もう一つの<ロンゲスト・マーチ>──十三日戦争の鏡像   作:フリードリヒ・フォン・グリュツマッハー

7 / 8
第二章 星々に手を伸ばして Ⅳ 有人火星探査⑴

 北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)が宇宙船<ニール・アームストロング号>を打ち上げ、西暦二〇二七年八月に人類史上初の火星着陸、即ち地球以外の惑星への初着陸を達成したのは、先に述べた通りである。最初の有人火星探査は着陸時の事故による全搭乗員の死亡という悲劇に終わっただけに、二度目の探査計画の成功は全世界に歓喜と驚愕をもたらした。

 

 <憂慮する科学者同盟>のデータバンクには有人火星探査計画の詳細データも記録されていた。紙幅の都合上その全てについて解説することはできないが、当時の火星探査を概観する上で必要と思われる情報に関しては、詳細に述べていくこととしよう。

 

 まず船員たちについてである。以下に船員の名前、所属や階級、役職等を列挙していく。

 

前期航宙担当船員

一 ヘンリー・ストックトン・・・アメリカ宇宙軍少佐。生物学者でもあり、船長を務めた。

二 ジョン・カーター・・・アメリカ宇宙軍大尉。天体物理学者。

三 ピーター・グライムズ・・・アメ(N)リカ(A)空宇(S)宙局(A)所属。システム・オペレーター兼地質学者。

四 ルイ・フォーク・・・アメ(N)リカ(A)空宇(S)宙局(A)所属。メカニカル・エンジニアと操縦士を兼ねた。

後期航宙担当船員

一 ナサニエル・グッドマン・・・アメリカ宇宙軍大尉。原子物理学者兼副船長。

二 マーク・ワトニー・・・アメ(N)リカ(A)空宇(S)宙局(A)所属。メカニカル・エンジニアと植物学者を兼ねた。

三 ハーバート・ウェルズ・・・民間企業<アストロ・パイオニア社>所属。原子炉技術者。

四 エメット・ブラウン・・・民間企業<ブラウン・エンタープライズ>所属。システム・オペレーター兼化学者。

 

 見ての通り、全員がアメリカ人である。アームストロング大統領が火星探査の船員の人選にまで口を出していたかどうかは定かではないが、少なくとも彼の民族主義的傾向が反映されていることは明らかである。名目上北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)の宇宙開発計画として火星探査を行うならば人選により多様性を持たせるべきだ、という批判も確かに存在したが、その声はそれほど大きなものではなかった。というのも、二〇二〇年の失敗がトラウマになっていた各国は、火星探査計画に対してかなり消極的であり、この計画に自国が関わらないのであれば大きな問題であるとは見做さなかったからだ。アメリカが北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)の名前を使って火星探査をすることを止める理由も、実はほとんどなかった。資金のほとんどはアメリカの懐から出たもので、構成国全体の負担は許容できる程度のものでしかなかった。むしろ、火星探査のデータは構成国間で共有されることとなっていたため、アメリカ以外の国々からすれば、自身の懐を寒からしめることなく宇宙開発のデータを手に入れることのできる好機であったと言ってよい。アームストロングは、火星探査で得られたデータはいずれ軍事利用するつもりであっただろうから、それをあらかじめ北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)の構成国間で共有する目論見があったのだろう。

 

 他に特筆すべき点としては、民間企業が火星探査計画という国家プロジェクトに大きく関与した、ということであろう。船員名簿にも民間企業所属の人間が名を連ねている。西暦二〇世紀においては、宇宙開発は国家の独擅場であった。しかし西暦二十一世紀ともなると古い機密情報の解禁が進み、少なくとも西側では民間企業にも宇宙開発参入の機会が与えられるようになった。国家と提携して宇宙開発を行う企業も登場し、軍事分野に深く関与しない範囲であれば、国家と民間企業との情報共有がなされた。このことから、今回の火星探査に民間企業が参加しているのも、この計画が軍事目的でないことを強調する目的があったであろうことが伺える。これは国家が生産手段を独占し、ほぼ全ての企業が国営であった東側陣営、即ち後の三大陸(ユナイテッド・ステーツ・)合州国(オブ・ユーラブリカ)では見られなかった傾向である。この時代の国家=企業の提携によって成る宇宙開発の歴史に関しては、ローラン・ミシェル氏の著作を参照されたい。

