リヒトが旅に出る5年前。
「ようやく見つけたぞ『虚影の騎士』め」
この日も、あの日と同じく。
廃墟と化し、忘れ去られた街に雨が降っていた。
降り頻る雨の中、ナハトの背後に現れた人物はそう言い放った。
その声を聞くだけで背筋が凍るような寒気に襲われた。
まるで心臓を鷲掴みにされているような感覚。
ナハトはゆっくりと後ろを振り返った。するとそこには1人のエルフが立っていた。
美しい金髪を雨に濡らしながら、その女は冷たい眼差しでこちらを見下ろしていた。その瞳には底知れぬ憎悪の色が浮かんでおり、思わず身震いしてしまう程の威圧感を放っていた。
「覚えているか、10年前、この街でお前がしたことを」
ここは10年前、ナハトが影の軍団を使い滅ぼした街だった。懐かしい。今でもあの光景を鮮明に思い出す事ができる。
「ああ、もちろん」
ナハトは静かに答えると、その女の顔を静かに見据えた。
まるで射殺さんばかりの視線を向けてくる彼女に対して、自然と笑みが零れる。
「ランツェはな。馬鹿でカッコ付けたがりのニコチン中毒者のロリコン野郎だったが、仲間と家族思いのいい奴だったよ」
覚えている。
僕は殺した人間の顔を忘れない。
その記憶も、痛みも、悲しみも、全て咀嚼して糧にする。
だから忘れるはずがない。あの時、この胸に抱いた全ての感情を。この身体の全てに刻み込んでいるのだからーーー。
「ランツェは、強かったか?」
エルフの女は淡々と問いかけてきた。
「ああ、強かったよ」
素直にそう答えると、エルフの女は満足そうに微笑んでみせた。
「そうか……なら」
女の唇が微かに動く。そこから発せられた言葉は雨音に掻き消されてよく聞こえなかったが、口の動きから何を言っているのか読み取る事はできた。
『殺してやる』
そう動いたように見えたのだ。
次の瞬間、女が動いた。魔法を即座に展開すると、四方八方からナハトに向かって襲い掛かってきた。
『炎矢を射る魔法』
『雷槍で貫く魔法』
『風刃で斬る魔法』
『氷塊を放つ魔法』
『土の弾丸を撃つ魔法』
『魔族を殺す魔法』
『切断する魔法』
『病を写す魔法』
『鎖で縛る魔法』
『足が遅くなる魔法』
『血液を沸騰させる魔法』
『視界を奪う魔法』
放たれた魔法の一つ一つがナハトの身体に直撃した。
しかしーーー、傷一つつかなかった。
何故なら、予め展開しておいた影がその全てを防いだからだ。
「お前、僕を舐めているのか」
ナハトは女の膨大な魔力の揺らぎを見て忌々しく言葉を吐き出す。この女はまだ魔力を抑えている。
「全力を出さないのなら、こちらから行くぞ」
そう言うと同時に、ナハトは鉄塊のような剣と影の騎士達を召喚する。
「ふはっ、それは神話時代の魔法か? まさかそんな古い魔法まで使えるとはな」
女はそれでも余裕の表情を崩さなかった。それどころか、楽しげに笑みを浮かべると自らも魔力を解放した。
「いいだろう、このゼーリエが望み通り全力を出してやる。だが後悔してももう遅いぞ? その魔法が神話時代の物ならば私も全力を出さざるを得ないからな」
その言葉に呼応するように無数の影が蠢き出す。
それはまるで黒い津波のようであった。
「来いよ、虚影の騎士」
そう言うと、ゼーリエは周囲に展開していた魔法陣から無数の白銀色の騎士を召喚する。その数は実に1000体を超えていた。
「数で私を倒せると思うなよ?」
その言葉に呼応するように、ゼーリエの召喚した騎士が影の騎士と衝突する。
刹那、甲高い金属音と共に火花が飛び散った。
