いずれは人類を全面衝突へと導く人道に対する罪である。地球市民には真実を知る権利がある。
四 中小国に対する軍事的圧迫の禁止。軍事力を用い、抵抗力のない中小国相手に大国の要求を押しつける行為は国際協調に対する挑発である。国家はその大小に関わらず、政治的独立と領土保全を保障されるべきである。
五 基本的人権の尊重。人間は人間である以上、不可侵の権利を持つ。心身を侵されない自由は当然保障されるべきであるが、さらに政治参画、言論、幸福の追求の自由を、国家は総力をあげて保障すべきである。
六 現在の国際連合の大幅な改革、もしくは全く新しい国際平和機構の設立。
これら六ヶ条の原則は、序文でも言及したが、私が
他はほとんどが情報操作が施された政府の所有物だったが、そのデータバンクだけは違った。件の原則を提唱した科学者たち、すなわち<憂慮する科学者同盟>が、後の世のために遺した巨大な知的財産である。彼らは世界中至るところで活動し、同じようなデータバンクを各地に秘密裏に埋蔵したらしい。未だアメリカ以外の地で彼らのデータバンクが発掘されたことはないが、いずれ新たなデータバンクが発見されるだろう。
当然ながら、彼らは世界中で弾圧を受けた。二大大国で活動しようものならあっという間に当局に目をつけられたし、中小国でさえ二大大国に脅され、同盟に参加した科学者を差し出す始末であった。同盟が禁止を訴えた中小国に対する干渉だが、その訴えは虚しくも叩き潰されたのだ。
だが、弾圧に耐え、平和への訴えを絶やさなかった科学者たちの努力は実り始めた。世界各地で同盟を公然と支持する者が現れ始めたのだ。やがて富豪や芸術家など影響力を持つ者たちも、同盟を支持し始める。西暦二〇一一年時点で、同盟支持を表明した科学者は一万人を超えていたようだ。二大大国は渋々規制をゆるめた。そうでもしない限り、大規模な反政府活動を招きかねなかったからだ。西暦二〇一一年には
西暦二〇十四年七月に、収監されていた最後の科学者であった原子物理学者のルイス・ヘザーが釈放されると、同盟はようやく安堵のため息をつくことが出来たのであった。その僅か四半世紀後に、人類が核の炎に飲み込まれることも知らずに。