もう一つの<ロンゲスト・マーチ>──十三日戦争の鏡像 作:フリードリヒ・フォン・グリュツマッハー
<憂慮する科学者同盟>のデータバンクには有人火星探査計画の詳細データも記録されていた。紙幅の都合上その全てについて解説することはできないが、当時の火星探査を概観する上で必要と思われる情報に関しては、詳細に述べていくこととしよう。
まず船員たちについてである。以下に船員の名前、所属や階級、役職等を列挙していく。
前期航宙担当船員
一 ヘンリー・ストックトン・・・アメリカ宇宙軍少佐。生物学者でもあり、船長を務めた。
二 ジョン・カーター・・・アメリカ宇宙軍大尉。天体物理学者。
三 ピーター・グライムズ・・・
四 ルイ・フォーク・・・
後期航宙担当船員
一 ナサニエル・グッドマン・・・アメリカ宇宙軍大尉。原子物理学者兼副船長。
二 マーク・ワトニー・・・
三 ハーバート・ウェルズ・・・民間企業<アストロ・パイオニア社>所属。原子炉技術者。
四 エメット・ブラウン・・・民間企業<ブラウン・エンタープライズ>所属。システム・オペレーター兼化学者。
見ての通り、全員がアメリカ人である。アームストロング大統領が火星探査の船員の人選にまで口を出していたかどうかは定かではないが、少なくとも彼の民族主義的傾向が反映されていることは明らかである。名目上
他に特筆すべき点としては、民間企業が火星探査計画という国家プロジェクトに大きく関与した、ということであろう。船員名簿にも民間企業所属の人間が名を連ねている。西暦二〇世紀においては、宇宙開発は国家の独擅場であった。しかし西暦二十一世紀ともなると古い機密情報の解禁が進み、少なくとも西側では民間企業にも宇宙開発参入の機会が与えられるようになった。国家と提携して宇宙開発を行う企業も登場し、軍事分野に深く関与しない範囲であれば、国家と民間企業との情報共有がなされた。このことから、今回の火星探査に民間企業が参加しているのも、この計画が軍事目的でないことを強調する目的があったであろうことが伺える。これは国家が生産手段を独占し、ほぼ全ての企業が国営であった東側陣営、即ち後の
さて、続いて火星探査の旅程についてである。当時の地球=火星間の距離は約七五〇〇万キロメートル、現代の宇宙航行で主に用いられる単位に直すと二五〇・一七光秒ということになる。現代の宇宙船であれば
まず物資の節約の問題である。これを解決するにあたって、我らの祖先は旅程を前期と後期に分け、それぞれの期間に四名ずつ船員を振り分けた。自身の担当外の期間、船員たちは
この副作用だが、どうやらその危険性については当時まだ不透明な点が多く、実は実用化も危ぶまれていた。
軌道修正も大きな課題であった。これも現代では航行コンピュータが自動で済ませてくれるが、当時において航路計算を最終的に航路に反映させるのは人間の手だった。彼らは天体の重力や太陽光の圧力といった諸要因を全て考慮に入れ、地球の管制塔と連絡を取りつつ、ズレを修正して旅を続けなければならなかった。だが、無論超
そうして八名の船員を乗せた<ニール・アームストロング号>は二四〇日あまりの間虚空を旅し、当時の地球の総人口八四億人が中継映像を注視する中火星周回軌道へと到達した。火星着陸に当たっては専用の降下船<ボールド・イーグル>が用いられ、<ニール・アームストロング号>は一年後の帰還任務まで周回軌道上で待機することとなった。火星での任務で必要となる物資は事前に火星赤道付近の<ジェゼロ・クレーター>に投下されていたため、降下船はその地点を目指して着陸を試みた。
降下船<ボールド・イーグル>についても詳しく述べたい。同機はアメリカ合衆国の国鳥であった白頭鷲の名を冠している。その名にちなみ、その外殻である耐熱カプセルの上部は純白に、他は褐色に塗装された。火星降下の際、大気圏との摩擦熱でカプセルの表面温度はおよそ一五〇〇度にまで上昇する。船員たちを保護するために、耐熱カプセルの内側には冷却剤循環システムが張り巡らされていた。そこから二段階の断熱素材を挟んで船員たちが乗り込むスペースに至る。鉄さえ融解するほどの高温から人体を保護するため、先人たちはいくつもの策を講じたのである。
当時降下手段として一般的に用いられていたのは「パラシュート」と呼ばれる装置である。これは広い面積の布を広げることで空気抵抗を得、それによって落下速度を緩める、という仕組みのものであった。しかし、当時の火星に大気はほとんど存在していなかったために十分な空気抵抗を得ることは叶わず、これだけでは降下船は火星地表面に激突してしまう。そこで、<ボールド・イーグル>には通常のパラシュートに加え、十六基の
第一次探査隊の失敗を受け、<ボールド・イーグル>にはパイロットを補佐する
着陸に際しては非常に繊細な操作が要求された。重力制御も慣性制御も存在しない時代の原始的な惑星降下など、想像するだけで身の毛がよだつ。それまで人類が火星に送り込んできた無人探査機ならば全く問題のないような多少の衝撃でも、生身の人間には致命傷になりうる。人間八人が入った容器を火星地表にたたきつける様子を想像してみてほしい。精密機器(無論当時の基準だが)が満載されているとはいえ、アルミニウムやチタンでできた頑丈なロボットに比べれば、人間は無情なまでに脆い。先述の通り、第一次探査隊も着陸時の事故で全滅している。失敗は許されなかった。