 

 さて、続いて火星探査の旅程についてである。当時の地球=火星間の距離は約七五〇〇万キロメートル、現代の宇宙航行で主に用いられる単位に直すと二五〇・一七光秒ということになる。現代の宇宙船であれば立体映像(ソリビジョン)を眺めるなりうたた寝をするなりしていれば終わってしまうような旅程であるが、我らの祖先はこの「小旅行」に二四〇日あまりの月日をかけなければならなかった。同星系内での惑星間航行、それも艦隊行動ではなく単機による航行など、今の技術であれば航行コンピュータに全てを任せてパイロットは好きに時間を潰せるものである。しかし、当然<ニール・アームストロング号>では訳が違う。

 

 まず物資の節約の問題である。これを解決するにあたって、我らの祖先は旅程を前期と後期に分け、それぞれの期間に四名ずつ船員を振り分けた。自身の担当外の期間、船員たちは冷凍睡眠(コールド・スリープ)状態で待機していた。ワープ航法が普及した現代ではほとんど使用されなくなったこの技術だが、本格的に実用化されたのは、どうやらこの有人火星探査においてらしい。旅程の半分が過ぎると眠っていた後期航宙を担当する四名の船員たちは目を覚まし、技術がまだ未熟だったため克服できていなかった倦怠感や軽い精神錯乱、幻覚といった冷凍睡眠(コールド・スリープ)後の副作用の回復期間を経ると、眠りにつく前期航宙の船員に代わって任務を引き継いだ。

 

 この副作用だが、どうやらその危険性については当時まだ不透明な点が多く、実は実用化も危ぶまれていた。北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)政府は、「副作用は一時的なものであり、精神錯乱が再発したり後遺症が残ったりすることはない」、と安全性を喧伝していたらしいが、限定的な動物実験に関するデータしか持っていなかった<憂慮する科学者同盟>は冷凍睡眠(コールド・スリープ)の実用性に懐疑的であったという。情報開示を求める同盟の要望も、機密保持を名目に叶えられることはなかった。ともかく二度目の有人火星探査は実行され、結果的に成功することとなった。しかし、最初の有人探査での事故が、実は冷凍睡眠(コールド・スリープ)の副作用によるパイロットの錯乱に起因したものだったとする俗説が流れていたという情報も残されている。いずれ詳しく述べるが、北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)はやはり冷凍睡眠(コールド・スリープ)の危険性を隠匿していたようで、二〇三〇年にアレックス・ターナーという医師がそれを内部告発した。彼は亡命の後に同盟へと参加することとなる。

 

 軌道修正も大きな課題であった。これも現代では航行コンピュータが自動で済ませてくれるが、当時において航路計算を最終的に航路に反映させるのは人間の手だった。彼らは天体の重力や太陽光の圧力といった諸要因を全て考慮に入れ、地球の管制塔と連絡を取りつつ、ズレを修正して旅を続けなければならなかった。だが、無論超(F)(T)(L)信などまだ存在しないため、管制塔との通信のタイムラグも考慮する必要さえあった。我々は惑星間の道のりなど今や軽々と踏破できるが、先人たちが道を切り開くまで、そこには数々の障害が積み重なっていたのである。

 

 そうして八名の船員を乗せた<ニール・アームストロング号>は二四〇日あまりの間虚空を旅し、当時の地球の総人口八四億人が中継映像を注視する中火星周回軌道へと到達した。火星着陸に当たっては専用の降下船<ボールド・イーグル>が用いられ、<ニール・アームストロング号>は一年後の帰還任務まで周回軌道上で待機することとなった。火星での任務で必要となる物資は事前に火星赤道付近の<ジェゼロ・クレーター>に投下されていたため、降下船はその地点を目指して着陸を試みた。

 

 降下船<ボールド・イーグル>についても詳しく述べたい。同機はアメリカ合衆国の国鳥であった白頭鷲の名を冠している。その名にちなみ、その外殻である耐熱カプセルの上部は純白に、他は褐色に塗装された。火星降下の際、大気圏との摩擦熱でカプセルの表面温度はおよそ一五〇〇度にまで上昇する。船員たちを保護するために、耐熱カプセルの内側には冷却剤循環システムが張り巡らされていた。そこから二段階の断熱素材を挟んで船員たちが乗り込むスペースに至る。鉄さえ融解するほどの高温から人体を保護するため、先人たちはいくつもの策を講じたのである。

