「ぼ、僕だって……ヘロヘロのお前を放っておけるほど、落ちぶれちゃいないんだよ!」
僕は臆病者だ。傷つくのが嫌でいつも安全な場所にいた。
だけどここで翠星石達を助けないなんていう選択肢はないんだ!
「くっ……うぐ……っ!」
レンピカと呼ばれた精霊が僕に牙を向く。
身体が引き裂かれてしまいそうな痛みが走った。
だけどここで僕が倒れたらみんなが……。
「人間! 駄目です! 逃げるです!」
翠星石の悲痛とも言える嘆きが聞こえる。
「うあっ!」
四肢が悲鳴を上げる。押しつぶされてしまいそうだ。
無理だ……逃げてしまいたい。だけど……逃げてしまえば前と同じじゃないか。
「レンピカ! 止めるんだ!」
蒼星石はそう呼びかけるが勢いは止まらず増しつつもある。
「レンピカはもう私の物。無駄よ、蒼星石」
水銀燈の余裕な声。
嫌な汗が流れる。痛みでどうにかなってしまいそうだ。
「人間!」
普段聞くような人を馬鹿にしたような声色じゃない。
本気で心配しているように思えた。
だからこそ頑張らなきゃ。僕が……。
「うわあああああ!!」
苦痛の声が思わず漏れる。
明らかに僕の体は限界だ。一体どうすれば……。
「水銀燈! スィドリームを渡してやるです!」
「す、翠星石……」
翠星石は唐突にそんなことを言い出した。
それは大切なものなんじゃないのか。
「す、翠星石……っ」
レンピカ同様、おまえにとってそれは半身みたいなものだろ。
「だからこれ以上ジュンを傷つけないで!」
翠星石は手の平にスィドリームを出す。
「駄目だ……止めろ……翠星石……」
声を絞り出して止めようとするが、それを翠星石は平然と無視する。
そして水銀燈の下へスィドリームを差し出そうとした瞬間――
「や、止めてあげてレンピカさん……い、痛いのは悲しいから……」
誰かの声が部屋に響く。か細いのによく通る声だった。
その声が届いたのかレンピカから敵意が無くなり、そのまま本来の持ち主である蒼星石の下へと戻っていった。
「なんですって!」
水銀燈は状況が飲み込めず茫然としていた。いきなり自分の支配下にいた精霊が自分から離れたんだ。 僕自身も今は何が何だかさっぱりだ。
僕の横でこつんと小さな足音が聞こえた。
蒼星石でも翠星石でもない第三者の足音。
「痛いことはや、止めませんか? き、傷つけあっても悲しいだけですから……」
気づけば横に人形がいた。長い黒髪に和服姿。それは日本人形のようだった。
人形はびくびくとしながらも僕たちの前に出た。
「あなたは……」
「君は……」
翠星石と蒼星石も突然の来訪者に驚いた様子だ。
「あなた……誰かしら」
水銀燈は顔を顰めて明らかに警戒をしていた。
「わ、私は永久星《とわぼし》。第八ドールのローゼンメイデンです……」
俯いて手をもじもじとさせて答えた。
水銀燈や翠星石達は目を大きく開けて驚いていた。
「嘘……お父様に作られたドールは全部で七体のはずですぅ!」
「こんなことって……」
翠星石達が知らないドール……いったいどういうことなんだ?
「あり得ない……第七じゃなくて第八ですって……」
水銀燈ですら受け入れずに茫然としていた。
「あの……よろしくお願いします……仲良くしてください……」
殊勝に頭を下げて自己紹介をしていた。
何というか、ある意味空気が読めてない人形だ。
そんな姿を見てか水銀燈もいらいらした様子だ。
「仲良くしてくださいって……? あなたふざけてるの!」
「ふ、ふざけてなんて……」
根は臆病なのか常にとびくびくしている。
本当にローゼンメイデンなのか?