無数の白銀色の騎士が影の騎士達へと斬りかかり、次々とその身体を両断していく。
瞬く間に、影の騎士はその数を減らしていった。
「随分と硬いな……」
騎士の数は減るどころか増える一方で、白銀色の波はどんどんとその勢いを増していく。しかしナハトはそんな状況であっても焦る事はなく冷静に対処する。
『影を操る魔法』
ナハトは影で白銀の騎士を地面に縫い付けると、そのまま固定する。そして身動きが取れなくなった騎士を次々と薙ぎ払っていった。
「『光を成す魔法』」
女が空に手をかざすと、その先に大きな光球が生み出される。
それは次第に輝きを増していき、やがて直視できない程の光量まで膨れ上がった。
「これでお前の影は力を失う」
言葉通り、影の騎士はまるで溶ける様にその姿を消していった。
「もう詰みだよ。お前の魔法も不死性も光の中では意味がない。さあ、覚悟しろ」
「その通りだな……」
言って鉄塊のような剣を一振すると、その剣先を女の方に向けた。
「だが、決めつけるのは早計だ」
「ほう? そうか、なら試してやる」
ゼーリエはそう言うと槍を召喚し射出する。
それはナハトの腹部を貫くと、背後の岩壁へと突き刺さった。
「ぐっ……」
攻撃は続く。今度は光の矢が無数に飛来し、次々とナハトの身体を貫いた。鮮血が飛び散り、周囲に鉄臭い匂いが立ち込める。
「どうだ?」
愉快そうに笑うと再び槍を召喚し射出する。
それはナハトの兜を砕き、素顔を露出させた。黒い髪が乱れ、その額から一筋の血が流れ落ちた。
「全然、だな……」
女はニヤリと笑ってみせると、再び光の矢を放った。それはナハトの身体に次々と命中しその肉を抉っていく。血が噴き出し地面に血溜まりを作った。
それでもナハトは倒れなかった。
胸を貫いた槍を引き抜き、ゆっくりと、確実に歩み寄っていく。
「……まだ耐えるのか。見上げた根性だが、いい加減鬱陶しいな」
ゼーリエの顔に苛立ちの色が見え始める。そして再び光の矢を召喚すると、それを放った。
「なるほど……お前の不死は呪いだな」
女は眉を吊り上げ、忌々しそうに言葉を投げ掛けてくる。
「しかも神話時代の呪い……お前は何者だ」
ナハトはそれに答えず、無言で歩みを進めていった。すると女は怒りの表情を浮かべながら再び光の矢を放つ。今度はナハトの右足を貫いた。
「私を無視するなよ」
女は小さく舌打ちをすると、右手を高く掲げる。
その手に膨大な魔力が集中していくのを感じた。
「
そんな呟きが聞こえた次の瞬間、光が放たれた。その光は周囲の空間を焼き尽くしながらナハトに向かって迫っていく。
しかしナハトは微動だにせず、黙って光を受け止めるとそのまま呑み込まれてしまった。
「……期待はずれだったな」
そう呟いた次の瞬間、背後に現れたナハトが剣を振り抜いた。
「期待はずれだったか?」
剣はゼーリエの首の皮一枚で止まる。
まるで見えない壁に阻まれているかのように、それ以上先に進まなかった。
「言葉を正そう。お前はとても厄介だよ」
そう言って女は魔法を紡ぐ。
『呪いを無効化する魔法』
ゼーリエはナハトに向かって手をかざすと、その魔法を行使する。
それは一瞬の出来事だった。
周囲の空間が歪み、反転する。景色がぐにゃりと曲がり、それと同時に重力の方向すら分からなくなる。
ナハトはその空間の中に囚われてしまった。
まるで世界から切り離されたような気分だ。
身体は浮いているような感覚で、肉体の感覚が一切ない。
唯一認識できるのは意識だけだ。
(何だこれは……?)