 

 当時降下手段として一般的に用いられていたのは「パラシュート」と呼ばれる装置である。これは広い面積の布を広げることで空気抵抗を得、それによって落下速度を緩める、という仕組みのものであった。しかし、当時の火星に大気はほとんど存在していなかったために十分な空気抵抗を得ることは叶わず、これだけでは降下船は火星地表面に激突してしまう。そこで、<ボールド・イーグル>には通常のパラシュートに加え、十六基の主要推進装置(プライマリ・スラスター)と四基の補助推進装置(バーニア・スラスター)が取り付けられた。補助推進装置(バーニア・スラスター)で姿勢制御を、主要推進装置(プライマリ・スラスター)とパラシュートで落下速度の低減を目指したのである。

 

 第一次探査隊の失敗を受け、<ボールド・イーグル>にはパイロットを補佐する自動操縦(オート・パイロット)に地面を検知するレーダーの精度向上、推進装置(スラスター)の出力強化といった改良がなされた。まさに当時の先端技術の粋を集めた叡智の結晶であった。

 

 着陸に際しては非常に繊細な操作が要求された。重力制御も慣性制御も存在しない時代の原始的な惑星降下など、想像するだけで身の毛がよだつ。それまで人類が火星に送り込んできた無人探査機ならば全く問題のないような多少の衝撃でも、生身の人間には致命傷になりうる。人間八人が入った容器を火星地表にたたきつける様子を想像してみてほしい。精密機器(無論当時の基準だが)が満載されているとはいえ、アルミニウムやチタンでできた頑丈なロボットに比べれば、人間は無情なまでに脆い。先述の通り、第一次探査隊も着陸時の事故で全滅している。失敗は許されなかった。

 

 船員たちの極度の緊張と、地球市民たちの熱気を帯びた好奇の眼差しとは裏腹に、降下船は拍子抜けするほど容易に着陸を果たした。降下船での録音が残っている。

 

(着陸二五分前、<ボールド・イーグル>が火星大気圏に突入する直前)

ヘンリー・ストックトン船長:ヒューストン(管制塔が所在したアメリカの一都市)へ、こちら<ボールド・イーグル>。現在の高度はおよそ一五〇マイル、まもなく火星外気圏へ突入する。

ナサニエル・グッドマン副船長:地球の連中がこれを聞くのは二〇分後ですか。

ストックトン:それで、返事が来るのは四〇分後。そのころには俺たちももうとっく地表に着いてるだろうよ。全員無事か、あるいは最初の奴らと同じになってるか──

ピーター・グライムズ:縁起でもないこと言わないでくださいよ。我々の命運は、最終的にはあなたの指揮にかかっているんですから。

ストックトン:分かってるよ。さあ、いよいよだぞ、諸君。ここからが正念場だ。降下船の入射角を調整する。補助推進装置(バーニア・スラスター)噴射。

(四〇秒程度の沈黙)

グッドマン:地表との角度、約十二度。自動操縦(オート・パイロット)は正常にやってくれているみたいですね。

ストックトン:よし、上出来だ。何度も言ってきたことだが、俺たちは訓練通りやればいい。焦るなよ。

ストックトン以外の全員:イ()ス・()ー。

 

以降の会話は紙幅の都合上割愛させていただく。興味を抱かれた読者は原典の録音と翻訳がテオリア帝国大学により公開されているため、そちらを参照されたい。この後、<ボールド・イーグル>は大気との摩擦により大きく落下速度を減速させ、また大気との摩擦熱によって生じた高温のため地球との交信を一時的に途絶させた。さて、場面は飛んで、以下は火星大気圏突入後の記録である。

 

ルイ・フォーク:全推進装置(スラスター)、パラシュート、全て正常(オール・グリーン)。繰り返す、全て正常(オール・グリーン)

ストックトン:了解。まもなく着陸態勢に移る。総員、衝撃に備えろ。

フォーク:パラシュート、開傘。

マーク・ワトニー:開傘を確認。(約二〇秒の沈黙)耐熱カプセルも放棄されました。

ストックトン:着陸脚を展開する。

フォーク:了解。展開を確認。

グライムズ:着陸レーダー、地表を感知。角度が少々浅すぎます。六度ほど調整してください。

ストックトン:了解。

ストックトン:主要推進装置(プライマリ・スラスター)、噴射。

(約九分間、グッドマンが航法データを読み上げ続ける)

グッドマン:地表まで約一〇〇〇フィート。

ストックトン:了解。物資は確認できたか?

