子育てとは何か。
魔族には子育てという概念が存在しない。
故にどのように育ってきたか思い出すことも、考えた事すらなかった。
なので古き友の知恵を借りることにした。
「まだ隠居生活には早いだろう、断頭台のアウラ」
その場所は人類から忘れ去られた古城。
玉座に座るアウラは鬱陶しそうにこちらを睨みつけ、射殺さんばかりの殺意を向けてきた。
「五月蝿いわねぇ……私は今、すこぶる機嫌が悪いのだけど」
「そうか」
不機嫌な理由はわかっていた。
だが今はそれに触れるべきではないと判断した。
しばらく黙ってじっと待っていると、やがて痺れを切らしたアウラは口を開いた。
「帰ってくれないかしら。貴方は仲間でも何でもないの。関わりたくもないわ」
「お前の力を借りたい」
断頭台のアウラはその隻眼をこれでもかというくらい見開くと、やがて大きな溜息と共にその身体を玉座から持ち上げてこちらに歩み寄ってきた。どうやら話を聞く気なったようだ。
「……一応聞くけど」
真意を確かめるように、じっと赤い瞳がこちらを覗いている。
ナハトは影の揺籠から一歳ほどの赤子を抱き抱え、その小さな頭を優しく撫でる。
「人間の、赤ちゃん?」
アウラが顔を顰める。
人間嫌いである彼女にとって、人間の赤ん坊というのは見るだけでも苦痛らしい。
「あぁそうだ。人間の赤子だ」
「なんでそんなものを私に見せに来たのかしら」
「赤子は何を食べるんだ」
「……は?」
意味がわからないといった様子で首を傾げるアウラに、ナハトは真剣な表情で再度問いかけた。
「人間はどうやって育てるのだ」
「いや、だから、どうして私がそれを答えないといけないわけ? 自分で調べなさいよ!」
「それが出来ないからここに来たんだ」
「……っ! このっ……! いい加減にしなさいよッ!!」
怒声とともに巨大な魔力の波動が押し寄せてくる。
しかしナハトはそれを影で受け止めると、赤子を抱かえたまま片手で簡単に弾き飛ばした。
「〜っ、むかつく!!」
地団駄を踏みながら怒り狂うアウラに、しかしナハトも譲らない。
どうしても頼れる相手はこれしか居なかったからだ。
「頼む。教えてくれ」
真摯な態度に折れたのか、ついにアウラの方が根負けして項垂れていた。
「……仕方がないわね。リーリエ、来なさい」
アウラが手招きすると、何処から現れたのか玉座の背後から一人の少女が現れた。美しい髪を両サイドで束ね、透き通るような白い肌を持ったまるで人形のような容姿をしている少女だった。
しかしその頭には禍々しい角があり、彼女も魔族またであることを示していた。
「お呼びですかアウラ様」
リーリエと呼ばれた彼女は玉座の裏に隠れるように佇んでいる。
「こいつに子育てを教えて上げなさい」
「はい?」
ナハトを指差し、アウラが命令する。
当然の如く意味がわからず困惑するリーリエに、アウラは同じように説明し始める。
「私が子育てなんてすると思う?」
「どゆこと」
「だから! 赤ちゃんの育て方を私に聞いてんのよこのバカ騎士は!」
「えぇ……」
リーリエが驚いてナハトの方へ視線を向ける。
当の本人はどうかと困ったように兜を傾げていた。
その様子にリーリエはしばしの間思考を巡らせていたが、やがて何かに気付いたようにその目を大きく見開くのだった。
「……まさかとは思いますけど……、その……」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「失礼ながらナハト様、その赤ちゃんは……」
リーリエがゴクリと唾を呑み込み、恐る恐る尋ねた。
「まさか、アウラ様とのお子様ですか……?」
その瞬間、場の空気が凍りついたように静止した。
そして程なくしてリーリエは顔を真っ青にするとその場から逃げるように立ち去ろうとした。しかしアウラは即座にその首根っこを掴み引き止める。
「待ちなさいリーリエ」
「し、しかしアウラ様……!!」
「いいから座れ」
有無を言わさぬ圧に屈し、リーリエはすごすごと引き下がる。
そして覚悟を決めたようにその場に跪いた。
「……アウラ様、先程は失礼な事を口走ってしまい申し訳ございませんでした。どのような処罰も受けます」
「別に良いわ。それより詳しく話を聞きなさい」
「はい。畏まりました」
リーリエが畏まった態度で頷く。
その隣で、ナハトは事情を説明し始めた。
「俺は子を持ったことがない」
「魔族には子育てという習慣が存在しませんからね」
「あぁ。だから子育ての仕方を教えて欲しい」
「そういう事ですか」
リーリエが納得したように頷く。
そして彼女は真っ直ぐにナハトの目を見詰めると、何かを思い出すように遠い目で話し始めた。
「私は、アウラ様にお仕えする前はよく人間の動きを見て観察しておりました」
「ほう」
「その時の事を思い出しながらお教えいたしますね」
「助かる」
どうやら何とか話は聞いてもらえるようだ。
ナハトは安心すると、詳しい説明を求めることにした。