船員たちの極度の緊張と、地球市民たちの熱気を帯びた好奇の眼差しとは裏腹に、降下船は拍子抜けするほど容易に着陸を果たした。降下船での録音が残っている。
(着陸二五分前、<ボールド・イーグル>が火星大気圏に突入する直前)
ヘンリー・ストックトン船長:ヒューストン(管制塔が所在したアメリカの一都市)へ、こちら<ボールド・イーグル>。現在の高度はおよそ一五〇マイル、まもなく火星外気圏へ突入する。
ナサニエル・グッドマン副船長:地球の連中がこれを聞くのは二〇分後ですか。
ストックトン:それで、返事が来るのは四〇分後。そのころには俺たちももうとっく地表に着いてるだろうよ。全員無事か、あるいは最初の奴らと同じになってるか──
ピーター・グライムズ:縁起でもないこと言わないでくださいよ。我々の命運は、最終的にはあなたの指揮にかかっているんですから。
ストックトン:分かってるよ。さあ、いよいよだぞ、諸君。ここからが正念場だ。降下船の入射角を調整する。
(四〇秒程度の沈黙)
グッドマン:地表との角度、約十二度。
ストックトン:よし、上出来だ。何度も言ってきたことだが、俺たちは訓練通りやればいい。焦るなよ。
ストックトン以外の全員:イ
以降の会話は紙幅の都合上割愛させていただく。興味を抱かれた読者は原典の録音と翻訳がテオリア帝国大学により公開されているため、そちらを参照されたい。この後、<ボールド・イーグル>は大気との摩擦により大きく落下速度を減速させ、また大気との摩擦熱によって生じた高温のため地球との交信を一時的に途絶させた。さて、場面は飛んで、以下は火星大気圏突入後の記録である。
ルイ・フォーク:全
ストックトン:了解。まもなく着陸態勢に移る。総員、衝撃に備えろ。
フォーク:パラシュート、開傘。
マーク・ワトニー:開傘を確認。(約二〇秒の沈黙)耐熱カプセルも放棄されました。
ストックトン:着陸脚を展開する。
フォーク:了解。展開を確認。
グライムズ:着陸レーダー、地表を感知。角度が少々浅すぎます。六度ほど調整してください。
ストックトン:了解。
ストックトン:
(約九分間、グッドマンが航法データを読み上げ続ける)
グッドマン:地表まで約一〇〇〇フィート。
ストックトン:了解。物資は確認できたか?
ワトニー:できました。ただ、やはり事前報告の通りかなりばらけてます。
ストックトン:構わん、想定内だ。ローバーのコンテナはわかるか?
ワトニー:確認できました。このまままっすぐ降下しても問題ないくらい近くにいますよ。
(約二分間、グッドマンが高度の読み上げを続ける)
グッドマン:地表まで約一〇〇フィートです。
ストックトン:いよいよだぞ、諸君。
グッドマン:七〇、六〇、五〇、四〇、三〇──
ストックトン:よし、いいぞ──
グッドマン:残り一〇フィート──
ワトニー:着陸灯点灯!やりました!
(船員たちの歓声が響き、音声が割れる)
ストックトン:・・・停止、おい静かにしろ!(歓声がやむ) 全
「鷲は舞い降りた」と「ジェゼロの基地」。ストックトンが口にしたこの二つの言葉は、アメリカが宇宙開発史に残した偉業の一つである月面着陸に由来する。「鷲は舞い降りた」とは、ニール・アームストロング船長が月面着陸の際に残した言葉である。月着陸船の名は「イーグル」。<ボールド・イーグル>と同じ鳥の名を冠した船である。そして「ジェゼロの基地」であるが、これも月面着陸が基となっている。ニール・アームストロング船長が着陸したのは月の<静かの海>であるが、彼は月面着陸の際、本来の着陸船名「イーグル」ではなく「静かの基地」というコールサインで地球の管制室と交信した。ストックトンは、アメリカの偉業である月面着陸をなぞるような発言をしたのである。アームストロング大統領の意向か、あるいはストックトンが月面着陸という偉業と自身らの功績を結び付けようと独断でそう発言したのか、今となっては知るすべはない。
気の利くことに、<憂慮する科学者同盟>のデータバンクには、ストックトンが火星の地を踏む瞬間の映像も記録されていた。ストックトン少佐のヘルメットには小型カメラが搭載されていたようで、彼の一人称視点の映像は火星軌道上の通信衛星を介して地球へと送信され、ありとあらゆる映像パネルに映し出された。しかし、超
せっかく火星の話なので、船員名簿にしょーもないオマージュを仕込みました。火星に取り残された人とか火星にテレポートした南軍兵士とか火星人が攻めてくる小説を書いた人が紛れ込んでます。火星というかタイムトラベラーな某科学者が一人紛れてますが、これは彼の企業名ネタを使ってみたかったから出した、というだけです。
・追記
さすがに記述が甘い気がしたので、どうにか「それっぽさ」を出すために設定を追加しました。科学考証はガバガバです。これがハードSFにかぶれた歴史学徒の限界値です。細かいツッコミはむしろしていただいた方が後学のためにもなるので、もしこの辺の学問に強い方が読んでくださっているのならお願いしたいです。