その日、ゾフィスは一つのミスを犯した。
たまたま、日課の石板探しで疲れた帰りだった。
たまたま、ココが車に轢かれる寸前で焦っていた。
たまたま、その場に多くの人間が居たせいで催眠による隠蔽をする必要があった。
それ故に……普段は必ず忘れない魔力の隠蔽を、ほんの少しだけ漏らしてしまった。
そう、全ては偶然の積み重ね…だがその偶然が最悪の結果を産んだ。
「ファノン!」
牙を持つ獰猛な獣のようなエネルギーの塊がゾフィスを狙うも、木々の間を縫うように駆けるゾフィスを捕らえきれずに数本の木を薙ぎ倒し消滅する。
「ハハッ!リオウ、お前が警戒する程の魔物だって言うからどんな化け物かと思えば…逃げ回るだけのネズミだな、ありゃあ」
緑掛かった長い金髪の男が隣に立つ獅子のようなたてがみを持つ四つ足の魔物に笑いかける。
「油断するなよバニキス…だが、奴がパートナーと出会えていなかったのはラッキーだった
この王を決める戦いに参加する百人の魔物の子…その中でも竜族の神童や雷帝に次ぐ優勝候補、『爆炎』ゾフィス
ファウードを復活させた後に始末する予定だったが、好都合だ」
手に持つ宝玉が嵌められた杖を握り締め、リオウは嗜虐的な笑みを浮かべる。
「場所が悪いな……バニキス、デカい術で森ごと潰すぞ」
「ああ、こないだ覚えたヤツだな?
ゴウ・ファノン!!」
パートナーであるバニキスの手にある魔本が光を放つとリオウの腹部にある口が開き、全身にトゲを生やした獣を吐き出す。
獣は木々を薙ぎ倒しながらもなんの障害もないと言わんばかりに一切の減速無しにゾフィスへ迫る。
「グッ…つぅ…!!」
ゾフィスは後ろから迫る術が木々程度で減衰しない程の威力だと悟ると、手近な若木を蹴り折り盾のようにして自分から術に突っ込んだ。
「マジか!?ダンプカーだって吹っ飛ばす威力なんだぞ!」
「流石に強いな、中級術とはいえ直撃でも倒れんとは…
だが、無傷ともいかんようだな…?」
リオウ達の視線の先、ゾフィスは身体の至る所から血を流し荒い息を必死に整えていた。
「フゥゥ…フゥ、フゥ……ッ!」
最悪の、最悪の、そのまた更に最悪の可能性だ。
見付けた石板はまだ11枚…ゴーレンの話では55枚ある内の、だ。
そこらの魔物相手なら隙を見て本を奪うなりできたが…本当に最悪過ぎる。
まさか、こんな段階でリオウと当たるなんて……どうしようもなさ過ぎて笑えてくる。
倒せるとか倒せないとか…それ以前の相手だ。
ただでさえ千年前の魔物達と戦わないガッシュ君達がファウード編の魔物とも戦わないなど…圧倒的に経験値不足だ。
確かに、後に復活するとはいえ清麿君を殺したリオウ達を野放しにするのはどうかと思うが…ガッシュ君と清麿君の覚醒がなければ魔界はおろか人間界すらもクリアに消し去られてしまうだろう。
クリアを倒すにはガッシュ君と清麿君が金色の魔本を発現させる他無い…その為には、清麿君のアンサートーカーとガッシュ君の真の力を取り戻したバオウ・ザケルガは必須だ。
「待って…ください……私の本は、燃やしてくれて構いません
ですが……せめて、後二ヶ月……いえ、後一月待ってください…」
私の本が燃やされるのは…この際仕方ない。
だが、千年前の魔物達を復活させる役目だけは…なんとしてでも果さなければ……
パムーンも、レイラも…ベルギム・E・Oだって、身動きすらとれない状態で今も孤独に蝕まれている。
石の恐怖で精神が壊れてしまう程に、苦しんでいる……年端もいかない子供達がだ。
「千年前の…魔物達が、石に…されているのです……
助け、なければ……」
痛みと喉に溜まった血で声が詰まる。
なんとかしろ、声を出せ、死んでも死ぬな。
私しか居ないんだ、あの子達を救えるのは。
私しか居ないんだ、石のゴーレンの後悔を晴らせるのは。
泣いていたんだ……もういつ死んでもおかしくないような老人が。
嗚咽と共に、縋り付いて頼んできたんだ……!