ナハトは混乱していた。
一瞬の間に何が起きたのか理解できなかったのだ。
先程まで自分はあの女と戦っていたはずなのに……。
しかしそう思考を巡らせている間にも周囲の空間は歪み続け、次第に崩壊していくのが分かった。ゆっくりとではあるが、確実に世界が壊れていっている。
ナハトが身に纏っていた漆黒の鎧が音を立てて砕けると、そのまま影に戻っていく。するとやがて身体の感覚が戻り、自分はまだ生きているのだと実感する事ができた。
「思い出したよ。お前は、神話時代に存在したと言われている勇者の一人だ」
女はナハトの方を見詰めながら静かに呟く。
その瞳からは敵意が消え去っていた。そして何かに驚いている様子だった。
「ーーーーーー」
ナハトは荒い呼吸を整えるように、深く息を吐き出した。
そして目の前の女に視線を向ける。
彼女はその美しい顔を歪ませながらナハトを睨み付けていた。
それは憎悪とも悲しみともつかない複雑な表情であった。
「魔王は少し前に、勇者ヒンメルが殺したよ」
「……そうか」
女は目を伏せると、小さく呟く。
「もういい。眠れ、古の勇者」
そう呟くと、女は光の矢を放った。
ナハトは避けようとせず、その一撃を受け入れる。
胸に矢が突き刺さった瞬間、血が噴き出した。
熱い、痛い、苦しい、怖い。
今まで味わった事のない感情が一気に押し寄せてくる。
「僕は、死にたく、ない……」
ナハトの口から自然と言葉が漏れる。
それは生まれて初めて口にした本心であった。
まだ幼さが残る少年のような顔には涙が浮かんでいる。
その表情は恐怖に染まりきっていた。
「もういい。喋るな」
ゼーリエは優しい声で諭すように語りかけ、ナハトの頬にそっと手を触れる。
「お前は強かったよ。」
女はそう言って微笑みかける。
すると、ナハトの顔に僅かに笑顔が戻ったように見えた。
「ごめ、ん……なさい」
ナハトは掠れた声でそう言うと、静かに目を閉じた。そしてそのまま動かなくなってしまう。ゼーリエはそっとナハトの頭を撫でると静かに立ち上がった。
「私は、お前も忘れんよ」
いつしか雨は止んでいた。空を覆っていた分厚い雲は風に流され、所々切れ間から月明かりが差し込んでいる。
「少し、殺風景だな」
ゼーリエは呟くとこの場に相応しい魔法を『花畑を出す魔法』を唱える。
光の粒子が溢れ出し廃墟と化した街に花々が咲き乱れていく。辺り一面に色とりどりの花が咲き誇り、美しい花園へと変貌した。
先程まで戦場であった場所に似つかわしくない、幻想的な景色が広がる。
女はそっと息を吐くと空を見上げた。
月光が降り注ぐ中、その花々は輝きを増していく。まるで生命の息吹を体現するかの如く力強く咲き誇っていた。
「ふん……悪くない魔法だな」
歴史に名を残すことが叶わず、忘れ去られてしまった勇者の墓には十分だろう。ゼーリエは薄らと笑みを浮かべるとその場を後にするのだった。
「ふーん。君はやっぱり人間である事を選んだんだ」
ソリテールは魔力の痕跡を辿りながら花畑で眠るように横たわるナハトに近付いた。
「お父様は死んだの?」
リヒトはソリテールの背に隠れながらナハトの様子を窺う。
「ええーーーーとても悪いエルフに殺されたわ」
「悪い、エルフ」
リヒトはそう呟きながらナハトの顔を覗き込む。その顔はとても穏やかで、今にも目を覚ましそうな程であった。
「どうすればその悪いエルフを殺せるの?」
リヒトは真剣な眼差しでソリテールを見上げた。その表情からは強い意志が感じられる。それは憎悪から来るものではない。もっと純粋な感情であった。
「それは、とても難しいわ。けれど貴方の魔眼なら届くかもね」
ソリテールはナハトの横に屈み込むと、葬日草の花束を添えた。
「師匠、私にもっとたくさんの魔法を教えて」
リヒトは真剣な眼差しでソリテールに懇願する。その瞳には一切の迷いがないように思えた。
「ええーーーーーーもちろんよ。リヒト」
ソリテールは跪くと、リヒトを優しく抱き締めた。
「え?」
予想外の行動にリヒトは動揺する。しかし何故だか悪い気はしなかった。寧ろ少しだけ嬉しいと思ってしまった。
「大丈夫、私が貴方を導いてあげるから」
「うん」
リヒトはソリテールの背に手を回し、そっと力を込めた。この温もりをずっと感じていたいと思ったからかもしれない。
「さあ帰りましょう」
ソリテールは立ち上がると、リヒトに手を差し伸べる。その手を掴むと、リヒトはこくりと小さく頷いた。
この作品のゼーリエ様は、メダカボックスの安心院さんをイメージしました。たぶん1京ぐらいの魔法を使えます。
次回はある程度のストックが溜まったら更新します。
感想や評価ありがとうございました。
よろしくお願いします。