ワトニー:できました。ただ、やはり事前報告の通りかなりばらけてます。

ストックトン:構わん、想定内だ。ローバーのコンテナはわかるか?

ワトニー:確認できました。このまままっすぐ降下しても問題ないくらい近くにいますよ。

(約二分間、グッドマンが高度の読み上げを続ける)

グッドマン:地表まで約一〇〇フィートです。

ストックトン:いよいよだぞ、諸君。

グッドマン:七〇、六〇、五〇、四〇、三〇──

ストックトン:よし、いいぞ──

グッドマン:残り一〇フィート──

ワトニー:着陸灯点灯!やりました!

(船員たちの歓声が響き、音声が割れる)

ストックトン:・・・停止、おい静かにしろ!(歓声がやむ) 全推進装置(スラスター)停止。機体姿勢の安定を確認。ヒューストン、ヒューストンへ、鷲は舞い降りた。こちらジェゼロ、ジェゼロの基地。繰り返す、鷲は舞い降りた。我々は成し遂げたんだ。

 

 

 「鷲は舞い降りた」と「ジェゼロの基地」。ストックトンが口にしたこの二つの言葉は、アメリカが宇宙開発史に残した偉業の一つである月面着陸に由来する。「鷲は舞い降りた」とは、ニール・アームストロング船長が月面着陸の際に残した言葉である。月着陸船の名は「イーグル」。<ボールド・イーグル>と同じ鳥の名を冠した船である。そして「ジェゼロの基地」であるが、これも月面着陸が基となっている。ニール・アームストロング船長が着陸したのは月の<静かの海>であるが、彼は月面着陸の際、本来の着陸船名「イーグル」ではなく「静かの基地」というコールサインで地球の管制室と交信した。ストックトンは、アメリカの偉業である月面着陸をなぞるような発言をしたのである。アームストロング大統領の意向か、あるいはストックトンが月面着陸という偉業と自身らの功績を結び付けようと独断でそう発言したのか、今となっては知るすべはない。

 

 気の利くことに、<憂慮する科学者同盟>のデータバンクには、ストックトンが火星の地を踏む瞬間の映像も記録されていた。ストックトン少佐のヘルメットには小型カメラが搭載されていたようで、彼の一人称視点の映像は火星軌道上の通信衛星を介して地球へと送信され、ありとあらゆる映像パネルに映し出された。しかし、超(F)(T)(L)信のない当時の通信手段では、ストックトン少佐の両足が赤い地面を踏みしめた映像と、彼の勝ち誇ったような歓声とが地球に届くまでに二〇数分を要した。火星に降り立ったそのとき、少佐の脳内ニューロンは興奮を意味する激しい電気信号を慌ただしく伝達していただろうが、その興奮が地球世界に伝播した頃には、彼は既にアメリカ国旗と北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)国旗を火星の錆びた大地に打ち立ていた。まさに歴史的瞬間であった。




せっかく火星の話なので、船員名簿にしょーもないオマージュを仕込みました。火星に取り残された人とか火星にテレポートした南軍兵士とか火星人が攻めてくる小説を書いた人が紛れ込んでます。火星というかタイムトラベラーな某科学者が一人紛れてますが、これは彼の企業名ネタを使ってみたかったから出した、というだけです。


・追記
さすがに記述が甘い気がしたので、どうにか「それっぽさ」を出すために設定を追加しました。科学考証はガバガバです。これがハードSFにかぶれた歴史学徒の限界値です。細かいツッコミはむしろしていただいた方が後学のためにもなるので、もしこの辺の学問に強い方が読んでくださっているのならお願いしたいです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。