どれだけの苦難と苦悩だったろう。
排泄の仕方や、自分の名前すら忘れた老人が…それでも一人一人の顔と名前は忘れなかった。
王を決める戦いが終わって…自分が倒した相手がその場に居なかった時、彼がどんな事を思ったかなんて私にはわからない。
だが……自分よりもずっと小さな私に、涙と鼻水とでぐしゃぐしゃになった顔で縋り付いてきた彼を私は知っている。
「必ず……貴方の、力になる…はずです……
千年前の、魔物達は……強力です…きっと、貴方も気に入る…はず…」
例え、リオウの傀儡になろうとも…石板のままでいるよりはずっと良い。
喋れ、もっと利点を説明しろ、リオウをその気にさせろ……死ぬ気で、死ぬな…!
「ハハハッ!必死だな!!
お前のそのウソかホントかもわからねぇ提案を俺達が飲むと思うか?
良い事を教えてやるよ…俺達にはもう、ファウードっていうイカした武器があんのさ」
「…そういう事だ
所詮は千年前に敗れた、カビの生えた負け犬共…
オレが王に成るにはファウードさえあれば良い」
ゾフィスを嘲笑うように、再び魔本が光を放つ。
「ガルファノン!!」
螺旋を描くように回転するエネルギーの塊は話し合いの為にリオウ達の目の前まで出て来ていたゾフィスを強かに打ち飛ばした。
「ギッ、ギャァァァ!?」
「見たかよ!モロだぜモロ!!
もうマトモに立てねぇだろうな!」
白かったゾフィスの服が血と土に塗れ赤黒く変色している、右腕と右脚がひしゃげたその姿は一目でもう動けないだろうと理解できてしまう。
「その怪我で、おまけにパートナーも居ない…諦めて本を出せ、地獄のような苦しみが続くだけだ」
倒れ伏すゾフィスの髪を掴み、無理矢理に顔を上げさせるとリオウは幼子を諭すように言う。
「ったく面倒だぜ、この本を燃やさないといけねぇってのはよ」
リオウの後ろではバニキスがやれやれと両手を挙げる。
ゾフィスの魔本は此処には無い。
こういう場合を想定していたゾフィスが拠点としている場所に置いてあるからだ。
「お願い…です、時間を……」
うわ言のように繰り返すゾフィスにリオウの顔が憤怒に染まる。
「本は何処だ…」
「千年前の、魔物の子が…今も、怯えているのです……」
「本の場所を教えろ」
「助けなければ……一刻も早く…」
「お前の本は何処だ!」
「助けなければ、ならないのです!」
「オレの質問に答えろ!!ゾフィス!!!」
負傷を感じさせないその叫びに、リオウもまた怒声で応える。
二人の魔物の叫び声…本来森には無いソレに鳥や動物達が驚き逃げ惑う。
しかし、たった一つ…たった一つだけその場に向かう影があった。
「貴方達!何をしてるの…!」
栗色の髪を短く切り揃えたその少女の声は、今まさにトドメを刺さんとしていたリオウの手を止めた。
「女…?まさか、貴様のパートナーか…?」
不審に思いゾフィスを見遣るリオウ…しかし、ゾフィスはリオウ以上に混乱していた。
「な…ど、どうして……?
なぜ貴女が此処に……逃げなさい!此処は貴女が来るような場所では…」
ゾフィスのその反応に、リオウは笑みを浮かべた。
人の良いソレではない、獣が狩りを為す時に浮かべるような…獲物を見付けたような笑みを。
「なるほど?どうやら本当にパートナーらしい…」
リオウの判断に、間違いはない……しかし、当然ながらココはゾフィスの魔本など持っていない。
「き、聞こえなかったの!?
今すぐその人から離れて…離れなさい!!」
ゾフィスの催眠能力は、完璧ではない。
人の持つ強い『思い』を彼は操れない。
自分を助けてくれる『誰か』に会いたいと願った彼女の、その思いまでは…ゾフィスには消すことが出来なかった。
ココは離れていても吐き気を催す程に濃く匂い立つ血の香りに怯えながらも、足が震えて恐怖で喉が締まりながらも…それでもリオウとバニキスを睨みつける。
「くっくっく、こいつは良い…この女、何も知りやがらねぇな?