「まずは母乳の与え方からですねーーーーーアウラ様」
「え、あぁ、うん」
「母乳を出してください」
「出ないわよ?」
「え、七崩賢なのにですか?」
「七崩賢を何だと思ってるのよ!」
予想外の出来事にアウラが困惑したように叫ぶ。
だがリーリエは至って冷静に言葉を紡いでいた。
「分かりますか、ナハト様。魔族のおっぱいは大少関係なく飾りなのです。吸わせても母乳は出ません」
「そうだったのか」
「えぇ、生殖活動もしませんし。というか私自身どうやって産まれたのか知らないです」
あっけらかんと言い放つリーリエ。
その言葉にアウラは頭を抱え、ナハトはじっと聞き入っていた。
「人工母乳というのがありましてね。乳の出が良くない人間が赤子に与えるものです」
「それはどうすれば手に入る?」
それは……とリーリエが言葉を濁らせる。
「すみません、詳しくは存じておりません」
「そうか」
残念そうに肩を落とすナハトに、しかしアウラはとんでもない提案をするのだった。
「そういえば人類を研究している変わり者の魔族が一人いたわね」
「本当か」
「えぇ。人間の赤ちゃんに興味津々だったから、お願いすれば手に入るかも」
アウラの言葉にナハトが微かに興奮しているように見えた。
気のせいだろうが、リーリエは少し意外そうにそれを眺めていると、ふと一つの疑問に行き着いた。
「あの、どうしてそこまで?」
正直ここまでする理由が理解できなかった。
敵である人間の子を育てるなど、魔族にとっては不利益でしかないし、何の得にもならない。
それを知りながら、この騎士はどうしてここまでするのか? リーリエが問いかけると、ナハトは静かに答えた。
「分からない」
「え?」
まさかの答えに目を丸くするリーリエ。
彼女はその真意を確かめるべく更に言葉を続けることにした。
「人間なんて、ただの食べ物です。何の愛着も湧かないでしょう? ましてや育てる必要なんてありません」
リーリエの問いに対するナハトの答えはこうだった。
「そうかも、しれない。だが……育ててみたい」
「……どうしてですか?」
リーリエは再度問い直す。
ナハトは少しだけ考えると、やがて静かに答えた。
「ただ興味があるだけだ」
リーリエはその答えに目を丸くした。魔族特有の魔力の波長がピリピリと肌を刺激する感覚があり、その者の感情が直接伝わってくるようだった。
(この人……嘘ついてる)
そう、彼は嘘をついた。
直感的にそれを感じ取ると、リーリエはナハトの兜の奥に隠された表情を見透かすようにじっと観察していた。
すると先程まで眠そうにウトウトしていた赤子が突然泣き始めてしまった。慌ててナハトがその身体を揺り動かしながらあやすも、一向に泣き止む気配はない。
(あぁ、しまった……)
段々と焦り始めるナハト。まさか泣かれるとは思っていなかったようで、その厳つい兜が完全に困り果てていた。
その様子が面白かったのか、リーリエは思わず吹き出してしまった。
途端にナハトの兜が凍りつく。だがそれは羞恥などではなく、憤怒の形相だった。
(え……怖)
軽く怯んでしまうリーリエだったが、次の瞬間にはもう元のナハトに戻っていた為ホッと胸を撫で下ろす。しかしその間も赤子は泣き止まない様子で、どうしようと思案している様子であった。
するとアウラは一つ溜息をつくと
「貸しなさい」
そう言ってナハトから奪い取るように赤子を受け取った。
「泣き止ませればいいんでしょう? 簡単なことよ」
アウラはそう言って、まるで子供をあやすように優しい声色で語りかけた。
「大丈夫、大丈夫よ」
そう言いながら、背中をさすったり軽く叩いてみたりと試行錯誤を繰り返す。最初は全く効果が無かったように見えたが、次第に赤子の泣き声が小さくなっていき、やがて完全に泣き止んだ。
「ね?」
そう言ってアウラが微笑むと、つられて赤子も笑ったような気がした。ナハトは驚愕の表情のまま固まっていた。
「私も抱っこしてみたいです」
「いいわよ」
リーリエが手を伸ばすと、アウラはその赤子を彼女に渡した。
最初はおっかなびっくりと言った様子だったが、やがて慣れた手つきでその身体に触れると優しく抱きしめた。
「可愛いですね」
少し力加減を間違えれば壊れてしまいそうな程小さなその存在に、リーリエは不思議な感情を抱いていた。
これが母性とでも言うべきなのだろうか?
何とも言えない温かな気持ちに包まれるのだった。
「将来はきっと美人さんになりますよ」
そう言って微笑むと、赤子も釣られてか笑顔を見せる。
それが嬉しくて、リーリエは何度も繰り返しあやしてあげた。
「もういいだろう。いい加減に返してくれ」
ナハトが強引にリーリエから赤子を取り上げると、そのまま抱き抱えた。
「さて、そろそろ失礼するぞ」
影に沈んでいくナハトに、アウラは呆れながら溜息を吐いた。
「さっさと出てけ。2度と来るな死ね」
「えぇ……」
手をヒラヒラとさせて追い出すように手を振るアウラを背に、ナハト達は影の中へ消えていくのだった。