そのとき、どこからか光の玉がふわふわと永久星の周りに浮かぶ。あれは精霊……。
「プロスタ……うん! 私頑張るから。」
水銀燈に向かって顔を上げた。さっきと打って変わって決意を秘めた表情に見えた。
「私たちは姉妹同士なんですよね? 争うことなんてしないでください!」
「ウフフ……アリスゲームは私達にとって使命そのもの。何を迷うことがあるのかしら」
真紅達の生みの親であるローゼンが望んだ究極の人形『アリス』
すべてのローザミスティカを集めたときに『アリス』になれると言われている。
だけど……そのためには戦うことは避けられない。
「それでも傷つけあっちゃ駄目です! 同じローゼンメイデンが戦うなんて悲しいじゃないですか!」
「……いらいらするわね。だったらあなたからジャンクにしてあげる!」
水銀燈は鋭利な黒い羽根をこっちに向かって飛ばしてくる。
永久星は「ひっ!」と声を上げて立ち尽くしていた。
羽がまともに当たればひとたまりがないことは僕自身が知っている。
だからと言って僕も避けることもできずに……目を伏せて覚悟するが、いつまでたっても衝撃はこない。
眼を開けると永久星は手を前に突き出している姿。黒羽はすべて手前で落ちていた。
「私の攻撃をっ!」
水銀燈は攻撃を塞がれて困惑していた。
もう一度黒羽で攻撃してくるが手前で何かに弾かれてすべて墜落した。
「すごい……」
真紅ともまた違った力を持ち合わせるドールだと思った。
永久星の背中は妙に頼もしく見える。
「わ、私の障壁はそう簡単には破られないと思います……多分」
当の本人は自信がなさそうではあるけど。
「第八ドール……っ! さっきから気に障るのよ! さっさとジャンクになりなさい!」
水銀燈は更に攻撃を加えようとするが……。
「スィドリーム!」
「レンピカ!」
翠星石達の攻撃によって守りに入らざる得ない状況に追い込まれた。
「くっ! 今日のところは退かせてもらうわ。次はあなたたち全員のローザミスティカを奪ってあげる」
この場は分が悪いと考えてか、水銀燈はこの場から姿を消した。
「はあぁぁ……助かったぁ……」
水銀燈という重圧が消えたこともあって急に身体の力が抜ける。
「翠星石は大丈夫か?」
ふと見ると目立った怪我はしてなさそうだった。
「ち、ちび人間! 翠星石を心配するなんて100億万年早いですぅ!!」
「大丈夫に決まってやがるです!」といつもの調子に戻っていた。
その姿に僕は安堵した……とういうか何であの性悪人形のことを気にしなきゃだめなんだ!
「助かったよ、ありがとう」
翠星石の妹である蒼星石が永久星に感謝を告げる。
「あ、いえ……みんなが傷ついてほしくなかったから……」
気の弱そうな奴だけど悪い人形ではなさそうだな。
「それで……君は本当に八番目のドールなのかい? 七体目が現れたというのであればまだ信じられるのだけれど」
「い、いえ。私はお父様に作られた八番目のドールです……私は最近作られたんだと思います……多分」
「……確かに。君はどの時代にも見たことがない。だったら何故お父様は八体目を……」
「悩んでいるところ悪いけどさ……」
蒼星石には悪いがまずやることがある。
「部屋……どうするんだ?」
物が散乱して挙句の果てには窓ガラスも割れたままだ。
「……そうだね。片づけからしようか。ほら、翠星石も手伝って」
「わ、分かったですぅ」
「私も……」
「僕もやるよ」
手分けしてテキパキと掃除をする。
「ん?」
ちらりと窓の外が視界に入る。
窓辺から覗いた空には満天の星が輝いていた。
「なぁにやってるですか人間! さっさと掃除するですよ!」
「わ、分かってるよ! お前こそサボるなよな」
記憶に焼き付けられた星空。
なぜか忘れちゃいけないと思った。