俺達を前にして、本を構えもしねぇのがその証拠だ!」
バニキスは顔に手を当て笑う。
ココが呪文を唱えられないと知り…これからの蹂躙に予定変更は無いと確信したから。
「ぐっ……」
ゾフィスは自分の髪を掴むリオウの手…その小指を左手で掴むと思い切りへし折った。
「ギッ…!?キサマァ!!」
痛みで反射的に手を離したリオウが怒りのままにゾフィスの腹を蹴り上げる。
「ぐぶ…っ!?」
痛みを堪えながら、ゾフィスはなんとかココの前に立つと背を向けたまま語りかける。
「ココ…はやく逃げるのです……やっと、大学に合格したのでしょう…?
お友達が…心配しますよ……」
出血と痛みで、見ず知らずの筈のゾフィスが知っているのはおかしい事を言ってしまう。
だが、それでも本心から諭す。
「私は、大丈夫です……これでも、鍛えて…いますからね」
理不尽に晒されながらも、腐ることなく努力し続けた少女がようやく勝ち取った幸せを…どうして奪い盗れようか。
誰かの幸せの為に、誰かの幸せを犠牲にするなんて間違っている。
「だから…逃げなさい、ココ」
フラフラで、今にも倒れそうで…それでもゾフィスはそんな事などおくびにも出さずに言う。
そんなゾフィスの前に、ココは震えながら両手を広げて立った。
「な!?何をしているのです!!危険だと言って…」
「確かに!危ないと思うし、今だってすごく怖いわ…」
「だったら…」
「今私が此処から逃げたら、此処での事をシェリーに言ったら、きっと彼女はすごく心配してくれて…私が無事で良かったって抱き締めてくれると思う」
足は震え、今にも泣き出しそうな程に涙を滲ませながら…それでも決して逃げずにココはゾフィスを庇うように立ち塞がる。
「でも、そんな私を……私を助けてくれた貴方を見捨てて逃げる私を、私は好きだって言いたくない!!」
小さな背中だった。
触れば壊れてしまうかと思う程に。
大きな背中だった。
昔、本で読んだ…あの金髪の少年のように。
「自分を…好きに………」
───この程度が
そんな事、考えた事も無かった。
だって、私は
千年前の魔物達に更なる恐怖を与え、優しいココを弄んだゾフィスが。
「どいつもこいつも、このオレを舐めやがって…!!
バニキス!!」
瀕死のゾフィスに指を折られ、本も構えていないパートナーに目の前に立ち塞がられ…リオウは青筋を立て叫ぶ。
「ファノン!」
迫りくる獣のようなその光に、ココは痛みに耐えるようにギュッと目を瞑る。
「…っ!!…………あれ…?」
何時まで経っても来ない痛みに恐る恐る目を開けると、そこには此方を真っ直ぐに見据えるゾフィスが居た。
「………もし、此処から先に地獄のような道しか無いとしても…貴女は私を助けるのですか?
此処で見ないふりをするだけで、貴女はシェリーや大切な人達と幸せな生活を送れるのですよ?」
ココは何も言わず、そっとゾフィスの手を握る。
「痛い事も、悲しい事もたくさんあるのですよ?
貴女を助けたのだって、ただの罪滅ぼしのようなもので…」
「それでも…私は貴方を助けたい」
ゾフィスの言葉を遮るように、その声は響いた。
「……………そう、ですか…」
わかっている。
此処でリオウを倒してしまえば、世界が滅んでしまうかもしれない事ぐらい。
わかっている。
千年前の魔物達も、ココも諦めてしまわなければならない事ぐらい。
わかっている。
そうでなければ、魔界はクリアに滅ぼされ…人間界だって無事では済まない事ぐらい。
それでも─────
「私は、今から間違った事をする」
誰に聞かせるでもないその独白は、彼なりの決意表明。
誰かの幸せの為に、誰かが犠牲になるくらいなら…やってやろうじゃないか。
ファウードも、清麿君とガッシュ君の経験値も、クリアを倒す事だって…!
「ココ!川沿いに登っていった先の小屋にある赤紫色の本を!」
ゾフィスの声に、ココが一瞬躊躇うように顔を見る。
自分を逃がそうとしているのではないかと…だが、ゾフィスは笑った。
「貴女にしか頼めないのです……お願いできますか?」
「…ええ!」
駆け出すココを見送る事もせず、ゾフィスは振り向く。
憤怒の表情で本を輝かせるリオウとバニキスへと。
「キサマは楽には死なさんぞ……!!」
「ふふ、残念ですがちっとも怖くないですよリオウ君
なにせ……もっと怖い